恋敵
ザンダに惹かれるダリウス。しかし、彼女に惹かれるのが自分だけでないことに気づく。一方、ザンダは目的地までの道中、容姿端麗な貴族の男がさえない田舎娘の自分に近づくのを、彼に惹かれつつも不審に思う。
闇の夜道を馬車が行く。夜明け前の窓の外は黒インクを流したように真っ暗だ。御者台に座す人灯の明るさが四頭の馬の引く先を照らしていなければ、道を進むことは不可能だった。
ダリウスたちはザンダを土牢から救い出したのち、デルミ島の首都ヴァレッサの宿屋で身支度を整え、海峡を渡った。
本土の港街ロプサで馬車と御者と灯しびとを雇い、暗いうちに出発した。北上し、ドラグル山塊の麓を目指す。
ダリウスは師匠と肩を並べて、進行方向とは逆の席に座っていた。馬車の旅は慣れているはずだったが、この時はなぜか興奮してなかなか眠りが降りてこない。
向かいの席にはザンダが横たわっていた。師匠はザンダに眠り薬を飲ませて眠らせていた。移動の途中で要らぬ抵抗をされるのを避けるためだった。
興奮の原因をダリウスは知っている気がした。
師匠が、ヴァレッサの宿屋でこんこんと眠るザンダの頬にそっと触れるのを見ていた。その時、気づいたのだ。
師匠がザンダを見る目は、男の目だ。
ダリウスにはそれが意外だった。
師匠が貴族階級の女以外にそういった方面の興味を抱いたのは、ダリウスが知る限り初めてだ。
師匠の好みは既婚の貴婦人だ。誘惑し、褥に誘い、言葉にできないような淫らな情事を重ねながら、欲しい情報を聞き出す。
公の場では白い仮面をつけているが、貴婦人たちと睦言を交わす時にはもちろんはずしている。師匠の麗しい容姿と引き締まった肉体に、なびかない婦人はいない。師匠は自分の魅力をわかって、それをうまく利用している。
早い話が、師匠にとって女はあくまでも宮廷での地位を固めるための道具なのだった。
傍目には、とんでもない卑劣漢に映るかもしれない。だが、ダリウスは師匠が特別に卑劣なことをしているとは思わなかった。
ダリウスは基本的に師匠が派手な女性関係に見せる一面と仕事で見せる一面をきりはなして考えている。女にきたなくても、師匠の腕はルクシタニアで随一だ。仕事に対する姿勢も真剣で真摯で尊敬に値する。
それに公平に考えてみれば、女の方だって師匠の極上の容姿と性技に、年の離れた夫とでは味わえない快感を見出しているのだ。ギブ・アンド・テイク。お互い様だ。
その師匠がザンダに、必要以上の感情を抱き始めたのは、いつだろうか。
思い当たる節があった。それは多分、自分と同様、あの時だ。
ザンダが自分の師匠トリスタン・アラリを庇って罪を被った時、つまり法廷であのヘボ検事の弁論になんの異議も唱えなかった時だ。
師匠が裁判を傍聴する前に確かめたところによれば、死んだジャクストンという助手の死因は左胸の刺し傷だ。ザンダが言うようにトーチによる殴打でできた頭の傷ではない。
ダリウスは、そしておそらく師匠も、ザンダが真実を話せば必ず無罪になると信じていた。そしてザンダが真実を話さない理由はない。首都イミネンシアで受けた、ザンダを救ってくれ、という師匠の旧友の依頼は、そうたいした面倒ではなさそうに思えた。その当時は。
だが、予想は見事に外れた。
ザンダが検事の筋の通らない主張をくつがえす瞬間を傍聴席でいまかいまかと待つのだが、ザンダはいっこうに自分の無実を口にしようとしない。最初にザンダのその不可解な行動に説明を見いだしたのは師匠だった。
「ザンダでなければ、誰がやったと言うんですか。」
と小声で尋ねる。
師匠が答えた。
「トリスタンだよ。決まっている。おそらくザンダはあの助手に襲われそうになっていたのだろう、それをトリスタンは救ったのさ。」
「失踪中の身でありながら、ザンダの身辺に隠れていたとでもいうんですか。」
「そう。いくらトリスタンでも危機にある弟子を見捨てることはできなかったんだろう。」
「ザンダは師匠が殺ったと感づいてー」
「そう、ダリウス見ていろ、ザンダは必ず罪を被る。」
そしてその通りになった。下される判決を首を垂れて聞くザンダを見やり、師匠が呟いた。
「おろかなー。」
だが、そういう師匠の声音に非難の色が微塵もない。それどころか畏れというか敬愛の念みたいなものに満ちている。ダリウスがそう目にしない師匠の一面だ。
早い話が、ザンダに心を動かされたのはダリウスだけではなかったいうことだ。
闇の中で隣に座る師匠の気配を感じながら、ダリウスは思う。それにしても意外だ。
ザンダは、師匠のそれまでの好みの要件をことごとく満たしていない。
第一に全体的にほっそりしてあまり肉づきがよくない。胸はありそうだけれど。
第二に、印象が硬くてきつい。とっつきが悪そうだ。
第三に、貴族じゃない。どうみても田舎街の中流階級の娘だ。
だが。考えてみると、ダリウスは師匠の本当の好みなど知らないのだ。師匠は、貴婦人とばかり寝ているが、本当はああいうちょっと野暮で無垢な田舎娘を好むのかもしれなかった。
師匠が眠るザンダに差し向けた目つきが好色だったのなら、ダリウスはそれほど動揺しなかっただろう。
だが、どう見ても心の底からザンダに魅入られているのが明白なのだ。ダリウスと同様に。
それを認めるや、ダリウスのうちにざわざわと識らぬ感情が湧き立つ。ダリウスはそのせいで車中、眠られずにいるのだ。
ダリウスにはザンダを振り向かせる自信はなかった。それができるのは師匠だ。
結局、何に関しても、おれは師匠を超えられない。技も財力も権力も。そして女を手に入れることも。