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4.ビジュエルディアの嫌がらせ王子(2)

 自室を出て、塔の上にある貴族牢へと向かう。


 母に彼女を入れるよう指示されたのは、王城の地下深くにある一般牢だ。

 だが、あんな寒くて汚らしくて、本物の罪人たちがうじゃうじゃいるところに彼女を置いておくことなんてできるわけがない。





「グリフ様! もう、ずっと探してたんですよ?」


 自室を出てしばらくしたところで、エミリィに見つかった。


 ここは王族だけが入れる居住区だというのに。思わず舌打ちしそうになり、ふと我に返る。


 僕は今、彼女に差し入れる食物を手にしているのだ。

 誰も来ないからと早めに取り出したことを後悔した。





「あら? それは?」


 やはり、目ざとくエミリィが僕の持ちものに目をつける。


「……古代聖女の食物だよ。ツェリシアへの差し入れだ。罪人とはいえ、きちんと裁きを受けるまでは飢えさせてはならないからね」


「でもそれ……」





 まあいっか、とエミリィが言ったのが聞こえた。


「そんなことより、君はどうしてここに? 私たちの結婚式で着るドレスの下見に行くと言っていなかったか? 私は君の髪色に合わせた桃色のドレスも素敵だと思うのだが……」


 自らの言葉に鳥肌を立てながらも、すらすらと思ってもいない言葉が口をつく。


 エミリィは途端に顔を赤らめ、にこにこして、ひと通りくだらないことをしゃべったあと、仕立屋を呼ぶのだと浮足立って出て行った。







「うー、もういやです、いやですよぉツェリシア様」


「どうしたの、ドロシー」


「だって卵かけごはん、何回目です? もちろんツェリシア様が毎食アレンジを加えてくださっているので楽しく食べてるんですけどね、あのわさびのやついいですよねぇ……それにしてもバカ王子ったらもっと気の利いたものを持ってきてくれないですかね」




 僕は硬直する。


 ドロシーというのは彼女の乳姉妹である。確かおどおどとした、しかしツェリシアにだけは忠誠を誓っている少女だったはずだ。

 だが、なんだこの変わり様は。


「……まあ懐かしい味ではありますが……」


 ぽつりとこぼれた言葉に、ドロシーもまた母やエミリィの同類なのだろうと察した。






「でも! ううう……野菜が……野菜が食べたい……」


 ドロシーは奇声を上げ始める。僕は、ドロシーを彼女と一緒に置いておいたことが正解だったのかと悩みはじめた。


「まあ、どうしましょう。でもそうよね。美容面が気になってしまうわね……」


 ツェリシアがおっとりと答えた。





 僕は、彼女にすまないと謝りたい衝動と戦いながら、母からくすねた魔道具に手を突っ込む。


 転移鞄は、ほかの場所に保管しているものを取り寄せられる鞄だ。

 僕の自室に作ってある小さな氷室箱から、古代聖女の食物である”地獄野菜“を取り出した。


 僕が近づいたのに気づき、牢番の表情が険しくなる。





「野菜が食べたいだと? ちょうどいい、これを差し入れてやろう」


 地獄野菜というのは、地獄にあるという赤い炎の沼のような色で、腐臭のする野菜である。


 これも聖女の魔道具から出てきたものだ。辛味があるため孤児院に差し入れることができず、聖女の食物の中でも特に不人気。




 しかし、これまで差し入れてきた”白虫穀“や生卵だけでは、たしかに彼女が体を壊してしまうかもしれない。


 彼女にはギフトがある。だから、卵は”完全栄養食“なのだと耳にして、そればかりを差し入れてきたのだが……。




 僕はこれまで以上に差し入れるものについて考えねばと決意を新たにした。


 王城内の貴族牢は、罪を犯した高位貴族や王族を一時的に留めておくための場所だ。


 牢といっても、室内は広く、高いところに窓があるため暗いわけでもない。自由に外に出られない以外はおそらく快適に過ごせる場所である。




 ふつうの客室と大きく違うのは扉だ。扉の上部には鉄格子がはまっている。扉の下部には、もののやりとりができる小さな扉がついている。

 大きさは太った猫が一匹通れるくらいだ。


 地獄野菜を差し入れるとき、彼女の手に触れてしまう。


 どきっとして顔に熱が集まる。慌ててぶんぶんと顔を振っていると、彼女がこちらを見つめていることに気がついた。





 こんな薄情な男のことなど恨んでいるだろう。


 そう思ったが、彼女がこちらを見つめる目は、いつもと同じ。小さな子どもを見るような慈愛の瞳だった。


「ちゃんとたべている?」




 小声で彼女が訊いた。


 僕は声をあげてしまいそうになって、でもなんとか飲み込んで、つんと横を向いた。

 そして彼女のほうを見ることなく、乱暴な足取りで部屋に戻った。


 寝台にもたれるようにして泣いた。






 刺客に追われて崖から転がり落ちた幼いころ。


 僕を助けてくれたのは、ツェリシアだった。彼女は僕よりひとつ年下で、当時はもっと小柄で痩せていた。


 その体で背の高い僕を、雨をしのげる場所まで運び、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。




 そして僕が目を覚ますと、恐怖で錯乱していた僕を優しく抱きしめてなだめてくれた。


 緊張でこわばった体が、背中をさすられているうちに少しずつほぐれていくのを感じ、気がつくとまた眠っていた。





 そうして目を覚ますと、くつくつと何かが煮える音と、ふわりと甘いにおいが漂っていた。


「ああ、起きた! よかったわ。今ね、おかゆを作っているの。ミルクをたっぷり入れているわ」


 僕たちがいるのは、どう見ても洞窟のような場所だった。


 しかし、小さなシャンデリアが輝いているし、ふかふかの寝台に寝かされている。枕も肌掛けもある。ごつごつとした岩肌にはやわらかそうな敷物が敷かれており、その上には小さな丸い木製のテーブルと、子ども用の椅子がふたつ。




 一つは柘榴石のような色に塗装されており、もう一つは菫の花のような色。


「ここは……?」


 僕は手をにぎったり開いたりする。ひどい痛みだった。だが、体じゅうどこを見ても傷一つない。





「わたしの秘密基地! ここならいくらでもおいしいごはんを食べられるもの」


「ごはん?」


「そう。家にいるともらえないの。使用人たちの食べ残しを探すのも骨が折れるし、本当に困っていたのだけれど……。これは魔法なのかしら、いろいろと出すことができるようになったのよ」




 ツェリシアは誇らしげに言った。それはギフトなのでは、と思い当たる。この国、ビジュエルディア王国では、近隣の国とは異なり、魔法を使える者が基本的に生まれない。

 しかし、平民だと数百人に一度、貴族では三人に一人の確率でギフト持ちが生まれる。


 それは個人の特性に合わせて神がくれたご褒美だとも言われているが、過去にギフト持ちを巡って争いが起こったことから、基本的には公開しないものとされている。


 だが、彼女はそれを知らないのか、僕を信頼していたのか。






「ギフト、”ちょいたし“!」


 少女の柘榴石のような瞳に、きらきらと星のような光が散った。そして透明な石板のようなものが出現する。


「ミルク粥にちょいたし。……白だしと味噌、チーズ2種」





 ぽぽぽぽんと目の前に見たことのない材質の瓶や箱、袋などが現れる。


 それからスプーンと、数字が書かれた透明で小さな容器。


「あら、ちょいさんったらとっても気が利くんだから。スプーンも出してくれたのね。ありがとう。これはなにかしら?」





 少女が言うと、石板がもじもじと動きはじめて僕はぎょっとする。


「なるほど。この容器の数字が書いてあるところまで液体をいれることで、一定の味にすることができるのね?」


 彼女は石板の伝えたいことがわかるのか、納得したようにつぶやいた。


 瓶の中から黄金色の液体を出して、数字が書かれた容器に慎重に入れる。その小さな手はふるふると震えている。それから、ふにゃふにゃとした容器の中から茶色いものを絞り出す。





「これはどうやって開けるのかしら?」


 透明な袋を手に彼女がこてりと首をかしげると、石板が即座に鋏の形に変わった。





「まあ、ありがとう! ちょいさん」


 その言葉で、ちょいさんというのは、どうやら石板の名前らしいと僕は気がついた。


「これを溶かすのね?」


 彼女は小さな手で一生懸命袋の端を切っていく。ふわりと漂うにおいに、それがチーズであることに気がつく。


 細かく切られたチーズがミルクに溶けてとろみがつく。そして、細長い筒に入っていた粉……これもチーズの香りがした……をふんわりとかけて。





 その日彼女が作ってくれたミルク粥の味を、僕は一生忘れない。




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