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3.ビジュエルディアの嫌がらせ王子(1)

 それは雲ひとつない、からりと晴れた午後のことだった。

 僕は走っていた。息をするたびに肺が、心臓が痛んだ。


 楚々とした野の花が咲く小道を、木々の木漏れ日を踏みしめて走る。小枝がパキッと乾いた音を立てて折れる。たまに太い根っこにつまずいたが、それでも立ち上がる。




 後ろからは屈強な男たちが迫ってくる。何人いるのかわからない。


 ふいに地面がなくなり、体がぐらりと傾いた。誰かに腕を掴まれたような気はするが、何が起こっているかわからないうちに僕はごろごろと転がり落ちていった。




「おい!」

「──まずい、予定と違うじゃないか」

「俺のせいにするなよ」


 言い争う声がどんどん遠くなっていく。ややあって、どすんとひときわ大きな痛みがやってきた。




 今思うと崖下に投げ出されていたのだと思う。痛みはひどかったものの、てのひらにはやわらかな草の感触があった。


 鼻先に蝶々が止まった。


 見上げた空はただひたすら明るく、子どもの笑い声が似合うようなそんな天気で。



 少しずつ視界が狭くなっていき、僕は意識を失った。そして次に目覚めたとき、天使のような少女に助けられていたのだった。









「グリフ様ぁ……」


 腕にからみついた女が、僕に向かって媚びた声を出す。その声は母が父に見せているものに似ていて、とても不快だった。


 こぼれおちそうな目が僕を見上げている。


 桃色の髪に水色の瞳を持つ少女だ。

 名前はエミリィ。エミリィ・エルメンライヒ。公爵の娘。




 そして、僕の目の前には少女が立っている。

 銀糸のような長いふわふわとした髪に、柘榴石のような瞳を持つ大人びた顔立ちの彼女は、僕の婚約者である、ツェリシア・エルメンライヒ。


 このような事態であってもいつものように慈愛に満ちた表情を浮かべている。所作は洗練されているし、何より凛とした立ち姿が美しい。




 ツェリシアこそが、あの日、崖下に倒れていた僕を救ってくれた少女だった。身分の釣り合いが取れていたこともあり、父に頼んで婚約者にしてもらい、早十年。


 何をおいても彼女を手に入れたかった。

 でも、それはもうやめる。




「キース様?」


 彼女の声に胸を鷲掴みにされる。右腕に引っ付いているものを投げ出して、駆け寄りたい。

 でも。僕は今日、君に婚約破棄を告げる。




 今度は僕が、君を守る番だ──。








 自分で決めたことだとはいえ、思っていた以上に僕は堪えていた。


 そのまま自室に戻り、通信本を開く。見た目は普通の書籍なのだが、これは才女として知られる僕の母、エウドキアが密かに開発した魔道具である。


 どんなに遠くにいても、相手の魔力を登録しておけば、こうして声だけのやりとりができる。

 この魔道具の存在を知っているのは、この世界でたった二人。母と僕だけだ。




『それで? 恙無く婚約破棄は終わりましたか?』


 ひゅっと息が詰まりそうになる。今目の前にはいないというのに、母の探るような、それでいて高圧的な声に思わず反応してしまう。


「ええ、母上」


 そう、と、今は遠い国に出かけている母の声がした。

 目の前にいなくても、真っ赤なくちびるを三日月型にしてにんまりと笑っている様子が見て取れた。





『これからはあの子、──エミリィを大切にするのですよ。エミリィは、あなたが王子でなくなったとしても愛してくれる、貴重な存在なのだから』


「……はい、母上」


『それで?』


 来た。ぴりっとした緊張感を覚えたが、僕は浅く息を吸い、母の次の言葉に備えた。




『──あの娘はちゃんと牢に入れたのでしょうね』


「ええ」


 母に指示されたものではなくて、貴族牢に。乳姉妹でもある侍女と、僕に恨みを持つ男を牢番にして。


「……母上?」


 沈黙が恐ろしくて、僕は尋ねた。





『うーん……なにか嫌がらせをしてやりたいわぁ』


「そうだろうと思いまして、私が既に」


『まあ! あなたは本当に気が利くのだから。なにをしたの?』


 母がくつくつと笑って言った。


「古代聖女の食物だけを差し入れております」





 古代聖女の食物というのは、ここではない世界からやってきたとされる古の聖女が持ち込んだものである。


 当時、”解析“のギフトを持つ者がその作り方を解析し、普及させた。さらにいつでも食べたいという聖女の望みを叶えるべく、”量産”のギフトを持つ者が、一定数のそれら食物を自動的に生み出し続ける装置をつくった。




 何百年も経った今でもその魔道具は稼働しており、定期的に古代聖女の食物を生み出し続けている。


 一見すると偉業に見えるのだが、それらの食べものはこの国では好んで食べられないようなものばかり。王族はもちろん、貴族も平民ですら見向きもしない。




 王城内にある魔道具から生み出された食物は、まがりなりにも食物であるから捨てられぬという歴代の料理長によって、孤児院や貧民層に向けて配られているのである。


 だから、わが国では飢える者は少ない。





『ふうん、そうなの』


 僕の言葉に、母の機嫌がしんと悪くなったのがわかった。


『……ああでも』


 母はそこで話を切った。そして小声でひとりごとをつぶやく。この世界の人たちにはゲテモノなのだったわ、と。





 僕が幼きころから、母はよく「この世界」と口にしていた。


「母上、大丈夫ですよ。差し入れたとき、牢番までもが顔をしかめ、気の毒そうな顔で眺めておりました」


『そう、……それなら大丈夫ね。わたくしたちはあと三週間ほどで戻ります。それまでにあの娘の心を壊しておくのよ?』


「もちろんです」





 僕はにんまりと口を笑みの形にして言った。


 あと三週間で父も帰ってくる。そのときには、やっと揃った証拠を集めて提出するのだ。


 母のおぞましい悪事の数々を。──二度と彼女に会うこともできなくなるかもしれないけれど……。



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