第二話
【市村家】
今日2件目の依頼先だが…
『ここは気が重いな……高齢の自殺か。残ってるだろうな』
2件目の家は、少し山奥にあった。
歴史を感じる農家住宅の奥座敷に安置されている。
葬儀担当の話では、十年前に奥さんが他界し、それからは一人暮らしだったという。
東京と埼玉から娘が二人駆けつけ、自宅の片付けや整理をしている最中らしい。
玄関先で娘たちに挨拶を済ませ、私は部屋へ入った。
まず空気を読む。
『やっぱりか』
右ポケット、左ポケット、スーツの内ポケット。
順に手を当て、いつもの持ち物を確認する。
故人へ手を合わせ、ひと呼吸置く。
そして、面布を外した。
――目は見開かれ、口は大きく開いていた。
苦しみが、そのまま表情に刻まれている。
首には、ロープの食い込み跡がくっきりと残っていた。
私は見慣れている。
だが、家族にとっては――
さぞつらい光景だっただろう。
もう一度手を合わせ
『綺麗にしていくからね』
私は静かに身体を確認していく。
一度、病院に搬送されているため、一通りの処置はされていた。
だが、私の目から見れば――雑だった。
口の横には出血の痕が残り、顔色もだいぶ変色している。
少し長めの爪には、苦しんだのだろう。
皮脂とロープの切れ端が、ぎっしりと挟まっていた。
下半身には、排泄物の洗い残し。
そして、わずかに残る臭い。
『ふぅ…まずは身体からか』
爪を切り、爪の中の異物を丁寧に洗い流す。
残った排泄物を拭き取り、防腐剤入りの消臭薬を少量塗布する。
私は顔を上げ、故人の首元に目を向けた。
『問題は……首から上だな』
そう思った瞬間だった。
背中に、強烈な寒気が走る。
ぞくり、と背筋を撫でる感覚。
『……来たか』
喉の奥で、小さく呟く。
『気にするな』
自分に言い聞かせる。
私は手を止めない。
すると――
故人の枕元に、ドカッと無造作に座り込んむ男がいた。
私は顔を上げない。
視線の端だけで、チラリとその存在を捉える。
……いる。
今、私が処置している張本人だ。
『やっぱり残ってるか』
心の中で、静かに呟く。
『……本人に見られると、やりにくいんだよな』
それでも手は止めない。
いつも通り、気づいていないふりをする。
すると、ぽつりと話はじめた。
「いやぁ……死ぬときは、ほんと苦しかったなぁ……」
一拍置いて、苦笑するように続ける。
「しかし……顔、ひどいな、これ」
少し間を置いて、話始めた。
「娘が来てるんだろ?あんちゃん、綺麗にしてやってくれよ」
反応はしない、でも
『…やりにくい』
「それにしても娘たちもなぁ……わしが死ななきゃ帰ってこないとはな…
……薄情なもんだよ」
少し黙ってから、ぼそりと言う。
「……まあ、今ごろ家の中ひっくり返して、金目の物でも探してるんだろうな」
『そんなの…あるあるだよ…』
故人の目と口を閉じる。
少しずつ、穏やかな顔になっていく。
髭剃りと化粧に入ろうとした、そのときだった。
――低い声が、部屋に落ちた。
「おい、重信」
私は、ほんの少しだけ目を閉じる。
ため息をひとつ。
『……やっぱり来るよな』
私は後から現れる者たちを祖霊と呼んでいる。
死者よりも、私にとってはこいつらの方が厄介だ。
重信が顔を上げた。
「……あの、どちらさまで?」
祖霊は鼻で笑った。
「分からんか、お前のばあちゃんの――そのまたじいちゃんだ」
一瞬だけ考えて、息を吐く。
『ほっ……よかった、先祖か』
胸の奥で、小さく安堵する。
――まれに、先祖以外も来る。
祖霊は腕を組み、睨みつけた。
「それより重信ーーお前……自害したな………逃げたな」
一拍間を置き
「あと二年、耐えれば終わりだったものを」
重信は困ったように笑う。
「そんなこと……」
「まあ、そうじゃな…それで?なぜ自害したんだ」
重信はしばらく黙り込んだ。やがて、重い声で言う。
「……後悔してることがあって……ずっと忘れられんことがあるのよ
…死ぬ前の晩……急にそれがはっきり思い出されてな……」
祖霊が眉をひそめる。
「なんの話だ」
重信は、ぽつりと口を開いた。
「娘が二人いるのは、知ってるだろ……」
わずかに声が震える。
「……実は、その下に……男の子が一人いたんだ」
言葉が、途切れる。
「あの子を死なせたのは……俺だよ」
祖霊は、静かに答えた。
「……それは、知っとる」
重信は小さく笑う。
「……そうか……死んでも、まだ……後悔してるよ」
祖霊は、重信を見据えたまま言った。
「よくねぇな……このままではな」
一拍、間を置く。
「ここで一人、さまようことになる」
低く、言葉を重ねる。
「ただ……いつ来るか分からん浄化を、待つだけじゃ」
『首のロープ跡も化粧でなんとか隠れたな……しかし祖霊、言い方きついな』
重信が震えた声で言う。
「……どうすりゃいい」
祖霊は言った。
「ーー過去へーー戻れ。逃げた日へ」
重信が驚く。
「過去……?」
祖霊は、ゆっくりとうなずいた。
「出来る」
私は、手を止めない。
だが、頭の片隅で引っかかる。
――死んでいるのに、過去へ戻る意味があるのか。
祖霊は続ける。
「しかも、その出来事は変えられる」
――変えたところで、未来は変わらないはずだ。
「だが、お前の死は変わらん。
変わった先の未来を見ることも出来ん」
やはりそうか、と内心で呟く。
――ならば、なぜ戻す。
祖霊の声が、わずかに低くなる。
「後悔を断ち切るだけだ」
一拍。
「つまり――それが出来れば……分かる」
『……よしっ、終わった』
顔が整った。とても綺麗な顔だ。
だが――ほんの少しだけ、表情が曇っている。
祖霊がこちらを見た。
目が合う。
「そこの兄さんも頼んだぞ」
『くそ……やっぱり気づかれてる』
舌打ちを飲み込む
『なんで毎回、関係ない俺まで巻き込まれるんだ』
私は大きくため息をついた。
ーーその瞬間だった。
視界がスッと落ちる。
音が消える。
匂いも、空気も、重力も。
すべてが一度、消えて切り離される。
『……始まる』
そして次の瞬間――
私は重信の後悔が生まれた“あの日”へ引きずり込まれていた。
(第三話へ続く)




