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第4章 不安は不安を 3

獅子の彫刻のある一角は、上がっていくとすぐにわかった。

寡黙な使用人がトレイの上にいくつもの無印の封筒を置いて、近づいてきた客にそれを配っている。


封筒の中身をすぐにその場で確認した。日時と場所が無造作に記されているのを確認して、エデイラはディクテとうなずきあう。

必要なものは手に入れた、あとは人に紛れてここを立ち去るだけだとなったその時。


エデイラは、ふと視線を感じた気がして顔をあげた。


物音はしなかったのだけれど、そのあたりは、元戦闘訓練を受けて幾度も実戦に出たものの勘が働いたとしか言いようがない。


「どうしたの、エデイラ」

「いえ、そこに子どもがいるんです」

「子ども?」

「あ、ひっこんだ」


二人が見ていると、斜め上のうす暗い階上の手すり越しに、再びおそるおそる白い小さな顔が浮かぶ。見下ろしているのはブルーのお寝間着を着せられた幼い少年だった。


「ここの家の子でしょうか」

「そうでしょうね。もう寝る時間のはずだけれど」

「ということはマリアカルラの弟ですね。にぎやかさにつられて覗きにきたんでしょう。子どもってそういうものです」


「こ、こんばんは」


言い交わしていると、子供のほうから口をひらいた。幼い子ども特有の高い声だった。

エデイラはできる限りやさしい声で応える。


「こんばんは、ごきげんよう」

「ごきげんよう」


子供はいっぱしの挨拶をした。


「おねえさまたちは、どちらの、おねえさまたちですか?」

「うーん」

どちらのと言われましても。


エデイラがディクテと顔を見合わせて、なんと答えようか考えていると、封筒を乗せたトレイの前に立っていた使用人が初めて声を発した。


「坊ちゃま、お父さまに見つかったら、叱られますよ」

「だって眠れないんですもの。見てるだけなら、いいかしらと思うの」


まだ舌っ足らずではあるものの、品のよい語り口だった。続柄で言えばマリアカルラの弟であり、あの、わっはー、な父の子であるはずだったが、父親にも姉にもあまり似ていなかった。

使用人は軽くたしなめるように眉をひそめる。


「遅くまで起きてらっしゃると、朝起きられませんよ」

「ぼく、いつも夜あまりねむれないの、知ってるでしょう。それに家庭教師の先生は、みるのもおべんきょうですよって、いうよ」

「おや、それはいい先生です」


まんざらお世辞でもなくエデイラが褒めると、少年の顔がぱっと輝いた。掴んでいた手すりをはなし、階段をぱたぱたと降りてくる。


少年の様子とはうらはらに、使用人の顔は曇った。


「坊ちゃま……夜は冷えます。またお具合が悪くなっては」

「この子にくっついてるから、あったかいの。ぼく、少しだけおねえさまたちとお話がしたいんだもの。ね、いいでしょう」


少年を追いかけるようにすぐあとから降りてきたのは、垂れ耳の大型犬だった。毛足の長い黒白茶の犬は少年の横に来ると黙ってお座りの形になる。


(──っ!)


その犬をひとめ見た瞬間、エデイラの目がその首元に吸い寄せられた。


「まあ、賢いこと」

犬のおとなしさをディクテが褒める。

「そうなんです、なかよしなの。いっしょに寝てるんですよ」

「そのようね。いい子だわ」

「ありがとう」


ディクテと少年のやりとりも、エデイラの耳にはもはや入っていなかった。


(大奥様の……おメダイ……)


見間違えるはずもなかった。聖母の姿が刻印されている楕円のメダルを中央に、青みがかって光る珍しい種類の琥珀を連ねて作った胸飾りだ。

エデイラは、それを大奥様がいつも身につけて大切にしていたのを知っていた。幼いメイドたちがきらきら光る輝きに見とれていると、首から外してさわらせてくれたりしたものだった。


(間違いない……)


それが、犬の首から下がっている。

動揺と怒りで頭がくらくらしそうなのをこらえて、エデイラは気づけば口に出していた。


「それは……その首飾りは……どちらで手に入れたのですか」

「この子のこれですか?」

少年は犬の首に小さな手を置いて素直に答える。

「これは、オベロンにって、父様が下すったの。お仕事の関係でいただいたんですって」

オベロンというのが犬の名前らしい。


ディクテがちらりとエデイラを見やる。その視線が雄弁に語っている。だめよ、我慢して。ここではだめ。

その視線の語っているところはわかったが、とまらなかった。


「そうですか……あなたのお父様……お仕事で、ねえ」


なんてことだろうと思った。

(大奥様のおメダイを……犬に……下げ渡した……)

急速にこみあげてきた怒りで気が遠くなりかける。エデイラは深くうつむいて、殺気立ってくるのを止められない顔を隠した。


(殺したい)


怒りに続いて殺戮衝動もやってくる。

怒りの感情よりも、よほどこちらのほうがたちが悪かった。そういうふうに訓練されたから、体がより効率のいい動きを見つけて動こうとするのだ。


(使用人は、声を出す前に殺せる。少年は言うまでもない。一番てこずるのは犬だが──)


頭の中で勝手に計算が始まる。

エデイラの手は無意識に特徴のある形に握りこまれる。素手で人間の頭蓋骨のもっとも弱い部分を壊す形だ。


(窓もすぐそこ。この高さからなら飛べる。──脱出経路、確保)


破壊衝動が刻一刻と蓄積され、膨れ上がり、爆発寸前なのがわかる。それをおさえておくのに肘から先が小さく震えるほどだった。

いけない、体の力を抜かなくてはとエデイラは、どこかふわふわと快感にも似た高揚感の中で思った。

体に力が入ったままだと素早く動けないし、破壊力も落ちる。だが、おかしい。久しぶりのせいだろうか、体の力をどうやって抜くのか、うまくできない。


(震えが……止まらない)


うううっ、と、犬が低くうなった。

「エデイラ」

ディクテが見かねて声をかけたのを、エデイラは無視して言う。

「私、は」

低くかすれたような声が出た。

「私は、旦那様の、お恨みを」


犬はお座りの姿勢をやめて、少年の脇にぴたりとくっついている。頭をやや低くして、エデイラから目を離さない。よくしつけられた家庭犬らしく、引き綱はつけていなかった。


「ごめんなさい、おねえさま! オベロン、うなるのよしなさい!」

「よろしいのよ、大丈夫」

ディクテがごまかしてくれている。


「知らない人ですもの、無理もないわよね」

「ほんとにごめんなさい。今までお客様に吠えたりうなったりしたことなんてないのに」

少年は申し訳なさそうにしょんぼりしている。

「ほら、おいで。……どうしてこないの。いうことききなさい」


少年は犬の首輪を両手で引っ張って上階へ連れていこうとするのだが、犬のほうが警戒を解かず動こうとしない。

それはそうでしょうねと、ディクテはまだ青ざめたまま正気を取り戻さないエデイラの顔色を見て思った。

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