油断発電
「静電気は油断しているときほど起こる」とは古くから知られた事実だったが、それが科学的に証明されたのは21世紀も半ばを過ぎてからだった。
量子のスケールでは観測がうんたらかんたら、専門家は色々理屈を並べていたがそんなことはさておき、人類にとってこれは福音だった。いつになっても完成しない核融合発電と違って、気の持ちよう一つで誰でもどこでも電気が起こせるのである。
すぐさま油断時に発生する静電気を蓄えるための専用ドアノブなどが開発され、翌年には各国で電力の八割が油断静電気によって供給されるようになる。
かくて人類は大油断時代を迎えた。油断こそが人類を救うエネルギー源であり、油断こそが美徳であった。誰もが油断し、そして互いの油断を讃え合った。長年人類を悩ませてきたエネルギー問題の根本的解決の前では、静電気の痛みなど些細なものだった。国連はUnited NationsからUdan Nationsと名前を変え、その他のUnitedなんとかの国々もそれに倣った(ウダンではなくユダンと読んだ)。香川はUdanの名産地を名乗ったがいささか無理があった。大阪ではUdan Studio Japanが大盛況になり国内テーマパーク人気ランキングではライバルを突き放し圧倒的首位に立った。
この発見の年のことを油断元年と呼ぶ向きもあったが、やがて実際に元号が油断に変わったのでこの言い方は廃れた。後に自分が油断天皇と呼ばれることになると知った張本人は嫌な顔をしていたが、人権がないのでその意見は黙殺された。
油浪が電力会社に新卒で入社したのは油断31年のことである。
彼は油断元年生まれのいわゆるユダニアル世代の一人であった(この言い方は1年ほどで廃れた)。彼の名前はその年生まれとしては最もありふれたものだった。油の字は当然元号にあやかっていた。浪の字はその前年に完結したONE PIECEの人気キャラっぽくて格好いいからということだった。
油浪はその平凡な名前に反して、油断の希代の天才と呼ばれていた。この大学2倍入時代(大学全入を超え、ほとんどの学生が複数の大学を掛け持ちしている。文科省と大学経営者の油断の結晶)において、入試でひたすら油断し続けた結果、奇跡的な5年もの浪人を果たしたのである。初めての浪人の時、油浪自身は自分の名前の伏線回収やんけと喜んでいた。油浪は関西人であるがジョークのセンスは欠いていた(なお関西人にユーモアがあるというポリティカリー・インコレクトな言説は油断の時代においては石打ちの刑が適用されるため注意が必要である)。そんな彼であるから、電力会社は大量の発電を期待して彼を雇用した。
油断発電所は、より効率よく人々が油断できるよう設備を整えた空間だ。およそ100人ほどの人間が、寝ながらポテチを食べたりその汚れた手で漫画を読んだりといった油断をしながら生活している。部屋のドアノブが発電機となっていて、油断した発電者たちが発電室を出入りするたびに静電気を受け取る仕組みだ。
油浪は9つ年下の同期と同じ発電所に配属されたが、予想に反して彼は発電担当にはならなかった。代わりに与えられたのは施設の発電量を監視する仕事である。これは彼の上司が、油浪の天才的油断が過剰な電力供給による事故を引き起こすのではないかと懸念したためである。こうした心配性な点が祟り、その上司は油断の世において出世を逃し続けている。
万が一にも発電所が過剰電力でショートすると、最悪の場合全国の電力供給にまで波及してしまう。フェイルセーフの欠片もない設計は設計者の油断によるものであり、設計者はその後最優秀油断したで賞を社から授与されている。よって施設の発電量監視は非常に重要な仕事であった。
「でも、ちょっとサボったからって事故なんか起きるわけないだろ」
油浪は配属初日、そう言って監視室を離れ、発電担当になった同期とお喋りでもしようと発電室を訪れた。
彼がドアノブに触れた瞬間、誰も見たことがないほどの大放電が起き、発電所は爆発した。溢れた電気は全国を駆け巡り、すべての発電所が壊滅した。
こうして油断時代は終焉を迎えた。めでたしめでたし。




