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第6章 アグラマンテという麻薬 1

その日は、まだ夜が明けきらないうちにディクテの別荘を出発した。


大貴族が活動を開始するのは昼過ぎのことだとわかっていても、遅れをとりたくなかったのだ。

ディクテは最後まで護衛を用意したさそうだったけれど、それは遠慮した。


用意してきたランプをともし、さほど時間もかけることなく入り口にかかっていた鍵を開ける。洞窟は、入り口が少し狭かったが、中に入ってしまうと楽に立って歩けるだけの広さがある。

エデイラは明かりを掲げ、注意深く一本道を先へと進んだ。


『父は性格が悪いから、必ずフェイクを用意してると思う』


マリアカルラの台詞を思い出して、罠の気配に用心する。


ひんやりとした洞窟の中をしばらく進んでいくと、前方に大きな一枚岩が見えた。周囲の岩肌とは明らかに違う、人の手で削りだされたものだ。大きさはエデイラの身長ほどもある。

そっと近づいてランプの光を掲げて見ると、そこにはなにやら文字が彫られていた。


(──これは、もしかして)


石板に顔を近づけて読もうとした時、エデイラの足の下でなにかが小さく音を立てた。


(──いけない、油断したっ)


エデイラが急いでそこから離れようとしたのと、頭上から鉄の檻が重量感をもって落ちてきたのが同時だった。


「……っ」


とっさに両手で頭をかばう。

地響きがおさまってから、エデイラは全身を確認した。幸いけがはないようだ。


「それはそれとして……どういうこと、これは」


再びランプをかかげて状況を確認する。


檻は女性の手首ほどの太さで、手持ちの道具では曲げも切れもしなさそうだ。扉はついておらず、上からすっぽりかぶせるタイプの檻であるため、鍵あけの技術も使えない。だいたいこの重い代物をどうやって頭上に待機させていたのか、と見上げたが、頭上にはよどんだ暗闇があるばかりで仔細はわからなかった。


エデイラはため息をつく。


洞窟の入り口は静かなものだ。少なくとも今すぐ命が危ないということはないと見て、石板に再び向かい合った。

そこには古い字体で、この土地の所有者であるアーロ家に従う旨が彫られている。その下にはいくつもの人名があり、名前を石に彫り込んだあとに封蝋で家印が押してある。


「ディクテをここに連れて来なくてよかったです……」


思わずひとりごちた。

石に彫られている日付はおよそ七百年前のもので、ディクテが生まれたミラフローレス王家の名前も上から三番目に記されていたからだ。


(──これだ)


おそらく、アーロ一族が三十年に一度集まって忘れないようにしているのはこれなのだ。

自分たちはかつて、現王族よりも上の立場にいたということ。そして彼らを統べる立場であったということを。


(なるほど、ねえ……)


石板の字をすみずみまで読み終えて、エデイラはランプの灯を消した。

自力でこの檻をどうにかできるとは思えない。ならばここでじたばたしても体力を消耗するだけだからだ。どのみちあと半日も待てばアーロ一族がここへやってくる。


(その場で殺されないだけの技量には……自信があるし)

ならば、彼らが来るのを待とうと思ったのだった。


◇◇◇


「どらどら、ネズミがかかったって?」


エデイラが膝を抱えてうとうとしていると、洞窟の入り口で聞き覚えのある声がした。


「おお、おるわおるわ、わっはー」


バシレウス・アーロが護衛に先導させて足音もバタバタとこちらへやってくる。いくつも灯された明かりがまぶしくて、エデイラは目を細めた。


「なんですの、鍵があけられていたのですって?」

「ですからもっと厳重にすべきだと申しますのに」

「物騒な世の中ですな」


彼の後ろからはぞろぞろと一族の人間がついてくる。年かさの人間ばかりであるところから、一族の全員というよりは、主だったものが集められているようだ。


「いい余興になるわ、わはは」


大きく笑うと、バシレウス・アーロはぴたりとエデイラに目を据えた。豪放な笑い方とは裏腹に、エデイラの価値を冷静にはかろうとする冷たい目だった。


(こういう目は、知ってる)


エデイラはかつて奴隷だった頃のことを思い出す。


「こそ泥め、名乗れ」


吐き捨てるように問われて、エデイラは相手をにらみ返した。


「カルテル三家の均衡を勝手に崩したお前などに、名乗る名前はない」

「おお、やはりタルヴィスの犬か!」


なにがおかしいのか、バシレウスはぶあつい両手を打って笑った。


「あの家の強化メイドの生き残りか、そうかそうか。こういうことがあるから根絶やしにしろと言ったのに、馬鹿どもが」

「申し訳ありませんっ」


最後の一言は横にいた護衛に向けて吐き捨てた。

それからバシレウスはエデイラのことを汚いものでも見るかのように見下ろして、猟犬風情が、と言った。


「ヴァージデルがカタイから出ていった話を聞いて、用心はしていたのよ。罠を作らせておいて正解だったわ。わっはー」


檻の大きさはかなり大きい。高さもある。エデイラは護衛の持つ武器が届かないよう、檻の最奥に避難していた。


「んん? いっちょまえに気を悪くした顔をしおって。腐れタルヴィスの猟犬が」

「──黙れ」

「そんな目をしてわしをにらんだところでだめよ。タルヴィスは討たれるべくして討たれたのだ。そうでなければわしら二家も結託などするものか」

「それ以上御託を並べるな。お前は、お前たちは、利益を三等分ではなく二等分にしたくて旦那様を亡き者に」

「あり得ぬわ!」


打算ではない本物の憎しみが声にはこもっていたので、エデイラはちょっと驚いた。


「これ以上利益を求めたところでなんになる! もうわしらは十分に利益を得ていたというのに。タルヴィスを討つ流れになったのはあいつの不徳の致すところよ!」

「なにが不徳なんですか! あれほど慈悲深く村人に愛されていた方はいなかったのに……!」

「お前、まさかあいつが清廉潔白な人間だとでも思っていたのか?」


なにを言われても動揺しない準備はしていた。彼がかつての敵を悪く言うのは当然のことだ。

──だが。


「気づいていないのか!? 普通のメイドは人を殺すやり方を習ったりしない!」


血を吐くようにそう言われて、エデイラはびくりと震えた。


◇◇◇


──でもどうして、格闘訓練なんか。

そう、エデイラもかつてその疑問を抱いたことはあったのだった。


「私たち、メイドのはず。それがどうして」


タルヴィス家に貰われてきてすぐのことだ。黒白のメイド服を着た先輩メイドたちは一瞬顔を見合わせてから、エデイラににこっと微笑みかけた。


「ここは女の子ばかりでしょう」


そういえば、男性の使用人があまりいない。館に来てから気づいたことをエデイラが口にすると、先輩メイドたちは花が咲いたように笑った。


「そうなのよ」

「いざという時のために、自分の身は自分で守れた方がいいし」

「それに、旦那様や大奥様になにか起きたら、お守りしたいから」

「あでも、義務ではないのよ」

「そうそう、義務じゃないの」


彼女たちは口々に言った。


「気が乗らなければやらなくていいのよ。あなたになにかあっても、私たちが守ってあげる」

「そうそう」


それを聞いた時エデイラは、いやだ、と思ったのだった。一方的に守られているなんていやだと。

自分も、ご恩返しがしたい。拾ってくださった旦那様のために、なにか、役に立ちたい。なんでもいい。それで感情のままに口にしたのだ。


「わ……私もや……やりたいです!」


エデイラの返事を聞いて、先輩メイドたちはかわいらしいものを目にしたようにくすりと笑った。そしてエデイラの頭を撫でて言ったのだった。


「いい子ね、でもまだもう少し大きくなってからね」

「そうそう、基礎体力は大事」


◇◇◇


今でも鮮明に思い出せるやりとりだ。


成長した今となっては、一抹の疑問もないかと言われれば嘘になる。自分たちはメイドであり私兵なのだと考えることで、エデイラは自分を納得させていた。旦那様をありとあらゆる危険からお守りするのだと。

今でも、あれが間違っていたとは思えない。思いたくない。


(普通なんて、知らない。よそのメイドなんて知らないから)


エデイラは懸命に迷いを振り払おうとしたが、バシレウスのよく響く無神経な声がそれを許さなかった。


「まあ、考えてみればよい手ではあるな。孤児を拾い集め、忠実な兵士に育てる。いざという時は生きた防壁としても使える」

「違う!」


エデイラは吠えた。喉の奥で鉄の味がする。

違う、違う、私たちは愛されてた。そう叫びたかった。だが、どんなに血を吐き叫んだところで、この男にわからせることができないこともわかっていた。


(だってもう、それを知っているのは私しかいない)


疑いがまったくなかったわけではなかった。

だがそれ以上に、愛情と使命感がまさっていたのだった。


「ではまともな商人がなぜ頻繁に命を狙われねばならぬのか、考えてみたことはあるのか!」


バシレウスは憎々しげに吐き捨てる。

思い返せば、確かにその通りなのだった。


エデイラが知っているだけでも、年に二回はそんなことがあった。もっともそのおかげで、メイドたちは腕のなまる暇もなければ油断する隙もなく、めきめきと技術を上げ続けたのだけど。


(なにが──本当なの……)


旦那様を狙うものは、ひとり残らず殺してきた。だが、どこかで、なにか、間違ったのだろうか。自分たちは、刷り込みされた愚かな犬だったのだろうか。


(どっちなの……わからない)

急激に吐き気がこみあげてきて、視界がぐらついた。


(旦那様……都合よく私たちを使ったのですか? 大切に育てていただいたと思っていたのは、嘘だったのですか?)


仮に自分が使い捨ての番件だったとしても、旦那様がそれを望むならかまわないと思った。

だけど、これまで信じていたことが嘘だったとしたら、これから自分はどうやって生きていけばいいのだろう?


『顔をあげなさい、エデイラ・タルヴィス』


その時、ディクテの声が聞こえた気がしてエデイラははっとした。


『一番つらい時にそれができないなら、あなたを育ててくれた人の恥になるのですよ』


夜会の時に言われた言葉だった。


エデイラは勢いをつけて顔をあげる。バシレウス四世のことを正面から見返した。


ぶくぶく太った中年の男が見える。趣味の悪い宝石を両手にいくつもつけた男だ。

そして、薬と医療の知識を持つエデイラは見てしまった。茶色くくすんだ顔は不摂生な暮らしを長く続けてきたしるしだということを。


「──笑ってみて」

「な、なに?」

「にこっとしてみて。早く。笑顔よ」


たたみかけるように言うエデイラに、バシレウス・アーロはわけもわからず笑みを浮かべた。顔の下半分だけで笑う仮面のような笑みだったが、それで十分だった。

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