第1章 永遠の眠りにはつきそこねた 4
読んでくださった知人の助言なども取り入れて、読点を減らしめにするなど、ちょこちょこ原稿に手を入れています。投稿初日でフィードバックをいただけるとは思っていなかったので、嬉しい限りです。
また、noteを勧めてくれたかたもおり、ありがとうございます!検討します!
エデイラは聞き返そうかと思ったが、それよりも、ゾラさまが先を続ける方が早かった。
「確認のために聞こう。これを託したかたは、どうなった」
つらい質問だった。
そうではないとわかっていても、自分のふがいなさを責められている気分でもあった。エデイラは声をかすれさせて答える。
「――敵に討たれて、亡くなりました」
「敵、ね」
その人はつぶやくようにそう言った。
アーロ家です。それからヴァージデルと。
エデイラはよほどそう言おうかと思った。
長年続いたカルテルの協定をあの二家は破ろうとし、旦那様がそれに反対したからです、と。あろうことか、二つの家で密約を結んで、傭兵を雇って旦那様を亡き者にしようとしたんです。私たちがどんなに戦っても相手の数が多すぎたんです。
だがやめた。聞かれたわけでない限り、話す必要はないことだったから。
それはよくしつけられたメイドとしての習性でもあったし、この人が敵か味方か、まだわからないと思ったせいでもあった。そこがわからない以上、情報は小出しにした方がいい。
そんなことをエデイラが考えていると、その人はこれまでよりも一段深みを増した声で言う。
「カードは確かに受け取った。そして、あなたの入学を許可する」
「入学……ですか?」
呼び方が、お前からあなたに変わったことにエデイラは気づいた。
だがそれよりも気になる部分があった。記憶違いでないならここは修道院だったはず。入学とはどういうことだ。
それを口にすると、ゾラ様は小さくうなずいた。下へと頭を動かすのではなく、ちょっとあげてから戻すしぐさに生まれついての身分と高慢さを感じる。
「おおむね間違っていない。ただ正確に言うならば、修道院ではなく、修学園だ」
エデイラは目をぱちくりさせて、ばかみたいに繰り返した。
「学園……」
「必ずしも宗教制度の庇護を受けるものではないということだよ。わかるかな」
「は……い」
わかるようなわからないような、微妙な感覚だった。
だがとりあえず強引に胸落ちさせてうなずくと、その人は先を続けた。
「あなたが目指していたのは確かにここだ。無事にたどり着けたのは喜ばしいが、見たところかなり消耗しているようだ。しばらくは安静にすることを勧める」
「……お言葉の通りに致します」
「タルヴィス卿は私も知っている。惜しい人を亡くしたね」
そう言って、その人は座っていた肘掛椅子からわずかにヒールの音をさせて立ち上がった。
見上げるほどの長身で、膝の皿が握りこぶしほどに大きかった。まごうことなき男性の足だ。エデイラが見ている前で、その人は深々と頭を下げた。
「謹んでお悔やみ申し上げる」
「あっ……あのっ」
そう言ったきり、その人はエデイラが思わず声をあげてしまうほど長いこと、そのままの姿勢でいた。
なにやらメイドとしての血がそわそわ騒ぐ。相手にだけこんなふうに頭を下げっぱなしにさせておいていいはずがない。エデイラが慌てて長椅子から立ち上がろうとした時。
「本当に、残念だ」
言いながらゾラ様が頭をあげた。
その表情に、エデイラの胸から警戒の刺が少しだけ引っ込む。
形式で言っているのではない、心からの哀惜がそこにはにじんでいた。
(それに、タルヴィス卿って……そう呼んだ)
貴族の身分を持っていないあのかたをそんなふうに呼ぶのは、自発的な敬意を持つ人間だけだ。
たとえば村人。たとえば旦那様に命を助けられた人々のように。
(でもなぜ)
エデイラは背筋を伸ばしてその人を見上げた。
「質問してもよろしいですか」
「構わない」
「あなたと旦那様は、いったい……どういう」
その質問にはちょっと間が空いた。
ゾラ様はやがて踵を返すと、エデイラの背後にある戸口へ向かう。コツコツという靴音が組み木細工の床に反響した。
「教えてあげよう。ここが修道院とちょっと違う理由はもうひとつある」
ゾラ様は背中を向けたまましゃべり続けている。
足を止めることもない。まるでエデイラがついてくるのが当然であるみたいに。
いいのかな、とエデイラはきょろきょろした。
見慣れない室内、初めて会う人たちの前で、どう振る舞っていいかつかめなくて気後れする。
その場にいる男性たちは全員頭部と口元を黒い布で覆っており、誰が誰とも見分けがつかない。だがエデイラが迷っている間にも、ゾラ様は部屋から外へ出て行ってしまう。
(いいんでしょうか、追いかけても……ついてこい、とも言われていないし……)
すると、目元だけを露出させた男たちのひとりが、エデイラに向かって小さく目配せをくれた。
ついていけ、という意味だった。
エデイラはすぐさま後を追う。
幸い、部屋を出たすぐのところでゾラ様の広い背中に追いつくことができた。
エデイラの足音に気が付かないはずはないのに、その人は振り向かない。代わりにこう言われた。
「体調は」
「いいです」
急に動いたので頭はくらくらしていたが、腹に力を込めてそう答えると、ゾラ様は小さく笑った。
「負けん気が強い」
これにはなんと返していいかわからず、エデイラが黙っているとゾラ様はさらに続けた。
「いいことだ」
声には楽しむような響きがある。
歩けるか、とも、立てるか、とも尋ねられなかった。
自分の要求に他人が応えることを当然と受け止める階級の人であり、またそれに慣れた人の振る舞いだとエデイラは思う。
(かなり多くの人を、従えてきた人の声だ)
エデイラは遅れないようにその人の背中について歩く。
園内はエデイラが想像していたよりも広かった。
光の入る中庭つきの回廊では、太い柱に寄りかかって幾人かが談笑している。中庭の池に身を乗り出して掃除をしている人もいる。
そこへゾラ様が通っていくと、談笑していた人たちは顔を上げて挨拶したり、または目礼したりする。
彼らの視線がエデイラをちらと見る。エデイラはぺこりと頭を下げるにとどめておいた。
ゾラ様について歩くうち、彼らの衣服が二種類に分かれていることにエデイラは気づいた。
ひとつは、さっきの男たちが身にまとっていた黒づくめの衣服だ。彼らはたっぷりとした上着に、動きやすそうな木靴を履いている。
もうひとつは象牙色だった。彼らは長袖の上着を着て、同色のフードはかぶっているものもかぶっていないものもいる。その下に着るものは自由なようで、丈の長い上着のすそや襟元からは、それぞれに自前の衣類がのぞいている。なによりも、靴が違った。黒服の人間が簡素な木靴であるのに対して、白服の人たちは男も女も凝った上等の靴を履いている。女性の中には、艶のあるシルクのサンダルを履いている者もいる。
「ごきげんよう、ゾラ様」
「はいごきげんよう。かわいい靴履いてるわね。どこの」
「アヴィアバルティカです」
「いいこと聞いた。今度行くわ」
「ゾラ様の足に合うサイズはないですよ」
「足のサイズくらい靴のためなら縮めてみせるわ」
ゾラ様は闊達な笑い声を上げて、それを聞いた人たちも笑う。
そうしながらも歩く速度は落とさないので、エデイラは人々に目礼を返しながらついていくのがやっとだった。
そうしているうち、エデイラは気づいた。
表向きの通路と、そうではない通路があることに。
すれ違う人に会釈をしつつ、あたりの様子を見て道を覚えようと努力しつつ、なおかつゾラ様に遅れないよう早足で歩いていたので、エデイラにしては珍しく、いったいどこから裏の通路に切り替わったのか、すぐにはわからなかったのだが。
ある程度大きな建物には必ず、そうした裏の通路が設けられている。
それはお客様のお目汚しにならずに使用人たちが建物内を行き来するためのものなのだが、
(そういうのとも違うようだ)
しばらく観察していたが、すれ違う黒服がひとりもいない。おそらく、黒ずくめの人間たちは使用人のようなものなのだろうに、人ひとり通るのがやっとの通路をどこまで歩いても、彼らのうち誰とも出くわさないのは妙だった。
「おいで」
唐突な声にエデイラははっとして足を止めた。あやうく、薄暗い通路でゾラ様に激突するところだった。
「ここから、向こうを見てごらん」
言われるままに、うっすら明かりがさしている小さな隙間に顔を近づける。
きれいな三日月形にくりぬかれた隙間には、紗の布が貼られており、その向こうには明るく広々とした空間が見えた。
人の息遣いと鋭い呼気、それに金属がぶつかり合う音が聞こえる。ときおり談笑するような声も。
(これは……もしかして)
刹那。
だん! と壁が震えるような衝撃があり、三日月形の視界が一瞬暗くなったので、エデイラは驚いてそこから目を離した。
「お前は体重が軽すぎるよ」
「だからって手加減はなしで頼むよ」
「してねえよ」
男の声がすぐ近くで聞こえる。
あまりに声が近いので、こちらの気配を悟られないかどうかエデイラはどきどきした。
「ここで手加減したところで、いざというとき誰も手加減してくれねえからな」
「その通りだよ。さ、もう一本頼む」
「休まなくて平気か」
「細く見えても体力はあるほうだと思うよ」
とんとん。指先で肩口をつつかれて、エデイラははっと我にかえる。
「次へ行くよ」
低い声でそう言って、ゾラ様は再び背を向けた。
エデイラはすみやかにそのあとを追ったけれど、なにやら背筋がひやっとする思いだった。
(さっきのは……格技室だった……)
あの剣のぶつかり合う音ですぐにわかる。あれは模擬剣ではなく、真剣だった。
なぜ、修道院に格技室があるのか。いや、修道院ではなくて『学園』だと言っていたっけ。それでもわけがわからない。
読書室ならわかる。作業部屋もわかる。
(だが、格技室……?)
「こっちだ」
再びゾラ様が紗の布の手前で立ち止まる。今度は六芒星の形をした穴だった。
エデイラの身長では背伸びをしなくては届かないそこから見えたのは、こじんまりとした講堂だった。正面には大きな黒板が据えつけられ、その前には均等に並べられた椅子と机がある。
「残念、授業はやってないか」
ゾラ様が言って、先へ進む。
エデイラは続いてもうひとつ覗き穴に案内された。
滴型をしたそこからは、顔を近づけただけでいいにおいが漂ってきていた。焦がしバターとアーモンドのにおいだ。
(なんて、懐かしい匂い……)
かつては自分も焼き菓子をせっせと焼いては、お客様や旦那様に召し上がっていただいたものだった。考えてみればほんの数日前のことなのに、今となってはひどく遠い昔のことに思える。
そこは製菓室らしく、香ばしいにおいが漂う中、女性たちの声が聞こえた。エデイラのいる場所からは姿までは見えはしないが、話している内容は聞こえてくる。
彼女たちの安心しきったあけすけ過ぎる女子トークに、聞いているエデイラのほうが気まずい気分になってしまい、そっとのぞき窓から顔を離した。エデイラがそこから離れるのを待ってゾラ様は低い声で言う。
「三つ、教えてあげたよ」
「はい……」
「そう、三つだね」