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第2章 復讐とはどういうことか 1

ディクタアウラクレストヴァ・ティファラネは中庭に面した回廊の長い直線部分を歩いていた。


今日は風もなくて、飛んでくる砂の量も少ない。斜めにあがろうとしている太陽はもうしばらくで容赦なくあたりを熱するだろうが、まだ早い時間なので心地よいと感じる程度だ。


過ごしやすい時間帯とあって、回廊には思い思いに人が集まって立ち話をしている。

そのうち何人かは彼女の姿を見てふと口を閉ざし、軽く目礼する。そして彼女が通り過ぎたのを待ってから、また再び会話を再開するのだった。


「え、あの子、今日もいたの」


そんな彼らの声が回廊を反響して聞こえる。


「ここに来てから、見なかった日ないぞ。いつ休むんだよ」

「休んでないんだろ」

「ありえん。週に何日格技室来る気だ」

「とりあえず、今日で七日目だが……今のところ皆勤賞だな」

「だから、それがありえん。鍛えるなら鍛えるで休息も必須で」

「しかも教わってるの、ジョウジョウ氏だもんな」

「うへえ」


ディクタアウラクレストヴァ・ティファラネはそうとは気づかれないように歩みをゆっくりにする。彼らの話はなかなか興味深かった。


「昨日はあれから馬場にもいたぞ。射場でも見かけたけど、命中精度が結構なものだった」

「――ひとりだよな? 双子じゃないよな?」

「あんな女の子が二人もいたらそれはそれで怖い」

「いくつなんだっけ」

「まだ十代なんだろう」

「誰も聞いてないの」

「聞ける雰囲気じゃないんだよ。聞けば答えるだろうけど」

「ああ……わかる」


彼らの会話が次第に遠くなっていく。

ディクタアウラクレストヴァ・ティファラネは振り返らずに、ゆっくりと確かな足取りで格技室へ向かった。


◇◇◇


さて、エデイラはというと。

死んだように眠り続けたその翌朝、黒服の男たちにまず頼んだことは、二つあった。ひとつ、武術の鍛錬がしたいこと。もうひとつは、鋏を貸してほしいこと。


武術の鍛錬の方はゾラ様に連絡する、多分受理されるだろうけどと言われ、もうひとつのほうは、露骨に怪訝な顔をされた。


「なにに使うか聞いても?」

「髪を、切りたくて」


受け取るなりその場で髪に鋏を入れたエデイラに、男たちはぎょっとしてあれこれ言ったが、エデイラは落ち着きはらっていた。

これまではメイドとしての体裁を保つ必要があったので伸ばしたり結ったりしていたが、もうその必要もないので長くなくてもよいこと。それにこれから武術の稽古がしたいので、長いと邪魔になることも。

そして、彼らがとめる隙を与えずに、じょきじょきと根元近くから髪に鋏を入れた。


「お、おい、そんなに短く切って大丈夫か」


そばで見ていた黒服が声をかけるほど思い切って短くする。

こんなもんでいいか、と鋏をおいて鏡を借りると、少年のようになっていた。

淡いはちみつ色の瞳と明るい茶色の髪の自分の顔がにこりともせずに映っている。顔立ちはいいんだからもっと笑えばいいのに。と言われ続けてきた顔だった。


『私が笑ったら小さい子たちが怖がりますよ、こんなやくざみたいな顔なんですから』

『そんなことない。エデイラの顔はちょっと甘さが足りないだけで』

『こわもてってことですよね、知ってますよ、傷もあるし……』

『違うってば、それに傷だって気にならないわよ、ほんとよ』


かつてタルヴィス家で仲間のメイドとかわした言葉が思い出されて、エデイラはふるふると首を振って記憶を追いやった。今思い出すには悲しすぎる。


髪を切ってしまうと頬の傷跡がこれまでよりも目立つ気がした。エデイラは鏡をのぞき込んで確認する。左頬、目の下から頬骨にかけて、流れ星の尻尾にも似た二本の古傷がエデイラの顔には走っている。

最近できたものではない。もうかなり古い傷だ。


(もう……いい。気にする人は誰もいない)


エデイラはしばらくその傷をじっと見つめていたが、やがて鏡を黒服の男に返した。


これでいい。これで、準備ができた。


同じ日にすぐ、ゾラ様に訴えた。人を殺す訓練がしたいこと。訓練の頻度は多い方がよく、できれば毎日稽古がしたいことを。


それを聞いてもその人は顔色ひとつ変えなかった。前日に引き続きオネエのような女王様のような装いをして、わずかに首をかしげて聞き返してきた。


「剣術、ということでいいのかな?」


「形ばかりの訓練でしたら必要ありません。剣でも、弓でも、暗器でも、護身のためではなく、礼儀作法としてでもなく、人を殺す技術を教えられる方がいらっしゃいましたらぜひともご指南いただきたいのです」

「──きわめて実践的な、ということか」

「そうです」


「殺すすべを極めるものは、自分も同じ目に合うおそれがあるが」

「かまいません」


実のところ、そんな人物はここにいないだろうと高をくくっていたのもある。だが、時間を無駄にすることは今のエデイラにはできなかった。だから、答えを渋るようであれば、即座にここを出ていこうと思っていた。


だがゾラ様は、長い指をあごに当てて言ったのだった。


「おうい、今殺人術を教えられるのは何人いたっけな?」


すると、その人の他には誰もいないと思っていた室内から落ち着いた声がした。


「三人ですかね」

「それだけか? もっといなかったか?」

「あと二人、いることはいますが今は護衛に出ていますから」

「だそうだよ」


そういってゾラ様はにこりと笑った。


それから、どこからともなく現れた黒づくめの男に耳打ちされて、小さくうなずいてから続ける。


「今すぐに習えるのは体術と、弓と、剣だ」

「はあ」


おそらく自分は拍子抜けした顔をしていただろうと、エデイラはあとになって思う。なんてことを言うのかと眉をひそめられることもなく、女の身で冗談が過ぎると笑い飛ばされることもないなんて。


「どれにする?」

「全部を」


考えるまでもなかった。

即答するエデイラをゾラ様は楽しそうに見やる。


「わかった。私から話をつけておこう。最初に行くのはジョウジョウのところがよかろうね。うんそうしよう」


ジョウジョウというのは体術の使い手だとゾラ様はエデイラに説明した。見た目は冴えないおっさんだがかなりの実力者なので決して油断しないように、とも。


そうしながら、机に向かって素早く手を動かしている。あっという間になにか書き終えると、それをエデイラに手渡した。


「手加減しないように書いた。ジョウジョウは厳しいぞ。──死ぬなよ」

「はい」


二つ折りにされた書類を受け取る。二人の上半身が一瞬近づく。その拍子に、ふわりと甘い香りが漂ってきた。


「──おうい、お前、この子を格技室に案内しておやり。あと動きやすい衣服もね」

「かしこまりました」


そんなこんなで、その日の午後にもならないうちから、エデイラは体術をさっそく習うことになった。


体術の指南役であるジョウジョウ氏は、エデイラを見てもまったく表情を変えなかった。女だからといって侮るふうでもなく、少年のように短くなった彼女の頭を見ても驚く様子もない。

そしてゾラ様が言う通り、その教え方はなかなかに容赦のないものだった。


エデイラは、初日の正午で早くも倒れた。正確に言うと、気絶させられた。


無口なジョウジョウ氏はエデイラに水をかけて正気に戻すと、中空にのぼる太陽を見てこう言った。


「昼、だな」


午後からは弓と剣の稽古が入っていた。

エデイラはそこでもそれぞれ一回づつ気絶した。


そんな一日が次の日も、また次の日も続いた。


一着では足りなかろうと、黒服の男が稽古着の替えを持ってきてくれた。その時に、部屋着やドレスが欲しいかと聞かれた。欲しければ頼めるし、支払いの心配はしなくてよいとも。だがエデイラは必要ないと答えた。今ではもう見た目を小奇麗に保つ必要もなかったからだ。


そうやって日々汗を流し、叩きのめされ、時に気絶しては自室へ戻って死んだように眠る、その繰り返しだった。


流す汗の量とは裏腹に、心はひどく乾いていた。

潤ってしまうことは許されない気もしていた。


そんな毎日が一週間ほど続いたある日のことだ。


(また……来てる。いや、いらっしゃっている)


エデイラは視界の隅に、背の高い女性がひとりぽつんと佇んでいるのを認める。


知らない女性だ。話したことはない。

だが立ち姿だけでもう、相当に身分の高い人だと分かる。


彼女は佇んだまま、ややしばらくエデイラの稽古を見つめていた。

誰も彼女に近づかないし、彼女の方も誰にも話しかけない。


(昨日も、いらっしゃった。一昨日もだ)


彼女が来るのはいつも午前中の遅い時間で、その時間といえば、体術専門家のジョウジョウ氏にいいようにこづきまわされ、息も絶え絶えになっている時間帯だったから、もしかしたら一昨日以前も来ていたのかもしれないが、わからない。


その人は出入り口近くの壁際に立って、エデイラのことをひたすらに見つめていた。

格技室は広々としており、エデイラのほかにも稽古をしているものがいる。だがその人はそちらの方には一瞥もくれようとせず、まっすぐにエデイラのことを凝視しているのだった。


ちらり。

ジョウジョウ氏が視線を動かして彼女を見る。


口数の多くない彼は昨日も一昨日も彼女について話題にのぼらせることはなかったが、気づいていないはずはなかった。


「今日は、ここまでにしようか」


ジョウジョウ氏がぼそりと言った時、エデイラは、ん? と思った。ここまでにしようか?


(いつもは、きっぱりと切り落とすような言い方で、今日はここまで。というのに)


「先生」


エデイラはふと思いついて言ってみた。


「先生が、政治を気にされるタイプとは思いませんでした」

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