1.アラーネの記憶と町周辺の変化
人気のない町の外れ。
日はとうに落ち、薄い雲に隠れた月がかろうじて町を照らしていた。
そんな町外れの一角から、女性の悲鳴が上がる。
「来ないで! 誰か! 誰か助けて!」
必死な叫び声が、誰もいない夜空に虚しく響いた。
「ぐへへ! こんな時間に人なんていねぇよ! 観念しな!」
泣き叫び逃げ惑う女性を、不潔な装いの男が顔に下卑た笑みを浮かべながら追いかけている。
金に困った者は自分を売るか、人を襲う。
この町は国内でも比較的治安が良いが、どんな所にでもこういったことは起こり得る。
ただ今回は、金だけが目当てではないようだ。
男の下卑た顔がそう物語っている。
「うう……誰か……お願い……」
町の外まで追い詰められ、女性は嗚咽を漏らしながら助けを求めた。
「悪いようにはしねぇ。ちょーっも相手して欲しいだけさぁ」
フゴフゴと男の息が荒くなる。
しかし、男の魔の手は女性には届かなかった。
「な、何だこれ!?」
突然、男の手足に白い糸の様な物が絡み付いた。
女性は寸前で転倒したためか、糸にはかからなかったようだ。
女性は振り返り、糸の反対側へと目を向ける。
先程まで草原だった町の外が、濃い霧のかかった森になっていた。
糸はその森の奥から伸びている。
「くそ! 取れ……ねぇ! うぉ!?」
男は絡み付く糸を引き剝がそうともがいていたが、森の中へズルズルと引き込まれていく。
その先には赤い光が不気味に光っていた。
「ひぃぃぃい!! た、助けてくれ!」
男は悲鳴を上げながら必死に踏ん張り、糸の力に逆らうが、抵抗も虚しく森の中へと姿を消した。
「ギャァァァァァアアア!!!」
男の断末魔の後、微かに嫌な音が聞こえた。
グチャグチャ
バキ
ジュルジュル
腰を抜かした女性は恐怖で過呼吸になり、悲鳴すら上げられない。
音が止んだころには森は消え、何も無い草原が広がっていた。
女性は何が起こったのか分からないまま、その場で気を失った。
ここ最近、この辺りで森を見たという証言は上がっていた。
しかし、誰も取り合おうとはしなかった。
そんな馬鹿な話があるか、と。
この女性が役所やギルドへ通報したことで明確な被害が発覚し、さらに被害にあった男が元高ランクの冒険者だったことも判明し、高難易度調査依頼が用意された。
『謎の森の調査』
町外れに目に見えない森があるという目撃情報が上がっています。
早急に見つけ出し調査を希望。
依頼難易度 S
依頼期間 3日
報酬 300万J
――
今日はカフェのシフトの日だ。
最近アラーネが一人でも完璧にホールをこなせるようになった。
そのおかげで、俺はホールからカウンターのポジションに昇格した。
カウンターは意外と忙しい。
紅茶やコーヒーを淹れるドリンクの仕事。
キッチンとの中継やホールのフォロー、カウンターに座る客との雑談等々。
自分の仕事をしつつも全体をよく見て上手く回す。
マリンはのんびりやっているように見えていたが、確かによく俺や他のメンバーのフォローにも入ってくれていた。
ドSモードではなく聖女の様な笑顔を振りまくマリンを思い出し、俺は感心と尊敬の念を抱いた。
「町周辺の環境も大分変わったのう」
「そうなんですか?」
「数年前まではD危険度以上の強力な魔物なんておらんかったわい。ハルや、知っとるか? 最近町外れに謎の森があるって噂を」
カウンター正面に座るおじいさんが、フォークで俺を指しながら言ってきた。
「ローガンさんまた噂話ですか?」
「またとはなんじゃ。それにこの噂は結構信憑性あるわい」
ローガンさんの言葉に俺は肩をすくめつつも続きを促す。
「なんでもここ数ヶ月、町の南で一瞬だけ森が現れたという目撃情報が何度も上がっとるんじゃ」
「町の南……倉庫街の方ですね」
「そうじゃ。あの辺りは常に人がいる訳ではないんじゃが、それでも両の手で数え切れんほど見たっちゅう者がおるし、既に行方不明者も出ておる。生態系の変化も、行方不明者の件も、わしはその森が絡んでおると睨んどるんじゃ」
「そんなまさか」
「馬鹿にはできんぞ。森に連れ去られるのを見た人もおるらしい。ギルドで調査依頼は出とらんのか?」
森の調査依頼……
あったような、なかったような……
「今度よく見てみます」
俺はそんな曖昧な返事でその会話を中断しよとした。
「森……」
ローガンさんの背後からぽつりと溢れるような声がしたのでそちらを見ると、ホールをしていたアラーネが立っていた。
「アラーネちゃんどうしたんじゃ? 怯えた顔して」
ローガンさんは声のトーンを一つ上げ、孫娘を愛でる祖父のような口調で言った。
この老人はヒカリエのマスコットであるアラーネの大のファンだ。
別に厭らしい目で見ている訳ではない。
記憶も身よりもない境遇に同情し、それでも健気に頑張る少女を応援している気のいい人だ。
「えっと……何か思い出せそうな気がしたんだけど……」
「マジか!? 今の話で!?」
「何を思い出した? 少しでも取っ掛かりが掴めれば……」
アラーネの言葉に俺もローガンさんも驚きを隠せなかった。
アラーネが店で働くようになって二ヶ月。
記憶を取り戻せるかもといった話は一切なかった。
まだ二ヶ月と思う反面、もう二ヶ月も経ったとネガティブに考えてしまう時もあった。
俺たちの勢いにアラーネはたじろいだ。
「お、思い出せそうだったんだけど……その……ダメみたい……ごめんなさい」
シュンと口をつぐんで俯くアラーネ。
俺はカウンターから出てアラーネの前にしゃがみ、小さな頭をなるべく優しく撫でた。
「謝ることはないよ。一緒に頑張ろう」
ありきたりな台詞しか思いつかないが、それでもアラーネは笑顔を向けてくれた。
ローガンさんもアラーネを励ましたり、記憶が戻るかもと森の噂話を聞かせたりしていたけど、結局アラーネが何かを思い出すことはなかった。
森の話を聞いているアラーネは何度か難しい顔をしていたし、もしかしたらそこに糸口があるかもしれない。
「……ちょっと……怖いね」
アラーネはぽつりと言った。
難しい顔をしていたのは怖かったかららしい。
「大丈夫じゃよ。町の中まで危険な魔物が入ってきたことはない」
ローガンさんの言葉にアラーネは一度はホッと笑顔を見せるが、怯えの色は残っているように見えた。
「そうだ。ならこれをやるよ。お守りだ」
俺は最近買った腕輪をアラーネに手渡した。
「……いいの?」
アラーネはおずおずと、でも嬉しそうな顔で聞いてくる。
「ああ。怖いことがあったらその腕輪に念じるんだ。すぐに助けに行ってやる」
「すごいね。魔道具なの?」
「違うよ。そういうおまじないだ。着けてやるよ」
俺はそんな話をしながらアラーネの細い手首に合うように調節してやる。
アラーネは手を掲げ、腕輪をキラキラした目で見つめた。
美人ばかりのパーティーに地味な男が一人という現状を打破すべく、服飾に疎いながらも思案し、なけなしの金で買った腕輪だ。
本来の目的からは逸れるが、喜んでもらえたなら俺も嬉しい。
「お兄ちゃん! ありがとう! 大好き!」
しゃがんでいた俺にギュッと抱きついてくる。
ローガンさんは尊いものをでも見ているかのような細い目をしていた。
その後、アラーネは仕事中何度も腕輪を見てはニヘラと笑っていた。
「これが……婚約……」
ボソボソと何かを言っていたが、よく聞こえなかった。
小さいとはいえ女の子だ。
やっぱりアクセサリーが好きなんだろう。
俺はニヤけるアラーネを見ながらそんなことを考えていた。
――
翌日。
今日はシフトが休みの日だ。
アラーネが一人分の働きをできるようになった、プラス、エリーが仲間に加わったことで人手が増えた。
ルージュさんの負担を減らそうと、俺たちは日数の調整を申し出たが断られたのだ。
「せっかくメンバーが増えて調子がいいんだから、この勢いで月光のお仕事に力を入れていいわよ。お店のことは私に任せなさい」
いつものようにニコニコと笑いながら、ルージュさんはポンと胸に手を当ててそう言ってくれた。
ありがたい。
みんなが彼女に感謝している。
いつか恩返しがしたいな。
と、そういうことだから休みの日が増えた。
人手が増えると休みが増える。
この際なので、プラムにも店番をやってもらおうか。
……逆に仕事が増えるかもな。
そんなことを考えつつ、本日休みをもらった俺とルナは二人でできる仕事がないか、朝から冒険者ギルドハルジオン支部へ来ていた。
「ハル」
依頼掲示板の前で仕事の物色をしていると、隣に立つルナから声をかけられる。
美少女が上目遣いで俺を見ている状況に一瞬ドキッとしてしまう。
他のメンバーもそうだが、すこしでも気を抜くと、その美貌に俺の思春期童貞心は掻き乱されてしまう。
俺は一呼吸置き、気を取り直してルナに応答する。
「どうした?」
「依頼、魔物の調査が多い」
「……確かにな」
そういえば昨日、ローガンさんも言ってたっけ。
生態系が変わってるって。
「そういえば昨日、ローガンさんも言ってたよ。特に南の方で危険な魔物が増えたって噂話を。本当だったんだな」
「なら……これにする」
俺の言葉を聞いて、ルナが一枚の依頼書を手に取る。
それは南部郊外での魔物の調査依頼だった。
「魔物の種類や個体数を調査すればいいのか。それにしよう」
俺はルナの提案に乗り、その依頼を受注したのだった。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「この後一体どうなるのっ……!?」
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