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高橋 一朗@月曜日 17:05

 僕の口癖ランキングは、今日で大幅に入れ替わった。今までは『だりい』がトップを独走していたが、今日の猛追で『ねみい』が一躍トップに躍り出ただろう。

 それくらい、今日の僕は眠かった。今も眠い。授業中にうとうとした回数は数え切れない。これから予備校にいかなければならないというのに、眠気は引いてくれそうにない。

「……めっさだるいんですけど」

 同じ予備校に通っている、クラスメイトの北田にぼやく。友達甲斐のないヤツだ。昨日も気付いたら、ちゃっちゃと一人で帰っていた。カラオケに誘おうと思っていたのに。

「知らんわ」

 やはり冷たい。今も帰り支度を整えて、一人で帰ろうとしている。同じ予備校に向かうんだから一緒に行ったって良いじゃないかと、僕は思うんだけれど。

「先行くぞ。お前と電車乗ると勉強に集中できん」

 何て言い草だ。英語のクラスが僕より上だからって生意気な。僕の受けているクラスの方が可愛い女子が多いからって、僻むな。

「……加藤、北田に振られちゃったよ」

 のんびりと余裕綽々な態度で鞄を手に取る加藤に、僕は話を振ってみた。同じ眠気を共有しているはずなのに、こいつはあまり眠そうにない。何か秘訣でもあるんだろうか。

「自業自得だって。高橋、いっつもうるせえし」

「何が?」

「電車ん中っつったら、暗記の時間だろ? なのにお前はいっつも喋ってばっかりでよ」

 移動中くらい良いだろうに。受験だ何だとぴりぴりしていたら、受かるものも受かるまい。従兄の浪人生活を見ていたら、そう思いたくもなるわ。

「……なあ? 長井もそう思うだろ?」

 僕が反論するより前に、加藤は参考書を読んでいる長井に問いかけた。

「まあ、でも、良い気分転換にはなるわな。高橋、馬鹿だし面白えし」

 聞き捨てならん。面白いはとにかく、馬鹿とは何だ馬鹿とは。

「僕は馬鹿じゃねえよ」

 分厚い数学の参考書で、長井を小突く。この参考書に載っている公式が、すべて頭の中から飛んでしまえば良い。

「ってーな。何すんだよ」

「御主が悪いのじゃ。我に向かって馬鹿とほざく。御主は悪よのう」

 受験生はナイーブだ。落ちる滑るはもちろん禁句だし、馬鹿だ何だと言うのも禁句だ。そもそも僕は馬鹿ではない、多分。いや、まあ、馬鹿だとしても。わざわざ口にすることではない。

「俺じゃねえよ。加藤に言えって念じられたんだって」

 何だその言い訳は。しかし面白いので、僕は乗っかってみることにする。

「加藤殿、まことでござるか?」

「……お代官様、申し訳ござりませぬ」

 お、加藤も乗ってきた。傍目に見たら、いや、本人だって判っている。このやりとりは完全に馬鹿だ。中途半端なごっこ遊び。眠気を吹き飛ばすには至らないが、動く気にはなれる程度の。

 僕は鞄を手に、廊下へと続く扉に手を掛けた。

「……よっし。僕は行くよ? 行っちゃうよ?」

 別に呼び止めて欲しいわけじゃない。ふざけ合える時間を、名残惜しく感じるだけだ。

「どうぞどうぞ」

 加藤が携帯電話を手に取り答える。長井は急いで鞄に参考書を詰め込み、僕に並んだ。予備校は別だが最寄り駅は同じだ。横浜まで一緒に行こうって魂胆に違いない。

 もちろん、僕は大歓迎だ。一人で電車に乗るより、よっぽど暇が潰せる。

「じゃあな、加藤」

「僕らは戦地へ赴くぜ」

 しかし加藤は答えない。携帯電話を見詰め、止まっている。微動だにしない。無表情に、食い入るように画面を見詰めている。

「……どうしたん?」

 尋ねるが、返事はない。加藤の表情が曇っていくことで、良くない知らせだろうとは察した。それは長井も同じようで、扉にかけていた手を戻し、加藤の様子を観察している。

「ああ。……何でもない」

 あからさまな作り笑いで加藤が答えた。なんでもない人間のするような笑顔ではない。明らかに、何でもなくはない顔だ。

 加藤はそのまま焦った様子で鞄を手に取り、何も言わずに廊下に向かった。黙ったまま、僕たちの横を通り過ぎて。何かあったに違いない。僕と長井は顔を見合わせ、加藤の後を追いかけた。

「ちょっと待てって」

 ひと気のまばらな三年の教室群を抜け、階段へと差し掛かる。階下には二年の教室。騒がしく放課後を満喫している、羨ましい声が響いている。

「加藤!」

 騒音に掻き消されないよう、大声で叫ぶ。本来なら放っておくべきなのかもしれない。けれど、加藤は僕らの親友だ。魂の抜けたようなふらふらした足取りで進むのを、黙って見過ごすことはできない。

 これこそ青春。これこそ友情。そんな風に、自分に酔っていることは否定しない。それでも、誰だって。放って置こうとは思わないだろう。

 それくらい、加藤の様子はおかしかった。

 玄関で靴を履き替えている加藤に、僕たちはようやく追い付いた。長井が肩を掴み、力尽くで引き止める。

「どうしたんだよ加藤。何があった?」

 加藤は、携帯電話を見てから様子がおかしくなった。何か嫌なメールでも、受信していたんだろうか。なんでもない、と答える加藤に、僕は改めて確認した。

「ケータイがどうかしたのか?」

 びくりと身体を強張らせ、加藤が渋々口を開く。このまま黙っているより話した方が良いだろうと、覚悟を決めたのかもしれない。

「……妹の友人が、亡くなった」

 何かを押し殺すように、力なく言葉を続ける。

「妹の学校の子で、家にもよく遊びに来てたんだ……」

 悔しそうな、やり切れなさの窺える表情。昨日少しだけ触れてしまった、好きな子の話題が頭をよぎる。

「……加藤……」

 肩を掴む力を緩め、長井が呟く。何か声をかけたいのに、何も出て来ない自分がもどかしい。眠いとか予備校とかどうでも良い。今は、加藤のことが何より心配だ。こんな魂の抜けた友人を、放っておけるほど鬼じゃない。

 もし、僕の推測が正しければ。加藤の好きだった子が、亡くなった妹の友人だろう。何故なのか。理由は判らない。けれど、ひとつだけ判る。加藤の恋が、行く宛を失ったということは。

「……今日は、予備校、良いかな」

 どちらともなく提案する。僕も、長井も、言葉にする前に決めていた。

「ほらさ、加藤。一緒に帰ろうぜ」

「そうそう。……なんせ僕、眠いし。こんなんじゃ勉強にならんし」

 僕がもし加藤の立場だったら。惚れていた子が急に死んだと知らせを受けたら。当て所のない思いは、上手く浄化できるだろうか。

 もちろん。僕の気のせいかもしれない。勘繰り過ぎかもしれない。訊くつもりはない。多分、一生、訊けやしない。

「ありがとうな……」

 加藤が弱々しい笑顔を見せる。こういうときは、馬鹿に徹する方が良い。中学のとき、好きな子が転校していったときに、僕はどうやって乗り切ったんだっけ。

 状況が違うのは判っている。けれど、少しは役に立つ気がする。それに、気のせいの可能性も、僕は捨てたわけじゃない。

「よし。じゃあ、今日は、加藤の家でパーっと遊びますか?」

 そうだ、思い出した。僕はあのとき確か、ゲーム三昧で乗り切った。気持ちを伝えず終わった悲しみを、遊ぶことで乗り切ったんだ。

 阿呆みたいに“高橋大失恋記念大会”と銘打たれた、サッカーゲームのトーナメント大会。僕は誰にも言っていなかったのに、何故か皆にばれていて。それでも、皆の優しさに癒されたのも事実だった。

 恋は久しくしていない。男子校になんか入るもんじゃない。

 けれど。この学校に入っていなければ、こいつらと一生友達になれなかったんだと思うと、良い選択だったような気がする。

「なあ、加藤。おまえん家、PS3ある?」

「……あるけど?」

「じゃあ、PS3大会やろうぜ」

 僕の提案に、長井も頷く。遊んで、はしゃいで、疲れて眠って。そのうち、時が解決してくれる。いなくなった人間は戻って来ないけれど、心の中に、思い出として、痛み以外の感情を伴って、住み続けてくれるはずだ。

 加藤の妹の友人。ただ単に、知った人間だからというだけかもしれない。惚れていたとは限らない。

 僕だって、弟の友達が死んだと聞かされたら、きっと動揺するだろう。やっぱり呆然とするだろうし、何だか訳の判らない焦燥感に駆り立てられるかもしれない。僕だけがのうのうと生きていることに、罪の意識が芽生えるかもしれない。

 知人が急にいなくなる。

 僕は凡庸な人生を歩んできたから、そういう経験をしたことはない。だから、加藤の気持ちは半分も判らない。判れない。

「……家に来るのかよ?」

 いつもより若干弱めの口調だったが、加藤が普段通りに喋った。

「行くがな。行っちゃあ悪いんかい」

「そうだそうだ」

 だから僕らは、いつも以上に明るく喋る。どこか、他人事だと醒めているのは自覚している。当事者にはなれないと、安心している自分も知っている。

 しかし。心配より興味が上回っていることに、僕はまだ気付いていなかった。

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