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ロジパズ少女  作者: 軌条
4/6

CF争奪総当たり戦


 日曜の昼前、織井家宅前にて。


「ごめんくださーい。誰かいらっしゃいませんか?」


「誰もいません」


「……あれ、いるの?」


「誰もいません」


「いや、誰かいるよね。いなかったら返事できないよね。それで居留守のつもり?」


「録音した音声を流すという手があります」


「……さっきまではそういう可能性もあったけど、今、会話したよね。確実に誰かいるよね」


「こういう会話を想定して録音しておいたのです」


「無理ありますよー。さっさと開けてくださーい」


「誰もいません」


「だから、あなたがいるでしょ。織井さんでしょ? あなたがいなかったらこうして会話できないよね」


「自律式ロボを使うという手があります」


「だから無理があると……」


「携帯電話をドアの裏側に括り付けておくという手もあります」


「……あのね、そういう手段もあるんでしょうけど」


「あなたの頭の中に直接語りかけるという手もあります」


「えっ」


「あなたが聞いている声は幻聴なのだという可能性もあります」


「ええっ」


「それが神のお告げか悪魔の囁きかは分かりません」


「えええっさっきから何言ってるのこの人」


「誰もいません」


「もうそれでいいよ。じゃあね、せっかくイイコト教えてあげようと思ったのに……」


「誰もいません。……録音した音声を流すという手があります……」




     *




 私は敵前逃亡を図る兵卒の心情を理解した。

 昨晩までは色川先輩と戦ってやると決意を固めていたのに、今朝になって怖気づいた。


 だって変な夢を見てしまったのだもの。

 もう口にするのも憚れるような酷い夢だった。

 きっとデパートで赤沢が教えてくれた種々のことが引き金になったのだろう。

 私は早朝六時にがばりと起き、テープレコーダーに「誰もいません」と吹き込み、玄関前に置いて流しっぱなしにすることにした。


 録音している最中、父が日曜出勤の為に起床して、私を不審そうに眺めていた。


「何をしているんだ、司奈?」


「それが神のお告げか悪魔の囁きかは分かりません……。ちょっと、話しかけないでよ。今日も仕事? 休めないの?」


 私の発言に、父が意外そうに眉を持ち上げた。


「え、休んで欲しいのか」


「だって、せっかくの日曜なのに……」


「おお、司奈、何て嬉しいこと言ってくれるんだ! 麗しきフロイラインよ! でもお父さんは仕事を休めないんだよ」


「じゃ、いいよ。さっさと行って。下請けの下請け会社でちびちびはした金を稼いでくればいいんだ」


「おお、司奈、幾ら何でもそれは酷過ぎる」


「だって、娘のピンチってときに……」


「ピンチ? 何だそれは」


 しかし私は事実を言うべきではなかった。

 美鶴を取り巻くファンクラブが私に危害を加えようとしていることは隠さねばならない。

 なぜなら、心配症の父は私をSMクラブから守ってくれる代わりに、そんな危険な友人(=美鶴)とは絶交しなさい、と理不尽な要求をしてくるだろうからだ。


 それに父はいつも私を守ってくれるわけではない。

 今日一日を凌いだところで、学校生活は私一人で切り抜けていかなければならない。

 独力でこの苦難を乗り越えてみせる。


 昨晩はそう決意したが、今朝は、独力でこの苦難から逃げ切ってみせる、というスローガンに変わっていた。

 良い感じのメロディーを付けてもいいくらい、確乎としたスローガンである。

 何も知らない父が家にいてくれれば、それだけでもう今日は逃げ切ったも同然だったのだが、事情も言わずに父を家に引き留めることは不可能であった。

 私の魅力も有限であるということか。


「……ピンチだよ。えと、また家庭訪問があるんだよ。再来週くらいに」


「何だ、そのことか。ちゃんと取引先を殴り倒してでも早退するから大丈夫だよ」


「信用できないよ」


「大丈夫だって。お父さんが約束を破ったことがあるか?」


 たぶん百回以上あったが、私は追及しなかった。

 父の出勤を見送った後、私は、身支度を整えた。

 今日一日、隣町にでも逃亡しようか、と思ったが、駅はマークされている可能性がある。

 色川先輩率いる美鶴フリークスの構成員数は不明だが、相当数に上ることが予想された。

 きっと家も監視されているに違いない。

 ただ、今は早朝であり、果たしてこんな時間から人員を割くだろうかという期待があった。

 テープレコーダーのストラップを玄関のドアに引っかけて、音声を流しっぱなしにした。

 家を出て鍵をかけていると、階段の下で誰かが動いているのが見えた。

 我が家は木造アパートの二階にあり、築三十年といった感じのぼろぼろの部屋だった。

 こんなところ、うら若き女子中学生が住まうべき場所ではないというのが本音だったが、贅沢は言っていられない。

 通路に出してある洗濯機の中に洗濯物が入っていることに気付き、ああもう、干すのは私の役目だった、とドタバタした。


 ガスの元栓は閉まっているかだとか、戸締りはちゃんとしたかだとか、普段は気にならないことが気になって、なかなか出発できなかった。

 しかもアパートの下には間違いなく美鶴フリークスの監視員が目を光らせている。

 きっと今頃、家を出てきたことを色川先輩に報告しているだろう。

 玄関から出たらバレバレじゃないか。

 私は冒険心をくすぐられて、家の窓から飛び降りようと突然決意した。

 逃げ切るにはそうするしかない。

 私はドアの前に突っ立ち、テープレコーダーの音声が聞こえづらいことに気付いた。

 家の中に戻って音量を調整する。

 きちんと鍵とチェーンをかけてから、これじゃあ帰ってくるときも窓から入らないといけないじゃないかと気付き、チェーンは外した。


 靴を脱ぎ、手に持って、部屋を横切り、靴を履かないままベランダに出た。

 アパートの裏手には別のアパートの壁がすぐそこまで迫っており、狭間には狭苦しい路地がある。

 どうやらこちらには監視がいないようなので、靴を履いてから、手すりを跨いで、飛び降りた。

 ジーンズなので男性諸氏へのサービスカットなし。


「シュタっ」


 と口で見事な着地を演出してみたが、実際には親指の付け根が猛烈に痛かった。

 そろりそろりと駅の方向へと進み始めたが、七歩目で早くも見つかった。

 青木であった。

 彼の長身は目立つ。

 路地の入口で彼は絶叫し、私は踵を返して逃げようとしたが、反対側から路地を出た直後、黒田と鉢合わせした。


「黒田!」


「尊師織井! 逃げる気! 色川先輩との勝負は――」


「一昨日のお返しじゃあ!」


 彼女の肩を押して仰け反ったところを目潰ししようと手を突き出したが、黒田は凄まじい反応速度で私の手首を掴んだ。

 重力を失う。

 気付けば私は空中に放り出されていた。

 視界が空の青一色となる。

 一本背負いをされたのだ、と全身で見事な弧を描きながら悟った。

 受身。受身を取らなければ!


 しかしそんなことを一度もしたことがなかった私は背中を地面に打ち付けて悶絶した。

 そのまま黒田の躰が圧し掛かってくる。


「確保ー! 織井司奈を黒田琴美が非の打ちどころのない見事な背負い投げで確保ー! 青木くーん!」


 青木が遅れてやってくる。

 私は黒田に腕を極められており、身動き一つできなかった。

 まさか黒田がこれほどまでに強いとは知らなかった。

 彼女の名前が琴美だというのも知らなかった。

 私の逃亡劇はものの三十秒で終幕した。

 青木が荒く息をつきながら私の近くにしゃがみ込んだ。

 彼は少し呆れているように見えた。


「逃げたって無駄なのに。さあ、おとなしく家に帰って」


「無駄かどうかはまだ分からない」


「えっ?」


「あたしを舐めるな、美鶴フリークス!」


 私は近くにあった青木の手に噛みついた。

 彼はうぎゃあと呻いて腰を引いた。

 今だ! と思ったが私を押さえつけているのは黒田である。

 彼女は緊縛を緩めなかった。


「観念して、織井さん。尊師として恥ずかしくない振る舞いをしなさい」


「く、黒田ぁ……。あんたも同じ女なら分かるでしょ、SMクラブがあたしにしようとしていることがどれだけ卑劣か」


「裸写真をネットにばらまくって話? 誰かに聞いたんだ? 確かに四宮くんは冷酷だからね。それくらいしてもおかしくない。でも、当然の報いでしょう」


「なななななんだって」


「美鶴様と馴れ馴れしくし過ぎなのよ。一回くらい痛い目に遭ったほうがいいわ」


「黒田、あんただけはあたしに同情してくれないと……」


「どうしてよ。厳格なイコノクラスムを推進する私としては……」


 私ははっとした。イコノクラスム。

 はっきり言ってその言葉の意味は分からないが、どんな場面で黒田が言っていたかは覚えている。

 二日前、黒田は、私が美鶴の写真を撮ったと話したとき、怒りをぶちまけた。

 そのときに口にしていたのである。


「く、黒田、取引しましょう」


「取引ですって」


「青木も! 美鶴の写真一枚と引き換えにここは見逃すってどうよ」


 青木も黒田も肩を竦めて一笑に付した。

 私は先日一三枚の写真を撮っておいたが、四枚は学級新聞に、四枚は美鶴フリークスに献上していた。

 残る五枚は、こんなこともあろうかと、懐に忍ばせておいたのだった。

 しかし、この二人の反応を見る限り、取引には応じてくれそうにない。

 私は当てが外れて意気消沈した。

 青木が馬鹿馬鹿しそうに、


「黒田、取引だってよ。どうする」


「どうするも何も。決まってるでしょう」


 黒田の不敵な笑みを間近に見た私は、長い溜め息をついた。




     *




 多くのシューティングゲームは弾を撃ち放題である。

 昨日、三つ子に誘われてWINGERSというシューティングゲームをプレイしてみたが、これもその類であった。

 たった一機の戦闘機で何百機もの敵兵力を撃墜する。

 プレイヤーは希代のエースパイロットだが、それでいて計器飛行でもないのに山脈に激突する凡ミスを犯すのだから、非現実的である。

 ゲームプランナーはコンセプトから見直したほうがいい。

 それともそんなヘボエースは私だけだろうか。


 現実世界においてはそうそう都合良く振る舞えるわけではない。

 弾は有限だし、倒せる敵には限りがある。

 今、私の手元には美鶴の写真という名の必殺兵器が三発残っている。

 これを喰らった美鶴フリークは突如四〇度の高熱を出し自宅にとんぼ返り。

 少なくとも色川先輩はそのような連絡を受けるだろう。


 黒田と青木の二人は仮病を使って監視の役目を放擲した。

 私は安堵し、彼らから家の監視はこの二人だけだと太鼓判を貰って、悠々と駅を目指して歩き始めた。

 しかし美鶴フリークスの誰かに出会えば、たちまき危難に直面するだろう。

 撃てば必ず当たるとは言え、弾は有限であり、人目の多い国道沿いを行くわけにはいかなかった。

 くねくねと曲がりくねった路地を進んでいく。


 隠坂市には、市名に坂と付いているだけあって坂が多かった。

 市名に隠と付いているだけあって裏道も多く、隠れ場所に困らなかった。

 しかしそれは裏を返せば伏兵には気を付けろということであった。


 突如として、石垣の上の茂みに人間の顔が出現した。

 私はぎょっとして、立ち止まってしまった。

 さっさと逃げれば良いものを。行儀が良いというのも考えものである。


「織井司奈だな?」


「え? あ、はい」


 男は石垣から飛び降り、腰に手を当てて佇立した。

 中学生にしては凄まじい大男であった。

 一八〇センチはあるのではないか。

 どこかで見たことのある顔だから、きっと同じ中学校なのだろう。

 男はまるでホームベースのように角張った輪郭をしており、顔面はグローブのように潰れ、手足はバットのようにしなやかで逞しい。

 野球のユニフォームを着ており、目深にかぶった青い野球帽が薄汚い。

 私は首を傾げ、


「美鶴フリークスの一人?」


 と尋ねたが、彼は首を横に振った。


「SMクラブの四宮というものだ。午前十時から色川先輩と対決するのではなかったのか。まあ、まだ対決時刻まで時間はあるが」


 私は驚いた。

 赤沢が話していた四宮とはこの大男のことだったのか。

 確かに凶暴そうな面構えをしている。


「こ、こんなところで何をしているの」

「ここはランニングコースなんだよ」


 四宮は石垣の上を指差した。

 確かに細い道が続いており、向こうには階段も見える。

 足腰を鍛えるにはもってこいの、起伏の激しい道だった。

 私は拍子抜けした。


「なあんだ。じゃあ、偶然鉢合わせたってこと? 待ち伏せしてたわけじゃないんだ?」


「そうだ。だが、織井司奈、貴様と一度話をしておきたいと思っていたところだ」


「あ、いや、あたしは別にどうとも思ってないけど」


「SMポイントも底をついているというのに美鶴様と接触している現状、SMクラブの会長としては看過し難いが、織井司奈、貴様は我々の存在さえ知らなかっただろうから、大目に見てやる」


 おや、意外と理解のある言葉だこと。

 まさしく私は昨日までSMクラブの存在自体知らなかった。

 そんなポイント制を採っていることも、もちろん知らなかった。


「あはん、そうなんだよねー。だからここは見逃してよ。あたしはちょっと行くところがあるからさー」


「色川先輩とは協定を結んでいる。貴様が逃げようとしているのなら彼に連絡する」


「にに逃げようとなんかししししてないさーさーさー」


「じゃあどこに行こうとしていたんだ?」


「ええと……、夢のワンダーランド?」


「噂以上にクレイジーな女だな……」


「四宮、取引をしない?」


「取引だと?」


「美鶴の写真を一枚、持っているんだけど……。見逃してくれるなら、あげちゃうよん」


 私は早くも必殺最終兵器を差し出していた。

 しかし四宮は露骨に嫌悪感を顔に出している。


「モノで人を釣ろうというのか? 貴様、高尚なるSMクラブを愚弄する気か?」


「いや、そういうわけじゃないけど。てか高尚な組織名に聞こえないんですが」


「おとなしく家に帰るのなら、手荒な真似はしない。色川先輩との約束があるから、手出しはできんのだ」


「そ、そっか。じゃあこれで失礼しま……」


「不思議には思わないのか?」


「えっ?」


「俺は貴様がSMクラブの存在をつい最近まで知らないことを知っていた。そして、貴様が今現在はSMクラブの存在を認知していることも知っていた。これが何を意味するか、分かるか?」


「はあ? あたしがSMクラブのことを最近知ったということを、あんたが知っている、ということでしょう」


「それは何を意味する?」


「何をって……」


 そして私はようやく気付いた。


「赤沢があたしに話をしてくれたということが、露見してるってこと? 赤沢はどうなったの?」


「奴は俺の傘下じゃない。待遇は知らん。だが、ただでは済まないだろう。美鶴様の弟君に接触したのだからな。もし奴がSMクラブの人間なら、三〇〇SMポイントを消費している」


「それって多いの?」


「未だかつてそこまでポイントを溜めた奴はいない」


「そもそもどうやってポイントを溜めるの?」


「一日一ポイントが自動的に蓄積される。美鶴様の誕生日にボーナスがあるが」


「へええ。ボーナスは何ポイントなの?」


「一五ポイント――おい貴様どこへ行く」


 私は五歩ほど後ずさりしていた。

 大男四宮にとっては三歩に相当する。

 私は背を向けて走り出していた。


「悪いけど家には帰れない! 赤沢のこととかどうでもいいし! ていうかあの男は死ねばいいのよ!」


「待て! せめて美鶴様の写真を置いてからどこかへ行け! おい! おい!」


 もちろん写真は渡さなかった。




     *




 私は逃げおおせた。

 いつの間にか国道に出ており、比較的隠れ場所の多い遊歩道へと退避した。

 遊歩道は登校するときにいつも通っているが、環形の道に外接する散歩道は複雑に入り組んでおり、遁走するのに適した場所と言えた。

 たとえ見つかったとしても上手く撒ける可能性が高い。


 しかし強引に逃亡したおかげで、色川先輩は私が敵前逃亡を図ったことを知ってしまっただろう。

 美鶴フリークスが血眼になって私を探すはずだ。

 SMクラブだってそれに加担するかもしれない。

 状況は芳しくない。

 駅だって押さえられているはずだ。

 電車で逃げるのは難しい。


 自転車の一つでも家から持ってくるべきだった。

 黒田に捕まったとき、頭の中がどうかしてしまったのだ。

 誰だって動転したら自分の取るべき行動が分からなくなってしまう。

 電車で逃げるのだ、目立たぬように、目立たぬようにだ。

 そういう意識があまりにも強過ぎた。


「人間には二種類いるのです」


 私が疲れ果てて遊歩道をとぼとぼと歩いていると、突然声をかけられた。

 女性の声だった。

 きょろきょろと辺りを目で探っていると、木の陰に学生鞄が置いてあり、暗くてよく見えないが、誰かが奥に潜んでいるのが分かった。

 地べたに直接座り込んでいるようだ。


「はあ? あんた誰?」


「逃げる者と、追う者。人間は二種類に大別できるのです。あなたは前者で私は後者」


「はあ?」


 女が木の陰から這い出てきた。

 中学校の制服の上からミンクのファーコートを着込んでいる。

 星形のサングラスをかけた小柄なおかっぱ女子だった。

 何だか友達の誕生日会でテンションを間違えて独り浮いているカワイソウな女の子という雰囲気だった。

 女はサングラスを持ち上げて微笑する。

 童顔であり、背丈も極端に低く、三つ子たちの同級生と言っても通用するかもしれない。


「人間には二種類いるのです。織井司奈さんと、そうでない人間と。あなたは前者に属する人間ですね?」


「そりゃあ、そうでしょ。あんた、誰? 何が言いたいわけ? へんちくりんな恰好して」


 私はすっかり呆れていた。

 もしかすると美鶴フリークスの人間だろうか。

 こんな変な喋り方をする女子、脅威ではなかったが。

 女は何度も頷く。


「人間には二種類いるのです。五島怜と、そうでない人間と。私は前者に属する人間なのです。あなたは後者ですね?」


 もしや、今のは自分の名前を言ったのだろうか。

 何と迂遠な物言いだろう。

 私は目の前の五島とかいう女を張り倒したかった。

 ちょっと声が可愛いのが余計むかつく。


「あのさ、何か用? 追う者とか逃げる者とか言ってたけど、美鶴フリークス?」


「美鶴様を信奉する者には二種類いるのです。美鶴フリークスに属する人間と、SMクラブに属する人間と。私は後者です」


「はいはいはいはい。SMクラブの人なんだね。で、あたしを捕まえようって?」


「織井さんを捕獲する動機には二種類あるのです。義務と、私的な用件と。今日は前者です」


「あんた普通に話せないの? 本当は話せるでしょ?」


「その答えには二種類あるのです。イエスと、ノーと。今回は後者です」


「ノーと一言で言え! まさかこれからずっとその喋り方? うざ過ぎて吐き気がしてきた。おえええっ」


「私の反応には二種類あるのです。大丈夫ですかと気遣うのと、話を始めましょうと無慈悲を発揮するのと。今回は悩んだ末に前者です」


「ええと、心配してくれてるの? ありがとね。えへへ」


 私はこんな宇宙人みたいな女子が同じ学校にいるとは思わなかった。

 制服を見れば間違いなく隠坂中学校の生徒である。

 学校で話題にならないのだろうか。

 あそこのクラスに二分法を日常会話に取り入れた座敷童みたいな髪形の女がいる、とか。


「人間には――」


「ああああ、ちょっと待った。あんたに話をさせると凄く面倒臭いから、あたしが主導権握るよ。いい?」


「その答えには二種類あるのです。イエスと、ノーと。今回は前者です」


「うっわ、それでもうざ。マジですか。どうしてあたしはこんな変人の相手をしてあげてるんだろう」


「その答えには二種類あるのです。あなたが優しいからですと、知りませんと。今回は前者です」


「えと、褒めてくれてるの? はは、あんた、性格は良いのかもね。根性は曲がってるけど」


「その答えには二種類あるのです。イエスと、ノーと。今回は後者です」


「根性は曲がってない、と。はいはい。で、話って何よ。SMクラブに関することでしょ? さっきあたしを捕まえるのは義務とか言ってたけど、それがSMクラブの方針?」


「その答えには二種類あるのです。イエスと、ノーと。今回は前者です」


「ふうん。早速四宮の手回しがあったってことかあ。そういうことなら逃げるしかないなあ」


 目の前の五島という女性はいかにもとろそうだった。

 荒事もあまり得意そうではなかった。

 だから彼女が両手にメリケンサックを装着していることに気付いたとき、私の背筋は凍った。

 背中で釘が打てるくらい凍った。


「うっ、何それ……、え?」


「少女には二種類いるのです。メリケンサックを振り回す少女と、それを喰らって歯をへし折られる少女と。私は前者であなたは後者です」


「いやいやいや! おかしいでしょ! メリケンサックとか凶悪過ぎるから! ひょあっ」


 五島は飛び掛かってきてその凶悪無比な拳を突き入れてきた。

 黒田と違って何か格闘技を習っているという様子はなかったが、武器が武器だけに、私は腰を引いて逃げ惑うしかなかった。


「あなたの対応には二種類あるのです。脳漿ぶちまけるのと、大人しく家に帰るのと。どちらが良いですか? お奨めは前者です」


「どっちも嫌だよ! 脳漿ぶちまけるって何だよ! 歯を折るだけじゃないのかよ!」


 五島は微笑した。

 とても穏やかな笑みだった。

 彼女は激しく躍動しサングラスがずり落ちた。

 私は致し方なく、懐の必殺兵器を取り出した。


「これが目に入らんかぁー!」


 五島がぴたりと動きを止める。

 私の差し出したモノに目を奪われている。


「うっ、うっ、それは……!」


 ついに二分法の会話をやめた五島の顔色は変容していた。

 喉から手が出るほど美鶴の写真を欲しがっている。

 私はにやりと笑い、


「その物騒なモノを地面に置け! 今すぐにだ! そしてその厄介な喋り方をやめると約束しろ!」


「約束します」


 五島はメリケンサックを外して地面に投げ捨てた。

 星形のサングラスもセットで置く。


「よし、やればできるじゃないか。この写真をあんたにくれてやろう。大事にしろよ」


「家宝にします」


 私から写真を受け取った五島は、あろうことか写真にキスの雨を降らせた。

 私は見てはいけないものを見た心地がした。

 男子ならともかく(それはそれで気色悪いことこの上ないのだが)女子がそのような行為に及ぶなんて。

 五島がにっこり微笑んでくる。

 私は彼女の視線を浴びることが怖かった。

 一歩退く。


「じゃあ、十時にあなたの家で会いましょう、織井さん」


「あたしは今日逃げおおせてみせるよ。もう会うことなんかない」


「色川先輩から逃げられると本当に思っているんですか? あなたの末路には二種類あるのです。色川先輩に敗北するか、勝利するか。勝負しないという選択はないのですよ」


「ま、また二分法使ったな! 写真返せ!」


「もうこれは私のものですー。ふはははは!」


 そして五島は木陰にあった自分の鞄を引っ掴み、颯爽と走り去ったのだった。

 私は言いようのない敗北感に苛まされ、


「人間には二種類いるんだ。つまらない話をする人間と、それを聞かされる不運な人間と!」


 しかし負け惜しみにしかならなかった。残弾は二発。




     *




 試合に勝って勝負に負けた、という表現が正しいのかどうかは分からないが、とにかく今の気分はそれに似たようなものだった。

 目論見通り五島というメリケンサック女の脅威から逃れたわけだったが、貴重な必殺兵器を一発失い、あと二人追手と出くわしたら全くの無防備となってしまう。

 相手が追手と分かった時点で逃げるべきだったのに、相手の外見に油断して、結果的に無駄弾を撃ってしまった。


 私は池の畔に立っていた。

 黒田が私を沈めると口走った例の舞台である。

 周囲に鉄柵が設けられており、それに腕を載せて凭れかかっていた。

 池の近くは見晴らしが良い。

 危険な場所ではあったが、どうにも疲れていた。

 ボート乗り場近くの休憩所まで向かおうと思ったのだが、さすがに日曜日は人通りが多く、それでは危険というより見つけてくださいと言っているようなものだった。


 池の近くは早朝ジョギングの定番地であり、老若男女のジョガーが何人も傍を通った。

 たとえ追手に捕まっても、それほど手荒な真似をされないという期待があった。


「おっ、織井さん……、ですか?」


 男に声をかけられた。

 まさかナンパというわけもなく、十中八九追手であろう。

 今日はSMクラブとも縁がある日のように思われたので、


「SMクラブの人?」


 と言いながら振り返った。

 そしてあまりに異常な光景にぎょっとする。


 目の前に立っているのは中肉中背の男子であった。

 これだけ聞くと「平凡な男子なのかなあ」と思うかもしれないがとんでもない。

 彼の顔面は異形であった。


 これだけ聞くと「織井は人を外見で判断するのか。それにしても異形とは失礼ではないか」と思うかもしれないがとんでもない。

 本当に異形だったのだ。ニキビだらけで。


 これだけ聞くと「ニキビくらいで異形とは大袈裟ではないか」と思うかもしれないがとんでもない。

 顔面をびっしり覆ったニキビは彼の元々の顔立ちを隠蔽するほどの密度で存在し、あちこちで膿汁の大噴火が起きていた。

 元々脂性らしく、脂汗と膿汁が混じり合い顎から黄土色の液体が滴り、独特の臭気を放っていた。

 よく見れば唇らしき二枚の赤っぽい板が顔面下部にあったが、それさえもニキビに浸蝕されてはっきり唇と判別できるわけではなかったし、瞼の上にもニキビが乗っかりまともに目が開いていなかった。

 顔面の中でどの部分が一番人間らしいかと言えば、それは耳たぶである、と言わざるを得なかった。

 他の部分はニキビの起伏に飲み込まれて顔面全体が足つぼマットのようにしか見えない。


 これだけ聞くと「気色悪い」と思うかもしれないがとんでもない。

 とてつもなく気色悪いのである。


「怪人ニキビお化け!? 口裂け女に続く新たな都市伝説……!」


「酷いなあ……。僕は人間だよ、織井さん」


 怪人は甲高い男の声で言った。

 私はひぃぁっと身を引いた。


「やめて! 襲わないで! あたしをニキビ女にしないで!」


「大丈夫だよ、感染はしないから。まあ、不潔っちゃあ不潔だけど」


 そこで怪人は驚くべき行為に及んだ。

 顔面を己の掌でガシガシと拭ったのである。

 そんなことをすれば……。


「ああああっ!」


 思った通り、彼の顔面を覆うニキビの半分が崩れ、夥しい量の膿汁と血が滲み出た。

 彼の手はテカテカと光り輝いている。


「ふー。スゴク痒いんだよね。どうしようもないんだけど」


「あ、あ、あ、あんたは……?」


「僕は六角。SMクラブの幹部だ。四宮君の右腕って感じかな」


 六角は唇を歪ませて笑う。

 笑うと口内の歯が見えて、少しは人間らしくなった。

 ただし不気味さは倍増する。


「気色悪っ……、もうそれニキビとかじゃなく、奇病の領域だって。ニキビ男」


「だから僕は六角だって。まあ、皆からはゾンビって言われてるし、それよりマシだけど」


「ゾンビっ……。確かにゾンビだわ。うぎいいぃっ、よく見れば見るほど気色悪いっ」


 私は今まで恵まれた生活をしていたことを悟った。

 これまで私が出会ってきた人々はあまりに美しかった。

 目の前の六角というニキビゾンビと比べれば、神の創造物がいかに優れて秀美であったか、実感できるというもの。

 だがこの六角という男も神の創造物である。

 どのような目的で創造されたのか。

 まさか神の気紛れというわけでもあるまい。

 答えは一つだ。

 人々が美しさというものの貴重さ、希少性を理解する為の比較物として、六角はこの世界に生を受けたのだ。

 すなわち六角の隣にある顔面は、いかに潰れていようと、むくんでいようと、パーツがばらばらでいようと、問答無用で美しいのであり、美醜の絶対性など限りある知性には理解できないと悟った神が、解決策として提示したものなのである。

 人間は美しさの意味を六角の顔面を通して相対的に理解し、真理へと近づいていく。

 六角はそのような高邁な使命を帯びており、だからこそ、彼はかように醜いにも関わらず、堂々と振る舞っているのである。


「ええと、司奈さん? どうしたの? 僕の顔面をそんなに凝視できる女子は珍しいよ?」


「はっ! つい見惚れてしまった! 六角、あんた凄いのね」


「えっ、どう凄いの?」


「よくそんなんで外出られるね」


「褒めてるの? それとも最大級の侮辱?」


「それは受け取り方次第だねー」


 まあ侮辱だけど。

 私の言葉に六角は満面の笑みを浮かべた。


「そっか。僕、女の子に褒められたのは初めてだよ!」


 あっぱれな性格だな。

 これくらい極端でないと、どうしようもなく陰気な奴になってただろうけど。


「織井さん。僕を褒めてくれてとても嬉しいんだけど、僕はきみを家に帰さないといけないんだ」


「ああ、そうなの。悪いけど逃げるから」


 私が逃げようとすると彼は腕を大きく広げて通せんぼをした。


「無理に逃げようとしたら、膿汁を飛ばすよ。僕はこの顔になって三年が経つ。自由にニキビを潰して汁を飛ばすことくらい、造作もないんだ」


 もはや超人であった。


「やめてやめて! それだけはやめて! あたしをニキビ女にしないでー!」


「ふふふ。こう言うと大抵の人は恐れ慄くんだよね。さあ、来てもらうよ」


 六角が私の手を取ろうとした。

 私はここぞとばかりに必殺兵器を使った。


「そ、それはー!」


 私は目が眩んだ六角に美鶴の写真一枚を押しやり、その場を脱した。




     *




 それにしてもSMクラブはタレント揃いであった。

 美男美女が揃った美鶴フリークスの面々も個性的だったが、それにも増して特徴的だった。

 四宮を最初見たときは中学生離れした巨体に驚いたものの、五島と六角の常人離れした佇まいと比べれば、比較的正常であった。

 まあ彼らのことはどうでも良い。

 問題は必殺兵器の残弾が一発のみという現状の心許なさである。

 池から離れて遊歩道を歩いていると、前方から見覚えのあるスキンヘッドが近づいてきた。

 ぎょっとして立ち止まる。

 白山先輩だ。

 逃げようと思って背を向けた瞬間、先日、先輩の健脚ぶりを見せつけられたのを思い出し、足を止めた。

 振り返ると、案の定、白山先輩は韋駄天足を発揮し、すぐ近くまで近づいていた。


「せ、先輩。あの……」


 私は残る一枚を差し出していた。

 白山先輩は何も言わずにそれを受け取り、そして去って行った。




     *




 まるで通り魔に遭ったかのような理不尽な気分を味わいつつも、私は逃亡を続けていた。

 ついに美鶴の写真が底をついていた。

 こんなことなら何枚もプリントしておくんだった。

 学校のデジカメのCFカードにはまだ画像データが残っているはずだ……。


 うろちょろするよりどこか目立たない場所でじっとしているほうが良い。

 ではどこに潜伏すべきか。

 私は色々と熟考し、驚くべき結論に達した。

 自宅前。

 向かいのマンションに潜伏する。

 灯台下暗しとはよく言ったもので、美鶴フリークスの追手どもは、私の自宅前をうろうろはするけれども、私が潜んでいるマンションへは探索の手を伸ばさなかった。

 なまじ遊歩道や池の周りでの目撃証言があったのでなおさら盲点になっているようだった。

 何人もの人間が自宅を訪問し、誰もいないことを確認している。

 攪乱する為にテープレコーダーを仕込んでおいたが、誰も引っ掛からないか。

 その点は残念だが、当然とも言える。


「えええっ」


 後ろから声がした。

 私はマンションの非常階段の踊り場から、自宅前を観察していたのだが、ここには特別な目的でもない限り誰も通らないはずだった。

 声をかけられて動転した私は慌てて立ち上がって振り返り、早くも上階への段に足をかけていた。

 そこに立っていたのは黒田だった。

 意外そうな眼が私を見据えている。


「くっ、黒田! 取引を反故にする気!? 写真返せ!」


「ちょ、勘違いしないで。ここ、私の住んでるマンションなのよ。ここの最上階」


「出入りするならエレベーターを使うはずでしょ!」


「健康とエコとリスク回避の為に階段を使っているの。それより、あなた、さっきまで家にいなかった? 誰もいませんとか言ってたじゃない」


「あの後、あたしの家に押し入ろうとしたの? やっぱり裏切りじゃない。ていうかあのテープレコーダーの音声に気付かなかった? 奇跡だ……」


「テープレコーダー? ああ、そうだったの? 上手くやったわね。それより、あなたに報せておきたいことがあってわざわざ家まで行ってあげたのに。電話番号も知らないから」


「な、何よ」


「色川先輩があなたの家の合鍵を持っているから、敵前逃亡したら、あなたが一番大事にしているサボテンを強奪するって言ってたわよ。それを伝えようと思って」


「なっ、何それ! どうしてあの人合鍵なんて持ってるの! ていうか私がサボテン育ててることもどうして知ってるの! ていうかそれ完璧に犯罪!」


「テンション高いなあ……。もうちょっと声を抑えて喋ってよ。近所迷惑。いい、逃げようなんて思わないことだよ。学校での立場も悪くなるだろうし」


「そんなこと言っても、論理パズルが解けなかったら、裸の写真をネットに……」


「それ、本気で信じてたの? そんな酷いことを本当にやるわけないじゃない」


 私を一度殺そうとした女が言って良い科白ではなかった。

 全く説得力がない。

 黒田は肩を竦める。


「SMクラブの連中にそんな根性はないわ。私ならそれくらい必要があればやってみせるけど。適当に痛めつけられるだけでしょう。メリケンサックで額をカツン、とか」


 十分酷い仕打ちだと思うのだが。

 私はげんなりした。

 こいつらは美鶴の為なら多少の暴力も厭わないのだ。

 黒田は腕組みして私の逃亡を経て薄汚れた服を眺め回した。


「色川先輩だって鬼畜じゃないんだから、素直に勝負を受けておいたほうが良いと思うわよ。後腐れがないほうがあなたもすっきりするでしょう?」


「それはそうだけど」


「覚悟を決めなさいって。ああ、そっか、独りで色川先輩と戦うのが怖いのね? 何をされるか分からないから」


「そういうわけじゃない。でもSMクラブの連中は不気味かな……。特にニキビ男」


「色川先輩とは正々堂々ぶつかるしかないと思うけど、SMクラブの連中を大人しくさせる方法なら、私、一つとっておきのアイデアがあってね……」


「え、なにそれ、教えてよ、黒田ちゃん」


「ええと……、コホン。相応の報酬が必要ね。アイデア料」


 黒田は明らかに美鶴の写真をもう一枚欲しがっている。

 がめつい女だ。

 私が「イコノクラスムぅ……」と呟くと、彼女は恥ずかしそうに咳払いした。


「……まあ、いいわ。今回は特別に無料で知恵を貸してあげる」


 私は黒田のアイデアを聞いて、なるほど、その方法なら確かに効果があるだろう、と納得した。

 納得したのだが、あまり気が進まなかった。


「えーと、でもなあ、それは美鶴に悪いっていうか……」


「安心して。あなたは既に美鶴様に十分迷惑をかけているわよ」


 黒田の中傷めいた後押しもあり、私は彼女のアイデアを実行することに決めた。

 これが吉と出るか凶と出るかは未知数だが、少なくとも、色川先輩と勝負する気になったのは収穫であろう。

 私はここで黒田と出会えた幸運を噛み締めながら自宅へと向かった。






     *


「合鍵? そんなの持ってないよ」


 色川先輩にあっさり否定された私は愕然とした。

 騙された。

 黒田の詭弁にすっかり乗せられてしまった!


 午前十時きっかりに色川先輩は我が家のチャイムを鳴らした。

 私は真っ先に合鍵の件を尋ねたのだが、先輩は不思議そうに、しかし嘘をつく風でもなく答えてくれた。


「どうしてそんなことを聞くのか分からないけれど……。僕もきみに聞いていいかな?」


 玄関で靴を行儀良く揃えた色川先輩は、居間に入るなり私の肩に触れた。


「はい。何でございましょ」


「どうして美鶴様の弟君がきみの家にいるのかな……。どういうつもりだい?」


 居間には先客がいた。

 三つ子。研一、健二、賢三。

 さっき私が買ってやったコーラの瓶を仲良くラッパ飲みしている。

 そして次々ゲップをした。

 まるでカエルの輪唱みたいだった。

 私はにやりとしそうなのを抑え、澄ました顔で、


「ええ……。まあ、あたしと友達ですからね、彼らは。何かまずいことでも?」


「そんなことはないけれど」


 色川先輩の視線は玄関に向いた。

 SMクラブの三人、すなわち、四宮、五島、六角が居間に入るところだった。

 家の乱雑さに顔を顰めつつも、三つ子が寛いでいるのを見て、動きが止まる。


 巨人四宮も、キチガイ女五島も、ニキビ怪人六角も、一様に驚いている。

 私は、どれほど彼らが凶悪であっても、美鶴の威光の前には無力なのだと改めて思い知らされた。

 美鶴の容貌と多少似通った三つ子の存在感は凄まじく、薄汚いコタツやごみが溜まったゴミ箱などが目立つ我が家の居間にあって一層光り輝いて見えた。


 四宮が思い出したように、手に持っていたバットを背中に隠した。

 それに続いて、五島がメリケンサックをポケットの中に入れ、六角もニキビを覆い隠す覆面を着用した。

 かくして彼らは過激派とは名ばかりの、牙を折られた獣と化したのである。

 私は満足した。

 三つ子はその姿を見せただけで、見事に不安要素を取り除いてくれたのである。


「ねえ、司奈、このコーラ糖分ゼロだってよ」


「こんなのコーラであってコーラでないよ」


「非常時には全く役立たない飲料だよね、これ。普通のコーラならごはん代わりになりそうなものなのに」


「他の平々凡々なグルメ連中なら誤魔化せるのかもしれないけれど」


「やっぱり味が違うんだよね。味の機微に鈍感な人々にしか通用しないね」


「ぼくたちは違う。味にこだわる本格派さ。ふっ」


 三つ子たちが誰に聞かせているのか、次々に軽口を叩く。

 色川先輩は静かに頷いていて、ぎこちない様子は全くなかったが、SMクラブの三人は完全に萎縮しており、早くこの場から去りたいと顔に書いてある。

 私は色川先輩の様子を注意深く観察していた。

 飛耳長目を自認する私としては、彼の表情に一切の皹が入らないことに不満を覚えていたが、勝負するしかあるまいと意を決した。


「色川先輩。早速論理パズルを出してください。勝負しましょう」


 私が言うと色川先輩は静かに頷いた。

 そして八人もの人間でぎゅうぎゅうの居間を見回す。


「僕は勝負の見届け人としてSMクラブの四宮たちに同行を認めた。そして織井さんは同じく美鶴様の弟君を連れてきた。全くフェアな状況だ。実は僕は事前に問題を作って来たんだが、この際、この場でちゃちゃっと作ってしまおうか」


「えっ」


「今、面白いことを思いついたんだ。なあに、皆もきっと気に入ってくれるゲームだよ。それに、僕だけ何時間も熟考して問題を作っても、織井さんはそれより少ない時間で考えなければならないんだから、どうしてもアンフェアになってしまうだろう? 今ここで楽しいゲームを行い、そしてそのゲームの結果から、僕が即席で論理パズルを作る。そして織井さんはそれを三〇分以内に解く」


「三〇分以内……」


 私はそれが十分な時間なのかどうか判断がつかなかった。


「ゲームって、何です」


「じゃんけんだよ。ただし、特殊なね」


 色川先輩はゲームの説明をした。

 これはそのまま論理パズルの条件文になる。

 私は真剣な表情でそれを聞いた。

 しかしちょっとイメージが湧き難かった。


「簡単に言ってしまえば、六人のプレイヤーで行われる、じゃんけん総当たり戦なんだ。それぞれのプレイヤーは、自分以外のプレイヤー五人と一度ずつ戦う。最も勝数が多かったプレイヤーには豪華賞品」


「それだけですか? 特殊でも何でもないですよね」


「これはプレイヤーにとっては五連戦ということになるだろう。ただ、毎回出す手をランダムに変えていたら、ちっとも論理パズルの問題っぽくならない」


「そうですかね?」


「そこで特殊なルールを付け加える。すなわち、勝った人間は、次の試合でも、同じ手を出し続ける。次の試合で手を変えられるのは、敗者のみ。そして全てのプレイヤーはこれまでの全ての試合結果を完璧に把握しているとする」


「ええ?」


「たとえば、最初は僕と織井さんで勝負、次は僕と四宮の勝負があるとしよう。最初、僕がパーで織井さんがグーだった。僕は勝利したから、次の試合でパーを出し続けなければならない。もし、前の試合で四宮が負けていたら、彼は僕がパーを出すと知っているから、確実にチョキを出す。わざと負けたりアイコになるように手を出すことはないとするよ。直前の試合で四宮が勝っていたら、四宮もその勝った手を出すから、僕と四宮のどちらが勝つかは分からない」


「ええと……」


「つまり、前の試合の結果次第で、次の試合の勝敗がかなり決まってくる、ということなんだ。前の試合での勝者と敗者が戦ったら、確実に敗者が勝つ。勝者同士、敗者同士が戦う場合のみ、結果は未知数となる」


「うーんと……」


「まあ、詳しいことは、論理パズルの問題文を見ながら考えると良いよ。弟君たち三人と、SMクラブの三人の計六人で、じゃんけん総当たり戦を行ってもらう」


「え、ぼくたちも?」


「お兄ちゃん、豪華賞品って何?」


「レモンアイスか? レモンアイスなんだな?」


 色川先輩は微笑していた。

 そして思いもよらないものを取り出す。

 小さなチップ。

 コンパクトフラッシュ(CF)カード。


「ここに美鶴様の秘蔵写真が一三種類も入っている。これが優勝賞品だ」


 あれはまさしく私が撮った写真のデータが入っているCFカード。

 どうして色川先輩が持っているのだ。

 SMクラブの面々、しかも三つ子までもが、そのCFカードを欲しがっている。

 これには驚いた。


「美鶴様の写真だと!」


「欲しいか凄く欲しいか、もちろん後者!」


「きっとこれでニキビも治る!」


「わあいお姉ちゃんの写真だ!」


「凄く欲しい!」


「お姉ちゃん大好きー!」


 身内さえも欲しがる美鶴の写真。

 凄まじい魔力だ。

 私は色川先輩の微笑を間近に見て、なるほど、美鶴の亭主を宣言するだけのことはある、と感服した。

 やってることただのストーカーだけど。

 



     *




 六人のプレイヤーがじゃんけん大会を隣の部屋で実施している。

 私は問題の枠組みを書き始めた色川先輩を見つめていた。

 先輩は狭苦しい居間の中央に据えられたコタツの上に紙を広げていたが、もう十年以上使っているコタツのテーブルはデコボコだらけで、うまく書けないようだった。

 私は下敷きを差し出した。

 色川先輩は「あるならさっさと出せ」という表情をしたが、すぐに笑顔で取り繕った。

 ああ、恰好良い。

 わざとらしい笑顔なのにそれでも惹かれてしまう。


「色川先輩、どうぞ」


「ああ、どうも」


 水道水が入ったグラスを差し出した私に、色川先輩は嫌な顔一つしない。

 いや、したかもしれないがすぐに笑顔が出現したので、見えなかった。


「先輩、赤沢のことですけど」


 私は、そんなつもりはなかったのに、気付けば赤沢のことを口にしている自分に驚いた。

 きっと手頃な話題が思いつかなかった所為だろう。


「赤沢がどうかした?」


「彼のことを処罰しましたか? 休日に三つ子と馴れ馴れしく接触した罪で」


「まさか。彼は美鶴フリークスの幹部だよ。処罰なんかしない」


「そうですか」


「彼のことが心配?」


「いえ、そういうわけじゃないですけど。……ええと、話は変わりますけど、あのCFカード、学校の情報技術室からパクってきたんですか」


「パクる? ははは、まさか。コピーしたんだよ」


「ああ、普通、そうですよね……」


 私って野蛮なのかな。

 ついこういう考えが頭を擡げてくるのは野蛮人の証ではないか。

 誰だ私がゴリラだって言った奴は。

 的を射ているなんて絶対に思わないからな。


「二日前、きみが写真をたくさん持っているのを見たとき、瞬時に閃いたのさ。データがまだ情報技術室に残っているぞ、とね。その日の内にコピーしたよ。他の連中は写真そのものに魅せられていたようだが」


「それ、賞品としてあげちゃっていいんですか」


「もう何枚も現像済みだからね。プリンターのインクカートリッジを三度も替えたほど」


 何百枚現像したのですか。


「データも僕の家のパソコンに保存してある。バックアップも万全さ。ふふ、いつだって美鶴様は僕に微笑んでくださる」


 この変態め。

 いや、好きな子の写真を欲しがるのは普通のことだろうか。

 私はしかし、一つの組織の頂点に座す色川先輩という男子に危ういものを感じていた。


「先輩」


「うん?」


「あたしが負けたら、先輩はあたしをもう保護しなくなっちゃうんですよね」


「そうだね」


「あたしが勝ったら、これまで通り、あたしを保護してくれるんですよね」


「そうだね」


「何か、釈然としません。色川先輩は失うものが何もないじゃないですか」


「そうかな? これまで通り、きみを守ってあげるんだよ。これまでずっと、僕はきみの為に力を注いできてあげたんだ。言うなれば、これまでずっと僕は失い続けていたんだよ」


「それは詭弁です。色川先輩はちょっとした気紛れで人を助けられるし、人をどん底に落とすこともできるんですよ。そもそもあたしと先輩とじゃあ、キャパが違うっていうか」


「それはもしかして、アレかな。年収三〇〇万の人間と、年収一億の人間とでは、一万円の価値が違うっていう……」


「そうそう、それです、ナイス喩え!」


「それこそ詭弁だよ。一万円を払う人間にとっては自らの年収の多寡は問題になるだろうが、貰う側からすれば、相手の事情なんかどうでもいい。人権を本当に尊重するのなら、多く稼ぐ者がより大きな負担を甘受している現実を、もっと直視すべきじゃないかな」


「は?」


「リバタリアニズムに傾倒しているようで気が引けるけどね。これは一面の真実を言い表していると思うんだ。金持ちの論理だなんて言って個人の自由も守れないような国家に存在意義は果たしてあるのか。巨大過ぎる国家が生み出すのは看過し難い非効率であり、低能率な存在が淘汰されるのは自然の掟と言えるし、人間の知性がそうした法則を打開するほど高尚なステージにいるとは信じ難い」


「ええと……。何かすみませんでした」


「分かればいいんだ。不満はないね」


「はいありません。微塵もありません。一フェムトグラムもありません」


 しかし私はそう言いつつも、色川先輩に理屈で勝負しても勝ち目がないんだな、という残酷な現実を見せつけられて意気消沈していた。

 どうして国家論の話題が突如として出現したのか理解不能だったが、何となく、先輩が正しいということは直感していた。

 もし先輩が正しいということを認めなければ自分の知性が最低ラインにさえも達していないと糾弾されそうで恐ろしかった。


 隣の部屋から五島が姿を現した。

 相変わらず星形のサングラスをかけている。


「現状には二種類あります。じゃんけん大会が終わったのと、終わっていないのと。今回は前者です」


「そっか。終わったんだね」


 例の不可解な五島の二分法会話を、色川先輩はあっさりと受け流した。

 もしかすると、私が知らなかっただけで、我が中学校には五島のような変人奇人が多数在籍しているのだろうか。

 生徒会長たる色川先輩にとって、五島との会話は何ということはないのかもしれない。

 ぞっとしない現実だ。


「じゃあ、織井さんは、ここで待ってて。僕はあっちで問題文を完成させてくるから」


 豪華賞品で論理パズル構築に協力させる、色川先輩の強引な手法は、あのワガママな三つ子にも通用してしまった。

 私は先輩なら美鶴とも互角に渡り合えるのではないかという危機感を抱いた。




     *




 ついに論理パズルが完成した。

 四宮たちSMクラブはあまりにも物騒なので別室待機ということになり(本人たちもそれを希望した。きっと三つ子と長時間接触すると莫大なSMポイントを消費するのであろう)、私は色川先輩監視の元、この即席パズルの攻略を始めることとなった。

 私は三つ子に肩を揉ませながら(昨日の約束を果たしてもらっているのだ)問題文を読んだ。




 じゃんけん大会。六人のプレイヤーによる総当たり戦である。

 勝ち越した者は真実の証言を、負け越した者は嘘の証言をする。

 特殊ルール。プレイヤーは左記の六つの条件でじゃんけんの手を決める。

Ⅰ第一回戦では全く自由な手を出す。

Ⅱ二回戦以降、直前の試合で勝った者は前回と同じ手を出す。

Ⅲ二回戦以降、直前の試合で負けた者は全く自由な手を出す。

Ⅳ全てのプレイヤーはこれまでの試合結果を完璧に把握している。

Ⅴわざと負けることも、わざとアイコになることもない。

(つまり、直前試合での敗者Aと勝者Bが戦えば、必ず敗者Aが勝つ。直前試合での敗者同士の対決では互いに自由な手を出す)

Ⅵ研一と賢三が出した手は、下記の通り判明している。

 研一は、全五回戦において、グー、パー、パー、グー、グーの順番に出した。

 賢三は、第四回戦にグー、第五回戦にパーを出した。

 全一五試合あって、一度もアイコはなかったとする。

 全一五試合の勝敗を突き止めろ!

 試合の順番は下記の通りである。(1=研一、2=健二、3=賢三、4=四宮、5=五島、6=六角)

一回戦 1×2 3×4 5×6

二回戦 1×3 2×5 4×6

三回戦 1×4 3×5 2×6

四回戦 1×5 2×4 3×6

五回戦 1×6 2×3 4×5

 各プレイヤーの証言は以下の通りである。

研一「四宮は負け越した」

健二「五島は二種類の手を出した」

賢三「健二は四回戦で勝利した」

四宮「賢三は勝ちと負けを交互に繰り返した」

五島「六角は二種類以上の手を出した」

六角「優勝者は一人だけである」




 私は問題文を読んで、途方もない問題だ、と思った。

 何と言ったっても、問題文、条件が多い。

 慎重に中身を吟味するだけで数分はかかってしまいそうだ。

 全一五回戦の勝負。六人の証言。

 これまでの論理パズルの中で最大のものだ。

 私は本当に解けるのかという漠然とした不安を抱いたものの、先輩は既にタブレット型の携帯電話を取り出し、時計機能の画面を表示させていた。

 三十分の制限時間が早くも減り始める。


「ちょっと待ってください、心の準備が、まだ……」


「もう問題文を読んでしまったじゃないか。待ったなしだ」


「せ、せっかちな男は嫌われますよ。もっとじっくり育む感じでお願いします!」


「ごめん。僕も育むモノを選びたい。カブトムシを育てているつもりだったのに実はゴキブリだった、なんてことは避けたいからね」


「誰がゴキブリだぁー! それより、聞きたいことがあります!」


「質問はナシだ」


「スターサングラス五島は本当に『にきび怪人六角は二種類以上の手を出した』なんてまともな証言をしたんですかー!」


 私の疑問がもっともだと思ったのか、色川先輩は頷いた。


「ああ、それか。証言は僕が考え出したものだから。試合の結果は実際のものを採用しているけれど」


「そうなんですか。そればっかり気になってしまって」


「織井さんは好奇心旺盛なんだね。良く言えば、だけど」


「ところでどうして実際にじゃんけん大会をする必要があるんです。頭の中だけでシミュレートすれば、自由に問題を作れるのに」


「この場で問題を作り、できるだけフェアな状況で戦おうとした結果だよ」


「そうなんですか。それと、どうしてわざわざCFカードを賞品に掲げたんです」


「SMクラブの面々はともかく、弟君たちの協力を取り付けないといけないからね」


「ははあ。ところで先輩の素敵なフェア精神はいったいどんな教育で培われたものなんですか」


「織井さん」


「はひ」


「時間稼ぎは無駄だよ。無情にも時は刻まれ続けている」


 携帯電話の液晶画面は、残り二九分を示している。

 私は漸く観念した。

 そうだ。色川先輩が用意した土俵で戦うしかない。

 力を持っているのは先輩のほうであり、私の生殺与奪の権を握っているも等しい。


「さて、どこから考えようかな……」


 私は問題文を睨む。

 まずはそれぞれの対戦結果を把握するのが先なのではないかと思った。

 すなわち、研一と賢三が何の手を出したのかは分かっているのだから、そこから何かが整理できるのではないか。

 アイコがない、というのも大きな手掛かりとなるだろう。

 私は先輩から渡された問題文の、対戦表に分かっている分を書き入れた。



一回戦 1グ×2? 3?×4? 5?×6?

二回戦 1パ×3? 2?×5? 4?×6?

三回戦 1パ×4? 3?×5? 2?×6?

四回戦 1グ×5? 2?×4? 3グ×6?

五回戦 1グ×6? 2?×3パ 4?×5?



 本当にここから対戦結果が分かるのか、少し不安に思った。

 色川先輩はよくもまあ即席でこんな問題を作ったものだ。

 結果は先にあり、論理的な思考で解けるように証言を工夫したのだろうが、どういう頭をしているのか。

 何かコツでもあるのか。

 実は簡単なのか。

 問題を解くより作るほうが簡単だったりしたらお笑い草だ。


 私は問題文を吟味し、やはり、ここから打開するには、この問題の肝である、勝者は次の試合で同じ手を出すという点に着目するべきだろう、と思った。

 研一、あるいは賢三の一回戦から五回戦までの手の変化を見ると、勝利した後の試合で手は変えられず、アイコは存在しないのだから、もし手が変わっていたら、直前の試合で敗北していた、ということになる。

 この問題文から演繹される事実には自然と気付いていた。


 私は手を確認し、三つの手が判明することを突き止めた。

 二回戦の研一は手を変えているので、一回戦の研一は敗北しており、一回戦の研一の対戦相手、健二の手はパーと判明する。

 同じように、四回戦の研一は手を変えているので、三回戦で敗北しており、三回戦での研一の対戦相手、四宮の手はチョキと判明する。

 そして五回戦での賢三も手に変化が見られ、四回戦での賢三の対戦相手、六角の手がパーと判明する。


 ここから更に分かることはないだろうか。

 そうだ、今の三つ判明した手は、全て敗北したということを利用して突き止めたものだから、その対戦相手の次の試合も明らかとなるはずだ。

 なぜなら勝者は手を変えられないから、同じ手を出し続けなければならない。


 それを考慮すれば、二回戦の健二の手はパー、四回戦での四宮の手はチョキ、五回戦での六角の手はパーということが判明する。

 こんなに決まっちゃって良いのかというくらいスムーズだ。

 案外大したことのない問題なのか?

 これらを書き入れると次のようになる。



一回戦 1グ×2パ 3?×4? 5?×6?

二回戦 1パ×3? 2パ×5? 4?×6?

三回戦 1パ×4チ 3?×5? 2?×6?

四回戦 1グ×5? 2?×4チ 3グ×6パ

五回戦 1グ×6パ 2?×3パ 4?×5?



 スッカスカの対戦表も少しだけ埋まってくれた。

 やってやれないことはないのだ、と自信が湧いてくる。

 色川先輩だって時間をかけて作ったわけではないのだから、付け入る隙は必ず見つかるはずだ。

 焦らないように自分を言い聞かせる。


 さて、ここからはどうやら証言を吟味していかなければならないようである。

 勝ち越した者は真実を言い、負け越した者は嘘を言う。

 これは昨日三つ子から出された問題とも共通点があるように思われる。

 要するに、心に余裕のある者は真実を言い、切羽詰まった者は嘘を言うのである。


 まずどれから考えてみようかとざっと証言を見回したが、よくよく対戦表を見れば、研一とその対戦相手がもう少しで埋まりそうである。

 賢三の手を推理するのは少し難しそう。

 五島の手は一つも確定していないから、四回戦の結果を把握するのは不可能に思える。

 だがそれにしても研一は負け過ぎじゃないか。

 一回戦でも三回戦でも負けている上に、五回戦でも六角の連勝に貢献してしまっている。

 少なくとも三敗はしていることになる。


 ということは、負け越しが決定、研一の証言は嘘ということになりそうじゃないか。

 研一の証言を見てみると、「四宮は負け越した」のだから、これの嘘、すなわち「四宮は勝ち越した」ことになりそうだ。

 全五回戦、勝数と負数が一致することはないのだから、うん、絶対にそうなる。


 四宮が勝ち越したのなら、四宮も証言も真実になる。

 私はぐんぐん確定できる事項が増えることに興奮した。

 まだ仮定を用いていないぞ。

 簡単に解けるのではないか。

 そういう期待があったが、制限時間がある。

 今確認してみると、残り二二分強となっていた。


 四宮の証言は真実であるから「賢三は勝ちと負けを交互に繰り返した」ことになる。

 これは相当に強力な証言であった。

 そのことに私は即座に気付いた。


 そして四回戦で賢三が敗北していることに手ごたえを感じた。

 すなわち、賢三は、一回戦では勝利、二回戦では敗北、三回戦では勝利、四回戦では敗北、五回戦では勝利したことになり、勝ち越しが決定する。

 賢三の証言は真実なのだ。

 またまた証言の真偽が確定した。

 案外簡単にいくかもしれないぞ。


 先に証言について考えると、賢三の証言は「健二は四回戦で勝利した」であり、これは真実が確定しているから、四回戦での健二の手はグー、更には五回戦でもグーを出していることが判明する。


 また、賢三は二回戦と五回戦で勝利しているのだから、二回戦での賢三の手はチョキであり、五回戦での健二の手はグーであると確定する。

 これらを書き入れると次のようになる、



一回戦 1グ×2パ 3?×4? 5?×6?

二回戦 1パ×3グ 2パ×5? 4?×6?

三回戦 1パ×4チ 3?×5? 2?×6?

四回戦 1グ×5? 2グ×4チ 3グ×6パ

五回戦 1グ×6パ 2グ×3パ 4?×5?



 私は何かを忘れている心地になった。

 そうだ。四宮が勝ち越した、ということを活かしていなかった。

 確認してみると、一回戦と四回戦で四宮が敗北している。

 すなわち、四宮は二回戦、三回戦、五回戦で勝利したことになる。


 残念ながら、四宮の相手がどんな手を出したのか分からないので、手を特定することはできなさそうだ。

 勝敗をカウントして証言の真偽を確かめることはできないだろうかと思考を巡らせる。


 うーん、と唸って数分考え込んだ。

 残りの時間は一六分弱となった。

 まだ半分以上残っている。焦る必要はない……。


 仮定を持ち込んで、たとえば六角の証言を嘘としてみて矛盾を探してみるとか、そういうことをやってみようか。

 しかし気が進まなかった。

 そういう仮定も時には必要だが、はっきり言って暗中模索、苦肉の策としか言いようがない。

 選択肢がいくつもある場合、制限時間がある場合は、もっとスマートな方法を模索するべきではないか。

 私はまだ問題文の条件を深く理解していない気がする。


 勝った場合、同じ手を出し続けなければならない。

 これは何を意味するか?

 勝った試合の次は同じ手を出す。

 そのまんまだが、これは次の試合の手を確定させるばかりでなく、前の試合の手を確定させる情報になり得ないだろうか。特に連勝している場合は……。


 私は四宮に着眼する。

 勝敗自体ははっきりしている。

 二回戦と三回戦で連勝しているのだ。

 そして三回戦の手は判明している。

 もし二回戦で四宮が敗北しているのならどんな手も出し得るが、勝っているのだから、二回戦と三回戦は同じ手を出しているはずだ。


 そうか。四宮は二回戦も三回戦もチョキを出していたんだ。

 そしてその相手である二回戦の六角は、敗北しているのだから、パーだった。

 私はそれを書き入れた。


 更に、賢三の勝敗についても同じことが言えそうである。

 賢三の一回戦の手はグー、その相手の四宮はチョキ。賢三の三回戦の手はグー、その相手の五木も、やはりチョキである。


 だが、ここから何かが進むということもなさそうだ。

 時計ばかり気になる。

 色川先輩が水道水の入ったグラスをゆっくりと飲む。

 まるでシャンパンでも飲んでいるかのような優雅な動作であった。


「詰まった?」


 色川先輩が微笑している。

 私はふうっ、と息を吐いて、問題文やら表やらでぐちゃぐちゃになった紙から視線を持ち上げた。


「はい。ちょっと苦戦してます」


「時間も半分を切った。そこからは多少の閃きが必要になるかもしれないね。ヒントをあげようか?」


「く、くれるんですか。貰えるものなら何でも欲しいです。雑食系女子ですから、あたし」


「三つ子さんたち。協力してあげてもいいよ」


 色川先輩は、私の肩揉みに飽きてテレビを見始めた三つ子たちに声をかける。

 彼らは日曜朝のワイドショーを見ながらケラケラ笑っていたが(芸人が司会を務めるバラエティ色の強いものだった)、色川先輩の言葉に機敏に反応した。


「よおし」


「じゃあ」


「ヒントを差し上げようっ」


 私は突然立ち上がった三つ子たちをぽかんと見上げた。


「もう、答え分かったの?」


「モチのロンのツモだよ」


「こんな一本道問題」


「肩揉んでる間に解いちゃったもんね。シーサンヤオチュー!」


 ははあ。どうやらこの中で一番愚かなのは私らしい。

 私はここで恐るべき可能性に行き当たった。

 私は昨日までで四問の論理パズルを解いた。

 何だか自分は賢いのではないかと勘違いしつつあったが、もしかしてこれまでのは、どんな阿呆でも解ける程度の難易度だったのではないか。

 だって考えてもみろ。

 木曜日、美鶴にプリントを届けに行ったあの日、規夫さんはあっという間に三つ子が繰り出したパズルを解いた。

 金曜日、色川先輩も同様にパズルを難なく解いてみせた。

 土曜日、三つ子は即席でパズルを作った。

 瞬時にパズルを解くより難しいはずだ。

 誰も彼も私より上手だった。

 そんなこと明らかだ。

 どんな論理より明確に、鮮明に、答えが出るではないか。

 私は阿呆だ。猿でも分かる問題を解いて得意げになっていた。


「み、三つ子! シャタップ!」


 私は腕を伸ばし、腰を突き出し、三つ子を制した。

 彼らは私の見事な英語の発音に驚愕したか、あるいは私の間抜けなポーズを観賞するのに能力を費やし表情筋を動かす余力がなかったか、とにかく、目を丸くして織井司奈という名の美少女に注目した。


「ヒントは要らない。ノーサンキュー。これは勝負よ、あたしと先輩の真剣勝負なの!」


 三つ子たちは首を傾げた。

 見事に方向、角度、速度が一致していた。

 誰かが遠くからコントローラーで一括操作しているみたいだった。


「別に」


「司奈がそう言うのなら」


「それでもいいけど」


 そして三つ子たちは番組の視聴に戻った。

 ワイドショーという名の中傷番組にすぐに没頭し始める。

 私はゼェゼェと荒く息を吐きながら、色川先輩を見た。

 先輩は三つ子以上に驚いているようだった。

 冷静沈着な先輩がそんな表情をするとは思っていなかった私は驚き、結局、部屋にいる全員が驚いたことになるな、と思った。


「織井さん、ヒントが要らないのかい? 僕からのヒントは欲しがっていたのに」


「ええ……。この程度の問題、あたしの灰色の脳味噌なら、ちゃっちゃと解けますって」


「そう……、不健康そうな色だね……」


 色川先輩は不満そうだった。

 きっとあたしが卑屈な笑みを浮かべながらヒントを頂戴すると思い込んでいたのだろう。

 そういう人物評価を貰っていたのだ、私は。

 何だか一本取った心地がして快かった。

 私は床に座り込んで問題文を眺める。

 独力でこの問題が解ければ、少なくとも猿以下なんて言わせない。


「あと一二分――間に合うかな?」


「先輩、黙って見ていてください。この表を見てください。あと?マークがたったの八個しかありませんよ」


「最初は?が二十個余りあったのだから、まだ半分と少しだ」


「証言だって、真偽がいくつか確定しています」


「それもまだ半分だろう。一方、制限時間はあと一一分半だ」


「先輩、ちょっと余裕ないんじゃないですかぁ? ふへへ、あたしが鮮やかに勝利をかっ攫ってやりますよ」


 色川先輩は腕組みして唸った。


「僕は結果を受け入れるよ。この論理パズルなら織井さんに勝てると思って繰り出したんだ。これできみがパズルを解けたら、潔く敗北を認める」


「当然ですよ。そうでないと困ります」


 私は大胆にも言ってのけた。

 学内において、色川先輩にここまで言える女子がどれほどいるだろうか。

 先輩はやはり意外そうに私を見ていた。


「……織井さん、見た目通り、勝ち気だね。美鶴様も、どうしてこんな女子と仲良くするのか……」


「別に、いいじゃないですか。どんな人だったら、美鶴の友達に相応しいんです?」


「それは、もちろん、おしとやかで、聡明で、スタイルが良く、目はぱっちり、黒髪の長髪で、父子家庭で、弟が三人いて、それは三つ子で――」


「って、それ、まんま美鶴じゃないですか。もう、ふざけてるんですかー。やだもー」


 私は先輩の冗談だと理解したわけだが、先輩は衝撃を受けた顔をしていた。

 たった今、理想の美鶴の友達像が、美鶴本人に他ならない事実に気付いたとばかりに。

 これには私もびびった。マジで、そうなのか。


「先輩、マジすか。じゃあ、美鶴の友達に相応しい人なんていないじゃないですか」


「そ、そんなことはないよ。織井さん、きみには欠けているものが幾つかあるが――」


「論理パズルが解けるかどうかの頭脳だけじゃないんですか」


「美貌と、髪の長さと、料理の腕前と、声の麗しさと――」


「ちょちょっ、ちょちょっと待ってください! まさかその要件全てを満たすまで、あたしを試し続けるとか言い出しませんよね!」


 先輩はきょとんとした。


「そのつもりだけど――どうかした?」


「せ、先輩! 美鶴に友達が少ないのは、先輩のせいじゃないんですか。そうやって美鶴に相応しい人がどうのこうの言うから、色川先輩を畏怖する生徒たちが、美鶴に寄り付かないんだと思います! 美鶴が可哀想です!」


「可哀想? 冗談を言っちゃいけない。僕は美鶴様の為にこうした規制を――」


「先輩! まあ、百万歩譲って、能力や容貌で友達を選ぶのは、個人の自由として認められるかもしれません。ですけど、それを他人に押し付けるのは野暮ってものですよ。お節介にも程があるってもんです」


「美鶴様の愛の範囲はこの星を跳び越えて全銀河にも及ぶ。規制がなければ有象無象の張三李四でさえも美鶴様は受け入れてしまわれるだろう。そんなことになれば――」


「いいじゃないですか、それで。美鶴にとっては、きっと、そっちのほうが良いんですよ」


 食い気味に言った私を、色川先輩は鬱陶しそうに見る。


「きみに何が分かるというんだ。転校生の分際で」


「でも彼女の身近にいるのは、あたしのほうです。先輩は遠くからああだこうだ言っているだけじゃないですか」


「遠くからだと? 美鶴は、僕に――」


 言いかけた色川先輩はしかし、意図せず口論に発展した今の状況に気付き、大いに恥じたようだった。

 さすがに三つ子たちがテレビから視線を逸らし、四宮たちも居間を覗きこんでいた。

 色川先輩は笑顔を取り繕う――恐ろしいことに、その笑顔は破滅的なまでに魅力に満ち溢れていた。

 私は息をするのを忘れる。


「ごめん、ごめん。つい熱くなってしまったね……。制限時間が、あと九分になっているよ」


「先輩、今、何を言いかけたんですか? 美鶴は僕に――?」


「僕に、いや、僕たちにとって女神さ。そう言いかけたんだよ」


 私は不服であったが、確かに、制限時間が迫っている。

 話は後だ後。

 論理パズルは何とか解けそうだが、時間との勝負になりそうだった。

 私は表を睨む。



一回戦 1グ×2パ 3グ×4チ 5?×6?

二回戦 1パ×3グ 2パ×5? 4チ×6パ

三回戦 1パ×4チ 3グ×5チ 2?×6?

四回戦 1グ×5? 2グ×4チ 3グ×6パ

五回戦 1グ×6パ 2グ×3パ 4?×5?



 研一、健二の組み合わせがあと少しで埋まりそうだ。

 ここ、頑張って考えれば分かるのではないか。

 そもそもアイコがありえないのだから、一方の手が決まっていたら、残る可能性は二つしかない。

 仮に入れ込んでしまえば、簡単に分かってしまえる気もする……。

 今まではそうやって論理パズルを解いてきた。

 だが、もう少し、知性というものを用いて解けないものか。

 機械的に場合分けして、矛盾を探していくという方法は、確実かもしれないが、芸というものに欠ける。

 少なくとも、色川先輩や三つ子はそういう手段でパズルを解いていないだろう。

 もっと直線的かつ高度な論理を用い、私の何倍ものスピードで問題を丸裸にしているはずだ。

 普通、これだけ条件がたくさんあって、表も埋まっていたら、ずんずん解答が進むものではないのか。

 私は阿呆なのか。頑張れ。知恵を絞れ。理解しろ。

 求められているのは、それだけだ。


 そして私が何とか埋まらないかと目を巡らせていると、五回戦で研一は六角と戦って負けているが、六角は四回戦で勝利していることに気付いた。

 これは何を意味する。

 問題文を読み返してみろ。

 前回での試合で勝者は同じ手を出し続ける。

 敗者は自由に手を変えられる。

 前回の敗者と勝者がぶつかれば、必ず、敗者が勝つのだ。

 六角は連勝している。

 すなわち、勝者同士がぶつかったのだ。

 研一は前回の試合――すなわち四回戦で勝利していることになるではないか。

 四回戦において研一はグーなので、その相手である五島はチョキということになる。


 ここから何か分かることはないか――五島は三回戦と四回戦で敗北している。

 一回戦と二回戦の勝敗は分からない。五回戦も分からないか――?

 いや、四宮の勝敗は確定しているはずだ。

 五回戦は、確か、そう、四宮が勝利している。

 五島はまたもや敗北しているわけだ。負け越し決定。


 すなわち五島の証言は嘘だ。

 五島の証言を確認すると、「六角は二種類以上の手を出した」わけだ。


 これが嘘なのだから「六角は一種類以下の手を出した」だ。

 一種類しか出していないのだ。

 六角の手を確認すると、確かにパーしか出していない。私は表を埋めた。



一回戦 1グ×2パ 3グ×4チ 5?×6パ

二回戦 1パ×3グ 2パ×5? 4チ×6パ

三回戦 1パ×4チ 3グ×5チ 2?×6パ

四回戦 1グ×5チ 2グ×4チ 3グ×6パ

五回戦 1グ×6パ 2グ×3パ 4?×5?



 さて、大詰めという感じがする。

 制限時間を見ると、残り六分。十分間に合う。


 証言の真偽を確かめてみると、健二と六角以外の証言は判明している。

 そして健二も六角も勝ち越しているのか負け越しているのか分からない。

 勝敗表を見ながら解くほかはないようだ。


 問題は五島の一回戦と二回戦の勝敗だ。

 アイコがないのだから、どちらも、グーかチョキを出したことになる。


 五島の二回戦の相手は、健二だ。

 健二は一回戦で勝利している。

 だから、もし五島が一回戦で敗北しているのなら、二回戦ではチョキを出して勝つことになる。


 もし、五島が一回戦で勝っていたら? その場合、五島は一回戦でチョキを出し、勝利したのだから、そのままチョキを出し続けるだろう。


 私は何度も頷いた。

 そうか、これは、一回戦での勝敗がどうであろうと、五島の二回戦の手はチョキに限定される。

 こういう仕掛け、色川先輩は好きなのかなあ、と思いながら表を埋めた。


 だが、二回戦で五島が勝利し、健二が敗北したと分かっても、三回戦で健二が対戦する六角は二回戦において敗北している。

 直前試合で敗北している者同士が戦っているから、互いに自由な手を出して、結果は完全なランダムとなる。

 三回戦での健二の勝敗は分からない。

 まだ考えなければならない。


 四回戦の健二を見てみよう。

 健二は勝利している。

 四回戦における健二の対戦相手、四宮は、三回戦において勝利している。

 ここから分かるのは、健二は三回戦において敗北しているか、グーを出して勝利しているか。このどちらかだ。

 三回戦での健二の対戦相手、六角は、パーを出しているから、健二がグーを出して勝つことはあり得ない。

 すなわち健二は三回戦においてグーを出して敗北したのである。


 この瞬間、健二の負け越しが決定してしまう。

 健二の証言は嘘である。

「五島は二種類の手を出した」という証言なのだから、その嘘は「五島は一種類か三種類の手を出した」ということになる。


 二回戦、三回戦、四回戦で五島はチョキを出している。

 これでは一種類しか出していないのか、三種類全てを出したのか、全く判断がつかない。

 両方の可能性がある。


 六角はどうだ。

 彼は勝ち越しが決定しているので「優勝者は一人」という証言は真実となる。

 これはかなりの手掛かりになるのではないか。

 研一、健二、五島は既に負け越しが決定している。

 そして四宮は三勝、賢三は三勝が確定した。


 これは何を意味する? 優勝者は一人なのだから、四宮と賢三が同時優勝ということはない。

 つまり三勝より上。四勝以上が優勝者だ。

 その可能性があるのは、まだ勝敗数が決定していない六角のみということになる――


 私は全てを理解した。六角は二回戦で敗北しているから、その他の勝負で全勝していることになる。

 五島は一回戦でグー、二回戦以降でチョキを出しているから、五回戦でパーを出している。

 四宮は五回戦で勝利しているからチョキを出して――


 ついに勝敗表が完成した。




一回戦 1グ×2パ 3グ×4チ 5グ×6パ

二回戦 1パ×3グ 2パ×5チ 4チ×6パ

三回戦 1パ×4チ 3グ×5チ 2グ×6パ

四回戦 1グ×5チ 2グ×4チ 3グ×6パ

五回戦 1グ×6パ 2グ×3パ 4チ×5パ


研一×グー ○パー ×パー ○グー ×グー 

健二○パー ×パー ×グー ○グー ×グー 

賢三○グー ×グー ○グー ×グー ○パー 

四宮×チョキ○チョキ○チョキ×チョキ○チョキ

五島×グー ○チョキ×チョキ×チョキ×パー 

六角○パー ×パー ○パー ○パー ○パー 




「優勝は六角だ! あの怪人にきび男! おめでとう!」


 私が宣言した。

 先輩の携帯電話を見ると、残り時間二分。

 私の完全な勝利であった。

 色川先輩はお手上げのポーズを取った。


「驚いた。解いてしまったね。織井さん、どうやらきみは、バカではないらしい」


「バカでもいいですけど、これでもうあたしは美鶴の友達ってことでいいですよね」


 色川先輩の笑みは薄れ、仕方ない、とばかりに曖昧な頷きをした。


「まあ、一時的にね。少なくとも美鶴様の知性を穢すようなことはなさそうだ」


 私は先輩のその態度に憤激したが、この場を切り抜けたのだから良しとしたかった。

 SMクラブの面々が居間に雪崩れ込んできて、色川先輩に詰め寄った。


「先輩! 織井を打倒する絶好のチャンスだって言ってたじゃないですか!」


「申し訳ないが、別の機会を設けるから辛抱してくれ」


「人間は正直者か嘘つきかのどちらかです! 先輩は後者だったのですね! 失望失望失望!」


「あえて弁解するなら、嘘つきではないさ。嘘のつもりで約束したわけではないからね」


「にきびをうつしますよ!」


「消えろ」


 色川先輩は溜め息交じりに、六角にCFカードを手渡すと、さっさと玄関に向かった。

 六角だけは美鶴の写真データを貰ってご満悦だったが、巨漢四宮と偏屈五島は色川先輩に詰め寄ってさんざん睨みを利かせた後、色川先輩の静かな威圧感に早々に辟易して、家を出て行った。


 私は喜ぶ六角を置いて、色川先輩を追った。

 どうしても言いたいことがあった。


「先輩!」


 私が叫ぶと、階段を降りかけていた先輩は首を捻じ曲げて私を睨んだ。

 相当ご機嫌斜めらしい。

 そんな敵対的な目をするなんて、校内ではありえない。


「先輩。美鶴の亭主気取りもいいですけどね」


「……?」


「先輩なんかじゃ美鶴と釣り合いませんよ。もっと人の痛みが分かる人じゃないと、きっと、美鶴は受け入れてくれません」


「それはどうかな」


 色川先輩の不敵な笑みに、近くに突っ立っていた四宮と五島が、文句を言うのも忘れて茫然とした。


「何だったら、証明してみせようか?」


「え……?」


 私は色川先輩の笑みの中に、全く親しみがないことに気付いた。

 敵意とも違う。

 王様が路傍の乞食を眺めるときのような、パソコンのキーボードの間に挟まっている埃を吹き飛ばすときのような、美鶴の隣にいる私のような――脇役中の脇役と相対する視線。

 無関心に限りなく近い。

 持ち前の慈愛によって渋々相手をしてあげているんだよ、と言われているかのような感覚に陥る。


 色川先輩は笑みを深くした。


「今度、美鶴様に――いや、美鶴に告白してみせよう。きっと彼女は僕を受け入れてくれる」


「こ、告白するんですか。それって美鶴フリークスの鉄の掟とかで禁止されてないんですか」


 私の驚きの声に、先輩は淀みなく応じる。

 よくある誤解を、定められた解法で訂正する事務官のように。


「別に禁止なんかされていないよ。そんな権限は僕にはない。ただ多くのチャレンジャーが玉砕覚悟で突貫して本当に玉砕を続けているというだけで」


 私は他人事のように話す先輩を――つまり告白が絶対に成功すると確信している先輩を、危うく感じた。

 過信というか、妄想というか、危険なオーラを纏っている。


「先輩、自信があるんですね。美鶴も先輩のことが好きだって信じてるんですか」


「当然さ。何と言っても、彼女は僕に――」


 しかし色川先輩は口の中でもごもご言っただけで、それ以降が聞き取れなかった。

 私は色川先輩が悠然と去るのを見送った。

 六角が私の隣に並び立ち覆面を取った。

 潰れたにきびが視界に入り、目を伏せたが、膿汁が足元に滴るのを見た。

 うええ。


「色川先輩って不思議な人だよね……。美鶴様と恋人になれるなんて自信過剰っていうか。でもあんなに格好良いならそれも許せるというか……。あ、織井さん、どうも、お邪魔しましたー」


「ど、どうも」


 かくしてSMクラブの脅威は去った。

 結局彼らから女王様と呼ばれることはなかった。

 ちょっと残念な気がするのはどうしてだろう?

 私ってばそっち系の願望があるのかしらん。


 私は家へと踵を返して、まだ三つ子たちの脅威が去っていないことに気付いた。

 彼らはいつの間にか、我が家にストックしてあったスナック菓子を引っ張り出してむしゃむしゃ食べており、食べかすをそこら中に散らかしていた。


「おう、司奈、苦しゅうないぞ」


「また肩を揉んでもらいたいのかね」


「このギットギトのたなごころで良ければ、喜んで差し出そうぞ」


「ああ、もう、でもこいつら呼んだのはあたしだし……」


 私は粘着テープを装着したハンドローラー片手に部屋を駆けずり回った。

 しかし居間にも六角の膿汁が落ちており、それに足を取られて滑り、もんどり打った。

 大して痛くもなかったのに、大袈裟な悲鳴を上げたのが間違いだった。

 三つ子は慌ててギットギットの指で支えてくれた。

 もはや六角を笑えなかった。




○本章のパズルについて

 一見したところ厄介そうだが、攻め口が複数ある問題なので、紙に書いて考えれば、簡単に解ける部類だと思う。

 前試合敗者同士の対決では勝敗は分からない、という部分が落とし穴で、ここが一番ミスを誘うところ(のはず)。

 ちなみに、この問題には欠陥がある。問題文ではわざと負けることもわざとアイコになることもない、とあるが、たとえばじゃんけんのルールも把握していない奇人がプレイヤーなら、わざとではないけれど、勝たなければならない場面で負けてしまうことがあるだろう。

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