第3章 甘く、甘く、甘い 2
さすがに、沈黙が落ちた。
そりゃそうだろう、とエデイラは自分のことがとてつもないばかに思えて仕方なかった。
(まあ、ばかですけど……)
見つめるまなざしが痛い。わずか数秒の沈黙が、ひどく怖い。
「──お話を聞かせて?」
長い話になると見込んで、石柱の台座部分にマリアカルラは腰をかけた。
らくな姿勢になってエデイラを見上げた顔は、はっとするくらい愛らしかった。愛らしいだけではない、そのはしばみ色の瞳には知性の光もある。
「ここにも、ゾラさまの『目』があるのよね」
──目。
はじめて聞く言いまわしではあったが、あれのことだとすぐに思い当たる。
「ここにも、あるんですか」
「学園中にあるんじゃない? あの人の性格だもの」
マリアカルラは手のひらで柱に彫り込まれた彫刻をなでた。
「でもこの角度なら、話している口元は見られないから、大丈夫」
そういえば彼女は先ほども、ひとりだけ柱の影になるように立っていたことに思い至る。
「口元、ですか」
「あのかたは読唇術がお得意なの。ただ、話している内容を悟られないよう、私が角度を意図的につくった、という事実までは隠せないけれど」
けどまあ、あなたがこれから話そうとしている内容をそのまま知られてしまうよりは、ましでしょう? とマリアカルラは笑みをつくる。
「知られたくない話をしているということは知られてしまうということですね」
「そうね。私はここへ来た時、『目』を二つ、教わったの。あなたは?」
「三つです」
「──そう」
わずかの間、妙な沈黙があった。
「三つなのね。そう……三つ」
彼女は表情こそおおっぴらに変えはしなかったものの、なにやら喜ばしくない感想を抱いたらしいことは理解できる。
正直に答えたのが悪かっただろうか、とエデイラが考えていると、ふとマリアカルラが肩を落とした。
「正直に言って少し悔しいけど、悔しがったところで意味はないわね」
「あの……?」
「いいわ、考えないことにする。人にはそれぞれの事情も背景もあるのだし? 自分が一番不幸だと思うほど、私も子供ではないのだし?」
「あのう……」
「悔しいと言ったのは忘れてちょうだい。そうね、もしも私たち仲良くなれたら、それがどこか教えてちょうだいな」
「もちろん、いつでもお教えします。闘技場と、講義室と、製菓室です」
「やだっ……製菓室!?」
はい、とエデイラがうなずくと彼女はきれいな眉を寄せて冗談じゃないというように言った。
「そんなところにもあったの、知らなかった……」
「そ、そうなんですか」
「どこに」
「あのう、目線の感じからして多分、壁のかなり上のほうです」
見えた景色を身振りもまじえて伝えると、彼女は即座に得心した。
「今では飾り同様になってしまって誰も使っていない赤銅性のケーキ型があったわね……あのあたりだわ、きっと」
となにやら胸落ちさせてから、やだもう、あんなところにまで目があるわけ、おちおち女の子同士でおしゃべりもできないじゃないのと憤慨した。
「ほんとに、やんなっちゃう」
明るい茶色の髪を両手でかきあげ吐息をついてから、マリアカルラは遠くを見る目つきになった。目線の先には、たたずんでこちらの様子をうかがっているディクテがいる。
「ああ……なるほど、ね」
「と、いいますと」
「私を味方にするよう選んだのはあそこの彼女ね。……返事はしなくてもいいわ、わかるから」
(あそこの彼女って、言った……あの方でもなく、殿下でもなく)
その口調から、幽閉中であるとはいえ仮にも王族であるディクテに対してものを言うことに気負いは感じられなかった。むしろ、相手が王族であろうと位負けはしないという自負があるからこその、気楽な口調に聞こえた。
「まったくもう……」
「あの」
マリアカルラが眉間のしわを深くしてうつむいたので、エデイラは、気を悪くしたのだと思った。
当然だ。自分がかなりたちの悪い頼みごとをしている自覚はある。
(父上に復讐するために味方になってくれだなんて、ここまで怒らず話を聞いてくれただけでもありがたい話だ)
それで、エデイラが謝罪をしようとした時だった。
「マリアカルラ様、あの」
「様はいらないと言ったのをもう忘れた?」
「いえっ、そうではないのですが……」
「頼みごとのお返事は今ここで差し上げるわ。ええ」
「──え?」
首をかしげたエデイラに、マリアカルラは悔しそうななかにも喜びの感じられる、複雑な表情を浮かべた。
「あなたに協力するって言ったの。何度も言わせないでよ」
「す、すみません」
「まったく憎たらしいわねあの人ったら。私と一度も話したこともないくせに、私が死ぬほどしたいことをちゃんとわかっているのよ」
顔はそっぽを向いていたが、ディクテのことを言っているのだと口調でわかった。
「マリアカルラ」
「いいこと、エデイラ。よく聞きなさい」
彼女がなにかを思いきるように勢いよく顔をあげたので、エデイラはメイドの習い性で、はい、と直立不動になった。こちらを向いた彼女の眉間からはしわは消えている。
「私の望みはね。アーロ家を没落させることよ」
「ご実家、を」
「そうよ、正確には、父を当主の座から追い落とすこと」
「お父上を、ですか」
「やり方はなんだっていいのよ。父を死ぬよりもつらい目に合わせられるのなら。ただ、父が執着しているのは己の身分と、アーロ一族を自由に動かせる当主というその立場なのだわ。だからそれを剥奪することが、一番効果のあるやり方だと私は思うの。あなたがそれをしてくれるというのなら、どんな手助けだってしてあげるわ」
「それは……私が求めるところと、同じことです……」
意外なその言葉に、エデイラはうわごとのようにそう言った。だがマリアカルラは驚いた様子すら見せない。
「そうでしょうね。だからそれを考えたのは、あそこの彼女だと言っているわ。まったく、ここに来てから父のことなど話した事すらなかったのに」
ほんとむかつく、と彼女は身分に似合わない口をきいた。
はすっぱな口のききかたはあまり似合っていなかった。
さり、さり、さり。
耳に心地よい、ほうきで砂を履く音が近づいてくる。
黒いフードつきの上着を着た人間が二人のそばを通っていく間、マリアカルラは口をつぐんでやり過ごした。
さり、さり、さり。
一定のリズムを保って砂が掃き清められていく。
この学園のすぐ外側はあっけなく砂漠なので、しかも大陸でも最大級の砂漠なので、風にのって絶え間なく砂が飛んでくるのだった。
敷地の外周に沿って、乾燥に強い背の高い木が二重にも三重にも植えられているが、それでもその隙間を縫うようにして砂は入りこむ。よって絶え間なく掃き清めていないと、あっという間に砂が積もってしまうのだ。
黒い上着の使用人が通り過ぎるのを待ってから、彼女は口をひらきなおした。
「あなたに協力する交換条件は」
「はい」
「今、なににしようか考えていたのだけど……」
「なんなりと、どうぞ」
迷いなくエデイラが答えると、マリアカルラはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「気前がいいこと」
「そういうわけではないのですが……本心ですので、なんとも」
「無理難題を押し付けるとは思わないの?」
「私の命ひとつで足りるのでしたら、なにをおっしゃられようと構いません。私のほうこそ、あなたの立場ではつらいことをお願いしました」
「交換条件は」
マリアカルラがいくぶん低めの声を出した。
「はい」
「いつか私が求めた時に、必ず、味方になってほしい」
その口調には真剣みがこもっていて、エデイラはその強い気持ちにうたれた思いで黙ってうなずいた。
真剣になにかを成し遂げようとする人間は、それだけで美しいとエデイラは感じる。
「……今はまだ、どんな望みになるかわからないのだけど」
「はい」
「そう理不尽なことは言わないつもり……だから」
「わかりました」
うなずくだけでは足りないと思いなおし、エデイラはそう言い切った。
「お約束します。いつかあなたが必要だと思う時に、どうぞ私を使ってください」
◇◇◇
どうやら話が済んだらしいと見てとって、離れたところからディクテが近づいてきた。
挨拶も抜きで、いきなり言う。
「では、エデイラ。このかたの父上を破滅させるにはどうすればいいかわかりますか」
本人の目の前で堂々と言うあたりも、前置きがないあたりも、それはいかがなものなのかとエデイラは思った。自分は平民だからなにを言われてもたいしてなんとも思わないが、貴族や王族というものは、ことのほか形式を大事にするものではないのか。
エデイラはこっそりマリアカルラの顔色をうかがったが、彼女は彼女なりに顔色ひとつ変えていないのはさすがに腹が座っていた。
「聞いているのに」
「あっ……いえ、その、わかりかねます」
「それはね、面目をつぶすこと」
「面目、ですか」
「貴族が大勢集まる、できれば王族も集まるような格式のある式典で、彼の面目をつぶすことです。そうすれば彼は失脚する」
「そ」
そんなことで。
つい口から出そうになって押しとどめたが、ディクテもマリアカルラも当然のような顔をしていた。
「大貴族というのはそうしたもの」
「そうそう」
なぜかマリアカルラが他人事のように同意して、やけに軽やかな調子で続けた。
「貴族というものは体裁で生きているのだし? だからこそ、私もここにいるのだし?」
ふしをつけて歌うようにいうのがかえって不気味だ。
「そこで、あなたにご相談があるのだけど」
「なんでしょうか、皇女殿下」
「……その呼び方は、よして」
かすかに眉をひそめたディクテとは裏腹に、マリアカルラはにっこりと微笑んだ。
「あなたがヴァージデル家破産の舵をとったと、評判ですもの。礼を失してご機嫌をそこなっては、と」
これは上手に意趣返しをされたのだな、と見ていたエデイラにもはっきりわかった。前置きもなしでぶしつけなことを切り出すからこういう嫌味を言われるのだ。
エデイラが横目で観察していると、ディクテは苦々しい口調でつぶやく。
「ディクテでいいわ。これからは」
「御意」
言外に先ほどのことを詫びたのに、マリアカルラは明らかに王女を挑発して遊んでいた。その流れを自ら断ち切って、ディクテはしゃんと背筋を伸ばす。
「なにか、あるかしら」
「そうですねえ」
「ふさわしいものがあるといいのだけど。できればあまり先でないほうがいいわ」
「待って、今考えてみてるの」
身分の高い少女ふたりは肝心の主語を言わないまま話を進めることに慣れているようだった。
エデイラがふたりの顔を見比べていると、ディクテが助け舟を出してくれる。
「破滅の場にふさわしい式典があるかどうか、聞いてるのよ。わたくしに思い当たる節がなくて」
「確か、夏に、アーロ家全員が集まる機会があったような……」
「お身内だけの集まり?」
「そうですわ。けど、かなり大掛かりですよ。なにしろ三十年に一度しかひらかれないので、私も実際に参加したことがない催しごとなので」
なので記憶がはっきりしなくって、と指先でこめかみを叩くマリアカルラに、ディクテが目を光らせる。
「それ、詳しく聞かせてもらえるかしら」
詳しいこと家に戻ればはっきりしますけど、と前置きして、マリアカルラは次のように語った。
三十年に一度だけ入り口をあける洞窟があること。それは一族にとって欠かすことのできない大事な儀式であること。そこには、アーロこそがこの国の創設者であり、王族よりも確かな血脈を持つことを示すと彼らが信じている証拠の品がおさめられていることなどを。
◇◇◇
「よろしいんですか、そんな大切なことを私たちに話してしまって」
「いいわ」
語り終えるとマリアカルラは清々したというように吐息をついた。
「それに、ここで出し惜しみをするようでは、さっきあなたに言ったことが嘘になるでしょう、エデイラ」
「協力、してくださると」
「そうよ。私はいっときの感情や気まぐれでああ言ったのではないとわかってもらえるといいんだけど」
「疑ってなどいません!」
ふるふるとエデイラは首を横にふる。
話は済んだから、それじゃ、と言ってマリアカルラが踵を返した。
「またそのうちにね。……そうそう、外出の際にはぜひご一緒させてもらいたいわ」
これにはディクテが再び顔をしかめた。聞こえるか聞こえないかの声でつぶやく。
「耳が、早い……」
「うふふ」
マリアカルラが行ってしまってふたりきりになると、ディクテが言った。
「篭絡できたようで、なによりね」
うーん、とエデイラは考え込む。
「篭絡、なんでしょうか」
そんな高度なことができた気はまるでしなかった。ただ、彼女にやさしくしてもらったような気がした。
「そうではないの? 彼女、楽しそうにしていた」
「そうですか?」
「そうよ」
「篭絡できたか、私にはわかりません。ただ──目的のために協力して下さるとのお約束をいただきました」
ほかになんと言っていいかわからず、ありのままを言うと、ディクテは驚いたように目を見開いてエデイラを見て、結局、なにも言わなかった。




