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メリオン城の悪魔  作者: 西条さき
旅路
9/46

白仮面の男

 こめかみに冷たい感触を覚えて、ザンダはうっすらと目を開けた。


 馬車の車輪の振動に身を任せるうちに上半身が自然と窓の方に傾き、外気にさらされているガラスに頭をもたせかける格好になっていた。


 夢うつつに馬車の席に横たわっていた記憶があるが、いつのまにか座った姿勢にさせられていた。


 窓の向こうには平原が広がっていた。


 灰色に濃淡をつけた晩秋の昼空が白い天光を放っている。それは平原をうち、地上一面を覆う草原の緑色を浮き立たせていた。


 平原の向こうには蛇行する河が横たわり、その奥には小高い丘がある。その上に城塞都市の幕壁が見えていた。


 さらに目を凝らせば、小高い丘の背後にほぼ絶壁をなす岩棚が立ち並んでいるのが薄靄の中に見えた。


 ここはどこだろうー。


 やがて意識がはっきりしてくると、記憶が戻ってきた。そう、あの身の毛もよだつ土牢(ウーブリエット)から出されたのだ。


 ちらりと視線を馬車の内側に向けると、ちょうど対角線上の向かい側の席に男の姿が見受けられた。窓の外を見ながら思索にふけっているのか、ザンダに気づいた様子はない。


 男の座る脇に白い仮面が無造作に置かれていた。


 白仮面の男ー。馬車の中に充満する、浮世離れした花のような匂いは、この男が体から立つ香水だ。


 あのおぞましい穴から出されて最初に嗅いだのはやはりこの男の香水の香りだった。それから、白い滑らかな仮面を見て驚愕し、再び気絶した。


 実際に穴から自分を出した者は多分、彼の従者だろう。彼の顔は暗かったせいかよく覚えていない。


 布で包まれ、抱き抱えられ、ヴァレッサの裏路地の建屋に連れていかれたのは夢うつつに覚えている。


 建て付けの悪い木の扉を蹴る音、従者の舌打ち、階段のきしる音、低い話し声ー。


 金は弾む、世話をしろ、と男の厳しい声が上がった。それから旅の旦那様がお急ぎだ、と女の声がしたかと思うと、次第に全身の肌に冷気を覚え、やがて湯が頭から被せられた。


 おお、くさい、おお、くさい、と呪文のように繰り返される女の声。だがそれが止むと柔らかい布に包まれ、数人の粗雑な手がザンダの体に着物を着せていく。

 

 そこから先の記憶は途絶えていた。


 気がつけば、いつもきっちりと後ろに編み込んだおさげ髪が、今はすっかりばらけて顔にまとわりついている。女たちに髪を洗われたときに紐がどこかへ行ってしまったのだろう。


 ザンダは、男の横顔を盗み見た。


 素顔は意外にも、均整の取れた、精悍な目鼻立ちをしていた。歳はおそらく青年の域を経てまさに男の盛りの時期に差し掛かっていると思われたが、額にかかる短い栗色の毛が男を数年は若く見せていた。


 なめらかな光沢を放つ黒い外套(ケープ)。くるぶしのあたりに手の込んだ模様を刻み込んであるブーツ。いずれも平民とは無縁の高級品だ。


 だが何よりもザンダの目を奪うのは外套の下からのぞくベージュ色のダブレットだ。手の込んだ刺繍と張りのある絹の光沢が一級品であることを物語っていた。


 貴族だ。それもかなり上流のー。


 ザンダは貴族と知るとどこか警戒してしまう。常に地位と権力を()()にきて姦計に勤しみ、自分たち以外の階級を人とも思わない高慢な人種。それがルクシタニア貴族なのだ。


 とにかく信用できない。信用していけない。


 突如として男がザンダのほうへ顔を振り向けた。


「観察は終わったかい、お嬢さん。」

と、ザンダが記憶しているのと同じ悠然とした声音で尋ねた。


 ザンダが慌てて寝たふりをしようとすると、男は低く笑った。


「ずいぶん長い間、わたしを見ていたな。仮面の下の素顔は君のお気にめしたか。」

 

「あ、いえー。」


 数日ぶりに喉を震わせてみると、枯れ切った声が出た。


「前にお見かけした時は仮面をお召しだったので、てっきり火傷(やけど)の痕でもあるのかとー」


 男はそんなザンダの気遣いなど気にも止めない様子で肩をすくめ、


「期待に添えなくて残念だ。」

と言った。

 

「ここはどこですか。」


「アッカ公領内、イズ河の上流だ。」


 ということは海峡を渡って本土にいるのだ。アッカ公領はルクシタニア本土の五つの領邦の一つだ。デルミ島とは海峡を隔てて向かいあっている。


「見えているのはシェナ平原だ。そして、丘の向こうにうっすらと見えている山の連なりはドラグル山塊ー」

と、相手は続けた。


 馬車な間違いなく、北へ、内陸部へと向かっている。


 まずい、とザンダは思った。


 アッカ公領は内陸に向かうほど、山が険しくなる。先に見えている城壁都市らしきに向かって人と家畜の往来は徐々に多くなっているが、その先はおそらく先細りになるだろう。


 自分の目的が達成しにくくなるのは必至だ。目的というのは他でもない、消えた師匠を探すことだった。


 土牢から出された時に、心に決めたことがある。消えたお師匠様を探すことだ。一度は死にかかった身。どんなことでもできる、と思った。


「次の街でおろしてください。」

と、ザンダは言った。


 南へ引き返す算段だった。より人の多い方へ、より情報の多い場所へ。


 すると男はザンダの声音の端々に不信感を汲み取るのか、ほんの一瞬、頬骨を硬らせた。が、すぐに紳士らしい行儀の良い笑い声を立てた。


「これは唐突だね。命の恩人にせめてお礼くらい言えないのか。」

と柔らかく諭した。


「まだ助けられたと決まったわけではありません。」

と、ザンダは返す。


 土牢に収監された囚人を全くの善意から助ける義理など貴族という人種に限ってありえない。そんな不信をザンダは隠そうとは思わなかった。


 それに、こんな容姿端麗な男が自分のような田舎娘を相手にするのはなにか不純な動機があってのことに決まっている。


 かかわらないほうがいい。


「何をおっぱじめるつもりか知らないが、路銀もなしにたった一人でどうするんだ。」


 ザンダは思わず視線を下げた。確かに路銀も問題は大きい。なんとかせねばなるまいー。


「路銀のことはあなたと別れてから考えます。」

と、ザンダは辛うじて返した。

 

 沈黙が降りると馬車の中は馬具の擦れ合う金属音と車輪の音で満たされた。


「会いたいのか?」

と、男がいきなり尋ねた。

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