第7章 できるわとあなたが言う 2
エデイラはこみあげてきた感情をぐっとこらえた。
今ここでなすべきことは、気をしっかり持ち、旦那様の代わりとして誠実にお返事することだと、そう思ったからだ。
「みなさん、どうかお気になさらず」
村人たちと視線を合わせるために床にひざをついて答えるエデイラを、ディクテがじっと見ていた。
「お屋敷にあるものはなんでもとって食べて下さい。今までも、これからもです。ここにあるものでお役に立つものがあるのなら、ご自由に使ってください。旦那様が生きておられたら、こんな思いはみなさんにさせなかったものを。──すべて、私の、責任です」
◇◇◇
村人たちが村に戻っていって、再び館には静寂が戻ってきた。
エデイラは野の花が飾られた柱時計の前でぼんやり座り込んでいる。
「あなたがこの先、どうやって生きていったらいいか知っているわ」
一部始終を黙って見ていたディクテが口をひらいた。
「あなたが次のタルヴィスになるのです」
「なに、言ってるんですか」
のろのろとエデイラがディクテを見上げる。その表情は、ディクテがこれまで見たこともないほど寄る辺ないものだった。
「聞こえなかった? あなたが後を継いで薬剤カルテルを回していくんです。なくなったかたの代わりに」
「……どなたの代わりに……?」
耳から入ってきた言葉が、エデイラはうまく理解できない。言葉が上滑りする。
「あなたの旦那様は、一代で薬剤カルテルのトップにまで食い込んだかたよね。ご子息はおらず、養子も取られず」
「……そうです」
そのことはメイド一同気になっていた。実子が無理でも、養子をおとりになればよろしいのにと。だが旦那様はそうなさらなかったのだった。
「その代わりに、あなたたちメイドの育成に力を注がれた。あってるわね?」
「あって、います……」
「それなら、あなたたちに後を任せるつもりだったと考えるのが妥当ではない?」
「ありえません。私たち使用人ですよ」
エデイラは即答した。
「私なんて孤児だし、他の者も似たり寄ったりです。みんな、旦那様の後を継ごうだなんて考えて働いていたんじゃありません」
それはわかっているけれども、とディクテは片手をあげて興奮してきたエデイラを止めた。
「わたくしが思うに、あなたが次代のタルヴィスになる準備は、不足なくできると思うのよ。まずお屋敷を修理するための資金は、ゾラ様が貸してくださるはず」
「どうして、そんな」
「ひとつには、あなたに投資するだけの価値があるとあの人なら判断する。その点はわたくしも同意見ですし。もうひとつは、あなたが砂漠の学園に来た時、無一文だったにもかかわらずアンダルトン修学園はあなたを受け入れた。それは、あなたの身柄を預かることで未来においてなにがしかの利益が発生すると見越したからです」
「それは……」
ヴァージデルの一族があそこを出ていった時のことをエデイラは思い出していた。
砂漠の真ん中にあるくせに、暮らしている者達は水をふんだんに使えていた。果物も、野菜も、肉も不足していなかった。希望すればたいていの学問は履修できる。相当に資金を投入されていることはそのことからも明らかだった。
(あの、私が渡したカード一枚でまかなえるとは思えない……もしかして、私が次代のタルヴィスを継ぐことを念頭に置いて……?)
いやいや、とエデイラは想像を振り払う。まさか、そんな。
「ありえませんよ」
「なぜありえないの? エデイラ、あなたは知識があるでしょう。薬品の配合もできるわよね。マリアカルラの弟さんを見て歯がゆそうにしていたわね、もしかして治療もできるのでは?」
「多少なら、できますけど、でも」
タルヴィスの当主になるとは、それだけできればよいというものではないことも知っている。旦那様をそばで見てきたからこそわかることだ。
「カルテルとのやりとりや会議があります。こうなったからには領主さまとの交渉もしなくては。村人たちの暮らしを立て直し、世界各地にある薬草の採取地とのやりとりも再開しなくてはなりません。当主が変わったといってすんなり納得して下さるかたばかりではないでしょう。人も足りません。資産を管理するための人材も雇わなくては」
「ほら、やるべきことは全部わかっているでしょう」
ディクテが静かにそう言った。
まるで駄々をこねる子供をなだめるようなやさしい言い方だった。
「社交だって必要です、私、できない……」
「できるわ。わたくしと一緒に夜会を立派にこなしたでしょう」
「あれは、あなたが全部助けて下さったからで……」
「次からだって助けるわ」
泣いてしまいそうになりながら、エデイラは反論した。
「だって、私、奴隷の子ですよ」
「関係ありません。タルヴィス氏だって、なんならヴァージデルだって平民身分ではないですか」
「顔に、傷だってあります」
「だからなんだというのです」
熱いものがエデイラの頬を流れた。
もう我慢はできなかった。次から次へと涙があふれる。
声もなく泣き出したエデイラに、ディクテはちょっと困ったようになって付け加える。
「身分など、本当にどうにでもなるのよ。でもあなたが今持っている知識と勇敢さは得難いものだわ」
そうじゃない、身分の低さを嘆いて泣いているのではない、と彼女に伝えたかったが、声にならない。
「王族であるわたくしがそのへんはよく知っているわ。平民が身分を上げる方法などいくらもある。確かに煩雑ではありますけど、煩雑と不可能は同義ではないのよ」
「そうじゃない、そうじゃないんです……」
「なんならわたくしが後見になりますから、しかるべき家の養女に入ればよろしいわ。ね、身分などそれで解決でしょう」
ふるふるとエデイラは首を横にふる。
「ヴァージデルは活動を再開しました。アーロ家だって、今後当主がどっちに転ぶかわかりません。私は勝ったとは言えない。しかもあの洞窟で、あなたが私兵を差し向けて下さらなかったら、私は殺されていたじゃないですか」
ディクテは答えなかった。
「もしも私が後を継ぐことになったら、あのバシレウス四世と対等に付き合いをしなきゃならないんですよ! あの、見るからに、俺が俺が、なあの男と!」
「──やらなければいけないことは、わかっているようね」
「そんな……私、勝ってないのに、負けたのに……」
「そう思うのなら、次は勝ったらよろしいでしょう」
「ディクテ」
「自分ひとりの力でことを成し遂げられなかったから不満なのですか? 贅沢を言うんじゃありません」
「だって」
「どれだけの人の助けを得られるかが、すなわち自分の力だとは思わないんですか!」
ディクテの言葉はまっすぐな矢のようだった。
エデイラは射抜かれたような気持ちでその場から動けない。
無理だ、できるわけないという気持ちがまさっている。
だが、彼女の言っていることが正しいこともわかっていた。できるだろうか怖い、と言ってなにもしないのが甘えであることもわかっていた。もし、ただひとり生き残った自分がそれをしなければ、旦那様も大奥様もきっと残念がるだろうということも。
エデイラは手の甲で涙をぬぐった。
「ディクテ、あなたが……」
「え?」
「あなたが、そんなにまで私にしてくれる、理由が知りたいです」
「えっ」
なぜか、ディクテはひるんだような顔になった。
「理由が知りたいって、あなたそんな……」
「だって、わからないです。マリアカルラは協力の対価を提示しました。私もそれを受けたんです。でもあなたは私になにも求めていないでしょう?」
「それは、あなたが格技室でジョウジョウ氏に毎日ボロボロにされていて……いえ毎日頑張っていて、それで」
言い淀んだディクテの顔がいつになく赤い。切れ長の瞳が泳いでいる。
それを見て、エデイラは急におかしくなった。
「私がズタボロだったから好きになったんですか? ひっどい人だなあ」
「す」
「そういうのなんていうのか知ってます? ドSっていうんですよ」
「ちっ、違うわよわたくし」
「はっ倒されても蹴り飛ばされても毎日めげない私にきゅんとしちゃったんですよね? 立派な嗜虐趣味です。あーやだやだ」
「そうじゃないったら! もういい加減になさい、黙らないとここに置いていくわよ」
大きな口をあけて笑いながら、エデイラはディクテに続いて館を出る。
門をくぐって馬車に乗り込む直前、振り返って館を振り仰いだ。
旦那様、と心の中で語りかける。
私、もう少し生きていてもいいですか。
館のことは、それから村人たちのことは、私が頑張ります。
それと、ご報告があります。
私、新しい友達ができました。
これにて本編終了です。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございます…!
もしよろしければ、評価、感想いただけますと励みになります。
おまけといってはなんですが、このあと番外編をひとつ上げる予定です。
お気が向いたらそちらもご覧いただけると嬉しいです。




