第九十四話 もう失くしたくはないからな
次の日の朝。
昨日と同じ時間に登校すると、ふと姫愛と姫子の姿が目に留まった。昨日は色んな生徒に囲まれて話が出来なかったらしく、姫愛は嬉々とした様子で姫子と話している。
「姫子ちゃん、ってすごく可愛い名前だね!」
「ありがとうございます。ですが、見ての通り図体ばかり大きいので、私には似合わない名前だと思っているのですが……」
「そんな事ないよ! 私もね、名前に姫がつくの。姫愛って、キラキラネームだけど可愛いでしょ」
「………………」
名乗った瞬間、姫子の表情がそれまで浮かべていた少女らしいものから一転して、冷淡なものへと変わった。その鋭い目と冷たい空気には覚えがある。
(思い出した……)
一華は姫子と会った事がある。思い出してからというものは、以降そのようにしか見えなかった。
とはいえ、彼女が何かを企んでいる様子も見受けられない。その上、ここには表の世界の住人である生徒や教職員がたくさんいる。出来る事なら騒ぎを起こしたくない、と一華は何も言わず自分の席についた。
「光野さんこそ可愛らしいではありませんか。私と同じ漢字が二つもついていて、親近感が湧きます」
「だよね! 光&姫仲間だ〜!」
ハイタッチしながら喜ぶ姿は、どこからどう見ても普通の女子高生だ。違和感こそあれその光景は微笑ましいな、と感じていると
「あ、本条さんがぼっちっす」
「暇してんなら俺等と喋ろうじゃんね」
「ほらほら、楽しいんしょ?」
と、どこからか例のトリオが一華の背後から現れた。姫子に気を取られていたか、三人の気配に気が付かなかったので、後ろにいた事に少し驚いてしまう。
「今となってはそのノリがうざいな」
「昨日の優しさはどこへ!?」
「ちょっとアホトリオ! 賑やかなのはいいけど、あんまり騒ぎすぎないでよね!」
すぐ隣で騒がれたからか、姫愛は眉を吊り上げて三人を叱る。しかし姫子は、おかしそうにくすくすと笑うだけだ。
「私は構いませんよ。騒音があった方が落ち着くので」
「騒音て」
しかしうるさいとは思っていたらしい。朝礼を知らせるチャイムが鳴り響き、姫愛達が解散していくと、昨日と同じように姫子と机をくっつけて授業に備えるのだった。
※※※※
一時限目は体育だった。一華の唯一の得意科目と言っても過言ではない教科だ。
今日行うのはバスケットボールらしい。力加減は苦手なので相手を突き飛ばさないように、そしてボールの投げる速度に気を付けなければいけないのは億劫だったが、身体を動かす事自体は好きなのであからさまに機嫌が良かった。
体操服に着替え、体育館へと移動する。久々の体育の授業だ。思い切ってダンクシュートでも決めてしまおうかと浮かれきっている。
しかしそれも、体育館に一歩足を踏み入れたと同時に消え失せてしまった。
「……?」
何か、違和感があった。全身をちくちくと刺されるかのような、無数の誰かに見つめられているような。今まで、このような気配は感じた事がない。
しかし一華以外の生徒達は、何事もないかのようにいつも通りだった。一華が他の生徒の様子を見た限り、違和感を抱いたらしいのは姫子だけのようで、一瞬だけ眉を寄せる。彼女の隣にいた姫愛は、笑顔で姫子に話し掛けている。
(気のせい……ではないな)
何かあるはずだ、と警戒していると、ぽん、と肩に手を置かれた。気配がなかった、何者だ、と慌てて後ろを振り向くと、ジャージ姿の男性が立っていて。
「やぁ本条さん。そんなに怖い顔をしてどうしたんです?」
初めて見る顔の教師だった。前まで、女子の体育担当の教師は初老の女性だったはずなのに。黒髪に緑の瞳をした黒縁眼鏡が特徴的な男性は、顔立ちからして日本人ではなかった。
「えっ、と……?」
「そういえば、直接会うのは初めましてだったね。前の先生は、今病気で入院しているんだ。今年いっぱい、代わりに体育を担当しているフレディ・ノースロップです。君の事情は、他の先生から聞いているよ」
フレディ・ノースロップと名乗った男性とは初対面のはずなのに、どこかで会った事のあるような気がした。姫子の時同様、妙な既視感があるが思い出す事は出来ない。
「そう、ですか。あの、純粋な疑問なんだが、何故体育の担当を……?」
「……教員免許を持っているからですが」
「そうではなく……」
フレディは外国人だ。高校に教師として勤めるのであれば、外国語を教えているのかと期待してしまった。もしも彼が英語の担当だったら、憂いを感じずに授業を受けたり、課題をこなす事が出来たのだろうか、という叶いもしない希望が浮かんできたのだ。
「……貴方が英語担当なら良かったのになぁ」
そしてその願いは、ぽつりと口からこぼれていた。
一華の独り言を耳にしたフレディは「おや、どうして?」と首を傾げる。
「本場の発音に触れられそうだな、と思っただけだよ」
半分以上嘘だが、一番無難な回答だっただろう。一華の返答を受けたフレディは「なるほど」と頷いた。
そしてその時、一華はふと思い出した。
フレディは昨日、一華が蝶花に殴り掛かりそうになった時に教室に入って来た教師ではないか。
「……あの、もしかして昨日――――」
先程抱いていた既視感の正体はそれだったのだろうか、と感じながら確認を取ろうと口を開いた矢先、授業開始の合図を知らせるチャイムの音が鳴り響いた。
「あぁ、チャイムが鳴りましたね。さ、集まってください!」
確認は出来なかったか、と短く溜息をつきながらも、一華も列に並ぼうとする。瞬間、フレディに告げられる。
「昨日、たしかに一度会っていましたね。というよりも、顔を合わせた、というのが正しいですが」
「やっぱり……」
「先生との話の邪魔をしてしまいましたね。すみませんでした」
「いえ、むしろ助かったよ。ありがとうございます」
既視感の正体は明らかになったはずなのに、一華の心の靄は晴れないまま授業が始まった。
※※※※
昼休憩の時間。
一華は五輝を呼び出して、人の少ない階段の踊り場までやって来ていた。ついでに、ここで昼食をとってしまおう、と乗り気でない五輝に提案して、階段の段差に腰を下ろす。五輝は「急に呼び出して何だってんだよ……昼寝するつもりだったのに……」と呟いている。少し申し訳ない気もしたが、急ぎ確認したい事があったのだ。
一華のクラスの体育を受け持つ代理の教師、フレディ・ノースロップについて。一華が学校に来たのは昨日。約一ヵ月ぶりの登校だった。その間、彼が学校に来たという話は聞かされなかったし、妙な既視感も相まって不信感が募っていた。
観察眼が優れている七緒や八緒に聞いても良かったのだが、彼等も高校に通い始めたのはつい最近だ。流石の彼等でも、ここの教師全員について把握しているとは思えない。
よって、五輝に相談する事にしたのだ。昼食に用意されている弁当を広げながら、一華はフレディ・ノースロップという体育教師について知っている事がないか、早速問いかける。
しかし五輝は、
「フレディ・ノースロップ? 誰だそりゃ」
と眠たげに瞼を伏せながら口にした。
「今うちのクラスの体育を担当している先生だ。代理で来ているらしい」
「あぁ……六月が、イケメンの先生が来た、とか騒いでたな」
教科を伝えて、ようやく五輝の中で結びついたらしい。思い出したかのように呟いた。
「いつ頃来た先生か分かるか?」
「さぁ……多分、継承戦が終わってしばらく、くらい」
「わりと最近じゃないか」
その頃、一華は各名家当主や組織代表の者達の元へ挨拶回りをしていた。当主になってから最も忙しいとされる時期だったので、学校の話題なんて頭になかった。もしかすると、一華が覚えていないだけで、誰かが話題に出していたのかもしれない。
「だな。お前が学校を休んでる間、色々あったと言えばあったからな」
「そうなのか?」
「あぁ。まずは臨時で来たそのフレディ・ノースロップとかいう教師が来た事。それから、体調不良を起こす生徒が増えた事」
五輝からの報告に、一華は思わず箸を止めてしまった。そんな事が起こっていたとは、本当に何も知らなかった。これは詳しく聞いておかねばなるまい、と一華は五輝に詰め寄るように問いかける。
「後者の原因は分かるか?」
「さぁな。ただ、共通点がある」
そう前置きして、五輝は語る。
「訴える症状は頭痛、眩暈、吐き気。体調不良を訴える生徒が現れるのは、体育の授業の後。もしくは集会の後」
「どちらにせよ体育館じゃないか。ガス漏れか何かだろうか」
「それにしては被害者が少なすぎる。俺は何ともなかったしな。……一華に心配かけたくないから黙っているように言われたんだが、六月も一回倒れてる」
「何だと!?」
まさか六月も被害に遭っていたとは思わなかった。飄々とした様子で言い放った五輝に声を荒げて咎めると、近くを通りがかった生徒に不審な眼差しを向けられてしまう。途端に気まずさを覚えて、ごほん、とわざとらしい咳払いをして、
「何故言わなかった」
と、小声で改めて追及する。
「お前に心配かけないように、だよ。何かあるかもしれないし、ただの貧血かもしれない、って六月も曖昧な感じだったしな」
しかし五輝はあくまで落ち着いた様子のまま言い放つ。過ぎた話かもしれないが、五輝の口振りから察するにまだ被害者は出ている可能性の方が高い。忙しさを理由に身近で起こっていた事への対処が遅れてしまった。これでは何のために当主になったのか分かったものではない、と一華は奥歯を噛み締める。
「だが、もし原因が他にあったらどうするんだ!? 君がそこまで知っているという事は、調べたんだろう」
「まぁな。六月いわく“もしかすると魔法術の影響かもしれない”だとさ」
「魔法術……」
よりによって魔法術が原因だと、と一華は呟く。しかし魔法術が原因だとしても、五輝は無事で六月が被害を受けた、というのは納得がいかない。魔法術の扱いで言えば、五輝より六月の方が優れている。それなのに、何故六月なんだ、と疑問を抱いていると、察したように五輝が補足した。
「魔力を持ち合わせてる人間は、過敏に反応しちまうんだと。被害に遭った生徒も魔力持ちだったと仮定すれば、辻褄は合う」
魔力を持っている者は、ごく少数だと聞いた。その中の大半は裏の世界の名家出身で、しかるべき教育を受け、技術を磨き後世に伝えていると聞く。まれに、突然魔力を持った子が生まれたりもするらしいが。
「他に何か知っている事は?」
「俺が知ってるのはこれくらい。先公からは体調管理に気を付けるように、としか言われねぇし、調査する気はハナからねぇみたいだ。お前も気ぃ付けろよ」
「あぁ。五輝君もな」
調査が行われない、という事は、被害者は出ているが多数ではないのかもしれない。五輝の話を聞く限り、命の危機にさらされた者もいないようなので、ひとまずは安心だ。
とはいえ、問題はまだ解決出来ていない。一華が状況を把握するのが遅くなってしまったのだ、一刻も早く対処しなくては、と一華は続けて問いかける。
「体調不良を訴える生徒が出たのは、いつ頃だ」
「そのフレディ・ノースロップとかいう先公が来る少し前、くらいだな」
「……そうか」
代理の教師として赴任してくる前に魔法術を仕掛けた場合を除いて、フレディという教師が犯人の可能性は低いだろう。一華がフレディを疑っている事は、五輝も察したらしい。六月から聞かされたという話を、一華にも聞かせてくれた。
「最初は本条家の屋敷みたいに結界が張られて、まだ安定していないのか、って思ったらしい。だが、それにしては不快感の方が勝っているらしくてな。最近は部活もサボってるってよ」
六月は一応、バレー部に所属している。原因はおおよそ体育館にあるようだし、六月の判断は賢明なものだろう。六月が感じたという不快感は、一華が体育館に足を踏み入れた時に感じた、全身を刺すような違和感の事とみて間違いない。
本条家の屋敷に張られている結界も、安定するまでに時間はかかるが、今回のような違和感を抱いた事はない。
「ふむ……守られている気がしない、という事か」
「そういうこったな」
しかしふと、一華は疑問を抱いた。
被害に遭ったという六月は魔力を有しているが、気配を感じた一華は魔力を持っていない。魔力を持っていたとしても、気付かない者がほとんどのようなので、甚だ疑問だった。
「体育館に入った時、たしかに不快感というか、違和感があった。五輝君も魔力を持っているんだよな。そういう感覚はあったのか?」
「全然」
即答だった。
「俺は魔力こそ持っているが、少ししかねぇからな。操作も苦手だし、魔法術も片手で数える程度しか使えねぇよ」
「そうだったのか……」
そういえば、五輝が魔法術の類を使用しているところを見た事がない。てっきり奥の手を隠しているのかと思っていたが、単純に扱いが苦手なだけだったようだ。
「まぁ、六月は魔力の保有量も多いし、特に結界系の魔法術の気配には敏感だ。お前のは……本能か?」
「かな」
五輝なら、魔力を持たない一華が気配を感じた事の説明も出来るかと期待していたが、彼も理解が及ばなかったらしい。困っているわけではないので、本能、という事にしておこう。一華はそう、話に区切りをつけた。
「だが、おかげで違和感の正体が掴めたよ。ありがとう、五輝君」
「おう」
残りの弁当も食べきってしまおう、と一華は弁当箱を持ち上げる。横目でその様子を見つめていた五輝は、ふと、視線を一華の膝の上にある袋に目を留めた。弁当を入れてきた袋なのだが、小学生の頃に鈴に作ってもらった代物で、お気に入りの一つだ。
その袋に、五輝が耳につけているものと同じピアスが付けられている。それを目にした五輝は、一瞬驚いたように目を見開いた。
「そのピアス……」
「あぁ……あの時みたいに落としちゃいけないからな」
「そっちの方が落としやすいだろ」
「気を付けているよ。もう失くしたくはないからな」
「安物だっての。誕プレじゃなくても買ってやるよ」
「いや、これがいいんだ」
「あっそ……」
そっと袋につけているピアスに触れてから、一華は弁当を食べ進める。五輝もそれを後目に口を動かしていたが、その表情はどこか晴れないものだった。




