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転生先が、十年後に処刑される予定の幼女!【コミカライズ】

作者: 皐月めい

 



「……天使が降りてきたのかと思いました」


 窓から落ちたわたしを抱きとめた少年が、はにかみながらそう言った。


 彼の淡い金色の髪がさらりと風にゆれる。

 青い瞳が光を浴びてキラキラと、宝石のように輝いて見えた。


 息もできないまま、わたしよりよっぽど天使めいた容貌の少年を凝視する。

 目がくらみそうなほど美しいこの少年を、わたしはよく知っていた。



「お怪我はありませんか?」

「い」

「い?」

「命だけは……!」

「え?」


 戸惑った顔さえも、とんでもない整いようだ。

 しかしこの顔に騙されて惚れたら最期処刑。惚れなくても多分処刑。


「それはどういう……」

「命だけは助けてくださいい……!」



 いずれわたしを処刑する王太子、アレン殿下の腕に抱き抱えられたまま、全てを思い出したわたしは現実を受け入れられずに気絶した。





 ◇



 事の起こりは、つい一時間前に遡る。


 えぐえぐと肩を震わせるわたしは、乳母兼教育係のブリギッテに腕を掴まれ、埃まみれの物置部屋へと放り込まれた。


 床にべしゃりと倒れ込む。それと同時に、扉が音を立てて閉められた。


「どうぞごゆっくり、クローディア様」


 この物置部屋にわたしを閉じ込めることが、最近の彼女のお気に入りだ。


 この部屋には顔だけが黒く塗られた女の人の絵や、顔や体が半分壊れたお人形など、不気味なものがたくさんある。

 窓の外に鬱蒼と茂る大きな木々は、この薄暗い部屋を一層暗く見せ、少しの風でもざわざわと大きな音を立てるのだった。


「それでは静かにしていたら、夕方には迎えにきてあげますわ。少しでも音を立てて誰かに気づかれたら、お仕置きしますからね。まあ……閉じ込められたと言ったところで、あなたの言葉など、誰も信じませんけれどね」


 そうクスクスと笑いながら、ブリギッテが「それでは」と言う。


 コツコツコツ。

 ブリギッテの足音が遠ざかるのを、床にへばりついたまま慎重に確認をして。



「……今日も完璧に騙されてたわね!」


 がばりと満面の笑顔で立ち上がる。

 スカートについた埃をぱんぱんと払いながら、「動かない絵や人形が怖いわけないじゃない」とにんまり笑った。


 むしろ誰の目も届かないこの部屋は、わたしが唯一安らげる場所だ。

 最近では毎日「あの部屋だけはやめてください……!」とブリギッテに泣きついて、無事に閉じ込められることに成功している。


「なんてったってここなら遊び放題だし」


 美術品を並べて一人マダムごっこや、人形の壊れた部分にその辺の布を巻き付けて暗黒の力を封印されし魔法使いごっこを楽しむこともできる。


「おやつも食べ放題!」


 窓の外にわさわさ茂る木には、手を伸ばせば届く距離に美味しい果実がなっている。


「最高!」


 こんなに居心地の良い空間を、怖いなんて思うはずがない。


 むしろ人間のほうがよっぽど怖い。

 六歳にしてそんなことを悟る程度には、わたしはハードな日々を生きていた。


 わたし――クローディア・フォン・フライエンフェルスは、フライエンフェルス家という、貴族一偉い公爵家に生まれたお嬢様だ。

 本来ならばバッチバチにイケイケなイージーモード人生を歩むはずなのに、こうして日々ブリギッテに虐げられる生活を送っていた。


 あざができないギリギリの力でたたかれたり蹴られたり、髪を引っ張られたりは日常茶飯事。

 それからわたしがブリギッテを困らせる乱暴な問題児だと、周りに言いふらされたり。


 わたしの唯一の家族であるお父さまとお兄さまは、そのブリギッテの言葉を信じている。

 彼らがわたしに話しかけるのは、唯一顔を合わせる食事の席で「ブリギッテに迷惑をかけるな」「ブリギッテを困らせるな」と言う時だけ。


 お父さまはいつも困った猿を見るような目でわたしを見ているし、お兄さまに至っては生ゴミを見る目の方がまだ優しいだろうな、と思う目をしている。


 信用されている彼女は、憎まれっ子のわたしよりもずっと、この家の家族のようだ。

 そんな彼らを一人眺めている私には、絶対に叶えたい夢があった。


 ぎゅっと握りしめた拳を、天にむかって高く掲げる。


「新聞社! 裁判所! 週刊文春に社交界! あらゆるところに幼児虐待公爵家と暴露してやる!」


 投獄までは無理だろうけど、どうかこの家の人々は生涯人でなしとひそひそされていてほしい。お兄さまは現在まだ十歳というお子さまなので、少々減刑してやりたい気ではいるけれど。

 ちなみに文春とはなんとなく浮かんできた言葉で、特に深い意味はない。


 とにかくいつか絶対ブリギッテもろともこの家を地獄に叩き落としてやると心に決めながらも、現在幼児であるわたしにはいかんせん、抗う術がなかった。


「だからこそこのお部屋でのんびり過ごすのが、一番いいんだよね」


 まずは腹ごしらえをしよう。窓台によじ登り窓を開けると、ふわっと気持ちの良い風が、わたしの銀髪を梳かすように優しく吹いた。


「良い風だなあ」


 目を細めながら窓台に座って、手近な赤い実をもぎ取ってかじりつく。しゃりしゃりと小気味の良い音がして、爽やかな甘味が口の中に広がった。


 美味しさに思わず口元がゆるんでしまう。冷ややかな視線のない食事、美味しいものです。

 ご機嫌に食べていると、視界の端でこちらを見ている二人の少年が目に入った。


「……うわ」


 二人組のうちの一人はわたしの兄、イザークだ。短い銀色の髪がつんつんと跳ねていて、いつもわたしを冷ややかに見ている紫の瞳が驚いたように見開かれている。


 もう一人は淡い金色の髪にサファイアのような青い瞳の、ちょっと信じられないくらいの美形の少年だ。多分私と同い年くらい。

 もうちょっと成長したら、恋愛小説の表紙を飾ってもおかしくない美形だなあ。

 そうそう、例えば後半急にこっちが引くほどドシリアスになる『罪深き薔薇は赤く染まる』とか……。


「は?」


 突如浮かんできた聞き覚えのない言葉に頭が真っ白になる。断片的に、脳裏にわたしじゃないわたしの記憶が流れ込んできて……。


「クローディア!」


 鋭い声でイザークが呼ぶわたしの名前に、冷や汗が一気に吹き出した。真後ろにある壁にかけられた鏡を振りむくと、そこには慣れ親しんだはずの美幼女が映っている。


 銀色の長い髪に、きらきらと輝く菫色の瞳。


「クローディア・フォン・フライエンフェルス……」


 わたしの、名前。


 あわあわと動揺し、思わず後ずさりかけて――そういえばここが窓枠だったことを思い出す。

 当然ながらバランスをくずし、ぐらりと傾いたわたしの体は窓の外へと落ちていった。


 そしてふわりと、力強い風のようなものに包み込まれて。


 ふわり、すぽん。


「……天使が降りてきたのかと思いました」


 いずれわたしを処刑する王太子の腕に抱かれ、わたしは失神したのだった。




 ◇◇



 まずは、胸くそ小説の話をば。


 罪深き薔薇は赤く染まる――通称罪そまと呼ばれる、ウェブ発祥の小説がある。


 主軸はよくある、聖女リリアナと王太子アレンの恋物語だ。

 平民の孤児であるリリアナは、聖女のみが使える治癒魔法の使い手だった。隣国との戦争の折で重傷を負ったアレンを治癒したことをきっかけにリリアナは王宮で保護され、恋に落ちた二人は紆余曲折を経て結ばれる。


 そしてこの紆余曲折の大半を担うのが、アレンの婚約者、クローディア・フォン・フライエンフェルスだ。


 母親がクローディアの出産と同時に命を落としたことから父と兄に疎まれ、母の親友でもあった教育係から虐待を受けて育った少女、クローディア。


 当初彼女はアレンの婚約者でありながら、リリアナを応援する善人キャラとして描かれていた。


 平民出身であるリリアナの教育係を自ら志願し、天使のような微笑みでアレンとリリアナの仲を応援するクローディア。逆に人の心ないですよね?というレベルの善人として振る舞っていた。


 ところがどっこい。

 実はクローディアは、自分を虐げてきた国を滅ぼすため、また最愛の婚約者であるアレンを自分だけのものにするために隣国と手を組んだ、ハードボイルドにヤンデレな悪役だったのだ。


 幼い頃から虐待を受け、心の拠り所は自分に優しくしてくれるアレンだけという悲しい状況の中、クローディアの精神は深く壊れてしまったらしい。


 最終的にクローディアはアレンの命により処刑される。泣き崩れるリリアナをアレンがそっと抱きしめ、物語はハッピーエンドを迎えるのだ。



 しかしこの話。その後のエピローグが、胸くそなのである。


 そもそもクローディアが祖国全体を憎むように誘導し、自分を監禁したいと思わせるように誘導したのが、アレン殿下なのだ。


 クローディアとの婚約は、第二王子であるアレンが王位継承を確実なものにするためにと希望したものだ。

 しかし今から数年後、彼は兄を事故に見せかけて暗殺する。そうなると彼にとってクローディアとの結婚は、思ったよりも利点が少ない。


 そんな時に現れたのが、リリアナである。

 努力家で心優しい彼女に心を奪われたアレンは、彼女と結婚しようと決める。

 しかし一方的にクローディアとの婚約を破棄するのは外聞が悪い。それに今は隣国がきな臭い動きをしている。


 それなら一石二鳥でどうにかしよう、そう考えたのがクローディアに罪を犯させよう大作戦だ。


 ちなみにこの作戦が事前に漏れていたことで隣国の作戦も当然失敗。隣国も手酷いダメージを受けて終わり、アレンの一人勝ちとなるのである。


 エピローグでさらりと語られるのだけれど。アレンの実の母である王妃は、目的のためなら何でもする人だった。

 幼い頃から王妃に疎まれ、十歳になる直前彼女に暗殺までされかけたアレンは、『自分は母と同じ人間なのだ』と知る。

 手を回して母を殺したことを回想するアレンはリリアナを抱き寄せ「俺に捕まった君は、本当に運が悪い」と呟くのだった。


 前世十六歳の女子高校生だったわたしは、その話を読み終えて思わず涙したものだ。このヒーロー、いくら可哀想な境遇といえど、人間性が最悪すぎる。リリアナ逃げて。何よりクローディア、かわいそうすぎるでしょう、と。


 どんなに顔が良かろうと、そんなに怖い人とは絶対関わりたくない。

 だって今世こそ、わたしは絶対に死にたくないのだから。



「……許してくださいいいいい……!!」

「クローディア!?」

「!?」


 夢の中で、死神的な鎌を持って笑顔で追いかけてくるアレン王太子から逃げていたわたしは、突然大声で名前を呼ばれ、びっくりして飛び起きた。


 びっくりして目を見開くと、そこにいたのは狼狽しているお父さま。


 しかもなぜかわたしの手を握っている。思わずぎょっとして目を剥いた。

 その後ろには不審者を見るような目でこちらを見ているイザークお兄さま。その隣にはブリギッテが、焦りの滲む強張った表情でこちらを眺めていた。


「クローディア、お前……、なぜ、鍵のかかった物置部屋の中にいたんだ」

「えっ?」


 唐突に尋ねられ、驚いてお父さまを見る。

 手を離してくれないこともそうだけれど。いつもならばこの父、理由も聞かずに『ブリギッテに迷惑を(以下略)』『ブリギッテを困らせ(以下略)』と言うだけなのに。


 ああ……そういえば、窓から落ちたっけ。


 そう思い出して、納得する。

 さすがに窓から落ちた猿には、おざなりな注意ではなく本格的な説教が必要なのだろう。

 さすがに王太子殿下に受け止められてしまったしねえ……と気づいたところで、ひゅっと息を吸い込んで飛び上がった。


「で、殿下は!? 王太子殿下はお帰りになりましたか!?」

「い、いや、それは――……」


「ここにいるよ」


 勢いよく尋ねるわたしの耳に、穏やかな声が聞こえる。

「ひ!」と固まって声の方を見ると、そこには柔らかな微笑を浮かべる、アレン殿下が立っていた。


「ででんっでん…でん…でん」

「ああ、大丈夫だよ。楽にしていて。あんなに高いところから落ちたんだから。怖かったろう?」


 そう言う殿下は、三階から落ちたわたしを受け止めたというのに怪我一つしていない。

 確か小説の中のアレン王太子は風属性の魔術を使えたはずなので、風でわたしの体を浮かせたのだろう。


 どうやら傷害で捕まる線はなさそうだ。心の底からホッとする。


「あっ、ありがとうございます……」


 わたしがお礼を言うと、殿下は「当然のことだよ」と優しく笑った。


「風を使って受け止めたといっても、多少の衝撃はあるだろうからね。意識も失っていたし医師に診てはもらったんだけど……」


 そう言いながらブリギッテを一瞥し、またわたしに目を向ける。


「クローディア嬢。公爵の質問に答えられるかな。公爵令嬢である君が、なぜ鍵のかかった物置部屋にいたのか」

「えっ!? ええっ……とお……」


 目を泳がせる。

 ここで下手に閉じ込められてましたと言ってしまえば、わたしが哀れな美幼女だと気づかれて、処刑未来に近づいてしまうかもしれない。


 それに何よりわたしが何を言ったって、この家の人々が信じてくれるわけもない。

 何と言おうかと頭を悩ませていると、殿下が目を細めて優しい声を出した。


「……目覚めたばかりの君に聞くのは負担だね。では、質問する相手を代えようか。――使用人の君」


 使用人、という言葉をどことなく強調して、殿下がブリギッテに目を向けた。


「どうして君が仕えている筈の公爵令嬢が、鍵のかかった物置部屋にいて、窓から落ちる事態になったんだい?」 


 穏やかなのに、上から押さえつけられるかのような威圧感のある声だった。


 恐怖で胃がヒュッとする。気絶したての身には、少々刺激が強すぎる。

 私は全然大丈夫ですのでどうか帰っていただけないでしょうかと言い出せずに心の中で祈っていると、ブリギッテが深々と頭を下げた。


「……申し訳ありません。クローディア様はこのお屋敷を嫌い、いつもお一人で行動したいと仰っては、勝手に一人で動かれてしまうのです。鍵の件は不明ですが、使用人の誰かがクローディア様が中にいるとは思わず、閉めてしまったのかも……」

「随分な怠慢だ」


 ブリギッテの言葉に、殿下が苦笑した。


「彼女付きの使用人というならば、幼い主人がどこにいるのかを、せめて把握しておくべきではないのかい?」

「クッ……クローディア様は、それも嫌がられるのです……!」


 ブリギッテが口元を押さえ、声を震わせる。


「クローディア様は少々我儘で……ご命令を聞かなければ、手がつけられないほど暴れるものですから」

「もしもそれが本当だとしても。我儘を放置する教育係など、僕は聞いたことがないよ。諌められないというのなら、それは単に君の能力不足だろう?」


 ブリギッテの言葉をバッサリと切り捨てて、殿下は微笑みを浮かべたまま、ブリギッテに冷ややかな視線を向けた。

 青ざめたブリギッテが縋るようにお父さまを見る。


「こ、公爵様っ、私は……」


 しかしお父さまは何も言わない。気づかないうちに大罪を犯してしまった罪人のような顔で、わたしの手を握り……掠れた声で、呟くように言った。


「複数の使用人から報告があがった。物置部屋の鍵を、君はよく使っていたのだと。今日も」

「そっそれは、嘘です! 誰かが私を陥れようと……」

「……クローディア」


 ブリギッテの言葉を無視し、お父さまが私に声をかけた。

 何かを悔いるような恐れているような顔を見せて、「聞かせてくれないか」と震える声を出す。


「お前は……お前は、ブリギッテに閉じ込められていたのか?」

「……」


 目が覚めて迎えた急展開に、正直ものすごく困惑している。

 しかしそんなわたしでも、これが断罪チャンスだということはピンときていた。


 ……どちらにせよ、殿下はお見通しのようだし。

 覚悟を決めて、わたしは俯いて。


「うっ……うわああああん」


 長年培ってきた自慢の泣き真似で、わたしは今までブリギッテにされてきたあれやこれやを暴露したのだった。



 ◇


 わたしがすべてを暴露したあと。


 ブリギッテは公爵令嬢に危害を加えていたとして、捕まった。


 なんでもブリギッテはずっと昔、伯爵家の娘だったらしい。しかし家が没落し、親友だったわたしのお母さまが困窮した彼女に同情して侍女として雇い始めたそうだ。

 そうしてお母さまがこの公爵家に嫁いだあとも、ずっとお母さまの侍女として働き続け、そうしているうちに苦労も知らないまますべてを手に入れるお母さまへ、憎しみが募った。


 元々お父さまとお母さまが結婚する前から、彼女はお父さまのことが好きだったらしい。


 それでわたしに困らせられていると話すことでお父さまやイザークの歓心を買い、ゆくゆくは後妻におさまりたいと考えていたそうだ。


 お父さま似のイザークはともかく、お母さまによく似ているわたしが憎くてたまらず、絶対に幸せにしたくないと思ったらしい。

 顔が似ているというだけで酷すぎるしそもそもお母さまは悪くないだろ! 逆恨みだ! という気持ちが九割を占めつつも、それを聞いたわたしはなんだか、とても悲しい気持ちになった。




 そして、翌朝。

 朝食を食べるために食堂に向かったわたしは、部屋に入った途端、お父さまに深々と頭を下げられた。


「……クローディア。お前には、本当にすまないことをした」


 そんなことを言うお父さまは、一日でずいぶんげっそりと窶れてしまっている。

 人って一晩でここまで人相が変わるものなのだなあ……と、わたしはなんだか感心してしまった。元々お父さまは、精神的に打たれ弱い人なのだろう。とてもわたしの親とは思えない。


「私達は長年、ブリギッテの言うことを信じてきてしまっていた……。お前が、母を守れなかった私を憎み、自分と違い母との思い出があるイザークを嫌っていると。ブリギッテ以外の人間を心底嫌っているのだと」


 ブリギッテ、邪悪すぎる。あらためてちょっとひく。


 しかしだからといってブリギッテに子育てを丸投げし、娘と向き合わなかったお父さまもやっぱり同罪だ。心の中で裁判官の持つ木槌をダンダン打ち鳴らし、むむむ、と心の中でもやもやとしていると。


「……クローディア」


 兄のイザークが、眉をぎゅっとひそめて私に話しかけた。

 ものすごく嫌そうな、今にも泣き出しそうな顔だ。そんな顔で唇を噛み締めながら、小さな声で呟く。


「お前を……ずっと嫌っていて。ごめん」


 それを聞いたわたしは、思わずぽかんとして――俯いた。

 ……本当は、自分もショックだろうに。

 イザークがブリギッテのことを慕っていたことも、母を失うきっかけになったわたしを憎んでいることも、わたしはずっと知っていた。


「……いいえ、お兄さま。わたしの方こそ」


 首を振る。前世の記憶を取り戻す前からずっと、わたしはこの兄にだけは完全な復讐心は持てないでいた。記憶を取り戻した大人のこころを持つ今は、なおさらだ。


 だって彼はまだ十歳。

 母を亡くしたのは、わずか四歳。

 ずっとずっと、きっと今でも。お母さまに会いたくて、仕方がないはずなのだ。


「――……わたしのせいでお母さまを死なせてしまって、ごめんなさい」


 掠れた声でそう言うと。

 イザークが目を見開き、お父さまが悲鳴のような声を上げた。


「クローディア!」


 ハッとして口を押さえる私の肩を、お父さまが震える手で掴む。


「ばかなっ……お前は、今までずっとそう思って……」


 愕然とするお父さまに、困惑をする。

 だってこれは、ずっと言われていたことだった。


「お嬢様が生まれたから、奥様は」「旦那様もイザーク様もおかわいそうに」「命をかけて産んだのが、あんな子なんて」


 ブリギッテに閉じ込められた部屋の中。使用人がそう噂するのを、わたしは暗い部屋の中でずっと聞いていたのだ。

 小説の中のクローディアも、だからあんな風に闇落ちしてしまったのだ。生まれてこなければよかったと、ずっとそう思いながら。


 しかしこんな哀れみを誘うような発言は、さすがに失言だったかもしれない。

 そう気づき、なんとかしてこの場の空気を変えられないかと、口を開きかけたとき。


「!」


 ぎゅうう、と、お父さまがわたしを抱きしめた。

 初めて感じる温かさに戸惑って、わたしが固まっていると。耳元でお父さまが「クローディア」と名前を呼びながら嗚咽した。


「なんて小さな……私は、私はこんなに小さいお前に……」


 震えながらお父さまが、何度も「すまない」と繰り返した。


「お前を愛してるからこそ、どう接してよいかわからなかった……すまなかった」


 頬を何か熱いものが濡らす。それに釣られて、わたしもぼとぼとと涙をこぼす。自分でもちょろいと思う。


 それを見たお兄さまもとうとう泣き出し、わたし達三人はそのまま抱き合っておいおい泣いた。


 今日のフライエンフェルス公爵家の朝食は、すっかり冷めていて、ちょっとしょっぱい。それでも今まで食べた中で一番美味しい、心に残る食卓だった。




 ◇


 その、数日後。



「こんにちは。クローディア嬢。体の調子はどうかな」

「ご、ご機嫌麗しく……」


 僅かな家族愛が芽生えたフライエンフェルス家に、アレン殿下がやってきた。

 お父さまやお兄さまがいない隙を狙ってやってきた殿下に、何の目的だろうかと肝が冷える。


「護衛がいてすまないね。これは僕の一番信頼している騎士なんだ」


 殿下がそう言うと、殿下の隣に控えていた騎士さまがぺこりとお辞儀をした。


 彼のことは小説で知っている。王太子アレンに忠実な黒髪の騎士、カイル。彼はリリアナに恋をしながらも主君のためにその思いを心に秘め、最期はリリアナを守って死ぬというとんでもなく心臓にくるキャラだ。実は最推しだったりする。


 どうか生き延びてほしいなあ、死ぬ運命にある者同士頑張ろうね……そんなことを心の中で思いつつ、わたしは「こんにちは」と挨拶をした。


 殿下はそんなわたしにじっと目を向けながら、優雅に紅茶を飲む。


「全部うまくいったみたいだね」と微笑む顔は、本当に天使みたいだ。彼の本性を知っているわたしにでさえ、その笑顔の裏のどす黒い本性はまったく感じられない。


 だからこそ余計に怖い。わたしは将来の処刑防止に備えてどんな些細なミスもしないよう、とにかく丁重に慇懃に振舞った。


「ハイ。スベテハ王太子殿下ノオカゲニゴザイマス」


 カタコトのロボットになってしまった。それも、だいぶぽんこつ寄りの。

 そんな怪しいぽんこつロボに、殿下は穏やかな表情で「いいや」と首を振る。


「今まで辛い境遇に耐え、最後に勇気を出した君のおかげだよ。イザークも非常に後悔をしていたね。後悔したところで、許せるようなことではないかもしれないけど」


「そ、そんなことはありません今はとっても仲良しなので……お、お兄さまもお父さまもダイスキダナー」


 わたしが内心でだらだらと冷や汗をかきつつ答えていると、殿下が目をゆっくり細めて「一つ、質問をしても良いかな」といった。


「? 私に、ですか?」

「うん。この間から、不思議に思っていたことがあって」


 首を傾げつつも「はい」と答えると、殿下は微笑んだ顔のまま、わたしをまっすぐに見つめた。

 殿下の柔らかな微笑に、初めて影のようなものが見えた。


「君は、僕をとても怖がっているね」


 空気が、変わった。

 固まるわたしに、殿下が穏やかに、しかし淡々と口を開いた。


「初めて会った時は、辛い境遇から人を信用できないのかと思った。しかし君は今日初めて会ったはずのカイルに、ずいぶん気安い笑みを見せる。――思えばあの教育係に対してさえ、君は怯えている様子はなかった」 


 泣き真似も見事だったね、と笑みを含んだ声が響く。


 じっとりと手汗をかく。

 袋の中に逃げ込んでしまった鼠のような気持ちで、わたしはただ殿下の青い目を見つめていた。


「最初から君は、僕にだけ怯えているね。どうしてかな。――まるで僕が、君を殺すような人間だと知っているみたいだ」


 ぞくり、と肌が粟立った。


「君は、なぜか会ったこともない僕を王子だと見抜いていたのは――推測した、ということにしよう。ただ、どうして君は僕を王太子と呼んだのだろう。王位継承権があるとはいえ、僕は兄のスペアでしかない、第二王子なのに」


 自分の失言を悟った。

 そうだ。兄がいる彼は、この時点ではまだ王太子ではなかったのだ。


 何も言えずに固まっているわたしに目を向けて、殿下が小さく首を傾げた。


「この世には『予知の聖女』がいるという。――もしかして君が、そうなのかな?」

「ち、違います!」

「……ふうん?」


 飲んでいた紅茶のカップを机に置き、殿下は「今日はここまでにしておくよ」と言った。


「近いうちに、またくるね」

「で、殿下……」

「大丈夫だよ。僕は、多分君を殺さないと思う」


 殿下がわたしに目を向ける。面白そうな玩具を見つけたような、活きの良い鼠を見つけた子猫のような――そんな、ひどく恐ろしい笑みだった。


「こんなに興味を引かれる人は初めてだ。これからもよろしくね、クローディア嬢」





 ◇



 ――九年後。

 桜の花びらが舞う、超難関学園の入学式で。

 わたしはようやく手に入れた安堵に、幸せを噛み締めていた。


 この九年間、わたしはとても頑張った。語るも涙聞くも涙の、ありとあらゆる努力をしてきたと思う。


 まず、処刑回避は最優先として。

 その他に小説の中で巻き起こる、血生臭い出来事をなんとかしようと尽力してきた。


 アレン殿下を殺そうとする王妃さまの悪徳を暴いて穏当に修道院に行ってもらい、アレン殿下に殺される運命にあるほんわか第一王子と殿下の仲を取り持ち、隣国と戦争にならないようお父さまや殿下ブラザーズに助言をし――結果、戦争は回避。ギリギリだったがどうにかこうにか、その辺りの努力は報われた。


 しかしここまで動いてしまったせいか。わたしは現在珍獣枠として、ますます殿下に粘着されてしまっている。


 嫌がらせのように頻繁に打診される殿下との婚約は、わたしに溺愛メロメロになってしまったお父さまに泣きついて、ギリギリ退けられているけれど。


 しかしそれも時間の問題だ。

 ちょろいお父さまを洗脳することなど、殿下にとっては赤子の手を捻ることよりも簡単なはず。


 それに何より私もちょろいのだ。正直殿下と一緒にいるのは、普通に楽しい時が多い。

 意外や意外。腹黒なのに――いや、腹黒だからこそか。彼の気遣いや察する力はメンタリストでさえ舌を巻きそうなほどで、わたしのやりたいことや疲れた時など、すぐに察して気遣ってくれるし、会話がはずむ。


 何よりわたしと一緒にいる時に、幸せそうに笑ってくれる姿が多少かわいく感じてしまう時もある。一応私も人間なので、それなりに情というものが湧いてきてしまうのだ。



 しかし! ひとときの情に流され結婚しては、やってくるのは文字通りの身の破滅。


 珍獣に飽きた殿下から、身に覚えのないあれやこれやの罪を着せられ、投獄のち処刑されるに決まってる。絶対に絶対に、殿下との婚約のち結婚のち……は避けたいのだった。



 ――とはいえ最近のわたしには、勝算が見えてきていた。


 それは殿下が未だ恋を知らない、年頃の男ということ。


 小説の中では、隣国との戦争が始まったせいで殿下は学園に入らず、戦場を駆け回っていた。女っ気がない中唯一出会った魅力的な女性、それが即ちリリアナだったのである。


 なんとなく、ピンときた。

 これ、リリアナじゃなくても落ちるでしょう、と。


 わたしが――今は殿下が行く筈だった学園は、身分確かなものだけが入れる王侯貴族専用の学園だ。

 ぶっちゃけお金と爵位さえあれば誰でも入れるその学園、美貌を磨きに磨きあげた、美男美女がとても多い。


 いくらサイコパスな腹黒でも、殿下は健全な男子である。

 そんな中、めちゃめちゃに可愛い女の子に擦り寄られたらどうなるか?


 ――陥落するに決まってる!


 殿下は国一番モテる男性なので、それはそれは多種多様な美女たちが、殿下を陥落してくれるはず。そうなったらひっそり生きている珍獣のことなど、きっと忘れてくれるに決まってる。少々寂しい気もするが、その四百倍は安心だ。


 そんな完璧な作戦を立てたわたしは、こっそりと別な学園に入学することにした。


 殿下はわたしを愚かな生き物だと思っている節があるので、この実力派を謳う学園――どんなにお金や爵位があっても、頭脳や強力な魔力がなければ入れないこの学園に入学できるとは、まさか夢にも思ってないだろう。


 そんなことを思いつつ、わたしは密かに期待していることがあった。

 平民もいるこの学園ならば。殿下を知らない一般市民と、恋人になれるかもしれない。


 美貌の宝の持ち腐れなことにこのわたし、クローディアは、婚約者どころか初恋もまだなのだった。

 わたしが夜会に出た瞬間、殿下に忖度した男性たちが引き潮のように引いていく姿を何度見たことだろう。おかげで私はここ最近イザークと、殿下の顔しか見ていない。ひどくない?


 しかし殿下がいない今。笑顔がかわいくてちょっと悪い一面を持つ、そんな美青年と交換ノートとかできるカモ……などと、乙女で幸せな妄想に浸っていたとき。


 後ろから、絶対に聞こえてはいけない声がした。


「やあ、クローディア」

「……!!」


 ギギギ……。

 そんな音を立てて振り向くと、そこには殿下が穏やかな笑顔で立っていた。


 わたしと同じ学園の――制服を着て。


「そのお化けでも見たような顔、傷つくな」

「……!!」

「嘘だよ。全然傷ついてないから、そんなに怯えないで?」


 楽しそうに笑いながら、殿下がわたしの髪に触れる。

 そうしてわたしの髪に絡んだ花びらをとりながら、小さく笑った。


「あれから九年経ったけど。君は相変わらず、僕を楽しませてくれるね」


 くすくすと天使のような顔で邪悪に笑いながら、殿下がわたしの耳に唇を寄せる。


「クローディア。ここまで僕の心を掴んだかわいい君を、離してあげられるわけがないだろう?」


 そう言いながらわたしの手をとり、殿下が指先に口づけた。


「…………!!!???」


 動揺して、体がぴしりと固まった。

 わたしは、男性に免疫がない。みるみるうちに顔が熱くなり、わたしは「なななななな」と「な」しか言えない人間になった。


 そんなわたしの姿を見て、殿下ははにかんだような、勝ったような顔をして。


「赤くなった君もかわいいね」と、言ったのだった。




クローディア:特技:嘘泣き。入学してからもいろんな作戦を打ち立てるけど、全部不発に終わる。時折リリアナからの視線を感じて不穏な未来に本気で泣きそう。


アレン:ドロドロの王家に生まれて闇を抱える系になった王子。この九年間でクローディアに何度も心を救われてめちゃめちゃ惚れてしまった。尽くし系。


リリアナ:憧れの学園に入学したら王子と公爵令嬢がいてびっくりした。綺麗でついつい見てしまうけど、さすがに話しかけるのは失礼かなあと思ってる。楽しい学園生活になるといいな!とわくわくしている。


カイル:クローディアに優しくされすぎて最近干され気味。


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お読みいただきありがとうございます!
新連載はじめました◎こちらもどうぞよろしくお願いいたします…!

死に戻りの落ちこぼれ令嬢は冷酷王子の溺愛(嘘)から逃げられない
― 新着の感想 ―
[良い点]  強い!素敵!!ハッピーエンド!!! (∩*´∀`)∩ワーイ
[良い点] めちゃめちゃ面白いです!続編希望です!
[一言] 面白い ぜひ連載でよみたい 父親の溺愛、第二王子の暗躍 主人公の戸惑い なんかワクワクします
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