第2章 復讐とはどういうことか 3
<評価くださったかたへ、活動報告にてお礼申し上げております>
本当にありがとうございます。
「――ミラフローレス」
「ミラフローレス」
最後の部分はエデイラも合わせて唱和する。ミラフローレス王家の三番目の王女、という意味だった。
「あら」
ディクテはちょっと目を細める。
「ご存じだったの」
「まあ、元メイドの一般教養とでも申しますか」
「それならもう少しわたくしのことをお話ししてもいいわね。第三王女であるわたくしがここへ来て、もう六年になるわ」
「長いですね」
そう? とディクテは目だけで笑った。
「もっと長くここにいる人もいるわ」
「それって、もう、幽閉ですね」
「その通りよ。幽閉されているの。わたくしも似たようなものだけど」
口をつぐんだエデイラに、ディクテは指折り数えて言う。
「当時十二歳だったの。一年間別の場所で軟禁されていたから、あれは十一歳の時ね。謀反をたくらんだということになって、ここに閉じ込められたのよ」
初めて聞く話だった。
お屋敷にも外国の貴族のゲストが見えられることがあったとはいえ、そこまで詳しい話はエデイラも知らない。知らないが、想像すると胸糞の悪い話だった。自然とエデイラの眉がひそめられる。
「そんな子供に、謀反ですか」
「ということになった、のよ」
切れ長の黒色の瞳が悪戯っぽく光る。
「だからね、最初に言っておくけれど、わたくしと親しくすればあなたもそういう目で見られることもあるかもしれない」
「ああ、なるほど。監視は今も途絶えていないと」
そう、とディクテはなんでもないことのように肯定する。
その物言いはごくあっさりしていて、まるで他人事のようだった。
「面倒なことがある、かもしれない」
「ないかもしれませんよ」
「そうであったらいいとわたくしも思うけど」
「可能性の話、ですね」
「そうよ。だからそれが嫌なら今後はわたくしを避けてちょうだい」
今日、まさに避けようとしたんだがな、とエデイラは笑いたくなった。避けようとしてもそうさせてくれなかったのは他ならぬ自分ではないか。
(あんなに、一途な目をして。私のことを凝視して)
エデイラは吹き出しそうになるのをこらえた。
それは、彼女のせめてもの誠意の表れだと思ったからだった。
話がしたいという意思表示はする。だが、不利なことを隠すつもりもない、という。
「……あのう、避けてほしいのですか?」
やっとのことで言葉を選んでそう言うと、ディクテはちょっと瞳をまたたかせた。そんなふうに素の感情をのぞかせると、急に王族の威厳が抜けてかわいらしくなるなあ、とエデイラは思う。
「違うけど」
「では避けずにおきます」
するとその人は、思いもよらない言葉を聞いたというように息をのんだ。それから、体の前で両手を強く握り合わせた。
「……ありがとう」
うつむいて小さな声でそう言う。
かわいいな。エデイラは思った。
自分より年上だし身分も全然違うこの人が、やけにかわいく見える。
(……あれっ?)
だが、ふとエデイラは気づいた。まだ用件らしい用件を聞いていないということに。
褒めてくれたのはありがたいが、まさか、そのためだけに昨日も今日も長いこと見つめていたわけでもあるまい。
だが、目の前でディクテは顔を伏せているし、なにか言おうにも、エデイラはなにを言えばいいかさっぱりわからない。
(どうしよう、困った)
お客様の要望に応えることなら得意なのに。
奇妙に居心地の悪い沈黙が続き、エデイラは仕方なく踵を返そうとした。
「……失礼します」
その時、背後から声が飛んできた。
「あなたの目的は?」
「え?」
振り返ると、彼女はもううつむいてはいなかった。さっきまではにかむようにさまよっていた視線は、今はまっすぐエデイラに向かっている。
「復讐?」
「え、今なんておっしゃいました」
「あなたがそんなにまでも努力する目的は、復讐なの?」
ずばり言い当てられた瞬間、エデイラの背筋がざわっと鳥肌を立てる。
感じたのは強烈な拒否感だった。
(土足で、踏み込んでくるのは……やめてください)
ついさっきまでのほのかな好意をなかったことにするような不快な胸のざらつきを感じて、エデイラは冷たく答えた。
「申し上げる必要がないことです」
「ひとりで復讐を完遂させられるつもり?」
それでも彼女は食い下がってくる。
その場にいるのは今はふたりだけだった。がらんとした空間に無神経なディクテの声が反響して、エデイラの頭にかっと血がのぼった。
(口にするなっ……!)
胸にあたためていたことをあっさり見抜かれたショックよりも、見抜いたそれを簡単に口に出したことのほうを責めたかった。
だがそれでもエデイラはこらえた。
メイドとしての習い性がそうさせたのか、反発心がそうさせたのかわからない。
「個人的な事情ですから」
冷ややかなくらい平坦な声で言ったというのに、ディクテはなおも言い募る。
「たったひとりで、ヴァージデルとアーロを潰せると思っているの?」
「だからそれを口にするなっていうんですよ!」
していた我慢が限界を超えた。
「無神経にもほどがあるでしょう!」
つい怒鳴ってしまってから、エデイラは一瞬我にかえる。だがもう止まらない。
「あなたは……一体なんの権利があって人の心にずかずか踏み込んでくるんです? あなたが王族だからって私はやさしくしたりしませんよ?」
「やさしくされたくて言ってるんじゃないわ。大貴族というのは思うより手ごわいということを言っているのよ」
エデイラが声を大きくしても、彼女は態度を変えなかった。
「──ですから!」
「わたくしほど、それを言って説得力のある人間もいないと思うの」
むしろ静かにエデイラのことを見返してくる。
「大貴族たちに利用され、挙句の果てに砂漠の真ん中の学校に閉じ込められているわたくしだからこそ」
妙に気圧された気分になって、エデイラは言葉に詰まる。
「それは……お気の毒だと思いますけれども! でも!」
それとこれとは話が別だと思った。エデイラはヴァージデルとアーロを潰せればそれでいい。あとのことなどどうでもいいのだ。
「あなたはご自分の立場が大事なんでしょう。それは全然悪くない。だけど、私は自分がどうなったっていいんです! あの二人さえ殺せれば、それで……!」
(そう、自分の命とひきかえだって全然かまわない)
怒りに燃えるまなざしを隠そうともしないエデイラに、ディクテはちょっと眉を落とした。
その表情はまるで、エデイラを憐れんでいるようだった。
「あのね、逆の立場で考えてごらんなさい」
「なんですって?」
「あなたがこの世で最も大切に思っている人のことよ」
エデイラはきつく眉根を寄せる。両手を強く握りしめた。
それ以上ひとことでも、旦那様のことを言ってみろ、容赦しない。そう思ったのだ。だが彼女はそれが誰とは断定しないままで続ける。
「その人がもし、あなたの死後、復讐を誓ったとして、そのために傷ついたり人生を損なわれたりしたら、あなたはいったいどう思うの」
「やめてください! 旦那様はもういません!」
ディクテは落ち着き払っている。
「もし、の話よ」
「もしもなんてありません。もうあのかたは生き返らないんです。私が死んでも悲しむ人は誰もいない」
「思っていたより強情ね」
ディクテは小さくため息をついた。