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匂い

作者: 通りすがり

大学生の和也は、大学近くの居酒屋でアルバイトをしていた。そこで知り合った清真とは同い年ということもあり、すぐに意気投合し、プライベートでもよく遊ぶようになった。

ある晩、バイト先のトラブルで帰るのが遅くなり、和也は終電を逃してしまった。困っている和也に、店長が清真に声をかける。「清真の家はここから歩いて行ける距離だから、泊めてあげなよ」

清真は一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、和也が頼み込むと、観念したように頷いてくれた。清真はバイト先から目と鼻の先にある、築3年ほどのきれいなワンルームマンションに一人で暮らしている。

部屋は3階の角部屋。ドアを開けて中に入ると、和也はすぐに異様な匂いに気づいた。別に悪臭ではない。むしろ、爽やかなフローラル系の良い匂いだ。しかし、その匂いが部屋全体を重く覆い尽くし、鼻の奥がツンとするほどに強烈だった。

部屋のあちこちに同じ芳香剤が置かれているのが見えた。確認できただけでも、キッチンに2つ、ベッドサイドに1つ、テレビの横に1つ。なぜこんなにたくさん置いているのだろうか。そういえば、清真からはいつも良い匂いがするから香水だと思っていたが、おそらくこの芳香剤の匂いが体に染み付いているのだろう。

まあ、今日は泊めてもらう身だ。余計なことは言わないでおこう。和也はそう思い、匂いについては何も聞かなかった。



夜、眠りについたはずの和也は、不意に目が覚めた。やはり匂いが気になる。あまりにも濃密な香りに、鼻の奥がムズムズして、息苦しささえ感じた。

寝ている清真を起こさないようにそっとベッドを抜け出し、窓を開けてベランダに出た。夜風が火照った体に心地よい。それにしても、なぜ清真はこんなにも大量の芳香剤を置いているのだろうか。

和也が考え事をしていると、背後で窓が開く気配がした。振り返ると、清真が顔を覗かせている。

「起きたらいないから、どうしたのかと思った」

和也は匂いのことは言わず、「夜風に当たりたかった」と適当な言い訳をした。清真は何か言いたげな様子だったが、「そうか」とだけ言って部屋の中に戻っていった。和也はしばらくベランダにいたが、部屋に戻って再び眠りについた。



翌朝、和也は起きてすぐに清真に礼を言って帰ろうとした。すると、清真は深く息を吐いてから言った。

「変だと思ってるんだろう」

和也は咄嗟に「何のこと?」ととぼけた。だが、清真は寂しげな笑みを浮かべて続ける。

「わかってるよ。大丈夫、俺の家に泊まりに来た人は、みんな同じことを言うから。もう慣れたよ」

清真の言葉に、和也は返す言葉を失った。清真はさらに続けた。「夜中に耐えられなくてベランダに出たのも、全部わかってる。俺も昔、よくやったから」

そこまで言われた和也は、もう隠す必要はないと思い、清真に聞いた。

「清真はどうしてこんなに芳香剤を部屋に置いているんだ?」

清真は、少し俯いてから、ぽつりと答えた。

「……タバコの匂いが、するんだ」

清真の話はこうだった。以前住んでいたアパートで、ある日突然、誰も吸っていないはずのタバコの匂いがするようになった。部屋中を探しても原因はわからず、隣人に聞いても喫煙者はいない。それでも匂いは消えず、清真は次第に精神的に追い詰められていった。

そんな時、隣人から衝撃的な事実を聞かされた。清真の部屋に以前住んでいたのは、初老の男で、部屋で孤独死していたという。そして、その男はヘビースモーカーだった。

清真はすぐに引っ越した。今住んでいるこのマンションへ。引っ越し当初はタバコの匂いは一切なく、快適だった。しかし、数日が経つと、再びあのタバコの匂いが漂い始めたのだ。

「だから、タバコの匂いをかき消すために、芳香剤をたくさん置いてるんだ」

和也はそんな馬鹿な話があるものかと思ったが、清真の真剣な表情を見て何も言うことはできなかった。



それから一月ほど経ったある日、清真は突然バイトに来なくなった。電話をかけても繋がらない。店長に頼まれ、和也は清真の家を訪れることにした。

夕方のマンションに到着し、清真の部屋のインターホンを鳴らすが、応答はない。ドア越しに清真の名前を呼んでみるが、やはり反応がない。何気なくドアノブに手をかけると、鍵がかかっていないのか、ドアは音もなくスッと開いた。

ドアの隙間から、強烈な匂いが漂ってきた。それは清真の部屋の芳香剤の匂いと、タバコの匂いが混ざったような、不快で形容しがたい異臭だった。

和也は意を決して部屋の中を覗き込んだ。玄関からすぐのキッチンの上や、床一面に、ありとあらゆる種類の芳香剤が足の踏み場もないほどに散乱していた。その無数の芳香剤の匂いが入り混じり、腐敗したような、吐き気を催すほどの異臭の原因となっていた。

異常な光景に危険を感じ取った和也は、すぐに部屋に入るのをやめ、店長に電話をかけた。事態を聞いた店長は、警察に通報した。

その後、部屋に踏み込んだ警察官は、清真の姿を発見することはできなかった。部屋に残されていたのは、大量の芳香剤の異臭と、その奥から微かに漂う、煙草の匂いだけだったという。

清真は行方不明となった。数日後、遠く離れた街の路上をふらふらと歩いているところを保護されたが、まともに会話できる状況ではなかった。彼は精神科病院に入院することになった。

結局、清真に何が起こったのかは分からなかった。ただ、彼は入院後も、時折「タバコの匂いがする……」と怯えたように呟き、暴れ出すことがあったという。

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