5.ビジュエルディアの嫌がらせ王子(3)
洞窟でツェリシアと過ごすのは、僕にとって、生まれてはじめての穏やかな日々だった。
ところが数日が経ち、洞窟に屈強な男たちがやってきた。男たちは洞窟にそぐわない家具に驚いていたが、すぐにぴりっとした態度に戻る。
僕を狙ってきた刺客だと慌てて、彼女、ツェリシアの前に飛び出した。
けれども彼女は僕に守られようとはせずに、飛び出した僕をさらに庇うように、洞窟の奥に追いやった。
男たちは一斉に跪いた。
彼らは父が差し向けた捜索隊だったのだ。安心して振り返ると、もうツェリシアの姿は消えていた。
その後、僕は城に戻った。
刺客を差し向けたとして父の側妃が処刑されることになった。
覆せないだけの証拠が次々に出てきたのだ。父は反対した。
だが、誰も耳を貸さなかった。
「自分を殺そうとした女の最期を見届けなさい?」
母はとても上機嫌だった。
僕と同じ紫水晶の目が三日月型に細められ、愉悦が浮かんでいた。
僕は「怖い」と拒絶したが、母は決して許さなかった。無理やり僕を処刑の場に連れ出した。
父の側妃だというその女性は、さらさらとした水色の髪に青い目をした美しい女性だった。
このような場に引きずり出されてもなお、凛とした佇まいがある。
ぱちりと目があった。どうしてだろう……。僕の顔を見た彼女はほっとしたように微笑んだ。
母と繋いでいた手がぎゅうと握り込まれ、手の甲には長い爪が刺さる。僕は痛みに顔をしかめた。
──処刑の瞬間は覚えていない。恐怖で気を失ってしまったから。後に僕はそのことをずっと母に責められることになる。愚図。弱虫。出来損ない。
母エウドキアは本当に苛烈な女性であった。
それは父もとうの昔に気づいていた。
側妃が処刑されたとき、僕は父の目に浮かぶ涙を見た。母を眺める父の目が無感情であることも知っていた。
母のことを父は愛していなかった。けれども、私情を挟めないくらい、ほかに代わりがきかない、手放せないくらいの才女でもあったのだ。
唯一母に感謝したのは、僕の婚約者を決めたこと。
「母上、僕は助けてくれた令嬢に恩返しがしたい」
そう告げるのには勇気が必要だった。そのとき母は、生まれてはじめて見る優しい笑顔で笑い、僕の頬を包み込むように触れて言った。
「そう。あなたのおよめさんにしたらいいんじゃないかしら?」
あのとき僕が、母の毒に気づいていたら。君を傷つけずに解放できていたのに。もっと違う形で恩返しができていたのに──。
母は、すぐさま僕の命を救った令嬢を探し出した。
ツェリシア・エルメンライヒ公爵令嬢。
家ではごはんをもらえないと嘆いていた、折れそうなくらいに華奢な彼女は、婚姻になんの問題もない身分で、それから彼女は王城に呼ばれ、王子妃としての教育を受けていくことになる。
王城に来てたくさんごはんを食べられるようになったツェリシアは、さらに美しくなっていった。
洞窟でのびのびと振る舞っていた彼女は、いつのまにか淑女の鑑のような存在になった。話し方も立ち居振る舞いも美しく洗練された。
けれども二人だけのときは、まるで姉のように僕を甘やかしてくれた。
はじめから純粋に慕っていた彼女に恋情を抱くようになるには、そう時間がかからなかった。
二人で協力して、良い国を作っていこう。父や母のそれとも、公爵邸のそれとも違う、温かい家庭を作っていこう。
僕は日々決意を新たにしていたのだ。──あの日までは。
「どいつもこいつも愚図ばっかり」
母は爪をかんでいた。
「いろいろなことがうまくいかないわ。思い通りに行かないのって許せないのよね」
「わかるわぁ。でも、こっちの計画はうまくいっているじゃない」
相手は、ツェリシアの義母であるエルメンライヒ公爵夫人だった。公爵夫人といっても、もともと貴族ですらないと聞いている。
「私たちの子どもを結婚させる計画」
僕は耳を疑う。計画とは。それに、私たちの子どもといったか?
「そうね。私、前世からエミリィ推しなの。あんなに可愛くて、純粋で、王子が廃嫡されたあとも健気に支えてくれるんだもの。かわいい息子にはそういう相手じゃないと」
「ふふ。ツェリシアに婚約者でいてもらうのは不快だけど、シナリオのためにはそれが必要なのだものね」
「ええ。幼少期に助けられたのをきっかけに、ツェリシアを婚約者に迎える。でも、エミリィに惹かれていく……。ちゃんと再現しなくちゃね」
母がうっとりと言う。
「あなたが洞窟の場所を教えてくれて助かったわ。でもあの子、なんであんな王都から離れた山奥にいたのかしらね?
確かイベントが起きる場所は平民街だったでしょう? それも助けるというか、驚いて声を上げたから助かっただけ、みたいな」
「さあ。食事を与えていなかったから、野草でも探してたんじゃないの?」
「歩ける距離じゃないでしょう?」
「うーん。転移系のギフトでも持っているんじゃないかしら。彼の……公爵のギフトがそうだもの。遺伝していてもおかしくはないわ」
「調べることはできないの?」
エルメンライヒ公爵夫人が首を振る。
「ギフトは暴いてはならない。その法だけは、どうしてもあの人も遵守しようとするのよ」
エルメンライヒ公爵夫人は、どうでもいいことのように言った。しかし、そのあとくつくつと笑い出した。
「それにしても、あなたも鬼ね。自分の息子に刺客を差し向けるなんて」
「あら、だってそれがあの子の幸せのためだもの。エミリィに出会うためにはツェリシアが必要だわ。それにあの女、本来ならキースグリフを殺そうとしてくるはずなのに、いっこうに動かなかったんだもの」
母はけだるげに首をかしげた。
「あの女も転生者だったのかしら?」
「あり得るわよね。本来なら存在しているはずの第二王子もいないし……。それに、こんなにも近くに二人いるのだから」
「早めに潰しておいて良かったわね」
エルメンライヒ公爵夫人の目が妖しく光る。母はにんまりと笑った。
僕は、すべてを父に打ち明けた。
母が隠し持っていた集音指輪をつけていたからだ。父は青ざめ、それから静かに怒っていた。僕は母の息子であることが申し訳なくなって、泣きそうになった。
父はそんな僕に気がついたのか、僕を抱きしめた。
「おまえは私の子でもあるのだ、と」
母は悪女だ。だが、この国をどんどん豊かにしている。
その技術は代えが効かないものだった。だからこそ、僕たちの私怨程度では母をなんとかすることはできない。
僕たちは日々の母の悪事の証拠を集めはじめた。同じような母の被害者を探して裏切らない味方をつくった。
証人を探した。
そして母がいなくても困らないように、母がいうところの”転生者“を探し出して、魔道具作りの工房もひそかに計画した。
そんなある日、母に呼び出された──。
「お父様とわたくしは、明日から一ヵ月、外遊に出ます。知っているでしょう?」
「ええ」
「そのとき、婚約を破棄しておいてね」
「……なんの、はなしですか?」
思わず漏らすと、母が眉根を寄せた。
「婚約を破棄なさいと言ったのです。あなたの伴侶としてふさわしいのは、出来損ないのツェリシアではなく、その妹のエミリィよ」
「ツェリシアは……」
「処刑よ」
ひゅっと息を飲んだ。
「どうして……」
「邪魔だもの。あなたの毒殺未遂とか、やりようはいくらでもあるわ。わたくしが戻ってくるまでに根回しをしておくのよ?」
その晩、父に相談した。父は頭を抱えた。
「あの女は、人の命をなんだと思っているのだ……」
「父上、証拠ならもうあらかた揃いました。今こそ断罪のときです」
「──ならぬ」
「どうしてですか?」
「……彼女の冤罪を晴らす。外遊先の国に、あのとき王妃が仕込んだ刺客の最後の生き残りがいると情報を得た。私が直接足を運ぶなら証言を考えてもいい、と」
本音をいうと、今すぐに母をなんとかしたかった。けれども、父の気持ちも痛いほどわかってしまった。
話したことはなかったが、今ならわかる。あの人は、自分が処刑されようというあのとき、自分を陥れた女の息子を純粋に心配していたのだ。
そして父は、気まずげに語った。
「彼女との間にも息子がいる。アレに知られたら殺されるとわかっていたから、市井に紛れさせていた。為政者としての教育は受けていないから王には向かないが、臣下として、きっとおまえのことを支えてくれるだろう」
父はそう言い、僕はあいまいに笑った。
その男ならすでに調べていたからだ。彼は、母の仇である僕を憎んでいる。