幼なじみと掃除の話をしていたら脱線しました
中学に上がったころから、自室の掃除は自分ですることになった。それには異論はない。ないけども。
「めんどくさいんだよなあ……」
ローラータイプの粘着クリーナーを転がしながら、口からぼやきがこぼれまくる。部屋掃除歴三年になっても、面倒なことには変わりない。
散乱していたプリントやUSBケーブルを片付け、なんとかラグの端までクリーナーをかけ終えたそのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「由布ちゃんいらっしゃいー。然なら部屋にいるからね」
「はーい! おじゃまします」
母さんと由布のやりとりが二階の俺の部屋まで聞こえてきた。そのあと軽快に階段を上る足音も。由布は勝手知ったるというやつで、足音は迷いなく俺の部屋の前で止まった。
「然くん、入ってもいい?」
「いいぞー。掃除、もう終わりだから」
「はーい。おじゃましまーす」
ドアを開けて入ってきた由布は、思ったよりも薄着だった。夏なんだからおかしくない格好ではあるが、この間まで雨続きで肌寒く、黒っぽい冬の制服を着込んでいたせいか、今の姿は卵から生まれたばかりのような、どこか頼りなげな印象を受けた。
Tシャツの袖からのぞく由布の腕は、まだ日焼けをしていないため真っ白だ。つい先日の『ふわふわ事件』のことを思い出してしまい、なんとなく気まずさを抱えながら掃除道具を片付ける。
だが、俺の部屋に入るなり好奇心で目をキョロキョロさせているのは、知り合ってから十年経ってる、いつもの由布だった。
「はっ。ということは、ここは掃除したての場所……!」
由布はそうつぶやくと、日が当たっている場所に固めて置いておいた上布団とクッションに引っ張られるように歩いて行き、ぽとんと落ちるように寝転がった。
「日当たりのいい場所は、由布がよく獲れるな」
いつも通りの由布に安心して、俺はそう言いつつ隣に腰を下ろした。すると突然、由布は寝転がったまま、足をピンと伸ばした姿勢で跳ね出した。「ぴちぴち!」本人の口から出ている効果音から察するに……。
「魚だったのか。俺は鳥っぽいものをイメージしてたよ」
「そうなの? じゃあ、ぴよぴよ」
今度はひよこっぽい泣き声を出す由布。魚にこだわりはなかったらしい。
「すごいな。魚類から鳥類に超進化してるぞ」
「えへへ、ほめられちゃった」
「由布は哺乳類じゃなかったっけ。鳥類で満足してていいのか?」
「あっじゃあ、これから進化します!」
謎の「しゃきーん!」というかけ声とともに起き上がった由布は、やっと人間に戻ったようだ。
布団のしわを伸ばしながら、由布は満足げなため息をついた。
「掃除したあとって、気持ちいいよねえ」
「そうかー? 俺はめんどくさかった、疲れた。って感想しか浮かばないなあ。掃除はどうも好きになれない」
「転がすの楽しいのにー。ぼーっとしながらコロコロするの、わたしは好きだよ」
由布は、さっき俺が使っていた粘着クリーナーを転がす真似をしながら言った。
「転がす前に、床に置いてあるものを移動するのが面倒なんだよなあ」
「えっ、然くんの部屋、物が少ないじゃない? このくらい動かすのなんて、ちょちょーい、だよ」
「由布の部屋と比べたらなあ」
ぬいぐるみや、でかいクッションがひしめき合っている由布の部屋を思い浮かべた。あれはすごい。
「なんて言うか、腹が減るよなあ、由布の部屋にいると。食パンのクッションに目玉焼きの布団に、寿司のぬいぐるみに……」
動物のぬいぐるみもいるにはいるが、圧倒的に食べ物が多い。この間見かけた新顔クッションがハンバーガーだったせいで食べたくなって、翌日の由布との寄り道がファストフードになったんだよな。
「うーん、ここにいたら、さすがにわたしの部屋はぬいぐるみ多すぎかなって気がしてきたよ」
「必要ならそれでもいいんじゃないか? 布製品が多いとほこりが出やすいってのはあるかもしれないけど」
会話の最中にも由布はクッションを抱きしめている。とりあえずふわふわしたものに触れていたいらしい由布にとっては、ぬいぐるみは必要なものだろう。俺が自分ではあまり使わないクッションを部屋に置いているのは、由布のためと言っても間違いではない。
「うん、どうしてもほこりっぽくなるよねえ。ぬいぐるみは時々、お風呂に入ってもらってるけど」
「あの大量の食い物たちを洗うって、すごいな……。聞いただけで疲れそうだ」
俺はぐだっと頭をベッドの縁にもたせかけた。自分自身をそこそこ清潔にするだけでも面倒なのに、ぬいぐるみの世話までするとは信じられない。
「しょっちゅうじゃないし、わたしはそんなに疲れないかなあ。コロコロと同じでぼーっとしながら、タライに入れて洗ってるよー」
「由布はさすがだなあ……俺はラグの掃除だけでも面倒だから、これ以上布いらんって思っちまうわ。もうSF映画みたいに、ビニールっぽい素材でいいよ」
「えっ、服の代わりに、体にラップを巻くとか?」
「……ラップかあ……。見た目がアレすぎるな」
「然くんがおにぎりみたいになっちゃうねえ」
「体を丸めた状態でラップを巻かれることは想定してなかった。俺をおにぎりにしてもまずくて食えないぞ、由布」
「どれどれー」
由布は手を口のような形にして、パクパクと開け閉めしながら、俺の腕を軽くつまんだ。
「然くんの腕は、オムライスの味がしますねえ」
「なつかしいな、そうやって味見するの」
「うん、昔やったよね、これ」
昔、由布とままごとをしたことがある。由布と出会うまで俺にままごとの経験はなく、「料理を作ったり食べたりするふりをしたらいいんだろうな、よしこい」と身構えていたところ、おもちゃのフォークを持った由布は、なぜか俺の腕を突き刺すふりをしてきた。
そしてもぐもぐ咀嚼するふりをしながら「然くんはおいしいねえー。さっき食べてたラムネの味がする!」と笑う。当時の俺はそれに大喜びで、「どれどれ、由布もおいしいぞ、リンゴジュースの味がする」と由布の腕を箸でつまむふりをして、ふたりで笑い会っていた。
今考えると、お互いの体を食うっていうのは……猟奇的っていうか、そこまでいかなくてもちょっとアレな意味に聞こえなくもないっていうか……。
「オムライス、当たりだ。よくわかったな、俺が昼食べたメニュー。由布、超能力でも授かったか?」
ふっと浮かんだ考えを打ち消し、平静を装いながら俺は答えた。
「あはは、その超能力欲しかったなあ。実は君江さんから、最近オムライスに凝ってるって話聞いてたんだ」
君江、と呼ばれているのは俺の母親だ。由布の家族も俺の家族も、お互いを下の名前で呼び会っている。母親ふたりから「おばさん、っていうのは、なんか違うよねえ」と物言いがついた結果、そうなった。
「なんだそうか。ちなみに今日はデミグラスソースのとろっとしたオムライスだったぞ」
「ほおー、おいしそうですなあ、いいですなあ」
由布はさらに手をパクパクさせた。本物の口は今にもよだれを垂らしそうにぽっかりと開いている。
「うん、うまかった。母さん、『休みになるとこの手がオムライスを作ってしまう。誰か止めてー』って言いながら楽しそうに作ってる」
「で、然くんは止めないと」
「止めないねえ。同じメニューのようで、毎回種類が違ってるから飽きないし。先週は薄焼き卵にケチャップのオーソドックスなやつだった」
「わあ、ふわとろなのとしっかりなのと両方食べられるのいいなあ。うちも、晩ごはんオムライスにしない? ってお母さんに聞いてみようかなあ」
中空をぽわんとした顔で見ている由布。きっと視線の先にはオムライスの幻覚が浮かんでいるんだろう。
そんな由布の顔を見ていると、さっき俺が感じたようなアレな意味は一ミリも考えてないのがわかる。うん、良かった。大丈夫だ。なにが良くてなにが大丈夫なのかは自分でもわからん。
「どれ、俺も味見してみるか」
言いながら、由布の腕を軽くつまむ。そして咀嚼するふりもしてみたが、ヒントなしでは由布が何味かはわからない。
「えーと……おにぎりか?」
適当にひねり出した答えに、「ぶぶー、残念でしたー」という由布の答えが来るのを待ち受けたが、由布は無言のままだった。
様子をうかがうと、由布は目を丸くして自分の腕と俺の手を見比べている。
「どうした?」
「然くんのひとくち、大きいなあと思って……」
「え、どういう……」
尋ね終える前に気づいた。手の大きさの違いか。由布の小さな手で味見をされたときは小鳥の嘴でつつかれたような感触だったけど、同じことをした俺の手は、由布の細い手首を丸呑みできそうだった。
由布はちらちらと俺の顔を見たあと、恥ずかしそうにうつむいた。睫毛の下で目がせわしなく動いているのがわかる。
俺はと言えば、突然の衝撃に、しばらく息をするのを忘れていた。
うそだろ。由布は大丈夫だと思ってたけど、違ったのか? アレまではいかないとしても、ソレっぽいことをちょっとは考えてたのか?
「それは……まあ、背もだいぶ、違うしなあ……」
「そ、そうだよね。然くん、中三でおっきくなっちゃったし……。手だって、全然違うよね。今さらなに言ってんだろうね、わたし」
なんとなく、俺と由布は両手のひらを広げて、しげしげと眺めてしまう。まるで手相でも見せ合っているみたいだ。由布はしみじみとした口調でさらに言った。
「……そうだよねえ。わたしが転びそうになって然くんが引っ張ってくれたとき、巻き添えにしちゃうって思ってたのに、ひょいって支えてくれたから、びっくりしたんだ、よねえ……」
あのときの『ふわふわ事件』、俺とは違った意味で由布を戸惑わせていたんだろうか。
由布の言うとおり、たしかに今さらなのかもしれない。同級生に「夫婦」なんて言われてもどこ吹く風で小中学校とやってきたのに、高校生になった今、体格の違いが気になるとは。今さらにもほどがある。
……いや、今だからなのか。昔から名前の呼び方をからかわれたせいで、性差のことを考えないように、意識しないようにしてきた。そうして抑えてきた反動が今やってきているのかもしれない。俺も、もしかしたら、由布も。
「ごめんね、変なこと言っちゃったね」
そうぽそりとつぶやいた由布は、まだうつむいたまま、何度もまばたきをしている。心なしか頬がほんのり赤い気がする。
「いや……」
由布、おまえだけじゃないぞ、俺だってかなり妙なことを考えてたぞ……とはさすがに言えなかった。そう叫んでいたのは心の中だけだ。実際には、どうでもいいことしか言えなかった。
「手の大きさ、昔は同じくらいだったもんな」
「うん、そうだったね」
声がうわずってしまった気がしたが、由布の声も妙に高い。焦っているのは同じらしい。
このまま困惑し続けて一日を終えるわけにはいかないと、俺は急カーブで話題を逸らした。
「これから、映画見るか? サブスクにないやつで面白そうなの、DVD買ったんだ」
「本当? 見る!」
俺と由布のわざとらしくはしゃいだ声が、掃除を終えたばかりの室内に響く。
きっと五分後には元通りの俺たちに戻るんだろう。だけど五分間もこの空気を吸ってたら、一日の規定量を超える気がする。恥ずかしくてむずがゆくて、叫びたくなるような感情の。
最初は掃除の話をしてたはずなのに、どうしてこうなった。