はあ? アンタにチョコ買ってくるわけないでしょ!!
「水無瀬、バレンタインチョコくれよ~」
「良いわよ、でも……お返し期待していいのかしら?」
水無瀬祈里、ロシア人の祖母を持つクオーターで、実写版エルフと言われるほどの整った容姿をしている。シミ一つ無い透明感のある白い肌はモデルで女優の母親譲り。おまけにクラスの男子の平均身長と同じという長身を活かして一年にして女バスのエースだ。たまにモデルのバイトもしている。
ようするにクラスのアイドル、いや、紛うことなき学校のアイドルである。
今もクラス中、いや他のクラスの男の姿も見えるな……とにかく間近に迫ったバレンタインへのアピール合戦が繰り広げられている。校内のイケメン連中も勢揃いだ。
そして――――俺、如月優馬は自分で言うのもなんだが一般的な高校一年の男子だ。強いて強みを言えば学業成績くらい。クラスでも特に目立つわけでもなく、いわゆるその他モブといったところだろう。
だが、そんな俺には誰にも言えない秘密がある。
いや、秘密というほどのことではないんだが――――
実は、俺と祈里はいわゆる幼馴染という奴なのだ。
俺は中学卒業と同時に親の仕事の都合で引越したから、この高校にそのことを知っている奴はいない。
だが――――まさか親の都合で中二の時に引越してしまった祈里にここで再会することになるなんて思ってもみなかった。
運命の再会、ドラマチックな展開だと思うだろうが、
『良いわね優馬、私たちが幼馴染だっていうことは絶対に言わないでよ?』
再会して最初に言われた言葉がそれだ。
期待もしていなかったし、気持ちはわかる。
だって――――祈里は完全無欠のスーパーアイドル、俺みたいなモブ男が幼馴染なんて知られたくないよな。
だから言われた通り誰にも話していないし、学校でも最低限しか関わっていない。今もこうして祈里を中心としたバレンタイン狂騒曲を教室の隅っこから眺めているだけだ。
なのに――――
『優馬お願い、勉強教えて』
祈里には昔から苦手なことがあった。
そう、勉強がからきし駄目駄目なのだ。彼女が引越すまで、俺がテストのたびに毎回教えていたからなんとかなっていたというのが本当のところ。俺たちが通う高校はそれなりにレベルの高い進学校なので高校生になって覚醒したのかと思いきや、親のコネやらなんやらで無理やり入っただけらしい。
「ごめんねえ優馬ちゃん、この子私に似て勉強本当に駄目なのよお」
「気にしないでください朱里さん、祈里に教えるのは慣れてますから」
なんでも引越した後、優秀な家庭教師を片っ端からお願いしたらしいが、全員撃沈したらしい。
というわけで、俺は毎晩祈里の家で勉強を教える羽目になっている。とは言っても、偶然同じマンションだったので、たいした手間ではないし、割の良いバイト代ももらえる。おまけに美味しい晩御飯もご馳走になっているのだから悪い話ではない。
「優馬、わかってると思うけど――――」
「わかってるよ、安心しろこのことは誰にも言わない」
はは、祈里はびっくりするくらい綺麗になったけど、こういうところは変わってなくて安心した。
「わかってるなら良いのよ……ありがとう」
「気にすんな、俺にも何か出来ることがあってむしろ嬉しいくらいだし」
学校では話せないし、その隣に立つことは無いけど――――こうして同じ時間を過ごせるだけで十分だ。俺は祈里との関係を自慢したいわけじゃないんだから。
「そういえば凄かったなバレンタインの件、まさかアレ全員にチョコあげるつもりか?」
「もちろんそのつもりよ。ああいうのは絶対にあげないか全員あげるかの二択しかないの、ならあげた方が印象良くなるでしょ? お母さまのマネージャーさんが明日まとめて買って来てくれることになってるのよ」
考えてみれば大変だよな……中学の時は禁止されていたから良かったけど。
「じゃあ俺もお願いしたら買って来てくれるのか?」
「はあ? アンタにチョコ買ってくるわけないでしょ!!」
「はは、だよな」
俺は義理チョコ以下か……。わかってはいたが少し、いや結構ダメージが……
「俺、そろそろ帰るわ」
「そう? また明日ね」
「おい、押すなよ!!」
「ふざけんな! 俺が先に貰うんだ」
バレンタイン当日、なんか凄いことになっていた。
「はいはい、受付を済ませた方はちゃんと列に並んでくださいね」
ちゃんと受付が用意されていて、列を整理する生徒たちが声を張り上げている。
えっと……これ何のイベント?
ここまで来るとムードもへったくれもない。もう少し落ち込むかと思っていたけど、これならむしろ参加しなくて良かったとすら思えてくる。
まあ……参加しようとしたけど断られたんですけどね……。
当然だが俺のバレンタインは放課後まで何事もなく平穏そのものであった。たとえるなら水鏡の境地――――うん、学生の本分は学業だから!! 全然まったく少しも悔しくなんてない。
「本当に行って良いのかな……?」
夜、いつものように祈里の部屋へ行く。バレンタイン当日だから予定があるのかと思っていたけど、まあ……テストも近いしそれどころじゃないのかも?
「い、いらっしゃい」
「お、おう?」
どうしたんだろう、祈里の様子がいつもと違うような気が?
「バレンタインイベント凄かったな、お疲れ様」
「べ、別に優馬には関係ないでしょ」
いやたしかに関係ないけど……もう少し言い方……。
「ほら、さっさと食べなさいよ」
「あれ? なんだか今日は豪華だね」
いつも豪華だけど、今日は一層豪華な気がする。
「私が作ったの、ありがたく食べなさいよね」
「祈里が? それは嬉しいな……うん、すっごく美味い!!」
「そ、そう……? それなら良かった」
祈里とは長年幼馴染やってるけど、手料理は初めてかもしれない。でも……そうか、朱里さん仕事でいないこと多いから……。
「これも作ったの。はじめてだから味の保証は出来ないけど」
こ、これは……まさか……!!
「チョコレートケーキ!! なんで?」
「勘違いしないで、今日誕生日でしょ?」
「覚えててくれたんだ……ありがとう祈里……」
二月十四日バレンタインデーは俺の誕生日だ。忘れていたわけじゃないけど、クリスマスが誕生日と同じくらい埋もれがちなある意味最悪な巡り合わせ。まさか……祈里が覚えていてくれたなんて。
バレンタインチョコが貰えなかったのは悲しかったけど、それを補って余りあるほど嬉しい。
「ちょ、ちょっと、何泣いてるのよ!?」
「ごめん、嬉しくって」
「ば、馬鹿、まだ終わりじゃないんだからしっかりしなさい!!」
「……え?」
押し付けるように差し出されたのは、ピンクの包装紙に包まれた綺麗な箱。金縁の真っ白なリボンをほどいてゆくと――――中にはハート形のチョコレートが入っていた。
「これって……チョコだよな?」
「他の何に見えるのよ」
「いや、だって――――俺にはチョコ買わないって――――」
「買うわけ無いじゃない、優馬には手作りチョコ渡すつもりだったんだから……」
一体俺は何を聞かされているんだ……? え……? それって……つまり――――
いや、そんなはずは……?
「何してるのよ、早く食べなさいよね」
動揺して言葉が出てこない。かじってはみたものの、緊張で味がよくわからない。
「な、何よその顔? 美味しくなかった?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
俺の手からチョコを奪って一口かじる祈里。
「あ……ごめん、砂糖と塩間違えた」
お約束キターーーーーー!! ってツッコむ余裕もない。
「くっ、まだよ、まだ終わってない」
祈里、お前は何と戦っているんだ? 俺のライフはもうゼロだぞ?
「きょ、今日……両親帰ってこないの……だから――――私を食べて?」
「い、祈里……落ち着け、それは現実にやったら洒落にならない」
マンガかアニメにしか存在しないやつ!!!
今こそ理性を総動員する時、そう俺にはやらねばならないことがある。
「ほ、ほら勉強しないとだろ? テストも近いんだし」
マジで危なかった……。
「わかった……じゃあ勉強が終わったらね」
「そうだな、勉強が終わったら――――」
って祈里いいいいいい!!!
「そ、そういうことは付き合っている同士じゃないと」
「じゃあ付き合って」
「わかった」
あれ? もしかしてもう逃げ道なかったりする?
「優馬、なにしてんの? はやく勉強教えて?」
「あ、ああ……」
勉強の神様……ごめんなさい、俺……集中出来そうにないです。
水無瀬祈里ちゃん
優馬くん イラスト/汐の音さま