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ロジパズ少女  作者: 軌条
3/6

三つ子ショッピング


 午前九時、駅のプラットフォームにて。


「誰だよー、ポケットティッシュ落としたの」


「しれーっと」


「誰だ今しれーっととか言った奴は。賢三?」


「ぼ、ぼくじゃないよ、司奈姉ちゃん。ていうか今のは健二の声でしょ」


「区別つかないがな。きみたちね、もっとてきぱき動きなさいよ。保護者のあたしが目ぇ回しそうじゃないの」


「嫌でーす。オトコは自由を夢見る蝶なんでーす」


「こら、研一、イカスこと言ってんじゃないの。惚れちゃうじゃないの、もうっ……」


「ぼくは健二だよ」


「健二。ほら、ティッシュ」


「ティッシュを落としたのは研一だよ」


「あのね、ティッシュ落とした奴がさっさとこっち来る。きみたちすぐに洟が垂れるんだから、ティッシュないといかんでしょうが」


「はーい」


「ああ、もう、言ってる傍から洟垂れてるよ。はい、賢三、チーンって」


「ぼくは研一だよ」


「研一。チーンって」


「司奈。電車が来たよ」


「そうそう。この各駅のに乗って……、って、こっち来ない!」


「あれ、四両編成だよ。ここってホームのはじっこだから、八両編成とかじゃないと使わないんだね」


「知ってるなら早く言いなさい、健二!」


「ぼくは賢三だよ」


「賢三、ほら、皆走って!」


「駆け込み乗車はお止めくださいって車掌さんが絶叫してるよ」


「知るか! 全力で無視だ! 畜生、道理でこっちが異様に空いてると思ったよアホンダラぁ!」


「あっ、研一が転んだ! 遅れる!」


「研一! 早く立ち上がってこっちに来い!」


「司奈、ドア押さえるのは反則だよ……。大迷惑だ」


「うるさい、健二! この一本を逃したら三〇分以上も足止め喰らうでしょうが!」


「ぼくは研一だよ」


「あれ、じゃあ、あそこで転んでるのは……」


「ぼくは賢三だよー!」


「あ、ドア閉まった」


「賢三……」




     *




 色々とトラブルはあったが、私とお騒がせな三つ子の四人は、隣町の顕谷町の巨大デパートを訪れていた。

 私は気軽に三つ子と「今度の土曜日に一緒にゲームを買いに行く」と約束してしまったのだが、一緒に来るはずだった美鶴は部活があった。(えっ、土曜に行くの、日曜だと思ってた!)


 その時点でとんでもない誤算であった。

 美鶴の監視がある状況とない状況とでは、三つ子の厄介度数が数百倍は違うからである。(厄介度数=捕獲難度指数×悪口の語彙関数×人数×美鶴係数)


 近くのゲームショップではなく、隣町の巨大デパートのチラシがいかにも扇情的なのに誘われ、目的地を急遽変えてしまったのにも、嫌な予感がしていた。

 電車に乗って行くと知ったときも嫌な予感がしたし、目的駅が鈍行列車しか停まらない小さな駅だと知ったときも嫌な予感がした。


 要するに嫌な予感しかしなかった。

 今日の私の主成分は嫌な予感であった。

 一度火が点けばもはやその嫌な予感は嫌な現実にたちまち化けて私を嫌な気分にさせる、これ必定であった。

 嫌な予感の元凶である三つ子は暢気な顔をして私を苛立たせている。


 私たちがわざわざ公共交通機関を使って訪れたデパートは神田屋といい、全国各地にチェーン店を構える老舗である。

 元々は呉服店として始まっただけあって有名なファッションブランドが数多く出店し、今なお高級衣料品店としての品格を保ち続けている。

 多角的経営には慎重な立場であったが、化粧品を皮切りとして、食料品、日用品、電化製品、玩具等に手を伸ばし始めた。

 電化製品部門の売り上げが本業の衣料品部門の売り上げを超過したことで某新聞が感傷に浸りまくった特集を組んでいたが、まさしく私たちは電化製品と玩具の間に位置するゲームソフトを買いに来たのであった。


「司奈ぁ、司奈のお父さんって名前、なに?」


 駅前の神田屋に入ると同時に、三つ子の誰かが突然訊ねてきた。

 その何の脈略もない質問を疑問に思った私は、


「幹博だけど……、いきなり何よ、そんなこと気にして」


「いやあ、興味持っちゃってさあ」


「下請けの下請けのくせして『世界情勢にアンテナを張らなければ今の時代生き残れない』とかのたまってムダに経済新聞を取るようなボンクラに、どうして興味なんか持つの」


「僕じゃなくて、お姉ちゃんが興味を持ってたんだよ」


「美鶴が?」


「『そう言えば、司奈ちゃんのお父さんの名前知らないなあ……』って独り言を言ってたのを聞いたんだよ」


「へえ」


 本当に弟どもは姉のことが好きだ。

 そんな些細な独り言を気にして、姉の代わりに疑問を解消しようとするなんて。

 その健気さと優しさを姉の友人にも振り向けてくれないのだろうか。


「ねえ、ねえ、司奈ぁ、おもちゃ売り場は四階だって」


 研一だか健二だか賢三だか分からない三つ子の内の誰かが手招きしている。

 彼の指は既にエレベーターのボタンに触れており、私は首を傾げた。


「あれっ、エレベーターガールは?」


「は? エレベーターがあるのは当たり前じゃん、デパートなんだから」


「いや、『エレベーターがあるわ』ではなく……」


 私はこういうデパートのエレベーターにはエレベーターガールがいるものだと思っていたが、そんなおとぎ話の中だけの女性とは邂逅ならなかった。

 経費削減の波がついにここまで及んだのか。

 というか真っ先に削られそうな部分だけど、何だか夢を壊された心地がして非常に残念であった。


 三つ子が間違いなく乗り込んでいるのを何度も確認して、とりあえず安堵した。

 扉が閉まる。

 私はエレベーターが上昇するのを感じ、この僅かな時間を利用して自分の服装を確認しようと思った。

 女子は常日頃から身だしなみに気を遣わなければ、あっという間に老け込んでしまう。

 若さにかまけて努力を怠った女子に明るい未来は待っていないのだ。

 幸いエレベーターには、老舗呉服店としての矜持か、全身を映せる大きな鏡が据え付けてあり、自らの佇まいを確認することができた。


 黒のショートカットがキュートな女子中学生がそこには立っていた。

 私が微笑むと彼女も微笑む。

 あまりにも美しい女性だったので俄かには信じられなかったが、ほぼ間違いなく目の前の女性は私自身だった。

 あまりに眩しい存在だったので、あえて批判的にファッションチェックを始めた。

 しかし非の打ちどころなどなかった。

 ポロシャツにジーンズ。

 白のスニーカー。

 完璧なファッションである。

 無駄のない機能美。

 シンプル・イズ・ベスト。

 男勝りの私に相応しい極めて汎用性の高い服装であり、ファッションの聖地と持て囃されたことさえある神田屋店内をこんな服装でうろつくことのできる私の心臓には毛がびっしり生えているらしい。泣きたくなってきた。


 四階に着いてじれったいほどゆっくりと扉が開いた。

 三つ子がわぁわぁ言いながらエレベーターから転がり出て、思い思いの方向へと駆けて行った。

 三つ子のくせに全員違う方向へ進んでいく。

 そこはシンクロして欲しい。


 しかし私は、三つ子がはしゃぐのも無理はないと考えていた。

 目の前に広がる店内は夢のワンダーランドであった。

 エレベーターから降りたときには既に棚から溢れんばかり玩具が私たち夢の住人をいざなっていた。


 目立つところに置いてあるのは最近売れに売れまくっているという携帯ゲーム機のバリューパックと思われる箱の山であり、周辺機器のメモリーだのコードだのディスプレイ保護シールだのが棚からぶら下がっていて、そこに三つ子の一人が張り付いている。

 しかし今日の予算は九千円と聞いている。

 三人併せての予算である。

 一人が三千円ずつ持ち寄ったのだろう。

 もし三人全員で一つのものを買うにしても、とてもじゃないが携帯ゲーム機なんて買えやしない。

 それに携帯ゲーム機なんて一人専用なのだから、三つ子としては不都合であろう。


「ほら、ソフト買うんでしょ、うぃー、とかいう奴の」


「うぃー、も良いんだけどさあ……」


 三つ子の誰かは名残惜しそうに箱の山と周辺機器の陳列棚を眺めている。

 何故か研一だか健二だか賢三だかの少年は、その携帯ゲーム機の充電器を凝視していた。

 必要ないだろ、それ。

 それともいずれ買うことになるのだから充電器だけでも揃えておくか、という不毛な考えに囚われているのだろうか。

 分からないでもないが絶対に後悔するからやめておきな。ね?


「ほら、行くよ」


 私が背中を押すと、彼は私を睨んできた。

 どういうこと、その目つき。

 やめてよ普通にショックだから。

 

「司奈には分からないんだよ。ぼくたちは社会の最下級カーストなんだ。シュードラなんだ。お金なんて持ってないし、持ってたとしても、商品に触れたら穢れてしまうから自由に買い物なんてできないんだ」


「……何言ってるの。ていうかよくカーストなんて知ってるね。小学校じゃあ習わないでしょ。三つ子だからって知識量三倍ってわけでもないでしょうに。……えっ、違うよね?」


「ぼくたちは子供だというだけで手を出しちゃいけないんだ。カースト制度とどう違うっていうんだよ。所詮ヴァイシャの司奈には分かってもらえないんだ!」


 研一だか健二だか賢三だかの少年は私のお腹をぐっと押して、私が躰をくの字に折り曲げている間に、駆けて行ってしまった。

 棚が延々と連なる店内にあって、彼らの姿を見つけるのは至難の業であった。

 すぐに追いかけたが見失ってしまう。


 玩具売り場には、多くの見知らぬ子供たちが徘徊していた。

 子供だけで来ているグループもあれば、親御さんという名の財布持ちを引き連れている子供もいる。

 私くらいの年代の子供は奇跡的に一人もいなかった。

 私は大人と少年少女の狭間に立たされ、わけもなく寂寥感を掻き立てられていた。


 さしてコンピュータゲームには興味がなかったし、幼い女の子向けのドールハウスだのままごとセットだのを見ても、各種トレーディングカードを見ても、趣向を凝らしたボードゲーム類を見ても、心がざわめくことはなかった。

 私だって今日はお小遣いを持参していたけれども、使う機会には恵まれそうになかった。


 そもそも私は無類の吝嗇家である。

 いや、正確には、何も需要しない、としたほうが良いかもしれない。

 私の需要曲線は水平線、それも横軸の需要量と限りなくぴったりと重なる。

 そういうイメージである。

 要するにどんなにお買い得な商品があっても一円も使わないほうが結局は得であるという思考の持ち主だということだ。

 

 

 私がぶらぶらと店内を歩いていると、三つ子の内の二人が言い争っているのに出くわした。

 うぃーソフトの売り場近くであった。


「どうしたの、きみたち」


「あ、ヴァイシャの司奈」


「聞いてよ。研一が、五千円も使いたいって言うんだ」


 私はそれ以上二人の少年の話を聞くまでもなく、事態を察知した。

 新品のうぃーソフトの標準的な価格は、ざっと見たところ、五千円前後である。

 新作ソフトが欲しいのであれば、どうしても五千円の出費は避けられない。


「どうせぼくが買ったら、皆やりたがるんだから、一緒に買えばいいじゃないか」


「ぼくは中古品でいいよ。そうすれば七本か八本は買えるんだから」


「そんな時代遅れのゲームで満足するほどぼくは耄碌してない!」


「昔のゲームにだって良いところはあるだろ! 持ってないゲームなら何でもいいじゃないか」


「そうやって昔の栄光に縋りつく老人がぼくは大嫌いだ、過去を美化するのも大概にしろ!」


「過去を弁えないガキが何を言ったって滑稽だよ!」


 会話がおかしい。

 昔の栄光とか老人とか。

 彼らにとって出生が数分違うことは、世代を隔するほどの差異なのか。


「ほら、喧嘩しない。三つ子はいつも仲良しー、でしょ」


 私が笑みを浮かべながら二人を引き離すと、それはもう見事なシンクロ率で、二人が私をキッと見据えた。

 やめてよ泣いちゃうよお姉ちゃん。


「そもそも司奈が悪いんだよ」


「そうだそうだ」


「どっ、どうしてあたしが悪いのよ」


「保護者のくせにぼくたちに一銭たりとも資金供与しないで」


「そうだそうだ」


「きみたちの電車賃はあたしが出したでしょうが! 言っとくけどね、一人片道三〇〇円でも、往復で二四〇〇円の出費なんだよ!? 血の涙が出るくらいの出血大サービスなんだからね!」


「そんなの家の近くのゲームショップに行ってたら出費せずに済んだのに」


「そうだそうだ」


「きみたちがここに来たいって言ったんでしょうが」


「でも遠いから無理だな、って言った健二に、司奈が電車賃くらい出してあげるって言ったんじゃないか」


「そうだそうだ」


「だ、だってきみたち縋るような眼であたしを見てた! 指をカンチョーの形にしてたじゃない、言わせたんでしょ、きみたちが、あたしに!」


「ああああああ責任転嫁ぁー」


「責任転嫁ぁー」


「ひいい責任転嫁だぁー」


「司奈の得意技だぁー」


「絶望だぁー」


 重なり合う声に、私は辟易した。


「そ、そもそも、あたしがきみたちにお金を出す義務なんてないのよ! そこんところをきちんと認識しなさい」


「義務がないからってしなくても良いとは限りませんー」


「そうですー」


「はい限りますー。義務だけ果たしていれば立派な大人なんですー。あとあたしはまだ子供ですー」


「そういうこと言うから世の中がギスギスするんだよ。お年寄りに席を譲るのは若者の義務ではないけれど、寝たフリして頑として席を譲ろうとしないおっさんを、司奈は立派な大人だって言えるわけ?」


「そうだそうだ、そんなおっさんはどこからどう見てもろくでもないじゃないか。そういうおっさんに限って、自分がヨボヨボになったら若者に席を譲らせるんだ。テキトーな言い訳を作って自分の都合の良いように生きたいだけなんだ」


 少年たちの思いのほか理路整然とした反撃。

 私は答えに詰まってしまった。


「えっと、あのね、つまりあたしが言いたいのはぁ……」


 確かに、そういうおっさんもいるだろう。

 だが、それとこれとは話が別だと思う。

 なぜなら、行為を「義務」と「義務でない」に区別した場合、「義務でない」に分類される行為は他方と比べてあまりに多く、その中で更に「人道的に推奨されるべき行為」だの「バカらしい行為」だのと細分化され、三つ子の要求とおっさんの行為は同一視し難い性質のものだったからだ。


「きみたちの強弁はもっともらしいから困るよね。つまり――」


 しかし私が言いかけたときには既に、二人の姿はなかった。

 私がどうでもいい思索に没頭している間に逃げてしまったらしい。


 怒りと共に、脱力してしまったが、これはこれで良かったのかもしれない。

 喧嘩をしていた兄弟を仲良くさせてやったのだから。

 仲直りに最も効果があるのは、彼らに共通の悪役を提供することであろう。

 もちろん、その悪役を買って出るのは何とも物悲しかったけれども、それが今日の私の使命なのだと切り替えて独り納得した。ふえぇん。


 あまりうろうろしていて挙動不審に思われるのも嫌だし、欲しいものはなかったので、フロアの端に移動した。

 ちょうどゲームセンターの近くであり、休憩所も隣接していたので、そこのベンチに腰掛けて時が過ぎるのを待つことにした。


 休憩所には少なからずの大人たちがおり、隣のゲームセンターで子供たちを遊ばせて自分たちは楽をしているらしい。

 子供と一緒に遊べば良いのに、という気はしないでもないが、休日に子供と外出しているというだけでも及第点を与えるべきだろう。

 きっと子育てって大変なんだろうなあ。


 私がぼうっとゲームセンターの方向を眺めていると、歓声と悲鳴が入り混じったどよめきが漏れ聞こえてきた。


 最初は気にしていなかったが、それが何度も繰り返されているのと、どよめきが段々大きくなり、興奮した声が飛び交うようになってきたので、気になってきた。


 私のようなインテリジェントガールがゲームセンターの下賤な遊戯に誘惑されるなんてことは有り得ないが、人間心理の揺れ動きには興味がある。

 すなわち私は群衆の関心を一手に集める事物の正体に興味が湧いたのであり、断じてゲームに関心が湧いたのではないということである。


 私がワックワクしながら見に行くと、人だかりが出来ていた。

 どうやら大がかりなレーシングゲームの周りを囲んでいるようである。

 群衆のほとんどが小学生かそれ以下の可愛い子供たちであったので、私は背伸びをすれば画面のみならずプレイヤーの風采さえ確認することができた。


 そこで少年レーサーと戦っていたのは赤沢であった。

 はあ?


「そんなところで何やってるの、赤沢!」


 と私は思わず叫んでいた。

 彼の耳には届かなかったようである。

 血走った眼をして、アクセルを細かく踏んでいる。

 まるで貧乏揺すりでもしているかのような動きである。


 ハンドルを握るその腕はガチガチに緊張しているにも関わらず、手首から先の動きはうっとりするほど滑らかで、なるほど、ゲームの腕前に不足はないが、大勢の人間に見られていることを意識しているのだな、と察しがついた。


 勝負は赤沢の勝利のようであった。

 一際大きな歓声とヤジが飛び、「凄い」「さすが」「年上のくせに大人げない」「惚れた」「弟子にしてくれ」「俺と勝負だ」「金返せ」「やらせだろ」「腹減った」だのと、凄まじい騒ぎだった。


 私は赤沢と出会うとは思っていなかったので最初は驚いていたが、神田屋は有名なデパートであるし、別に休日に誰かと鉢合わせしてもおかしくはない、と思い直した。

 それよりも赤沢がゲームセンターの花形スター的な存在だという事実にびっくりである。

 周囲の反応を見ていると、昨日今日突如として出現したわけではないようだ。


「ん? そこにいるのは織井じゃないか?」


 赤沢が私に気付いた。

 気付かないほうがおかしい。

 私は周囲の子供たちより頭一つ分背が高かったのだから。


「あ、ああ……。ども」


「昨日は世話になったな。第四希望の写真しか手に入らなかったが、まあ、宝物ってことには変わりない」


 赤沢が群衆どもを掻き分けて歩み寄ってくる。

 彼の腕には子供が数人ぶら下がっており、次勝負しようよー、金貸してよー、とおねだりされている。


 赤沢は子供たちを押しのけながら私をまじまじと眺め、呆れるような、うんざりしたような顔になった。


「それにしてもお前……。可愛げのない格好だな。ボーイッシュを通り越してマニッシュだぞ、それ」


 私は自分の服装を見下ろした。

 確かに普段は女の子らしい制服に助けられて、女としての魅力を最大限引き出している私だが、いかんせんおしゃれに全く興味がなかったので、私服はポロシャツにジーンズという味気のないものになってしまう。

 父も色々と買ってきてくれるのだが、フリル付きのスカートなんて着る気になれない。


「そういう赤沢だって」


 赤沢も味気のない服装であった。

 というか私と全く一緒である。

 水玉のポロシャツに黒ジーンズ、スニーカー。

 ただ、彼は男であるので、その服装はなかなか似合っていた。

 彼がおかしいわけではない。

 男子と同じ服装の私がおかしいのである。

 多様性!


「やっぱりお前には一生彼氏ができそうにないな。俺と付き合えよ」


「ばっ、誰が付き合うか! 美鶴を嫌らしい眼でしか見られない女誑しめ! ビカチョー!」


「このチャンスを逃したら、もう二度とないぜ?」


 赤沢の余裕の笑みが腹立たしかった。

 私にだってプライドがある。

 それに容姿に格段のコンプレックスを抱いているわけではない。

 私が本気になれば彼氏の一人や二人くらい簡単にできる。(できるよね?)

 赤沢のような年中発情男に縋らなきゃならない人生のはずがない。


「ふん。そんなのどうでもいいけどさ、あんた、ここで何をやってるの?」


「見れば分かるだろ」


「ゲームセンターに入り浸ってるなんて。しかもデパートの」


 赤沢の表情に陰が差した。

 美鶴のこととなると豹変する彼だが、このときも穏やかではなかった。

 こんな衆人環視の中で口論なんかしたくないな。

 と私が懸念していると、ふと赤沢は笑った。


「お前こそ、何をやっているんだよ。隣町まで来ちゃって。知り合いに見られると恥ずかしいものでも買いに来たのかよ。オトナの下着とか?」


「そういうわけじゃ……。このセクハラ野郎」


 しかし真実は言いたくなかった。

 美鶴の弟どもを引き連れていると教えてしまったら、赤沢がどんな行動に出るか予測がつかなかった。

 嫉妬心を燃やして怒鳴り散らすだけならまだ予想の範囲内だが、彼の最終目標は当然、美鶴と恋人になることだろうし、そうなると彼女の弟へ独特のアプローチを図ろうとするだろう。

 まさか三つ子に危害が及ぶとは思わないが用心するに越したことはない。

 狂人は常人の予測の遥か彼方を平然と突き進む。

 ゆえの狂気である。


「あたしは、ゲームを買いに来たのよ。悪い?」


「ゲーム? ゲームソフト? お前、そんな趣味あったのか」


「女の子がゲームをして悪い?」


「お前を女の子と呼びたくはないが……。まあ、別に、いいんじゃないか。で、何を買いに来たんだ」


 私は思案する。

 そう言えば、さっき研一だか健二だか賢三だかが手にしていたゲームソフトのタイトルって何だったっけ。

 あれは新品ソフトだったから、あの名前を言えば間違いないはずだ。


「ええと、あれ、ほら、タコ頭戦記だよ」


「は……? もしかして、Ω戦記のことか?」


「そうそうそれそれ。タコ頭戦記って読むんじゃないの?」


「あるいは餅焼き戦記ってか? 新作のアレね。CMでも流れてるやつ」


 赤沢は笑顔になった。

 私は安堵した。

 どうやら上手く誤魔化せたようだ。

 赤沢はΩ戦記のCMソングを口ずさんだ。

 彼につられて何人かの子供たちも声を合わせている。


 私はこの場を離脱することに決めた。

 赤沢に見つかる前に姿を消さなかったのは失敗だった。

 自分の鈍過ぎる脳味噌に腹が立つ。

 こいつが三つ子と接触するのは避けなければならない。

 美鶴に関すること全てにおいて赤沢は狂気を発揮するからだ。


 三つ子たちを催促させて、さっさと買い物を済ませよう。

 別のフロアに移動して時間が過ぎるのを待つのも良いが、離れ離れになるのは避けたいから、とりあえず合流を急ぐのだ。


 うぃーソフト売り場近くに、三つ子たちが結集していた。

 幾つかのソフトのパッケージを真剣に凝視し、吟味を重ねているようである。

 既に二本ほど購入するゲームを決めているらしく、三つ子の一人がソフトの箱を小脇に挟んでいる。


「早く決めて。もうその二本でいいんじゃないの」


「うるさいなあ。黙っててよ」


 三つ子が綺麗に声を重ねて言った。

 そういう風に言われると、どうにも気圧されて黙っているしかなくなる。

 数の力とは偉大である。

 私は落ち着きなく三つ子たちの周囲をうろついていた。

 赤沢が追って来やしないかと心配だ。


「決めた。これにしよう」


「でもまだ予算が残ってるよ」


「全部使い切る必要なんてないよ」


「中古のソフトがこんなにたくさんあるんだよ。新作のソフトなんてどこでも買えるよ」


「でも一本くらいは新作を買うべきだよ」


「あれ、これ、新作の中古品で千円くらい安いよ」


「マジで?」


「じゃそれ買おうよ」


「でも中古でこの値段は高いって」


「新品も中古品も大して変わらないよ」


「ねえ、やっぱり司奈にもお金を出してもらおうよ」


「でもあのクソババアはケチだよ」


「しっ、聞こえるよ」


「でもあの美人のお姉さんはケチで陰険でがに股だよ」


「どうして司奈ってあんなにも見事ながに股なんだろう」


「お姉ちゃんはあんなに真っ直ぐ立つのに、司奈は歪んでるよね」


「カンチョーされても結構平気そうだし」


「実は男だったりして。ははは」


「しっ、聞こえるよ」


「実は男だったりして。うふふ」


「笑い方はどうでもいいんだよ!」


 私は三つ子の会話を聞きながらも周囲に気を向けていた。

 苛々しながら待っていたが、どうにもこうにも三つ子たちの相談は本筋から逸脱しがちである。

 私の焦りを感じ取り、本能的な意地悪精神が発揮され、相談を長引かせているのか。

 とんだ小悪魔どもである。でも嫌いになれない。


 私は精神年齢が実年齢よりも高かった。

 ぐっと堪えて我慢。

 最近便秘が解消されてストレスが溜まり難くなっているというのも関係している。

 どうせ三つ子たちと一緒にショッピングに行くと決めた時点で、休日が一つ潰れることは覚悟していた。

 多少の艱難辛苦も、どんと来いといった感じである。

 赤沢が三つ子の存在に気付いたとしても、それはそれで、乗り越えてみせる。

 私は腹を据えていた。


「もう、これでいいじゃないかぁ」


「嫌だ、こんなの嫌だ。こんなラインナップは破滅的に嫌だぁ」


「駄々を捏ねるなよ健二。お前の分だけで五千円使うんだぞ」


「だけど嫌なんだ。そっちじゃなくてこっちを買うんだい」


「こっちよりあっちのほうがいいだろ。どうせこっちはすぐに飽きるだろうし」


「あっちも微妙だな。これのほうが……」


「これよりこっち。あれもいいけどそっちだけは駄目」


「あれなんてありえない。こっち並にないね。だったらそれがいい」


「それだって? それはないなあ。これだよ。あれでもいいけどこれしかない」


「あれなんか選んだ日には絶縁するからな、断じてあっちだ!」


「こっちだ!」


「そっち!」


「あっちこっち!」


 お願いだから固有名詞を使って喋ってくれ。

 私は三つ子たちがどんな会話をしているのか気になってしまって、彼らに近付いた。

 彼らはもう中古品だけに絞って考えているようだった。

 そしてぶつぶつと言っている。


「千円足りない……。あと千円あれば、パターンHで、全員が納得できる買い物ができるのに」


「なるほど大人はこういう心情に直面して身の丈に合わない借金をこさえるのか」


「自分の願望を抑え込むだけならともかく、周囲とのバランスを図りながら経済活動に勤しむことの何と困難なことよ」


「きみたちね……」


 私は思わず苦笑してしまっていた。

 そして本来なら牢として開かれることのない私の財布の紐が緩んでいた。


「千円くらいなら出すよ。仕方ないなあ……」


「えっ」


「本当」


「わあい今夜はパーリナイッ!」


 三つ子が私の周りを取り囲んで万歳三唱した。

 ああ、畜生、美鶴の弟だけあって、どいつもこいつも可愛い貌しやがって。

 こんなことをされてしまったら、似たような状況に直面したとき、また小遣いを与えてしまうかもしれない。

 癖になったらやば過ぎる。

 それを十分自覚しつつ、私は研一だか健二だか賢三だか分からない少年に千円札を一枚手渡した。


「うーやっほい!」


「司奈を大統領に推薦します!」


「今夜は眠らせないぜ!」


 三つ子は彼らなりの礼の言葉を述べると、我先にとレジへと向かった。

 彼らの手には七本ものゲームソフトが収まっていた。

 彼らの小遣いは、現在、ジャスト一万円のはずである。

 一万円で七本ものソフトを買えるものなのか。

 父が言っていたが、昔ファミコンソフトは一つで一万円以上したそうである。

 三つ子が手にしたのは全て中古ソフトとは言え、とんだ物価の下落である。

 ゲームソフト業界はこれでちゃんと利益が挙がるのだろうか。

 昔はボロ儲けだったってだけならいいんだけど。


 まあ、私一人が心配したところで詮ないことである。

 三つ子はすぐに帰りたがるだろうか。

 購入したゲームを早くやりたいのなら帰りたがるだろうが、神田屋の中を探索したいと言い出さないとも限らない。

 私は三つ子を見失わないよう、彼らの後をついて行った。

 赤沢の姿は近くにない。


 三つ子はレジに並び、前掛けを垂らした中年男性の店員さんにゲームソフトを突き出していた。

 中古のゲームソフトはカウンター奥の棚にソフト本体と説明書が保管されており、一時レジがてんやわんやとなった。


「一万二九〇円になります」


 しかし三つ子は一万円しか出していない。

 あいつら、消費税を考慮してなかったんだな。

 私は慌てて近づいて行って小銭を出した。

 大統領どころか召使いの如き働きである。




     *




 彼らが購入したのは、七本のゲームソフト。

 彼らは三つ子であり、考え方が似通っている。

 従って、思い思いのソフトを買うとだぶる可能性がある。

 彼らが共同で七本のゲームを買ったのは賢明な判断であった。


 しかし、三つ子全員で七本のゲームソフトを買った、とは彼らは認識しておらず、それぞれが欲しいと主張するゲームを入手したようだった。

 どうやら、プレイした後に誰が面白いゲームを選定できたかを討論し、最も成績の良かった者が今後のゲームソフト選定においてイニシアチブを握るというシステムのようである。

 うーん将来有望。


 私たちは一階の食料品売り場まで降り、食堂の六人席を陣取った。

 そこは環形のホールとなっていた。

 三六〇度どこを向いても屋台がオープンしており、たこ焼きだのクレープだのアイスクリームだのを売っていた。

 お昼時ということもあり、人の出入りが激しく、こんな場所で三つ子とはぐれたら一発アウトだな、と思った。


 三つ子は気が急いて、購入したばかりのソフトをビニル袋から出し、封印を剥がし、説明書を読み始めた。

 私は三つ子の為に食事を用意する必要があった。

 昼食代はどうやら私が全て出す必要があるらしい。

 

 後で規夫さんに請求すれば出してくれるだろう。

 小銭程度ならともかく、数千円の貸しというのは、さすがに許容できない。

 ゲーム代の千円は私の善意だが、それ以外の出費は面倒見切れなかった。


「たこ焼きでいい? あと、焼きそばとかあるけどさ」


「いいよいいよ何でもいいからさっさと買ってきてくれたまえ。きみのセンスを見てやろう」


「ぼくはアイスクリームを。無論レモン味だ」


「ぼくはクレープを。マラスキーノ・チェリーのトッピングを忘れるな」


「はいはい。全員デザートはバニラアイスでいいね」


 私はひとまず、一番空いていたたこ焼きの屋台の列に並んだ。

 四人前を頼むと、店員から、


「デートのときはあんまり食べないほうがいいよ」


 とアドバイスを貰った。


 私は首を傾げ、はあ、と返事をしたのだが、なぜそんなことを言われたのか、遅れて理解した。

 私の隣に突っ立っていたのは赤沢であった。

 いつの間にか私の後ろに並んでおり、順番が来ると同時に隣に立ったらしい。


「四人前じゃなくて五人前でお願いします」


 赤沢はいけしゃあしゃあと言ってのけた。

 私は彼を睨みつけた。


「どうしてあたしがあんたの分まで払わないといけないの」


「どうせ規夫さんの奢りになるんだろう。お前の出費じゃない」


「規夫さんに請求するのは三人前だよ。自分の分は自分で払う」


「いいじゃないか」


 赤沢が私の肩に腕を回した。

 ぞっとした。

 寒気が走る。

 引き剥がそうとしたが、彼の爪が肩に食い込んでいた。


「話がある。一緒のテーブル、いいだろ?」


「ここで話をして」


「短い話じゃない。それに、野暮だろ、立ち話ってのも」


 私は反論しようとしたが、たこ焼きを目の前で焼いている店員の視線が気になった。

 それに後ろにも少なからず客がいる。

 駄目だ。

 口論なんかしたら目立つ。

 目立っていけない理由なんてないが、悲しいかな、私は日本人であり、日本人は周囲からの視線が人一倍気になることで有名な民族なのだ。


「……三つ子とは話をしないで」


 結局あっさりと折れた。

 赤沢は指の力を緩め、軽く撫でてくる。


「禁則の内の一つだ。そんな畏れ多いことはできない」


「学校の知り合いって紹介するから、三つ子には」


「恋人って紹介したほうがスムーズだろ」


「ふざけるな」


「ふざけてないさ。ふふ……」


 赤沢が離れた。

 私はたこ焼きが完成するまでじっと立ち尽くしていた。

 肩がジンジン痛む。

 肩に爪を食い込ませるなんて、お前は恋人にできるのか。

 できないだろう。

 美鶴には指一本触れることさえ躊躇するくせに。

 悔しい思いでいっぱいだった。

 昨日の色川先輩といい、美鶴に惚れる人間は、慎ましやかな愛を育もうという気概はないのだろうか。

 公然と美鶴に惚れていると言ってのける、それは全然いいが、周囲を巻き込んで他人を傷つけることをも厭わない、そんな自分勝手な男に美鶴が惚れると本気で思っているのか。


 店員が青海苔を散らしながら、


「なに、ふられたの?」


 きっと私はよほど悲しい顔をしていたのだろう。

 それにしても失礼な店員である。アルバイト三日目だろうか。


「だったら良かったんですけどね」


 私はたこ焼き五パックを受け取って、踵を返した。




     *




 三つ子には赤沢が学校の友達であると紹介した。

 赤沢は軽く三つ子に挨拶した後、たこ焼きを食べ始めた。

 三つ子の興味はゲームの説明書から赤沢へと移行した。


「じゃあ、あたしはデザート買ってくるよ」


 私はそのままテーブルを離れようとした。

 赤沢は美鶴フリークスの鉄の掟に縛られている。

 三つ子に変なことはしないだろう。


「あ、ぼくも行く」


 三つ子の内の一人が手を上げた。

 他の二人は不思議そうに兄弟を見つめたが、追従はしなかった。

 奇特なことをする兄弟もいたもんだなあ、という顔をしてから、赤沢に次々と質問攻撃を浴びせかける。

 赤沢は無難に「うん」「そうだね」「それは違うかな」といった簡単な返事をするにとどめている。


 きっと色川の指令を受けて私に会いに来たのだろう。

 休日返上で忠実なことだ。

 私は察しをつけてからテーブルを離れた。

 三つ子の一人がついて来る。


「そんなにクレープが欲しいの、健二」


「ぼくは賢三だよ。それにぼくが欲しいって言ったのはレモンアイス。そうじゃなくて」


 私と賢三は並んで歩き始めた。

 アイスの屋台は二つあったが、賢三が混んでいるほうを選んだ。


「司奈、あの人と友達なの」


「そうだよ」


 私は、嘘ではない、と思いながら答えた。

 仲はすこぶる悪いし、彼への印象は最悪に近いが、同じクラス、あるいは同じ学校の生徒を指して「友達」とする潮流が最近は支配的である。

 友達という言葉が本来持つ意味が拡大解釈され、稀釈されているように思われる。

 もちろん私は最近の動向しか知らない小娘であるけれども、友達という言葉の響きに一種滑稽なものが含まれつつあること、それが本来望ましくない事態であることには感付いている。


「ふうん」


 賢三は何か言いたげに、しかしそれ以上何も言わず、大人しく行列に並んだ。


「何か言いたそうだね」


「あの人と、仲悪いでしょ」


「うん?」


 私はどう返事するべきか迷った。

 うん、か、とんでもない、か。


「うーん、と……」


「仲悪いんだね。良かったら、即答できるはずだものね」


 勘が鋭い小僧だ。

 私は隠し切れない、と思った。


「どうだろうね。すぐに答えられても、怪しいものじゃない?」


「隠すことないよ。ぼくもあの人嫌いだもん」


「第一印象最悪ってやつ?」


「そうじゃなくて。よく家の前にいるんだよ。二年くらい前から、週に一度は見かけるね」


 私はぞっとした。

 それでは完璧に美鶴のストーカーではないか。

 中学生だから許されないこともないかもしれないが、もし大人が同じことをしたら、罪に問われかねない。


「……マジで?」


「マジもマジ、ジーマーだよ。最初はたまたま家の前が帰り道なんだな、とか、誰かと待ち合わせしているのかな、とか、日向ぼっこしてるのかな、とか、いやあれは光合成だ、とか思っていたんだけど、二年も続くと、さすがにね……。あ、司奈がウチに来てカンチョーされて悶絶した日も、家の前にいたよ」


 賢三は少し呆れている様子である。

 私は振り返った。

 赤沢がこちらを見ていた。

 たこ焼きを頬張りながらピースサインをする。


 私は彼から視線を逸らした。

 店員の手際の良い対応のおかげで、列はずんずん進んでいく。


「……研一と健二はそのこと知ってるの」


「知ってたらあんな風に喋れないでしょ」


 賢三は肩を竦める。

 研一と健二が赤沢と親しげに話している声がここまで聞こえてくる。


「賢三、それ、兄弟に二年間もずっと隠してたわけ」


 私は愕然とした。

 一心同体の三つ子たちの内の一人だけが、そんな大事なことをずっと抱え込んできたのだ。二年間も。

 二年前、賢三は小学二年生である。そんな幼い頃から。


「大袈裟に言わないでよ。隠すとか隠さないとかじゃない」


 賢三はつぶらな瞳を私に向けてきて微笑した。


「そういう人はたくさんいるんだよ。研一や健二だって、ぼくの知らない『ストーカー』を何人か知ってるだろうし、わざわざそういう危険分子の見た目とか、特徴を教え合うなんて、そんな無駄なことを、ぼくたち兄弟はしないのさ」


 私は絶句した。

 姉の親友にカンチョーをして喜んでいるようなガキどもがそんなことを言うなんて信じられなかった。


 論理パズルなんて厄介な代物と幼い頃から触れ合っている影響だろうか。

 こいつらは小学生にしては大人びている。

 私はどう返せば良いのか分からなかった。


「お姉ちゃんはモテるんだよ。男とか女とか関係なく、モテる。そんなことは昔から知ってた。けどただモテるだけじゃない。誰もお姉ちゃんに手を出せないんだ。ストーカーなんて怖くないよ。誰もお姉ちゃんに声をかける勇気なんてないし、あったとしても、お姉ちゃんを狙ってる人たちからリンチに遭うし。ぼくたちはただ気付かないフリをしていればいい」


 賢三は危うい眼差しをする。

 酩酊しているかのような、妙に据わった眼である。


「下手に警察なんかに通報してごらん。ストーカーがストーカーをこらしめるシステムが出来上がっているのに、それが崩れちゃう。お姉ちゃんに手を出す輩が出るかもしれない。特に最近は、過熱してるっていうか、お姉ちゃん最大のモテ期なのかも」


 ストーカーがストーカーを戒めている……。

 まさしく、美鶴フリークスを名乗る集団が美鶴ファンの暴走を抑止している、現状そのものであった。


「……大変なんだね」


「別に労ってもらいたくて言ってるわけじゃないよ。あの赤沢っていう人、ついに境界を越えたっていうか」


「境界?」


「分かるんだよね。ウチに近付く人って、大抵、潰されるんだよ。ぼくたちと休日に接触するのはアウト。家の前で待ち伏せするのは、週に一度くらいならセーフ。三日以上になると完全アウト」


「へえ……。潰される、ね」


 私は例外的な存在らしい。

 いや、美鶴フリークスの保護を受けている、というだけの話か。

 美鶴の家に出入りして無事でいられるのは、現在、私くらいのものらしい。


 アイスの屋台で私たちの番になった。

 賢三が素早くレモンアイスを注文する。

 私は苦笑しながら、仕方なく、一番安いバニラを買うのを諦めた。

 他のガキどもは賢三だけレモンアイスを食べていたら不満を垂れるだろう。


「でも、赤沢ならきっと大丈夫だよ」


 勘定を終え、アイスを三つ受け取った私は、早速レモンアイスを舐めている賢三を一瞥して微笑した。


「あいつ、結構な後ろ盾があるからね。ぱしらされてるだけ」


「パシリなの、あの人。ふうん、恰好良いのに」


 賢三は少し安堵したように言う。

 もしかして、赤沢が私の友達と聞いて心配してくれていたのか。

 赤沢がこのままでは潰されるから、彼と友達の私にその旨を知らせてくれた、と。


 私は無性に嬉しくなって、賢三の肩を太腿で小突いた。

 本当は撫でたかったのだけれど、あいにく手はアイスで埋まっていた。

 賢三は私にキックされたのだと思って、理不尽な暴力に晒されたとばかりに目を見開いた。可愛い。




     *




「話は二つあるんだが、交渉と警告、どっちからがいい」


 私は首を傾げた。

 三つ子はたこ焼きを頬張りながらゲームの説明書を熟読することに熱心である。

 赤沢は私の隣の椅子に腰掛けて、肩に少し触れながら声を紡ぐ。

 囁くような声であり、まるで口説いているかのような口調だった。


「別に……。どっちからでも。あんたのしたいようにドーゾ」


 警告と交渉。

 思わせぶりな言い方だった。

 さっさと済ませて欲しかった。

 せっかくの休日をクソガキどもに潰されるのは苦痛だが、赤沢のような変態と長々と話をするのはもっと苦痛だった。


「じゃあ、警告からだな。お前、色川先輩に目をつけられてるぜ」


「ああ、明日、論理パズルで勝負するとか言われたっけね」


 もしそれだけなら拍子抜けだが、赤沢の表情は思いのほか深刻だった。

 私の鼻先で指を振る。


「色川先輩は本気さ。いよいよ美鶴様への告白準備も大詰めになっているからな。当初は尊師織井にも告白に協力してもらおうと考えていたそうだが、お前のあまりのバカっぷりに、考えを改めたそうだ」


「バカ……?」


 いったいどこでそんな判断をしたのだろう。

 私の成績は悪くないし、クラスでもそれほどバカにされているわけではない。

 先生にはお調子者と認識されているようだが、ちゃんと身の程は弁えているつもりだ。


 クラスの違う色川先輩が、どれほど私のことを知っているというのだ。

 私は反感を抱いた。


「先輩が本気だからって、何なの? 告白なんて勝手にやればいいし、あたしは別に……」


「もし、お前が色川先輩の出した論理パズルを解けなければ、お前は潰される。それは既に聞いていると思うが、色川先輩は本気のパズルを作ろうと奮起している。はっきり言って、お前がパズルを解くことは難しい」


「どうだか。警告ってそれだけ? しけた話をしてんじゃないよ」


 赤沢は何か言いたげに口を開いたが、声を出す代わりに、大きなゲップをした。

 私はげんなりした。


「ちょっと!」


「悪い、悪い。で、お前があまりにも無防備で危ういから言うが、色川先輩は一人でお前の家に乗り込むわけじゃないぜ」


「そりゃあ、腰巾着の数人かそこらは同行するでしょ」


「そうではなく。お前を潰そうと考えている急先鋒『SMクラブ』の刺客が先輩に同行するんだよ」


「えっ、SM……?」


 一瞬ぎくりとしたが、SMとは桜井美鶴のイニシャルである。

 美鶴フリークスとは別のファンクラブが存在しているのか。


「SMクラブのボスが四宮という大男なんだが、こいつがやばい。美鶴様と無断で会話した者は厳しく『処断』している。美鶴様と会話したり一緒の委員会に所属したり家の前を通ったりする度に相応の『SMポイント』が必要なんだ。普段からお前がSMポイントを無視して行動しているので、四宮は怒り心頭に発している」


「はあ? あたしはSMクラブとやらの会員じゃないし!」


「お前は既にSMクラブの名誉会員なのだ。美鶴様の懐に見事入り込んだ実績を買われ、会員番号一を付与されている。お前は連中から敬意を込めて『女王様』と呼ばれているらしいぞ」


 私はもううんざりした。

 美鶴フリークスから尊師と呼ばれるのはそれほど抵抗がなかったが、女王様はやばい。

 何かを勘違いした変態男が寄りついてくるのではないかという懸念がある。

 ただでさえオタクっぽい男子からやたらとモテる私なのに、そんな変な呼び名が定着したら、完全にそういう嗜好の女と思われるではないか。


「SMクラブに女王様……。もうふざけているとしか思えない話だけど」


「他にもお前の社会的失墜を目論んでいる団体はいるが、とりあえず明日の勝負に同行するのは四宮と奴の配下だけだ。もし論理パズル勝負に負けたら、その場で裸に剥かれて写真を取られネットにばらまかれ援交宣言をさせられて日本全国から変態が集結しお前の家に乗り込んでくるだろうな」


「な」


 あまりの発言に私は言葉を失った。

 そんなことが現実に起こるなんて信じられない。

 しかし赤沢がふざけている様子はない。


「そんなの……、そんなことされるいわれなんて」


「あるんだよ。美鶴様と関わることが既に罪さ。日本でも戦前は不敬罪とか普通にあっただろう? 皇族と普通に会うことさえ一般の人間には許されていなかった」


「美鶴は普通の女の子だよ!」


「美鶴様は特別さ……。いや、どんな人間だって、特別になり得る。たとえば、自分の好きな人は、そうじゃない人と比べれば、遥かに特別だろ? 老若男女、全員が美鶴様を好きなのだから、美鶴様は特別なのさ」


 そんな理屈が通じるか。

 しかし、私は美鶴を特別だと断言する赤沢に同意する自分にも気付いていた。

 私だって、他の人が「美鶴は普通の人間だ」と話したら苛立つだろう。

 美鶴は普通なんかじゃない、特別な女の子だよと叫び出したくなる。

 美鶴が一日欠席した学校は騒然となっていたが、他の生徒が三十人欠席したところで、美鶴がいなくなった衝撃と比べれば、可愛いものであろう。


「でも……、私は、そんな、恨まれるようなことをしているとは」


「俺たちも、SMクラブは過激だと思ってるさ。だからこそ、これまで色川先輩が四宮を説得して自重を強く促していた。だけど、お前は色川先輩の怒りを買ってしまった。二日前のカンチョー事件が決め手だった」


「どうしてそんなことまで知ってるのよ……」


 私は唖然とした。

 知っているのは色川先輩だけだと思っていた。

 もしかすると美鶴フリークスの間で知れ渡ってしまったのかもしれない。


「美鶴様の家のトイレを穢してしまった罪は重い。色川先輩はお前に『美鶴様の家を穢さぬよう、事前に下剤を百錠飲んで胃腸を空っぽにしておくことは、訪問者としての常識、責務、義務である。それをできなかった尊師織井の頭は空っぽである』と怒っていた」


 私はもう呆れるばかりだった。

 誰だって食べるし、出す。

 そんな生理現象を槍玉に挙げられていては、人間をやめるしかないじゃないか。

 動物だったら絶対に避けられない。

 植物にでもなれっていうのか。

 でも私は光合成のやり方なんて知らないぞ。

 誰か教えてくれるのか。

 仙人にでもなれってか。


「で、頭が本当に空っぽかどうか、論理パズルで確かめようってことなの……」


「そうみたいだな。弟君と父君が嵌まっているとされる論理パズルで最終的な判断をする……。まあ、事前に準備なんてできないが、せいぜい、集中して問題に取り組める環境を整えておくことだ」


 私はもう何も言えなかった。

 色川先輩が私を目の仇にする理由が何となく分かったが、それですっきりするということはなかった。

 過激派・SMクラブの脅威も私を慄かせた。

 美鶴を取り巻く環境が俄かにグロテスクで過酷なものに思えてきた。

 これまではまだそれほど実感があったわけではなかったが、赤沢の話でその深刻さを理解した。


 私は赤沢がどうしてこんなことを話してくれるのだろうと思った。

 色川先輩が指図したとは思えない話の内容だった。

 美鶴フリークスの尖兵としてではなく、赤沢個人が話に来た印象だった。


「……あんたは私の味方なの?」


「どうだろうな……」


「美鶴フリークスの会員でしょ、あんた。普通は敵でしょ」


「今回の作戦は色川先輩とSMクラブの共謀って感じだからな。正直に告白すると、俺は先輩からお前の監視を任されている。だが、接触しろとは言われてない。ただ、個人的に、お前のことがどうしようもなく心配になって……」


「え?」


「お前に告白してから気付いたんだ。胸の苦しさに。俺は今まで美鶴様に惚れてたと思っていたが、どうやらずっと美鶴様の傍にいたお前に恋をしてたみたいなんだ……」


「ちょ、ちょっと……」


「だから俺と付き合ってくれ。お前が好きだ」


「え、いや、その……」


 私はしどろもどろになって俯いた。

 たぶんこれ以上ないほど赤面している。

 まさかこんなところで告白されるなんて。

 三つ子たちは素知らぬ顔で説明書を眺めている。

 周囲の喧騒が手伝って、聞こえていないのか。


 私はどう返事するべきか迷っていた。

 そりゃあ、赤沢は嫌いだが、顔ははっきり言ってタイプだったし、これから優しくしてくれるなら、それはもう、付き合えないことは……。


 おそるおそる顔を持ち上げると、赤沢は噴き出しそうなのを堪え、ひょっとこみたいな表情をしていた。

 私はぽかんと口を開けた。

 そして彼は大口を開けて失笑する。


「駄目だ、駄目だ。やっぱり真面目に告白なんてできねー! お前の恥ずかしがる顔が本当にゴリラに見えてきた、うひゃー!」


 私は震えていた。

 ぷるぷる震えていた。

 もうこれ以上ないほど震えていた。

 無論激昂の震えである!


「てめえクソこのイ○ポ○ン○! ふざけろ阿呆!」


「おっ、おい誰が○ン○テ○ツだ! 俺のライフルを侮辱するな!」


「だああってめえなんか相手にするんじゃなかった! 消えろ、今すぐあたしの前から消えろ! 消えてなくなれ、塵となれ!」


「このブスゴリラがぁ! せっかく人が心配して色々教えてやったのにその態度は何だ! もうお前なんか知らん! ネットに全裸晒されて変態どもに襲われればいいんだ! けっ!」


 赤沢は勢い良く立ち上がり、憤然と歩み去った。

 話が二つあるとか言って結局一つしか話さなかった。

 そんなことどうでもいいけど。

 私は鼻息荒く彼を見送り、全く手をつけていなかったたこ焼きをようやく食べ始めた。


 私がふと視線を向けると、三つ子が唖然としていた。

 既に彼らはたこ焼きを食べ終え、ゲームの説明書も仕舞い込んでいた。


「し、司奈、インなんとかって、何? 周りがすっごく静まり返っちゃったんだけど……」


「え? あ、その……、知らない? はは、ええとね、インポートって言ったんだよ、輸入って意味」


「ええ? 意味がおかしいよ。こんなときに輸入とかって」


「ああ、いや、違った、違った。インポライトかな。うん、インポライト、確か、そう、失礼極まりないって意味」


 私はそこではたと気付いた。

 周囲のお客さんたちも私に注目している。

 下劣な言葉を使ってしまったことに顔を顰めている大人もいる。

 まさか間違った知識を伝授していることを怒っているわけではなかろう。

 誰かインポライトなんて難しい単語を知っている私を褒めてくれても良さそうなものだったが、ああ、私はとんだ不良娘だよ父さん。


 私は急いでたこ焼きを食べた。

 一刻も早くこの場を去りたかった。

 たこ焼きを残しパックごとゴミ箱にシュートしなかったのは、私の大き過ぎる良心が邪魔したからだ。


「あ、あ、司奈、そんなに急いで食べなくていいよ、ぼくたち待ってるから」


「そうだよ、あ、ほら、言わんこっちゃない、噎せちゃって」


「このジュース飲んでいいよ、あ、零してる」


 私はフードファイターの如き早食いを試みた。

 しかし神田屋のたこ焼きは大粒であり、たこの弾力が凄まじく、私の喉の大きさも十人並であったので、一個目から早くも詰まり気味であった。

 表面は冷めていたが中はほかほかのままで、はふはふ言いながらも詰め込もうとした。


「無茶だ、司奈、ぼくたちが一緒に食べてあげるから」


 三つ子の申し出を私はありがたく思った。

 しかしそれに甘えるわけにはいかない。

 私はにやりと不敵に笑い、彼らを手で制した。

 三つ子は私を気遣わしげに見つめている。

 口の中がいっぱいで喋れなかったが、女には退いてはならないときがある。

 周囲の耳目が集まっている今、みっともないところは見せられないではないか。


 食べた。


「あっ」


 更に食べた。


「ああっ」


 噎せて、


「あ」


 吐いた。


「あー……」





     *





 駅のホームで三つ子に励まされてばかりだった。

 私の服が汚れてしまったので、三つ子が私に似合う服を選んで買ってきてくれたが、サイズが小さ過ぎたし、花柄の寒気のするようなワンピースだったし、私の色黒の肌には似合わなかった。

 研一がふざけてピンクのヘアバンドとか白のレースの手套まで買ってきたが、さすがにそれは着けなかった。

 ていうか他人の金で余計なものをしこたま買いおって……。


「帰ったら、一緒にゲームしようよ、司奈」


 プラットフォームのベンチで四人仲良く並んで座っているとき、三つ子の誰かが言った。


「遠慮しとくよ、健二」


「ぼくは賢三だよ。ウチにはコントローラーが四つあるからさ、一緒に遊べるよ」


「それより、一緒にサッカーしよ。司奈って学校でサッカーやってるんでしょ?」


「ありがと、研一。よく知ってるね」


「ぼくは健二だよ」


「その隣のぼくが研一だよ。サッカーもいいけどさ、ウチには人生ゲームもあるよ。人生に迷ったときにはうってつけのゲームだよ」


 誰が人生に迷ってる、だ。

 しかし、三つ子たちの優しさに触れて、何とも温かい気持ちになった。

 デパートの食堂の真ん中で目立ちまくった私を一所懸命に庇ってくれたのは彼らだった。

 カンチョーされた恨みは既に薄れ、私はもう三つ子たちの実の姉になった気さえしながら、彼らの声を心地良く聞いていた。


「あ、電車来たよ」


「あ、特急だった」


「通過しちゃった」


 三つ子は一旦立ち上がってから、何故かそれぞれの位置を変えてからベンチに座り直した。

 私は嘆息する。


「暇だろうから、またゲームの説明書でも読んでたら? あたしなら、大丈夫だからさ……」


「でも」


「デモもシュプレヒコールもないの。本当は早くゲームしたくてうずうずしてるくせに。我慢しなくていいんだよ、研一」


「ぼくは健二だよ。……司奈こそ、必死に辛抱しちゃってさ」


「心房も心室もしてない。私なら平気だって言ってるのに」


「そうは見えないよ」


「じゃあ、きみの目がおかしいんだ、賢三」


「ぼくは研一だよ。無理に毒吐こうったって、痛々しいだけだよ、司奈」


「読破も小歌もしてないよ」


「さっきから意味不明だよ、司奈」


「意味不明ならあたしの相手なんかしなけりゃいいのよ、賢三」


「そうです、ぼくが賢三です。……もう、司奈ったら」


 三つ子は渋々ビニル袋からゲームを取り出し、それぞれまだ読んでいないゲームの説明書を読み始めた。

 私は各駅の電車が来るまでぼうっとすることに決めた。

 時刻表を確認する限り、あと二十分は暇のはずだった。

 その間に気持ちの整理をつけよう。


 SMクラブを名乗る美鶴のファンクラブが、明日私の家に乗り込んでくる。

 色川先輩は私が痛い目に遭うのを望んでいるのか。

 これってよくよく考えたら大問題ではなかろうか。

 学校側に相談したら対処してくれるのでは。

 いや、きっと信じてくれないだろう。

 よしんば信じてくれたとしても、何ができるというのか。

 担任が出張してくれるのか。

 口頭で注意するのか。

 そんなことになってもSMクラブは日を改めて私を襲撃してくるだけだ。

 実際に被害がないと誰も私の味方にはなってくれないだろう。

 実際に被害というのは、たとえば、赤沢が言ったようなことだ。

 取り返しはつかないし、そうなってから学校に何ができる。

 ネットに流出した私の裸写真を全て削除なんてできないだろう。

 ロリコン教師なら保存とかしちゃうかもしれない。

 誰も守ってはくれない。


 論理パズルに挑んで勝利するのが最もシンプルで後腐れない。

 だが相手の思うつぼであることは確実であり、癪に障る。

 結局色川先輩は私との勝負に負けても失うものは何もない。

 私は論理パズルの初心者であり、色川先輩は日頃からトレーニングを積んでいるという。

 誰がどう見ても不公平な勝負だ。

 そもそも出題者と回答者、どちらが有利なのだろうか。


「あうっ」


 研一が声を上げた。

 そして慌ただしく荷物を漁り始める。

 私と他の三つ子は研一に注目した。

 彼はゲームソフトのパッケージを次々見比べ、そして絶叫した。


「うぎゃあああああ、これとこれとこれ、それとそれが、同じゲームソフトだああぁ!」


 研一の絶叫に私は首を傾げただけだったが、健二と賢三が勢い良く立ち上がった。

 私をベンチから立ち上がらせ、空いたスペースに、パッケージが見えるように七本の中古ゲームを並べる。


 いずれも違うパッケージのように見えた。

 しかし健二と賢三の顔色が蒼白になっていた。


「うっ、ギガヒットベスト……。廉価版だ」


「こっちは改訂版……」


「こ、こ、こ、これも廉価版……」


 三つ子がぶるぶる震え、そして、三人揃って直立状態から後方にひっくり返った。

 私は慌てて三人を助け起こした。


「ど、どうしたのよ! 同じゲームをたくさん買っちゃったの?」


「そうです」


「もうぼくたちは駄目です」


「戒名は『ゲーム大好き清童児』でお願いします」


 私は改めて七本のゲームソフトのタイトルを確認した。右から、



・QUEST OF MAZE(通常版)

・WINGERS(廉価版)

・ROUAULT CORD

・QUEST OF MAZE(廉価版)

・QUEST OF MAZE(改訂版)

・ELECTRIC FIREWORKS

・WINGERS(通常版)



 確かにだぶっている。

 Q(QUEST OF MAZE)に至っては三本も買っている。

 どうしてこんな酷いことが……。


 しかし、私は三つ子を責める前に、彼らを安心させるのが先決であると考えた。

 ビニル袋の中にあったレシートを取り出して微笑する。


「大丈夫だって、返品しちゃえば。さっき買ったばかりじゃん。中古品だって、返品できないことはないでしょ? ……できるよね?」


 三つ子は卒倒したまま、仲良く首を振っていた。横にだ。


「よく」


「パッケージを」


「見てごらんなさい」


 私は言われた通り、七本のゲームソフトの箱を凝視した。

 すると信じられないものを見つけた。


「何これ……。桜井研一、健二、賢三……。ご丁寧に三つ子の名前が全部のパッケージに書かれてるじゃないの……」


「もう駄目なんです」


「書いてしまいました」


「返品できませんし売れもしません」


「ごめんなさい」


「もうぼくは貝になりたい」


「できればホタテになりたい」


 三つ子はもはや川の字に寝そべり、動こうとしなかった。

 私は駄目元で名前の部分をこすって消そうとしたが、油性なのか、かすれもしなかった。


 そこらへんにたむろしている非行少年からシンナーを分けてもらって、これを消すことは可能だろうか、と一瞬考えてしまうほど、三つ子たちの意気消沈っぷりは凄まじかった。

 私はさっきまで彼らに慰められていたことを思い出し、今度は私が元気づける番だ、と奮起した。


「気持ちは痛いほどよく分かるけど、そんなところで寝ないの。ちゃんと立って」


「立てません」


「再起不能です」


「意気地なしでごめんなさい」


「どうせ中古のゲームだったんでしょ、安い買い物じゃない」


 私のその発言に、三つ子が腹筋を駆使してむくりと起き上がった。

 私に向かって三対の双眸が鋭い光を放つ。


「安い買い物とは何だ。一番高いのは二〇〇〇円もしたんだぞ」


「安いやつでも五〇〇円したし」


「小学生にとっては五〇〇円でも大金だい!」


 三つ子がぎゃあぎゃあ騒ぎ出した。

 私は少し安心した。

 そうだ、騒がしいほうが遥かに三つ子らしい。

 いきなり敬語なんて使われたときには気持ち悪かったくらいだ。

 こいつらは横柄なくらいが丁度良い。


「そもそも司奈が悪いんだよ。保護者のくせに、同じゲーム買っていることに気付かなかった」


「そうだそうだ。弁償しろー」


「なっ……。きみたちがちゃんと確認しないのがいけないんでしょ。それに、名前書いちゃうなんて非常識にも程があるでしょ」


「お父さんは持ち物にはちゃんと自分の名前を書けって言ってたもん。司奈はお父さんを否定するのかー?」


「えっ、いや、そりゃあ、名前を書くのは大事だけど……」


「これだから大人は嫌なんだ。何か具合が悪いとすぐにこうしておけば良かった、ああしておけば良かった、って言い訳を弄する。どっちなんだよ、司奈は! 名前を書くべきだったのか、書くべきではなかったのか!」


 ここでの論争に勝つには「書くべきではなかった」と言うべきだろう。

 しかし今日を境に三つ子たちが自分の教科書や上履きに名前を書くことを拒絶するひねくれたガキに変貌する危殆があり、安易に意見を述べるのは避けたほうが良さそうだった。


「け、ケース・バイ・ケースよ」


 私は逃げようとした。

 しかし三つ子の言葉の弾幕はあっさり私の推力系を破壊し逃げ足を封じる。


「何だよそれ! 陳腐にも程があるぞ!」


「これだから大人は信用できないんだ!」


「絶望したー! 司奈のあまりに下手な言い逃れに絶望したぁー! 」


「うるさいなあ、どうして欲しいのよっ! 四種類のゲームが買えたんだから満足でしょ! 一つ二五〇〇円だったって考えれば安いもんじゃない、だぶった分は学校の友達にでも配ればいいのよ!」


「弁償しろー!」


「弁償するんだー!」


「確かそれぞれ五〇〇円、一〇〇〇円、一五〇〇円、二〇〇〇円だったから、五〇〇〇円くらい弁償しろー」


 とても呑める金額ではなかった。

 三つ子たちには同情を覚えていたものの、五〇〇〇円となると私の二か月分の小遣いにも迫る大金である。


「うっさーい! さっさとゲームしまえ! もうすぐ電車来るよ! 同じゲームを買って気付かないきみたちが悪い!」


 私が言うと、三つ子たちははっとしたように互いの顔を見た。

 そして何やらごにょごにょと相談を始めた。

 私が息を潜めて見守っていると、研一たぶんが私に向かって指を突きつける。


「司奈に論理パズル勝負を申し込む!」


「えっ?」


 私はどきりとした。

 赤沢の話を聞いてから、論理パズルという言葉の響きに恐怖のようなものを感じる。

 健二たぶんが胸を張って宣言した。


「ぼくたちが勝ったら、司奈はゲーム代を弁償する!」


 賢三たぶんが後を引き継ぐ。


「ぼくたちが負けたら、司奈の肩を揉んで理不尽な要求を詫びる!」


 三つ子が挑戦的な眼差しを送ってくる。

 私は応じるしかないんだろうなあと観念しつつも、どいつもこいつも自分が負けたときのリスクが小さ過ぎるんじゃないのか、と不満に思った。

 あと理不尽な要求だって分かってるなら自重しろ。




     *




 三つ子が問題文を完成させ、私にメモ用紙を渡したとき、ちょうど鈍行列車がホームに入ってきた。

 私は三つ子たちを引き連れて、車内に入った。

 中はガラガラであった。

 隣駅がかなり大きく、多くの人がそこで特急だの快速だのに乗り換えるからだろう。


 私は端の席を選び、メモ用紙を睨むように眺めた。

 三つ子は吊り革にぶら下がったり優先席でうつらうつらしている高齢者の顔の前で手を振って遊んでいる。




 ここに中古のゲームソフトが四種類(Q、W、E、R)ある。

 それぞれ一円、二円、三円、四円のどれかであるが、Qだけは四円であると確定している。

 軍資金は二〇円であり、三つ子(研一、健二、賢三)はそれぞれ一つか二つか三つを買って、合計七本買った。

 軍資金は使い切った。

 同じ人物が同じゲームを買うことはないし、同じ組み合わせの買い物をすることはないが、たまたま同じ金額分購入することはありうる。

 Qは三つ、Wは二つ、EとRは一つずつ買った。

 どれが何円で、誰がどれくらい金を使ったのか調べたい。

 三つ子は互いに誰が何円使ったのか知っていて、自分よりたくさんお金を使った人物に関する証言は常に嘘となる。

 逆は常に真実。

 ただし、全く同じ金額分購入した者に対しては、真実を言うか嘘を言うか定まっていないとする。

 意味のないことは言わない。



 研一の証言「健二はEを買った」

 健二の証言「賢三はRを買っていない」

 賢三の証言「研一は七円以上使った」




 複雑な問題だった。

 三つ子はこれを、隠れ坂駅に電車が到着するまでに解けと言う。

 制限時間はせいぜい一五分というところだ。

 問題を理解するだけで数分を要する。


 現実の事態とおおむね符合している。

 確認しておくべきは、Qは通常版、廉価版、改訂版とあったが、そのいずれも同一の値段であり、全く同じゲームとして扱われている点だろう。

 Wもだぶっていたが、廉価版も通常版も同じ値段だ。


 そしてQ、W、E、Rのいずれも値段が違っていることにも注意だ。

 私は数学の方程式が使えるのではないかと思ったが、どうにもこうにも数学は苦手で、わざわざ苦手分野に足を踏み入れることもあるまい、と自分を戒めた。


 更に、私はあることに気付いていた。

 同じ人物が同じゲームを買うことがないのなら、三つ子全員が、三つあるQを購入していることになるではないか。

 私は三つ子たちの暢気な横顔を一瞥し、ふふふ、一五分もかからないかもよ、と独り言を言った。


 論理パズルで三つ子に挑戦されたときは驚いたものの、明日の色川先輩との対決の、良い練習になると思った。

 これは今まで直面してきた論理パズルより遥かに複雑なものだと直感していたが、不思議と、絶対に解けないとは思わなかった。

 問題文は長くてうんざりするが、証言は簡明で、整理し易く、場合分けをしていけば問題なく解ける気がした。


 ただ、制限時間があることが気になると言えば気になる。

 昔から計算は苦手だった。

 数字を扱うというところも不安要素だった。

 私は純文系人間だ。


 腕時計で時刻を確認し、一〇分以内のクリアを目標に、本格的に問題との対決に没入していった。


 証言を吟味していくと、研一と健二の証言から、EとRというゲームが焦点となっていることが分かる。

 EとRはそれぞれ一つしか買っていないし、これだけでは何とも言えないので、どちらも真実、嘘、両方の可能性がある。

 あまり詳しいことは分かりそうにない。


 賢三の証言を見る。

 これが真実だとすれば研一は少なくとも二つ以上のゲームを買っていることになる。

 嘘だったら……、よく分からない。


 このまま証言だけを見ていても正解には近づけないようである。

 私は地道な方法を模索することにした。

 問題の条件から、分かることはないだろうか。


 一番に注目したのはやはり、七本買って合計二十円、という点である。

 しかもQを三つ、Wを二つ買っていると分かっている。

 何か可能性を限定できるのではないか。


 七本で二〇円、ということは、一本平均、三円以下ということになる。

 しかし三円に限りなく近い。

 これは何を意味するか。

 ゲームソフト自体の平均価格は二,五円である。

 平均が二,五円付近ではない以上、ゲームの買い方に偏りがあるはずなのだ。


 たとえば、三つ買ったQは四円と確定しているが、他のWやEやRは、可能性を限定できないだろうか。

 Q三つで合計一二円。

 二つあるWが三円だったとすると、二つで六円。

 EとRが二円と一円ずつだから、合計が二一円ということになってしまう。


 すなわちWが三円である可能性は消えるわけだ。

 同じようにWが一円としてしまうと、合計の金額は一八円となってしまう。

 Wの金額は二円に確定する。


 私はこのような考え方で、場合分けを進めることに成功した。

 複雑に思えた値段の組み合わせも、結局二つしかないことが分かった。



 ゲームソフトの値段は、下記の二通りが考えられる。

ⅰ Q4W2E3R1

ⅱ Q4W2E1R3



 ここから分かることは何だろうか。

 三つ子全員がQを買っているのだから、最低でも全員が四円は買い物をしていることになる。

 更に、一人は三つまでしか買い物をしていないから、最大でも九円分しか買えないことになる。

 三つ子たちはそれぞれ四円から九円の範囲で買い物をしているということが分かる。

 それらを確認したところで、思考が止まった。

 ここからどう考えればいい?

 証言を見ても、あまりしっくりくる解法は見当たらない。

 まだ証言に踏み込むのは早い気がする。

 そう、合計で七本買ったのだから、一人が一本しか買わない状況なら、残る二人は三本買ったことになる。

 何だかパターンが限定される気がする。


 私は少し気が遠くなった。考えられる限りの買い物パターンを書き出すべきではないか。

 しかしそれでは一〇分以内にクリアなんてできそうにない。

 数秒悩んだが、こうしている間にも時間は過ぎている。

 とにかく手を動かそう。

 車窓に切り取られた長閑な景色に目を向けられない現状に嫌気が差したが、五千円弁償することになったら、貯金がたくさんあるとはいえ、キツイ。

 もちろん、そんな約束は反故にできなくもなかったが、そうなったら三つ子たちに軽蔑されるだろう。


 私は猛然と場合分けをしていった。

 本当にこれで正しいのかを吟味しながら、書き上げていく。



 三つ子の買い物で考えられる組み合わせは下記の三通り。

 ①QWE,QW,QR

 ②QWR,QW,QE

 ③QWE,QWR,Q


 ゲームソフトの値段と買い物の組み合わせを統合して示すと、

ⅰのとき、①QWE9 QW 6 QR5

     ②QWR7 QW 6 QE7

     ③QWE9 QWR7 Q 4


ⅱのとき、①QWE7 QW 6 QR7

     ②QWR9 QW 6 QE5

     ③QWE7 QWR9 Q 4



 書いてみたはいいものを、数字の羅列で意味が分かり難い。

 QWEだのQWだののみが書かれている表は、それぞれの商品を購入し得る組み合わせである。

 数字とアルファベットが行儀よく羅列している表は、その購入し得る表と、ゲームソフトの値段の可能性(ギリシャ数字)を照らし合わせ、三つ子が実際に購入した金額の可能性を示したものだ。

 文章にしても分かり難い。


 ここでやっと、それぞれの証言について吟味するときが来た。

 というより、これ以上証言以外の問題文を吟味することができそうにない。

 できるかもしれないが時間がない。

 時間がないというか電車が駅に到着した。


「司奈、できた?」


 三つ子が私のメモを覗き込んだ。

 私が、さっぱり、とジェスチャーしたら、一瞬三つ子たちの顔に悪魔的な勝ち誇った表情が浮かんだ。


 しかしそれもすぐに消えた。

 彼らは仏のような笑みを浮かべる。

 左から弥勒菩薩、観音菩薩、普賢菩薩である。


「しょうがないなあ。歩きながら考えてよ。駅からぼくたちの家まで考えていいからね!」


 恩を売ったつもりか。

 私は文殊菩薩の如く笑いながら立ち上がり、ホームに降り立った。


 三つ子たちと会話しながら家路に就いたが、国道沿いのかしましい通りを歩いていたのに、問題に熱中していた。

 勉強でもこれくらいの集中力が欲しいところだった。

 そんなに金が惜しいのか私は。


 それはさておき、どうも、賢三の証言に鍵がありそうだった。

 賢三の証言「研一は七円以上使った」が真実なら、条件から、賢三は研一以上にお金を使っていることになる。

 すなわち、97、77のいずれかの組み合わせが存在していなければならない。

 これでかなり数字の組み合わせが限定される。

 ただ、これだけでは限定される、というだけの話で、発展はしない。


 最も金を使っていないのは健二となる。

 ということは研一の証言は真実であり、健二の証言は嘘ということになる。

 研一の証言は「健二はEを買った」、健二の証言は嘘だから「賢三はRを買った」となる。


 確認すると、金をたくさん使った順に、賢三、研一、健二だ。

 そして研一は七円以上使っている。

 最も金を使っている賢三はソフトを三つ買っている必要がある気がする。

 確認すると、そうでもなかった。

 ⅰとⅱの場合に、767という数字が出現しており、その場合最も金を使った者が二つしか買っていないということがありうる。

 ただ、それを除けば最も金を使った者が三つ購入したということが言える。

 私は思考を進める為に、767の場合をとりあえず無視して考えた。


 健二の嘘の証言から「賢三はRを買った」ので、賢三はQWRの買い物ということになる。

 二番目に多い買い物をした研一は健二に関して真実を言うので「健二はEを買った」のであり、その場合、健二の買い物はQEとなる。

 残った研一はQWの買い物である。

 ただ、このとき研一は七円以上使っている必要があるが、QWではたったの六円にしかならない。

 QとWの値段は確定していて動かないから、明らかに矛盾している。


 これで「だから賢三の発言が真実だという前提は成り立たない!」と言えれば良かったのだが767の場合を無視していた。

 すなわち、賢三がQEもしくはQRしか買っていないのに、三人の中で最も高い買い物をした場合である。


 これはどう考えれば良い。

 賢三は真実を言っているという前提で、研一は七円以上だから、767の7は賢三と研一だ。

 健二は6で、嘘をつく。

 研一は真実を言う。

 状況としては先ほどと変わらない。


 すなわち「健二はEを買った」のであり「賢三はRを買った」のである。

 したがって賢三はQRで7。

 更に健二はEを買ったので少なくともQEを購入しているが、Wは合計で二つ買っているので、QWEを購入したことになる。

 だがそうなると研一はQWの購入となり、明らかに健二のほうが研一よりも購入していることになってしまう。

 これは矛盾。


 この矛盾は、賢三が真実を話している、という前提から生まれたものであるから、賢三は嘘をついているのである。

 研一のほうがたくさん金を使っているものだから、僻んでいるのだ!


 いや、767の場合があるので、賢三が嘘をついているからと言って、賢三のほうが金を少ししか使っていないとも限らない。

 いやいやその為には、研一も賢三も七円出費しなくてはならないはずだが、賢三の嘘の証言から「研一は六円以下しか使っていない」のである。

 767の場合は完全に排除しても良いということになるだろう。


 さて、これで以下のことを確定できる。研一は六円以下の買い物しかしていない。

 そして、賢三は嘘をついているので、賢三よりも研一のほうがたくさん買い物をしている。

 ついでに言うと767の組み合わせは排除できる。


 これはかなり数字を限定できるのではないか。

 たとえば、974という金額の組み合わせだった場合、これは矛盾を生む。

 なぜなら、研一は六円以下の買い物しかできないから、四円分買ったということになるが、賢三は研一に関する証言で嘘をついているので、彼より少額の買い物しかしていない。

 974という組み合わせでは、賢三は研一以下の買い物ができないのだ。

 無理矢理やろうとしても矛盾が発生する。


 私は一つ一つの場合について慎重に歩を進め、この考え方が間違っていないことに確信を持った。

 こうして、金額の組み合わせを限定することに成功した。




 ⅰのとき、QWE9 QW 6 QR5

      

 ⅱのとき、QWR9 QW 6 QE5

      




 私はこの結果に満足した。かなり答えに近付いているという感覚があった。

 残ったのは、965の場合のみである。

 まさかここまで可能性を限定できるとは思わなかった私は、もっと簡単な解法があったに違いない、と思いながらも、答えを出すことにした。

 わざとのろのろ歩いて三つ子たちを待たせる。

 彼らは口を尖らせて、牛歩戦術って国会の中だけじゃなくて日常にも使えるんだね、とか話していた。


 私は思考を進める。

 賢三が研一よりも少額の買い物だとすると、研一は六円以下の買い物だから、二人が一番高額の買い物をした可能性は消える。

 すなわち、965の組み合わせなら健二が九円分買ったということになる。

 三人の証言は、したがって、研一偽、健二真、賢三偽、ということになる。

 証言を考えると、研一は偽だから、彼の証言を裏返して「健二はEを買っていない」ということになる。

 これはさっきの表で見ればⅱの場合に該当している。

 すなわち、健二はQWRを買って九円、研一はQWを買って六円、賢三はQEを買って五円の出費をしたということになる。

 かくして結論は出た。



 健二が九円、研一が六円、賢三が五円の買い物。ゲームソフトの値段は、Qが四円、Wが二円、Eが一円、Rが三円であった。



「あれ、答え出てるじゃない」


 研一だか健二だか賢三だかが、私のメモを覗き見る。

 私は立ち止まり、近くのガードレールに尻を載せた。

 批判的に自分の出した結論を眺める。


「これでいいの? 何か、場合分けしたら一気に解けた感じなんだけど」


「これで正解だよ。もう普通に解けるじゃない。教えることは何もない、ね」


「そんなことないよ。試行錯誤というか、力技というか。もっとスマートに解ければ良かったのだけれど」


 私は心の底からそう言ったのだが、研一だか健二だか賢三だかの少年は、うふふと笑った。


「謙遜しなくても良いのに。明日、頑張ってね」


 私はきょとんとした。


「え、何を?」


「色川って人と論理パズル勝負をするんでしょ?」


 私は大いに動揺した。

 そして、三つ子がこんな阿呆みたいな世界の話に顔を突っ込んでは駄目だ、と慌てふためいた。


「だって、大声で話してるんだもん。無視しようと思っても聞こえちゃうよ」


 私は、三つ子が仲良く手を繋ぎ、学校で習ったらしいやたらと古風な唱歌を歌いながら家路に就くのを見て、合点がいった。

 そうか、私に論理パズルの練習問題を出してトレーニングさせてくれていたのか。

 同じゲームを複数買ったのはまさしく事故だろうが、そこから一転、建設的な思考に至った彼らの機転と優しさと天邪鬼っぷりには、正直参ってしまった。

 まったく、良い子なんだか悪い子なんだか、分からなくなっちゃったよ。


「あうっ」


 そこで三つ子の一人が色っぽい声と共に、弾かれたように立ち止まった。

 パントマイムをしているみたいにカクカクの動きになる。

 私も他の三つ子たちも彼に注目した。


「どしたの、健二? ロボットダンス上手だね」


「ぼくは健二だよ……って当てないでよ。それはともかく、確かWINGERSって無印とネクストっていう次回作、二つ出てなかったっけ? もしかして同じゲームを買ったわけじゃないかもしれないよ」


 健二の発言に、色めき立つ一同。

 私も落ち着きなく、彼らがビニル袋からゲームを引っ張り出すのを眺めていた。

 三つ子の目が真ん丸に見開かれる。


「……あ、こっちはWINGERSの無印で廉価版、こっちはWINGERS NEXTで、次回作の通常版だ!」


「ああっ、こっちのQUEST OF MAZEも、一作目と二作目と三作目だ! 一作目は改訂版で、二作目は廉価版、三作目は通常版だったんだ!」


 あちゃあ、と三つ子はぺしんと自分の額を叩いた。

 まるで落語家みたいな「うっかり。てへっ」であった。


「そもそもさあ、単なる廉価版にわざわざ違うパケ絵を用意するかねえ?」


「そうだよねえ。よく見れば全然違うゲームじゃないか」


「説明書だって、違ってたもんねえ」


 何だそれは。

 私は三つ子たちのお騒がせな勘違いに呆れ返った。





○本章のパズルについて

 証言からだけでもかなり可能性を限定することができる。

 賢三が嘘を言い、かつ研一が真実を言うパターンは、三人全員が六円以下の買い物をしたことになり、ありえないと分かる。

 賢三が真実を言い、かつ研一が嘘を言うパターンは、三人全員が七円以上の買い物をしたことになり、ありえないと分かる。

 とはいえ、紙とペンを使って虱潰しに調べていくのが結局は最速だと思います。


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