第六話「雨の外、窯の中」
トントン。トン――
リズムよくまな板を叩く音が、店の奥から響いていた。
雨の音がガラス越しに聞こえる。
けれどこの小さなパン屋の中には、湿気も陰りも入り込まなかった。
暖かなオーブンの熱と、ふわりと広がる小麦とバターの匂いが、空気を丸く包んでいた。
ガルビネアは、無言のままパン生地にナイフで切れ目を入れていた。
白いエプロンの裾を片手で払いながら、生地の張り具合を指先で確かめる。
丁寧すぎるほど丁寧に。
ふと、奥の壁に掛かった古びた時計を見やる。
針は、約束の時間を五分ほど過ぎていた。
「……今日も来ないか」
小さくつぶやいたその声には、怒りも、悲しみもなかった。
ただ、わかっていたことを口にしただけのように、淡々としていた。
窯の奥から「ピッ」と電子音が鳴った。
ガルビネアは深く息を吸い、オーブンの取っ手に手をかける。
中から立ち上る蒸気が、視界をぼやかした。
黄金色の皮がふくらみ、焼き目がほんのり割れた小さな丸パンが静かに並んでいた。
「……いい焼き加減」
そう言いながら、トレイを取り出し、棚の上に並べていく。
ひとつ、ひとつ、まるで小さな命を寝かせるように。
雨の音は、止まなかった。
けれどこの小さな店には、確かな温度があった。
そして彼女は、それを守るように、パンを焼き続けていた。