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関口  咲@火曜日 19:05

 先輩が、今から会おうって言ってくれた。あたしの声があまりにも元気なかったから、らしいけれど、本当は先輩もあたしに会いたかったんだと思う。いや、思いたい。あたしばっかり先輩のことが好きなんじゃないかって、いつも不安を感じているから。

 だからこうして休みの日以外に会えるのは、すごく嬉しい。電話を切った後なっちゃんが心配そうにしていたけれど、あたしは大丈夫。先輩と一緒にいれば、あたしは元気を取り戻せるのです。

「えーっと……」

 待ち合わせは横浜駅。あたしは、改札を抜けると待ち合わせ場所である東口のショッピングビル前へ向かった。

 高校が臨時休校になったことは、先輩も知っているらしい。でも、その原因があたしの親友だということは知らないと思う。知らない方が良い。これ以上心配を掛けたくはない。けれど。

 心配をしてくれるということは、必然的にあたしのことを考えてくれるというわけで。四六時中、朝から晩まで、二十四時間ずっと。あたしのことを考えてくれるというわけで。

 先輩の中のあたしが、今よりもっと大きくなれるわけで。

 ――言っちゃうの? 先輩、引くと思うよ。

 何でそんな風に思うの?

 ――普通はそう思うよ。面倒な、重い女は嫌われるよ。

 嫌われたくはない。やっぱり、言わない方が良いのかな?

 ――そう。咲は良い子だからね。

 うん。あたしは、良い子。だから先輩には、迷惑をかけちゃいけないんだ。

「……サキ!」

 駅の方から走り寄って来る人影が、あたしの名を呼んだ。背が高くて格好良い、あたしの一番の宝物が。

「先輩!」

 暗くて寒い冬の夜でも、先輩の存在は暖かい。駆け寄って、抱き付いて。不安に押しつぶされそうなあたしは、もういない。

「ごめんな、急で」

 先輩が後ろ髪を掻きながら言う。あえてあたしはそれに答えず、先輩の左腕にあたしの両腕を力一杯絡ませた。見上げると先輩は、照れ臭そうな複雑な表情をしている。

「……今日、遅くなっても大丈夫?」

 これは、ひょっとして。

「大丈夫です、多分。家に電話入れれば」

 今のあたしにとっては、先輩と一緒にいることこそが大切で。他の全部は些細でしかなくて。なっちゃんが『気にしない方が良いよ』と言ってくれたのに、やっぱり気になっているけれど。大したことじゃないはずの、鳩の羽。ピースの手掛りが。

 だからあたしは、先輩と一緒にいたい。噂の主のピースとは違うかもしれない。けれどあたしの幸せは先輩だ。欠片を手に入れていても、手掛りを掴んでしまっていても。先輩と一緒にいれば、大丈夫な気がする。

「じゃあ、とりあえず飯食うか。俺、さっきまでバンドの練習でさ、腹減っちゃって」

 何食べたい? 飛び切りの笑顔でそう先輩に訊かれたから、あたしは思わず“先輩”と口走りそうになった。自分でも、自分の思考が恥ずかしい。

「……何でも、良いです」

 独りで勝手に恥ずかしくなっているあたしを、先輩は不思議そうに見る。

「じゃ、少し早めのクリスマスディナーにしよっか? イタリアンとかフレンチとか。バンドの仲間がさ、近くに良い店あるっつってたんだ」

 そう言って先輩は携帯電話を操作し始めた。その良い店がどこにあるのか、確認しているのかもしれない。けれどそんなに良い店だとしたら、あたしが高校の制服のままで入るのは、ちょっと駄目なんじゃないかって気がする。何て言うか、不釣り合いだ。多分。

「……先輩」

 あたし、制服ですよ?

「あったあった。よし。じゃ、行くか」

 いやいや。制服なんですけれど。

 戸惑っているあたしをよそに、先輩はずんずんと歩み始めた。腕を絡めているので、あたしもつられて進むことしかできそうにない。反対したい気持ちは半分。嬉しく思わなくもない。けれどやっぱり、制服のまま繁華街を歩くのは、ちょっと場違いな感じがする。

 予備校帰りの同じ制服に出くわしちゃったら、気まずそうだし。あたしも三年生になったら、この辺りの予備校に通う予定だし。うちの高校は一応、これでも進学校だし。

「ねえ、先輩?」

「何?」

 けれど先輩の笑顔を見上げると、別に良いかなと思ってしまう。つくづく、あたしは先輩に弱い。あたしは、あたしのピースに弱い。

「……何でもないです」

 少しだけ歩く速度を弱めながら、先輩が、あたしの頭を優しく撫でた。温かい手。先輩の存在がすべてなんだと、悟るには充分なほどに。

「心配すんなって、サキ。な?」

 あたしの幸せは、先輩だ。温かい手が、そう諭す。

「ほら、着いたから」

 諭される、あたし。単純で、簡単な幸せ。

 先輩に連れられて、というよりは引きずられてといった方が正しいかもしれないけれど。とにかく先輩と一緒に、あたしは制服姿のままレストランの中に入った。

 薄明るい、雰囲気の良い店内。だからやっぱり、制服姿は浮いている。店員が、変な目で見ているような気がする。

「……先輩、やっぱり制服じゃまずかったんじゃないですか?」

 あたしは小声で先輩に同意を求めてみた。けれど先輩は、気にするな、としか言ってくれない。

 いやいや。気になりますって。さっきから店員だけじゃなく、他の客の視線も気になるんですけれど。

「ま、良いじゃん。たまにはさ。明日も学校休みなんだろ?」

 軽音部の後輩に聞いたんだろう。先輩は、休校になった簡単な理由は知っているようだった。

 さすがになるみの名前は出て来ない。あたしとなるみが仲良くなったのは高校一年生のときだけれど、先輩はなるみのことを知らなかったと思う。一年生のときのなるみは、授業が終わるとすぐに帰る子だった。あたしは先輩を追い掛け回していたし、なっちゃんもすぐに帰っていたし。

 思えばあたしは一人だった。放課後に一人で先輩を追い掛け回していた頃が懐かしい。

「休み、ですけど」

 休みたくない。けれど学校にも行きたくない。あたしの心中は複雑だ。

「……俺さ、明日、休みにしたんだ」

「え?」

 雰囲気の良い照明のせいかもしれない。何かを期待してしまう。

「サキさえ良ければ、このまま、何て言うか」

 先輩の手があたしの方に伸びてきた。テーブルの下で手が触れ合う。これは。この雰囲気は。あたしの一番欲していたものが、このまま手に入るような。

 先輩といれば不安にならなくて済む。先輩といればあたしは幸せ。ピースの欠片を手にしてしまったあたしでも、先輩と一緒にいれば助かる。

 先輩は、あたしの幸せなんだ。

 店内の指すような視線は、今はもう気にならない。目の前には“幸せ”がいる。それ以上、望むものはない。

 あたしは先輩の手を、力強く握り返した。

 前菜が運ばれてきたので、あたしは先輩の手を離す。綺麗に飾られた食事が、目の前のテーブルに広がっている。

「美味しい……」

 始めて見た料理。初めて口にした食材。何度も見ている先輩の笑顔。そのすべてが、あたしの心を解き放つ。

 先輩はやっぱり、あたしの幸せの権化だ。先輩ほどあたしを笑顔にしてくれる人はいない。ふたりで向かい合い、笑顔でする食事。すべての負の感情が、あたしの中から抜け出していくのが判る。

 あたしは、大丈夫。ピースの欠片になんか負けやしないんだ。

 コース料理の仕組みは良く判らない。出てきたものを食べ終えると、次から次へと料理が運ばれて来る。けれどどれもが美味しくて。先輩の笑顔を独り占めできるのも嬉しくて。

 だから、油断していた。

 あたしは欠片を手に入れてしまったというのに。

「こちらは、メインの鳩のローストです」

 一瞬、耳を疑った。

「……鳩?」

 店員の言葉に、あたしの身体が硬直するのが判る。鳩。鳩の羽。あたしが手に入れた、欠片。

 ただならないあたしの雰囲気に、先輩も気付いたんだろう。慌てて、奪い取るように店員の持っている皿をテーブルに置いた。

「どうした? 鳩、苦手?」

 けれどあたしは答えられない。何と言って良いのかが判らない。

 ――食べなよ。せっかくなんだから。

 判っている。判っているけれど。鳩を口にしてしまったら、あたしは引き返せなくなる気がする。

 ――だって今日は先輩とずっと一緒にいるんでしょ?

 そうだけれど。先輩にそばにいてもらうつもりだけれど。

 ――だったら、食べなよ。

 それでも。口にしたくない。

「結構美味いよ、これ。俺もはじめて食ったけど、鳩って結構美味いのな」

 美味しそうに先輩が食べている。美味しそうに、先輩が、ピースの欠片を食べている。

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