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プロローグ
風が、死んだ街を吹き抜けていた。
色を失った瓦礫の中に、ひとつだけ――鮮やかな青が咲いている。
ひざをつき、少年はその花に手を伸ばす。
汚れた指先が、花びらに触れる。
柔らかくて、温かかった。まるで、昔の誰かの手のように。
「……アンチューサ……」
少年の唇が、忘れかけた名前をそっとなぞる。
指がわずかに震えていた。
「アンチューサ……その花言葉は……」
声が止まった。
続きは思い出せなかったのか。
それとも、口にしてはいけない気がしたのか。
少年はただ、その花を見つめていた。
沈黙の中で、風だけが過去をめくっていく。
空はまだ、朝にほど遠かった。