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加藤 夏子@火曜日 17:10

 高校によって始業時間も終業時間も違うことは判っていた。けれど、私の学校だとまだ授業を行っているような時間にタカが我が家に来られたのは、どうしてもおかしいような気がする。

 タカが我が家に来てから一時間。ひどく焦った様子で、それでも必死に落ち着いて見せようとしているような、不自然な表情を浮かべ続けている。なんとも形容しがたい表情。落ち着かず、何度も煙草に手を伸ばしては止めるを繰り返していた。

 お昼に電話を受けたときは嬉しかったけれど、こんな風に急いで家に来させてしまったんだと思うと、胸が痛む。気にするな、とは言ってくれても、それでもやっぱり気にしてしまう。

 タカは優しい。優し過ぎて、少し怖い。

「……なあ」

 ぼそりと、小さな声でタカが呟く。まるで隣に座っている私にしか聞かせたくないような、小さな声で。

 咲はあれからずっと携帯電話を手に持っている。大沢先輩からの連絡を、逃さずすべて確認するためだと言っていた。画面を見詰め、時折操作をしているから、先輩からの連絡はまめに入ってきているらしい。

 会話をしても上の空で、少しだけ、咲が遠くに感じていた。

「……何?」

 私も、タカに倣って小声で話す。

「うん。……お前の学校にさ、中学んときのバスケ部の奴、いるじゃん?」

 そうだっけ? 私はあまり覚えていない。私の中学校からうちの高校に進学する人は殆どいない。学区からは外れているし、ランクとしても微妙な進学校。だから私は、自分しかいないものだと思い込んでいた。

「……いたっけ?」

「いるよ。……でさ、そいつにさっき電話したんだけど、繋がんなくてさ」

 タカはそう言って、ちらと咲の方を見た。言いにくい話なのかもしれない。

「……今日、お前の学校、休みなんだよな?」

 臨時休校になったことは、タカにも話してある。私は話の続きを促すよう、静かに頷いた。

「そいつの電話、いつもは繋がんのに、今日に限って繋がんないからさ。……川本に聞いても、番号は変わってないはずだって言ってんし、訳判んなくて」

「……忙しいんじゃない?」

 そうだ。他の理由なんてあるはずがない。

「まあ、そうだよな。……俺の考え過ぎか」

 考え過ぎ、という言葉に、私は妙な引っ掛かりを覚えた。そもそもタカは、何でその友達に連絡を取ろうとしていたんだろう。

 ひょっとして。ううん。多分、間違いなく。なるみのことが関係している。だからきっと、それが原因で。さっきから落ち着きがなく、変に焦っているんだ。

「……タカ、何か気になることがあるの?」

 随分と曖昧な問い掛けになってしまった。けれどタカなら察してくれるはずだ。私が、何を聞きたいのかを。

「ん……」

 眉間に皺を寄せ、考え込んでいる。普段は割と能天気に見えるので、考え込んでいるタカを見ると、落ち着かなくなってしまう。

 私に気を使っているのか、言いたくない類の話なのか。しばらく待っても、タカは口を開こうとしなかった。代わりに。

「……ねえ、なっちゃん?」

 携帯電話を見詰めながら、咲がなおざりに話しかけて来た。

「あたし、死ぬのかな」

「何言ってんの?」

 思わず口から出た言葉。けれどそれ以上は続かない。

「……あたしね、鳩の羽を拾っちゃったの。拾おうと思ってたわけじゃないのに、気付いたら持ってたの」

 言いながら、咲は自分の鞄の中から薄灰色の小さな羽を取り出した。左手で携帯電話を握り締めたまま、右手に持った羽を差し出す。その羽は、受け取ってはいけないような気がした。

 ――鳩の羽なんて、拾っちゃ駄目だよね。家に着いてすぐの、咲の言葉を思い出す。

 なるみの荷物の中に鳩の羽が混ざっていたという話を、あのときの私はまだ知らなかった。咲がそう言っていたから、私は気になってテレビを点け、そこで初めて知ったんだ。

 タカは私を気遣って、ニュースも新聞も遠ざけていた。それは判っている。けれど、鳩の羽が見付かったことを隠しておく必要なんて、私にはあるとは思えない。

 鳩の羽が、なるみの自殺に関係しているとでも言いたいんだろうか。

「関口さん!」

 咲の手から奪うように、タカが羽を取り上げた。とてつもなく青い顔。青ざめ、小刻みに手が震えている。

「……鳩の、羽」

 震える手で握り締め、タカが呟く。

「やっぱり、ピースは……」

 けれどその続きは、咲の発した一言によってかき消されてしまった。

「あたしも死ぬんでしょ! ピースの欠片を手に入れたからなるみは死んだ。だったら……」

 拾ってしまった私も死ぬ。手にしてしまったタカも死ぬ。触れようとした私も。

 目の前にあるのはただの鳩の羽だ。抜け落ち、どこにでも転がっているただの羽。けれど。ただの羽のはずなのに、タカの手に握られたそれは、ただの羽とは思えない。

 ピースと鳩。タカは、この二つに繋がりがあると思って、私に隠そうとしていたんだろうか。

「いつ、どこで拾った?」

 青ざめたままタカが言う。

「覚えてない。……先輩と電話してて、気付いたら持ってたの」

「気付いたら……」

 無意識のうちに手にしていた。そんなことがあり得るだろうか。普段なら、ないと思う。けれど、今日の咲はどこかおかしい。もちろんそれは、私にも言えることだけれど。

 あたりまえだ。親友が、自殺したばかりなんだから。

「今朝、学校に行く途中で。駅から学校まで先輩と話してて。……それで、学校に着いて鞄を見たら、中にあったの」

 タカと咲。二人の反応を見ていると、鳩が関係しているような気がする。なるみの自殺。ピースの手掛り。鳩の羽。ピース。

 タカは、鳩とピースが関連していると考えている。多分、間違いない。

 咲は、無意識のうちに手に入れていた羽を、ピースの手掛りだと思っている。多分、きっと、そう。

「タカ、咲」

 二人ともおかしい。なるみは自殺した。ピースは関係ない。一番取り乱していた私が、今は一番冷静だ。なるみは誰かに殺されたわけじゃない。ピースの手掛りの話なんて、鳩の羽なんて、ただの偶然だ。

 ただの偶然。そう。鳩なんてどこにでもいくらでもいる。風が強い日だったら、知らぬ間に荷物の中に混ざっていてもおかしくない。なるみの荷物に入っていたのだって、きっとそういうことに違いない。違いないと、思う。

「……なっちゃん」

 今にも泣き出しそうな顔で、咲が私を見詰めた。携帯電話を握っていたはずの手で、私のスカートの裾を握り締めている。

「なるみは、何であたしたちを置いて逝っちゃったの?」

 判らない。なるみの死の理由も、咲に対する最良の答えも。私には、何も、判らない。

 大丈夫だから、というありきたりで何の意味も持たない言葉をかけながら、私は咲の頭に手を伸ばした。こんなことで落ち着くなんて思えないけれど、咲の頭を軽く撫でる。

 それでも、咲の頭を撫でながらも、私は別のことばかりを考えていた。

 タカが電話しようとした相手。私の学校の生徒。ピースの噂は誰でも知っている。なるみの件も誰でも知っている。

 鳩の羽と、ピースの噂。出会うと幸せになれるはずのピースが、なるみを死に向かわせた。少なくとも、タカはそう考えている。咲は、欠片だけを手にしたから、死ぬんだと思い込んでいる。そんなはずはないのに。

「……タカ、さっきの話の続き、聞かせて」

 あれは偶然だ。ピースの噂なんて、所詮噂に過ぎないのに。何でこんなに考え込んでいるんだろう。咲も、タカも。

「え? あ、いや……」

 やはり言いたくない様子で、タカが視線を逸らした。タカの視線は窓へと移される。窓の外は既に薄暗く、住宅街の街灯がちらほらと点灯し始めていた。

 薄暗い静寂。タカが家に来たときに、テレビは消されてしまった。音楽はかけていない。部屋の中央にぶら下がる蛍光灯だけが、私たちの上に光を灯している。

 ふいに、咲の携帯電話が音を奏でた。確かこの曲は、ブルーハーツのトレイントレインだったと思う。いつの間に、マナーモードを解除していたんだろうか。

 私のスカートを掴んでいた手を離し、咲が慌てた様子で携帯電話に手を伸ばした。

「もしもし、先輩?」

 大沢先輩の声を聞いて、咲の表情が明るくなっていくのが判る。やっぱり私なんかより大沢先輩の方が、咲にとっての精神安定剤になるらしい。少し悔しい気がするけれど、咲の安心した顔を見られたのは、すごく嬉しかったりもする。

 タカの方を見ると、タカもほっとした様子だった。

「……ねえ、タカ。何を隠してるの?」

 だから私は、気になっていたことを訊いてみる。世の中には知らない方が良いこともある。けれど、知らないままでは前に進めない。

 タカは小さな声で、咲に聞かれぬよう小さな声で、私にだけ聞こえるように呟いた。

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