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高橋 一朗@火曜日 21:05

 一日行かなかっただけにもかかわらず、予備校に来たのは久しぶりだ、という感想を抱いた。勉強についていけなかったわけではない。ただ、何となく、空気が違って感じたのだ。

 色々あったようで、何もなかったようで。

 寒さしのぎのために購入した肉まんをかじりながら、僕はとぼとぼと駅までの道のりを歩んだ。

 平日の夜の繁華街は人が多く、それでいて誰もが他人を気にかけていない。不思議な街だ。足早に歩くサラリーマンや、酔っ払いの集団。キャッチを行っている夜の住人達。誰もが他人を気にしているようで、気にしていない。

 空は暗く、しかし街の灯りがとても明るい。

「……寒」

 早く家に帰ろう。購入ときには温かな湯気を上げていた肉まんも、今ではすっかり冷えている。

 ふと、前を見ると、妙な人だかりができていた。いや、正確には人だかりとも違う。人が、固まっているだけだ。

 何かを避けるように、人が不自然に移動している。僕はその原因が気になったが、しかし、これほど統率の取れていない集団が同じ行動をとっている原因だ。関わらない方が良いことは明白だろう。

 集団に混ざるように、僕は進行方向を修正した。

 歩きながら前を見ると、足取りの覚束無い少女が歩いている。どこかでみたことのある制服を着ている。あの制服は、確か。

 カトウナツコ。

 僕はこの期に及んでその名を思い浮かべてしまう自分に心底がっかりした。振り切れていない。全く、気になりっぱなしている。

 僕は受験生だ。自覚が足りないとしても、やる気がないとしても。受験生であることに変わりはない。おそらく叶いようのない恋愛に、溺れるような暇などない。

 それなのに。判ってはいるのに。それでも僕は彼女の名前を忘れることができそうにない。

 目の前の、カトウナツコと同じ学校の制服を着た少女は、虚ろな眼差しでどこか遠くを見ていた。とき折、小さな声で何かを呟いているが、雑踏の中、僕の耳までは届かない。

 ふらふらとした足取りも、何も映していないかのような瞳も、他人を避けさせるには充分な恐ろしさを醸し出していた。

 まるで十戒の有名なシーンのように、他人が、彼女のためだけに道を開けていく。モーゼは海に道を開いた。少女は、人波に道を開いていく。

 開かれた道を、それでも意に介することなく、少女はゆっくりと進んでいった。

 少女の姿が雑踏に紛れ見えなくなりかけたとき、彼女のものと思われる歌声が響いてきた。お世辞にも上手いとは言えない音程で、叫ぶように歌っている。

 この曲は、聞いたことがある。確か、いや多分、トレイントレインだろう。

 ひとしきり歌い終えた少女は、ふいに誰かと話し始める。しかしその声は、歌声とは違い、僕の耳までは届かなかった。

 僕は少し興味を引かれ、その少女の姿を確認できる場所に移動しようとした。しかし後ろから走ってきた男に道を阻まれる。

 脇目も振らずに走っていたのだろう。男の腕が僕の肩に当たった。背の高い、どう考えても男前の部類に入りそうなその男は、周囲の様子など全く見えていないようだった。

 男は、僕をちらと見ると、そのまま少女の進んだ方へと駆け抜けていく。僕のことなど眼中にないといった様子で、何も言わず、人込みの向こうに消えてしまった。

 向こうからぶつかっておいて、謝らないとは何事か。

 僕は腹が立ったが、しかし追いかけてまで文句を言うのもはばかられる。

 先程の少女の姿も既に確認できなくなっていたので、僕は家路を急ぐことにした。

 興味が削がれたわけではない。ただ、何となく関わらない方が良いような気がしたからだ。

 そして、その考えは見事に正しかったのだと、僕は翌日、知ることになる。

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