関口 咲@水曜日 00:10
先輩を救わなければ。あたしのピースは先輩だから、先輩がピースの欠片に汚染されてしまったら、あたしのピースも汚染されてしまう。
あたしの手に入れた手掛りは、鳩の羽。だったら鳩を探し出すのが一番早いはず。
なのに、夜の公園には鳩が一羽もいない。昼間は溢れ返るほどいるのに、夜中の公園にはピースの手掛りが存在していない。
あたしのほかに誰もいないのに、誰かが鳩を隠してしまっている。
「……サキ!」
先輩に良く似た声の男性が、あたしの名を叫ぶ。けれどこれは先輩じゃない。先輩は、あたしのピースは、今はまだ元には戻っていないのだから。
――見付かりそう?
ううん。全然。夜の公園には鳩がいないなんて知らなかったよ。
何で皆、あたしの邪魔をするのかな。誰が鳩を隠しちゃったのかな。早く見付けないと、先輩を救うことができなくなってしまうのに。
「サキ」
先輩に良く似た誰かが、あたしの肩に手を置いた。さっきから、この先輩に似た男はあたしの邪魔ばかりする。ピースを探す邪魔ばかりする。
「……邪魔しないで」
先輩は今、何処かで苦しんでいるはず。あたしが急いで助けてあげないと、先輩もなるみと同じように死ななければならなくなる。あたしも死ぬことになる。それだけは避けたい。避けなければ。
あたしも、先輩も。助からなければならない。
携帯電話を取り出して、先輩に連絡を入れる。今はまだ見付かっていないけれど、きっと助けてあげるから。
あたしが電話するより先に、先輩から電話がかかってきた。いつもそう。先輩は、離れていてもあたしの行動はお見通しだ。
離れていても心が繋がっている。それって、すごく素敵なことだと思いませんか? 先輩。
「当り前だよ。俺とサキはふたりでひとつなんだから」
嬉しい。先輩、絶対に助けますから、待っていてくださいね?
「ああ。信じてるよ」
先輩の声があたしに勇気を授けてくれる。この公園にいなくても、何処か他の場所に鳩がいるかもしれないってことですよね?
「先輩……」
「サキ!」
先輩との大切な電話の最中にも、しつこい男が邪魔をして来る。あたしと先輩の邪魔をして来る。
振り払うように駆け出し、あたしは先輩に似せた声を持つ男性の追跡から逃げようとした。
けれどこの男は、しつこくあたしを追いかけて来る。何が目的なの? 何故、邪魔をするの?
――うるさいね、さっきから。
本当に。どうしてこんなにあたしと先輩の仲を邪魔しようとするの?
――ふたりでひとつになることを阻止したいんじゃないのかな。
何で? あたしにとっての先輩は間違いなくピースで、先輩にとってのあたしは間違いなく大切な存在で。だからこそ、あたしは先輩を助けたいわけで。
「……先輩の……」
気がついてしまった。先輩は格好良くて歌も上手くて。だから当然、同じ夢を持つ人にとっては邪魔な存在にもなりうるわけで。
この男は、先輩のことを邪魔だと思っている。多分、間違いなく。
――どうする? このままじゃ、せっかくピースを手に入れても、先輩に渡す前に奪われちゃうかもよ?
あたしの中で、誰かが囁く。
――邪魔だよね。
邪魔。
――死んで貰う?
死んで、貰う。
あたしは足を止め、その場に立ち塞がった。追いかけて来ている男があたしの目の前に立っている。
「……サキ。どうした? さっきからおかしいよ?」
おかしいのはあなた。おかしいのは邪魔をするお前。あたしと先輩の仲を引き裂こうとする、目の前に立つお前こそが。
「あたしは先輩を助けなきゃいけないの」
言いながら、武器になりそうなものはないかと辺りを見回す。
「だから、俺なら何ともないだろ?」
先輩の声であたしを惑わす。けれどあたしには、そんな小細工は通用しない。そうでしょ?
――そう。咲は賢いからね。
「邪魔をしないで」
落ちている木の枝を見付けた。先が尖っている。足止めを食らわすくらいなら、どうにか役に立つかもしれない。
じりじりとにじり寄り、枝を拾う。その間も目の前の男から視線を逸らさない。いつ攻撃を仕掛けて来るかも判らない。得体の知れない存在に、隙を見せるわけにはいかない。
「サキ、何があったのかは知らないけど、俺の話も聞いてくれよ」
聞かない。聞いてやる必要もない。そうよね?
――ああ。偽者の言うことに耳を傾ける必要はないよ。
木の枝を構え、相手を見据える。大丈夫。偽者は油断をしている。必死になって先輩の振りをして、あたしと話をしようとしている。
――今なら大丈夫。
そう、今なら。あたしと先輩の仲を邪魔するこの男に、天罰を与えることができる。
あたしは、やらなければならない。先輩のためにも、あたしのためにも。目の前の男を、殺らなければならない。
「先輩、見ていてくださいね……!」
勢い良く駆け出し、目の前の偽者の腹部に木の枝を突き立てる。思ったよりも深くは刺さらなかったが、それでも、目の前の男を苦しめるには充分だった。
見る見る顔が青ざめていく。見る見る血の海が広がっていく。
先輩、あたし、勝ちました。
――おめでとう。
あたしの中の誰かが囁く。違う。これは誰かじゃない。先輩だ。あたしの中のピースが、あたしとひとつになった先輩が、あたしに囁きかけてくる。
――まだ、動いてるよ? どうする?
どうすると聞かれても、答えはもう、ひとつしかないじゃない。そうでしょ? 先輩。
「……サ……キ……」
苦しそうに呻く偽者が、この期に及んであたしの名を呼んでいる。うるさい。あたしの先輩は、目の前の偽者なんかじゃない。
――決まってるんなら、早くとどめを刺しちゃおうよ。
「判ってます。先輩」
この男にさえ邪魔をされなければ、先輩のピースは見付かるんですよね?
髪をかき上げ、気合を入れ直す。いつの間にか付着していた血液が、あたしの髪にべったりと張り付いた。
薄明るい街灯と、月の光。眼下に広がる赤い水溜りが、光を反射してきらきらと輝いている。まるで、先輩と見た遊園地のきらきら。イルミネーションのきらきら。
けれどこの煌きは、あのときの光よりももっとずっと。先輩とあたしのことを祝福してくれている。
例えるなら、そう。結婚式場で舞い散る紙吹雪。光が反射して、どこまでも続く青空に舞う、祝福の紙吹雪だ。
もうあまり体力も残っていなそうな男の腹から、木の枝を抜き取る。ずるずると不慣れで心地良い感触がして、赤く染まった木の枝があたしの手に収まった。
溢れ出る血の量が増えている。このまま放って置いても大丈夫だろう。
「……駄目だよ、きちんと終わらせなくちゃ」
先輩が言う。先輩があまりにも優しい口調で冷たいことを言うから、あたしは可笑しくてたまらない。
「判ってますよ、先輩」
言いながらも、こみ上げて来る笑いを抑えられそうにない。もう少しで、あたしと先輩の未来が開ける。いつも一緒に、ずっと笑顔で過ごす、完全な平和が幕を開ける。
この男さえいなくなれば、先輩のピースは見付けられる。あたしのピースは完璧になる。そのためには、あと少し。もう少しだけ、頑張らなければいけない。
公園の外の自動販売機に視線を移し、隣に置いてあるゴミ箱を見た。瓶飲料を販売していれば良い。そうすれば、空き瓶が手に入る。
かすかにうめく男を尻目に、あたし達はゴミ箱に向かった。自動販売機の灯りに照らされたあたしの身体は、自分で思っていた以上に赤く染まっている。あとできちんとシャワーを浴びなきゃ。ね、先輩?
――大丈夫。そのままでも充分可愛いよ。
ありがとう、先輩。でもあたしは、もっと完璧に可愛くなって先輩と会いたいの。良いよね?
ゴミ箱の中から空き瓶を二つ手に取り、公園内へと戻る。途中、地面に叩きつけて、空き瓶から鋭利な刃物へと変化させた。
両手に持つ、刃物。拾い上げるときにあたしの手も傷付いてしまったけれど、これは名誉の負傷だ。先輩とあたしの将来の、勝利を確信する負傷。痛くはない。じんじんとした、心地良い生を実感する。
月の光を浴び、手作りの刃物が美しく輝く。祝福があたしに降り注ぐ。
「……先輩、待っててね」
右手に握った刃物で、男の首筋を切り付ける。噴水のように激しく噴き出る血が、灯りを反射してとても美しい。
――やったね、咲。
噴き出す鮮血を浴び、あたしは赤く染まってゆく。シャワーを浴びに帰らなくても、ここでシャワーを浴びられる。
ほのかに香る鉄の匂いが、あたしの鼻腔をくすぐる。もっと浴びたい。全身に、勝利の美酒を浴びせて欲しい。
「……サ……」
目の前の男が口を動かすが、もうそれは声にはなっていない。あたしを惑わす先輩に良く似た声は、もう聞こえない。
「サキ、ピースはここにあるよ」
先輩が優しくあたしを導いてくれる。あたしが意識しなくても、先輩があたしの身体を動かしてくれる。
目の前の邪魔な男の身体を、先輩が刃物で切り刻んでいく。薄く切り離した皮膚が、月明かりをほんのりと透かす。
「……綺麗……」
この男の身体が、先輩のピースなの? この赤くて綺麗な皮膚が、先輩のピースなの?
――そうだよ。先輩の身体は、咲のピース。咲の身体は、先輩のピース。
「あたしの身体が……?」
――そう。ふたりでひとつ。
「ふたりでひとつ……」
あたしのピースは先輩だ。先輩のピースは、あたし?
「そう。あたし……」
あたしの中には先輩がいる。先輩の中にもあたしが必要。先輩に、あたしを。
「……先輩、どこ?」
早く先輩にあたしの身体を差し出さないと。先輩にも、あたしをあげないと。
――目の前にいるよ。
目の前? 目の前にあるのは、邪魔をしていた男の残骸。
――だから、それが先輩だよ。
先輩? どうして?
「……自分でやったことが判らないの?」
自分でやった? あたしは、先輩を救うためにピースを探して、そして手に入れた。けれどこの目の前の男が先輩だとしたら。
あたしは、先輩のピースを先輩から奪ってしまったことになる。
「……違う……!」
あたしに囁きかける、この声の主は先輩じゃないの?
「……ピース……」
あたしを導いたのは、先輩じゃないの?
先輩とあたしはふたりでひとつ。あたしのピースが先輩なら、先輩のピースはあたし。
あたし。
――決まった? やるべきこと。
決まっている。あたしが先輩を必要とするように、先輩にもあたしが必要。あたしは先輩を、先輩の血液を大量に浴びたから。先輩にも。
「……良い子だね、咲は」
愛しい先輩の残骸に、あたしを大量に降り注ぐ。手首なんかじゃ足りない。もっと。もっと大量の血液が必要。
頚動脈に刃を当てる。ひんやりと心地良い感触。これで、あたしも先輩も幸せになれる。最高の幸せを手に入れられる。
ピースに導かれるまま、あたしは自分の首筋に刃物を食い込ませた。
くらくらする。きらきらする。星空が、あたし達の上に落ちて来る。
先輩の温もり。あたしの体液。足元の血溜りが、ふたりの温もりを混ぜ合わせていく。
ひとつになれたのかな。先輩。
ごめんね。ピースを奪おうとしちゃって。でももう大丈夫。あたしの身体で、先輩のピースを補完してあげる。
あたし達、これで、ずっと、幸せになれるんだよね……?




