幕間 側妃ミーミアは、その日死んだ。
たくさん読んでいただき、ありがとうございます!
短編版になかった幕間を書き下ろしました。
レシピは過去の活動報告にあるので、探してみてください^^
後日談はまた年明けに。
この恋は、私の命を奪うのだろう。
ミーミアはため息をついた。
すべて思い出したのだ。ここが、どこなのか。
どうしてもっと早く思い出せなかったの。そうしたら……。
「ミーミア?」
彼のアメジストのような目が不安げに歪む。
少し垂れ目がちで、すっと通った鼻すじと薄いくちびるを持つこの人が、本当は誰なのか。
それも思い出してしまった。
ううん、やっぱりむりだ。
この人が国王になる人であっても。
私との結婚に横槍が入って側妃になる運命だとしても。
出会わなければよかったなんて、もう思えない。
それならば私は。
(エルメンライヒ公爵夫人も、転生者だ──)
ある日の茶会で気がついた。見分けるのは簡単。とっておきのアイテムがある。
古代聖女の食物。
それを見たときの、表情。皆に合わせて嫌悪を顔に表していても、転生者は一瞬、はっと目を見開く。
「そのようなものを持ち出すなど、平民の感性はよくわからないわね」
王妃エウドキアが言った。一瞬目が泳いだのを見逃さなかった。
ミーミアはしおらしく、儚げで傷ついたような笑みを浮かべてみる。
「孤児院の炊き出しでいただいたのです。わたくしは好きなのですが……」
「ひぃぃぃっ」
侯爵家の令嬢が青ざめた顔を向ける。
「そのような悍ましいもの、こちらに見せないでくださいまし」
(おいしいのにな、TKG……)
「ギフト、”超召喚”──」
『マスター、何の御用で?』
蝙蝠のような羽を生やした、やけに顔色の悪い男が、恭しく頭を下げる。
こんな見た目だけれど彼は刺繍が趣味で、報酬には向こうの世界のモチーフを望まれている。
ミーミアのギフトは、超召喚。
使い魔を召喚することができる。はじめて召喚するときにはかなりの生命力を必要とするが、一度契約してしまえば、あとは自由自在に呼び出せるのだ。
「キュラー、今回は夜回りをお願い。ちょっと調べたいことがあるのよ」
こうしてミーミアは、エルメンライヒ公爵家に探りを入れた。
すると「原作との違い」が浮き彫りになった。妹のほうが愛されてはいるものの、最低限の衣食住を与えられているはずのツェリシアが、完全に放置されていることがわかったのだ。
ただ、死なないように飼われているだけ。
キュラーが持ち帰った映像には、痩せこけた少女が映っていた。肌も薄汚れており、髪の毛はべとついていて、とても高位貴族の令嬢には見えない。
ミーミアは怒りを覚えた。
すぐにでも王城に連れ帰ってあげたかったけれど、こちらも問題がある。
王妃エウドキアもまた転生者なのだ。それも、とてつもなく苛烈な。
これまで何度も毒殺の危機を乗り越えてきた。
ツェリシア公爵令嬢とさほど年の変わらない息子を生んだけれども、死産ということにして、市井に隠すくらいには、危険な場所であった。
ツェリシアは、それでも生きようともがいていた。
家族に関心をもたれないのをいいことに、幼いながらも、屋敷の外に活路を見出していたのだ。
公爵家のそばに教会があったことも幸いだった。
側妃ミーミアの”酔狂な慰問”は誰でも知っていることだったので、侯爵家の隣を訪れようとも気にかけられなかった。
ほかほかの白ごはんが王城から運ばれていくのに、ミーミアは、付き添った。
はじめて直接目にするツェリシアは、天性の淑女だと思った。薄汚れていても、教育を受けていなくても、まっすぐに伸びた背筋。凛とした表情。
教会には孤児院が併設されているのだが、この国の、孤児院の子どもたちは飢えをしらない。
古代聖女の食物を配給されているからだ。
そんな子どもたちと並ぶと、ツェリシアは骨ばっていて痩せていて、異質だった。
子どもたちは、誰もツェリシアに近寄ろうとしなかった。
ツェリシアは、教会の中庭でひとりで座っていた。
敷物もなく、草の上に直接座っていたが、足を爪先まで美しく揃えて、上品に食事をしていた。
「ねえ、そのままでもいいのだけど、ちょい足ししてみない?」
ミーミアはツェリシアに問うた。
彼女はゆっくりと顔を上げると「ちょい足し?」と聞き返した。
ミーミアは、教会の裏庭で飼育されている鶏の卵をもらっていた。
「おいで」
中庭には、木でつくられた粗末なテーブルと椅子があった。
ミーミアはその上に持参した敷物を敷いて、ツェリシアの食べかけの、欠けた木の皿を置く。つやつやと白い米粒の上に、卵を直接割り入れた。
「これもねえ、王城にあっても処分されちゃうの」
そう言って、古代聖女の暗黒液を取り出す。ほんの少し醤油を垂らして混ぜると、卵がごはんに金色の艶を出した。
ミーミアは、ふくふくと鼻を鳴らしている。
「はい、あーん」
ミーミアは、ツェリシアの口元に、スプーンを運ぶ。小さな口がおずおずと開けられた。
「おいしい?」
ツェリシアはこくりと頷いた。
それからも二人は、慰問を通して交流を続けた。
ミーミアは、息子に会えない時間を埋めるように、ツェリシアとの時間に夢中になっていった。
王城のほうでは、彼女が王妃に害をなそうとしているなど噂が出回っていて、だんだん、きな臭くなってきたところだった。
ツェリシアへのエルメンライヒ公爵夫人の態度も悪化してきていた。
ついに、手をあげられたのだ。
ミーミアは、ギフトを使って、彼女に守りを授けることにした。
「チェリー、よく聞いて。おばさまは、これからあまり来られないかもしれないの。だからね、あなたに逃げ場所を用意しておこうと思う」
「逃げ場所?」
「そう。ここからずーっと遠いところよ。大丈夫。行って帰ってこられるようにしてあるわ。ちょっとまってね……」
ミーミアは、中庭に続く扉をすべて締め切った。
「ギフト "超召喚” ──契約者は、私じゃなくて、この子」
はじめての試みだけれど、きっとできると思った。たぶん、大切なのは想像力なのだ。チェリーを守ってくれますように。そんな思いを込めた。
まばゆい光があたりを包む。次に目を開けたとき、二人の前には……。
「え、タブレット……?」
ミーミアは困惑した。
こんなもの、はじめてだったのだ。
「マスター、これ、魔族じゃなさそうですよ」
キュラーが言った。
「いや、あるいは……」
ミーミアがタブレットに手を伸ばす。
すると、タブレットはふいっとミーミアの手をよけた。画面上に、文字が出てくる。
【契約者 ツェリシア・エルメンライヒに、
ギフト ”超足し算”
を付与しますか?】
「チェリー……」
「わたしね、おばさまに助けてもらったから。今度はあなたを助けたいの」
ツェリシアは、決意を込めた目で言った。柘榴色の目の中に、きらきらと星が散っている。彼女は「YES」をタップした。
タブレットがまばゆい光を放ち、美しい白鳥のような姿になったかと思うと、ツェリシアの身体の中に吸い込まれていった。
ツェリシアは、くったりとその場にくずおれる。
「マスター、今がそのときでは?」
キュラーが尋ねた。
ミーミアは、頷く。喉の奥が熱い。涙が幾筋も、いくすじも落ちてくる。
「ギフト ”超召喚” レーテ」
ミーミアの前に、淡いラベンダー色の髪の毛をした少女が現れた。彼女の能力は忘却。
「ツェリシアの中から、私に関する記憶を消して頂戴」
「マスター、……いいんですか?」
レーテは、悲しそうな顔で言う。
「いいのよ。これが最善策なの」
レーテは眠るツェリシアの額に手をかざした。そうして静かな旋律を口ずさむ。
ツェリシアは目を覚まして驚いた。
「ここ、どこだろう」
そこには生活に必要なものがすべて揃っていた。ふかふかのベッドに、テーブルと椅子。壁にはぎっしりと詰まった本。
かんたんな調理場と浴室。どちらも、ノブをひねるだけで水が出てくる。
ところが、扉を開けてみると、そこは深い谷底だった。
遠くにからりと晴れた空が見える。
思い出そうとすると、頭がずきずき痛む。
ピコピコと、聞いたことのない音が響いた。ツェリシアは、自分の身体の中から、発光する石板のようなものが出てきたことに気がつく。
「あ、そうだ。あなたのことは覚えている。ええと、……ええと、なんだったかしら」
【契約者 ツェリシア・エルメンライヒに、ギフト ”ちょ■たし■■” を付与しますか?】
頭の中に響く声は、ところどころかすれていてよく聞き取れない。
「たしか、……たしか、ちょいたしだわ。じゃあ、あなたは今日からチョイさんね」
石板はぱあっと光り輝きそうな勢いでひょこひょこ動いた。顔がないのに心が伝わってくるのが不思議だ。
それからしばらく、ツェリシアとチョイさんは森の洞窟で過ごした。
洞窟の外側、壁の部分に黒い扉があることに気がついて、開けてみると、教会の中庭へと戻ることができた。
「わたし、ここで誰かと一緒にいた気がする」
いくら考えても思い出せない。
「わたし、あの人を助けたいと思ったのよ。誰だったかしら……」
ツェリシアは、自身に ”追跡魔術” がかけられていることなど知らず洞窟へ戻った。
そこで料理をしながら快適に過ごしていたが、ある日、外が騒がしくなった。チョイさんが姿を変えて、ツェリシアの中へ飛び込む。
「わ、羽が生えた」
雲ひとつない、からりと晴れた午後だ。
ツェリシアは、そのまますいっと上空へ飛んでいく。
金髪の少年が、楚々とした野の花が咲く小道を、木々が立ち並び、木漏れ日が揺れる丘を、泣きながら走っていく。そのあとを追うのはガラの悪い男たち。
そして、ふいに地面がなくなり、体勢を崩して滑り落ちた。
「あっ」
すると、男たちの手が助けようと伸びてくる。
しかし、その手はかすっただけで、少年はごろごろと転がり落ちていき、崖下で動かなくなった。
ひどい傷と出血だった。
どう見ても助からないとわかるくらい。
「ねえ、チョイさん。わたし、“この子を助けたい”」
チョイさんが拒絶しているのがわかる。
「危険? いいのよ、そんなこと。──”超回復”」
少年の体じゅうにあった傷が綺麗に消える。
心臓にぴりりとした違和感が走る。
すうっと何かが抜かれていく感覚があった。少し落ち着いたところで、意識のない少年を引きずりながら、ツェリシアは洞窟に入っていった。
王城に戻ると、ミーミアは拘束され、地下牢に入れられた。罪人たちが何人もいて、ギフトがなければきっと身を守れなかっただろう。
(やっぱり、この恋は私の身を滅ぼすのね)
ミーミアは無感動に思った。
王子を暗殺しようとしただなんて。とんだ言いがかりだわ。
ミーミアはエウドキアが嫌いだ。
でも、王妃の子どもであるはずの王子には、不思議と嫌悪感を持つことがなかった。
彼は、エウドキアの傀儡だった。虐待されているといってもよかった。助けたかったが妙案が思いつかなかったのだ。
原作の流れを考えても王子は無事なはずだけど……。
地下牢に入って数日が経っても、王城は王子の行方不明で慌ただしくしていた。
突然、牢から出された。大勢の人間が待ち構えていた。
目の前には処刑台。
乾いた笑いがこぼれる。
王妃エウドキアの、愉悦に浸った顔が醜い。吊り目がちの瞳は今は三日月のようににんまりと細められ、扇からのぞく真っ赤なくちびるもまた弧を描いている。
その横で、目を背けるように、青ざめて震えている王子。
「よかった、無事だったんだ」
純粋にほっとする。
王妃エウドキアがなにをしたいのか、わからなかった。王子のことさえかんたんに殺してしまいそうな感じがあった。
王子の反対側では、国王が、……夫が、真っ白な顔でこちらを見ている。きっとどうにもできなかったのね。完全な、証拠が出たのだわ。
エウドキアの口元を読む。
王子になにか言っているようだ。
(自分を殺そうとした女の最期を見届けなさい?ですって。ぜんぶ、あなたの自作自演じゃない)
処刑の合図が出た。
ミーミアは、ぼそぼそと呟いた。
「”超召喚”」
次の瞬間、左から右へバタバタ倒れるように人々が眠りに落ちていった。王妃エウドキアが眠り、王子も目をつむった。あの人も。処刑人も。
民衆が目を覚ますと、すでに日が暮れていた。
薄闇の中で、処刑台に赤黒い染みだけが残されていた。
遺体は持ち去られたのだろうと、ぽつりと言ったのは誰だったか。
誰が、なんのために?
民衆は、浮かんだ疑問に蓋をした。彼らは自分たちが眠っていたことさえ、記憶の中からすこんと抜け落ちていて、誰もその違和感に気がつかなかったのだった。
新国王キースグリムが即位した日。
亡くなったはずの前王が、淡い水色の髪の美女と連れ立って国を出たことは、誰も知らない──。
『側妃ミーミアは、その日死んだ。』完