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第1章 永遠の眠りにはつきそこねた 5

なんとも意味深な言い方にエデイラはちょっと考えたが、ゾラ様はもう待っていてはくれなかった。さっさと先を歩きながら続ける。


「古くから修道院は」


さっきの覗き穴を離れたので、もう声は落とさない。深みのある耳に心地よい声が狭い通路に反響する。


「その規模の大小にかかわらず、行き暮れた旅人や傷ついた人を泊め、病人も引き受けた。だから、医療に欠かせない薬草園がどこの修道院でも必要だった。薬草の配合もね」


それは確かにその通りだった。


この国だけではない、およそこの世界の文明国で、これほど宗教活動が普及し、人々が信仰を篤くする理由は、かつては修道院でしか薬品が手に入らなかったからだ。薬は修道院の専売品であり、民間で薬草治療を行ったものは厳罰に処され、時には魔女として排除された。


(それを覆したのが旦那様たちのカルテルだ)


それは百年ほど前に始まり、急速に各地に広まった。


だからこそエデイラはさっき不思議だったのだった。

薬品カルテルに所属するものは、宗教施設とは今でも敵対関係にある。その最たる立場であるはずの、園の長たる立場の人が、


(ここは宗教制度の庇護を受けるものではないとおっしゃっていたが、それでも、旦那様に、敬称をつけるだなんて……)


「だから、独自の配合をいかに持っているかというのは、園の存続のためにも、外部の政治圧力に屈しないためにも、とても大事だ。あのカードが手に入って、私がどれだけ君に感謝しているかわからないだろう」


そう言って、ゾラ様はふと通路の途中で立ち止まり、肩越しに振り向いた。長いまつげが頬に影を落とす。

エデイラがなんと言っていいかわからなくて黙っていると、ゾラ様は目じりだけで笑った。


「よくわかっていない顔だね」

「はあ……」

「まあいい、おいおいわかる。とにかく私としては、君に不自由をさせるつもりはないから、なにか足りないものがあれば言いなさい。わかったかな?」

「はい」

「言うまでもないことだが、ここは中立地帯。争い事は厳禁」

「はい」

「なにかしたいことがあれば私に言うように。できる限りの力になる」

「お礼申し上げます」


だが、先ほどの質問には答えてもらっていないことにエデイラは気がついていた。


(問いが拒絶された……というわけでも、ないんだろう)


と言って、はぐらかされた気もしない。


(悪意は、感じないから……)


じゃあなんだろう、とエデイラはしばし考えた。ゾラ様がこちらを待っていてくれる人ではないことはこれまでの振る舞いでわかっているから頭を高速回転させる。


(あっ)


ややして気がついた。

問いを拒絶したのではなく、問いそのものをつぶされたのだと。


(質問、させない……のか)


それはより高度な会話術であり、その流れもひどく自然だった。そんなことが当たり前にできるだなんて、いったいこの人は何者なのだろう、と疑問を深くしながら、エデイラはゾラ様が再び歩き出さないうちに急いで言った。


「質問が」

「言ってごらん」

「どうして私にこんなことを知らせるのですか。明らかに、先ほどのみっつは隠し窓です」

「――そう、三つだ」

「え?」


エデイラが聞き返すと、ゾラ様は長く節ばった指をあげた。


「すぐそこだよ」

「すぐそこ?」

「さっき私たちが出てきた部屋だ。覚えているかな?」

「……覚えて、います」


問われて答えないのはぶしつけだからエデイラはかろうじて答えた。

だが、まただ、とも思った。やっぱりだ。問いそのものをつぶす空気を作るのが、この人はひどくうまい。


ゾラ様に続いてさっきの部屋に戻ると、黒服の男たちは先程と変わらぬ直立不動の姿勢で待っていた。ゾラ様はその中の誰にともなく無造作に話しかける。


「あきはあるかな。白の女性用に」

「あります」


そのうちのひとりがきびきび答える。

「西……いや、東がいいだろう」

「かしこまりました」


これはまた別のひとりが答えた。


彼らは軍人かと思うほど統制がとれており、余計な質問は誰からも出ない。


「必要なものは、揃えてやるように」

「はい」

「さて――」


そう言って、ゾラ様は肘掛椅子に深く腰掛けた。そのままの体勢でエデイラを見上げる。


「改めて、あなたの入学を許可する。エデイラ・タルヴィス」

「!」


そう呼ばれた瞬間、ここまでのすべての疑問もなにもかも吹き飛んで、エデイラは大きな声を出していた。


「いいえ違います!」


黒服の男たちが驚いたようにエデイラを見ている。だが言わずにはいられない。


「私はただの使用人です。タルヴィスの名を名乗るべき人間ではありません」


ゾラ様は肘掛に肘を置いて両手の指を深く組み合わせ、あの深みのある声で言った。


「私が許可する」

「あなたが許可してもいけません!」


思わず立場の違いも忘れてエデイラはそう言っていた。


「だめです、だって私、元奴隷なんです! ですから旦那様の名字など頂くわけには!」


強い言葉で言いつのったが、しかしその人は機嫌を損ねた様子もなく、エデイラをじっと見上げると確かめるようにうなずいた。


「うん、大声を出せる程度には元気なようだね」


「──ゾラ様」


脇に立つ黒服の男たちのうち、一番近くに立つひとりがそっとたしなめるようにつぶやく。こんな時に、言っていいことと悪いことがありますよ。と言外ににじんでいた。

だがその人は部下のつぶやきを黙殺して続けた。


「体力があるのは……とてもいい。いいことだ」


そして机の引き出しからなにかを引き出すと、エデイラの前に差し出した。

古びているが上質の紙であることが見て取れて、エデイラが汚れが残る手でふれるのをためらっていると、ゾラ様が促す。


「確認なさい」


おそるおそる受け取って、三つ折りの厚手の紙を封筒から引き出す。

あけるなり、文末の家印とサインが目に飛び込んできた。それは、見間違えるはずもない。


(旦那様の筆跡……!)


日付は十二年前になっている。

エデイラがタルヴィス家のメイドになるより、もっと昔だ。


「字は読めるのかな」

「読めますとも!」


きっとなってエデイラは反論する。旦那様の使用人となってから、家事だけではなく、学問の機会も与えられたのだ。


背筋を伸ばし読んでいくと、それは間違いなく旦那様本人の直筆であり、言葉の使い方や行間のあけかたもエデイラが見知ったものだった。時候の挨拶、なにがしかへの謝辞がまず述べられ、今すぐには難しいが、将来的に当家の秘薬の配合をお渡ししても、貴殿であれば有効に使ってくれるであろうことを信じている、というようなことが記されていた。


そして、文末はこう結ばれていた。


──そのカードを運んだ者は、本人が望むだけの学習と鍛錬が受けられるよう、その代償としてそのカードに記されている配合を園に授与するものとする。なお、その者にはこれまでの身分に依らずタルヴィスの名を与え、当家の一員として遇してくれるよう深くお願いする。


(なんてこと。旦那様。……私なんかに、なんてことを)


封書を持った両手の先が震えるのをエデイラは止められない。


泣いてはいけない、泣いては旦那様の手紙を汚してしまう。それだけを考えて涙をこらえる。

胸のあたりがつまったようで、なにも言えず、エデイラは無言でその手紙をゾラ様に返却した。


両手がからっぽになってしまうと、エデイラは白い大理石の床にくずれるように膝をつく。


「おい、大丈夫か」


黒服の誰かが言って、エデイラを支えようと一歩前へ出た。だが彼が支えてくれるよりも早く、エデイラの上半身も床の上に落ちた。


「おい……!」


「しっ」


その人は、エデイラが疲労と緊張のあまり気を失いかけたと思ったのだろう。だが、とっさに手を貸そうとする彼を制したのはゾラ様だった。


(さすがに、よく知っていらっしゃる)


エデイラは倒れたのではなかった。

確かに疲労困憊してはいる。足はしびれて、棒のようだ。だがエデイラがしたのは服従の姿勢だった。


両脚は正座のまま、上半身を可能な限り深く前へ倒す。額と肩が床につかなければ服従とは認められない。そして両手は甲をみせて前へのばす。

かなり苦しく、きつい姿勢になるが、身じろぎは許されない。


もう長いことやっていなかったが、今はどうしてもこうしたかった。

それは、自発的な奴隷の服従のポーズだった。


『愛しているよ』


旦那様の言葉が聞こえた気がした。


『お前たちは、私の家族も同然だ。みんな、愛しているよ』


旦那様はあの日確かに亡くなったというのに、死んでからもなおエデイラを守ってくれていることが痛いほど伝わってくる。


(私は、旦那様を、お守りできなかったのに……)


その日エデイラは、アンダルトン修道園の長に服従したのではなかった。

旦那様がもうこの世にはいなかったとしても、自分の服従は彼ひとりに捧げられるものであることを、ゾラ様ではなく、その手紙にひれ伏すことで示したのだった。


◇◇◇


「驚いただろう」


エデイラを先導して歩きながら、黒服の男が不意に言った。


「え?」

「あの人の見かけのことだ」

(見かけ……)


エデイラはゾラ様の鮮やかに塗られた爪と、堂々と主張する喉仏を思い出した。

そういえば、お屋敷のゲストにもたまにいたっけ。だから驚くほどのことではないし、たとえ驚いたとしてもその程度で顔に出しはしない。


「いえ……異性の格好をする趣向のかたは、まれにいらっしゃいますから」

「違う」

「はっ?」

「違う。あの人は、今日はそう見せているだけなんだ」


(えぇと……)


自分は思っているよりも疲れているのだろうか。なにを言われているのかわけがわからない。

すると、エデイラの後ろを歩いていたもうひとりが補足するように言う。


「そうそう、今日は、オネエの日」


と、前方の男が歩きながら振り返ってうしろの仲間をたしなめた。


「その呼び方するとゾラ様怒るぞ。オネエじゃない、女王様とお呼びなさいって」

「そうだった。しかもあの人が女王様モードの時ってすぐムチ持ち出すからやだよ」

「娼婦モードの時よりましだろ。目のやり場困るわ」

「ああ、けだるい娼婦モードな」

「その日は一日書類受け取ってくんないし」


ははは、と男たちは快活に笑う。だがエデイラは彼らがなにを笑っているのか、さっぱり理解できなかった。


(ムチ……娼婦……? えっと、誰が?)


男たちはひとしきり笑い終えると、エデイラに向けて口々に言った。


「ともかく、そういうことだ」

「うん、そのうちわかる。君は聡明そうだし」

「あ……、はあ」


それ以外、いったいなにが言えたろう。


簡素な寝台と衣裳戸棚、それに小さな机が備え付けられた部屋に案内されて、エデイラは彼らにいろいろ尋ねられた。

普段飲んでいる薬はあるか。腹はすいているか。風呂に入りたいか、また入る元気はあるか。

エデイラがそのすべてに首を横にふると、男二人は黙って顔を見合わせてから、


「なにか消化にいいものを持ってくるから、待っていなさい」

「そうだな。君は少しでいいからなにか口に入れた方がいいように見える」


そう言って部屋を出ていった。


誰の気配もしない清潔な部屋をエデイラは見渡した。


今日の明け方にはお屋敷にいたのに、今こんな場所にいることが不思議で、現実味がない。

だが、清潔なシーツにふれていると、確かにこれが現実なのだった。


寝台に腰掛け、男たちが戻ってくるのを待っていようと思ったが、待っているうちに我慢できなくなって寝台に横になり、すぐに意識が落ちていった。


「ありゃ、寝ちまってるよ」

「無理もないだろ。どうするこれ。置いていくか」

「いや、粥だし冷めると固くなる。また起きたらなにか食べる気になるだろう」


男たちの会話はエデイラの耳にはもう入っていなかった。

夢も見ずに、ただこんこんと翌朝まで眠り続けた。


これが、エデイラがアンダルトン修学園についた初日に起きた出来事のすべてだった。

おねだりしてもいいですか?

星をもらってみたいです!


小説を読んだ一番下にある星マーク、他の作家さんに押したりしてみてるんですが、自分のが押される所が見てみたいんです。

どなたかお試しでかまいません。「はいよ」って押していただけると幸いです。

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