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本条家当主継承戦  作者: 京町ミヤ
第四章 音城学院
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第九十話 各条家の当主には気を付けてください

 午後七時頃。

 市子が運転する車に乗せてもらう事になった一華は、助手席に座りながら「今から帰る」と電話で屋敷の使用人に伝えた。


 その間、泉と市子は車の外で言葉を交わす。


「兄さん、本当にいいの?」


「あぁ。風に当たりたいし、寄るところが出来たからな。市子、頼んだぞ」


「分かっているわ。兄さんも気を付けてね」


 どうやら、泉は一緒に車に乗らないらしい。そうなると屋敷までの道のり、市子と二人きりになる。実を言うと、市子とは二人きりで会話をした事がないので、どんな話題をあげればいいのか分からない。人当たりはいいし、何より泉から彼女の話は聞いているので、さほど不安ではないのだが緊張はするのだ。


「一華様、学校の件、考えておいてください」


「分かった。次に会う時までには決めておくよ」


「……では」


 最後にそんな会話を泉と交わして、彼が歩いていく背を見送ってから、市子は車を発進させた。辺りはもう暗くなっているし、歓楽街には人の波が出来ている。


 歓楽街から繁華街への通りも、車の流れが多くなかなか抜け出す事が出来ない。市子はトントントン、と指先でハンドルを叩いて苛立ちをあらわにしていた。その仕草は、彼女の兄である泉とまったく同じである。彼も渋滞に巻き込まれると目に見えて苛立っているので、やはり兄妹なんだなと実感させられた。


「……あの、二条さんは休みの日とか、何をしているんですか?」


 一華が場の空気を切り替えるように質問を投げかけると、市子はパッと手を止めて視線をこちらに向ける。


「兄ですか?」


「いえ、市子さんが。まぎらわしかったな」


 思えば、どっちも「二条さん」じゃないか。そんなうっかりに、市子はそれまでの苛立ちなんてなかったかのように、くすくすと笑って言ってくれる。


「構いませんよ。私と一華様は会う事も少なかったし、どうぞ好きなように呼んでください」


「じゃあ、市子さんと」


「はい」


 そう呼び方を決めてから、市子は「そうですね……」と悩む。彼女はホテル本条の支配人として働いているが、それはホテルを経営している時の話だ。宿泊客は限られており、そもそも会議が行われるときにしか開けられないという。


 聞くところによれば、ホテルは閉まっている日の方が多いらしいので、普段彼女が何をして過ごしているのかは気になるところだった。


「休日は……外国語を覚えるようにしています。あ、映画とか見ますよ。それから、翻訳されていない本を読んだり、音楽を聴いたり」


「そうか……そういえば以前、二条さんが言っていたな。市子さんはとても語学堪能で自慢の妹だ、と」


「兄さんが……?」


 一華がそう言うと、市子は少し面を食らったかのように呟いた。


「嬉しいですね。兄さんが、本当に完璧な人間なので……私よりも凄いのに、そんなふうに言っていてくれたなんて」


 そう言った市子の横顔はどこか照れ臭そうな、けれども嬉しそうなものだった。


「実は結構、市子さんの事は聞いていたんだ。いいお兄さんだな」


「……はい。大好きな、自慢の兄です」


 周りから見れば、兄妹の事を語る一華も市子も同じような表情をしているのだろうか。きっと、そうなのかもしれない。


 そんな話をしている内に、市子の運転する車は繁華街の通りに差し掛かっていた。あと三つ信号を抜ければ住宅街に入れるので、もう道が混む心配はいらないだろう。心なしか、市子の機嫌もますます良くなっているような気がした。


 繁華街の眩しい街灯も、屋敷に近付くにつれて控えめになっていく。車の中にまで聞こえてきていた喧騒が聞こえなくなった頃、今度は市子の方が話題を振ってきた。


「……私、兄がいてくれて本当に安心しているんです。言い方は悪くなるけど、盾になってくれるから」


「自分を庇ってくれる、という事ですか?」


「言ってしまえば、そんな感じです。一応、関わる機会も増えるだろうし、言っておきたいんですが……」


 そこで一旦言葉を区切ってから、市子は神妙な面持ちで告げる。


「各条家の当主には気を付けてください。本当に、本当に気を付けてください」


 随分と念を押された。

 とはいえ、市子が警鐘を鳴らすのも理解出来る。実際、一華は知っている従家の者達の中でも、数名を除いて他は全く信用していないと言っても過言ではない。白羽は「本条家に忠誠を誓った従家だ」と説明していたが、そのわりには一華が当主になった際に、正式に祝いの言葉をくれたのは、信用している数名等からのみであった。


 関りがない、と言ってしまえばそれまでなのだが、それにしても想像していた従家の態度とかけ離れていて驚いたものだ。やはり一番の理由には、表の世界出身である母が影響しているのだろうが、市子の口振りはとてもそんな軽いものではない。


「私の父と、氷利さんのお父さん。それから……一条さんは特に」


 市子が挙げた注意すべき人物も、ある程度予測はしていた。しかしそこに、一条の名があるとは思わなかった。驚きを露わにする一華に、市子は慌てて補足する。


「あ、一条って白羽君の事じゃないですよ? 早道さんの事です」


「それは分かっていますが……何故、その話を?」


 市子が注意しろ、と言った人物の中には、彼女の父親も含まれている。一華自身、蝶花の事は最初から信用もしていないし、可能ならば顔も見たくないものだが、娘である市子からそんな忠告をされるとは思ってもみなかった。


 一華の問いに、市子は少し考えこむように口を閉ざしてしまう。


「……何故、でしょう……。私達が親という存在を恐れているからかもしれません。あまり……というか、いい思い出がないし、愛されているのかどうかも分からない」


 一華が蝶花を苦手に思う理由の一つに、身内への情が感じられないところもあった。市子が語ったように、彼は自身の子に目を向けていない。今は亡き義父と同じ、子どもを道具としか思っていない目が嫌いなのだ。


 とはいえ、市子の話に首を縦に振って同意する事は出来ない。彼女が父親である蝶花の事を嫌っていようと、一華が同調してしまってはいけない気がしたからだ。あえて頷く事も返事をする事もなく、静かに彼女の話に耳を傾ける。


「学校を辞めた方がいい、と提案したのも、教員に父がいるからという理由が含まれています。アイツ、一華様が学校辞めたら自分も教員辞めますよ。嫌がらせのために免許取ったって言ってましたもん」


「……やはり私は嫌われているのだろうか」


「一華様が、というより……アイツ、自分より強い立場の人間の弱みに付け込んでいじめるのが趣味なんですよ。気持ち悪い。いい年して恥ずかしくないのかしら」


 チッ、と市子は舌打ちした。心の底から軽蔑しているのだろう、それまで見た事もない表情をしていたせいか、一華はますます返答に困ってしまった。流石に市子もそれに気が付いたのか、「あ、すみません……」と咳払いをして、話を戻す。


「一条早道さんは、父の言いなりになっているところがあるので……所帯を持って丸くなったと聞いていますが、油断は出来ません」


「……そうだったのか」


 一華の中で合点がいった。先日、白羽が自身の父を護衛につけないでほしい、と普段とは違う様子で言っていたのは、早道が蝶花の指示で動く可能性があったからだったのだ。護衛どころか、逆に危険が迫っていたかもしれない。


 白羽の気遣いはどこか嬉しいものだったが、恋人の父親にいい印象を持たれていない事へのショックは大きかった。次に白羽と会った時、どのような表情で、どのような言葉をかければいいのか分からない。


 一華の悩みに、市子は気付いていないのだろう。「それから……」と続ける。


「氷利さんのお父さん……九条(くじょう)香月(こうづき)は……」


 どこか言うのを躊躇うように、けれどもはっきりと、市子は断言した。


「根っからの、変態です」


「……ほう」


「ちょっと引いてますよね!? でも本当の事なんですよ」


 知っている、という言葉を一華は飲み込んだ。香月という人物は蝶花と並んで、出来れば関わりたくない人に当たる男性で、数えるほどしか会っていないがいい思い出は何一つとしてない。


「香月さんと氷利さんって、実は血が繋がっていないんですが……あそこ、女子が当主になる習わしがあって、氷利さんは養子に迎えられたそうなんです」


「その話は、以前少しだけ聞きましたが……」


 一華の記憶が正しければ、氷利はもともと西大路家の人間だったが、女子を当主にする習わしがある九条家に女子が生まれず、養子として迎えられたらしい。親戚の家から養子を迎えて当主に育てる例は珍しくないが、氷利から話を聞かされた時は少し驚いたものだ。


「そこはまぁ、一華様が気になさる必要はないですね。氷利さん、今は分からないけど……昔は香月さんからかなり酷い暴力を振るわれたそうなんです」


 その話は初耳だった。一華の知る限り、氷利はいつどんな時でも明るい、お姉さんのような存在だ。「悩みなんてないよ。強いて言えば部屋が散らかる事くらい」といつも笑っている彼女が、父親から暴力を振るわれていたとは想像もつかなかった。


 何故気が付けなかったのか。一華が苦手だと思っている人物の娘である彼女の方が、いい面も悪い面も知っているだろうに。それは、市子たちにも言える事だったのだが。


「……香月さんとも何度か会った事がある。……もう、会いたくない人だ」


「……まさか、一華様にまで何かしやがったんですか!?」


「…………」


 市子の驚いたような、怒っているような声に返事をする事が出来なかった。香月に会いたくない、嫌っている理由はちゃんと存在しているし、それはそりが合わない、といったものではない。


 けれども、その話を市子にするのは憚られた。それに、もうすぐ屋敷に到着するのだから、いっそ話を逸らしてしまってもいいかもしれない、と屋敷の方へと視線を向けた時。


「……そろそろ屋敷につきますね。ただ……」


 その姿を、見付けてしまったのだ。


「屋敷の前にいるな」


「…………」


 誰とは言わなかったが、市子もその姿を視認したらしい。車の速度を落としてくれた。


「……裏へ回りますか?」


「お願いします」


 たまたま屋敷の前を通りがかっただけかもしれない。軽く挨拶して、学校での時のように何食わぬ顔で門を潜ればいいのかもしれない。むしろその対応が、大人というものではないだろうか。けれども裏口から屋敷の中に入れば、彼等とは会わずに済む。


 逃げる事も負ける事も嫌いだが、それ以上に彼等と会いたくないという思いの方が勝っていて。自分が情けないとも思うが、こればかりは何故か、逃げても許されるような気がした。


 けれども、一華は見てしまったのだ。曲がり角を曲がる寸前で、二人の前に立ちはだかり「お引き取り下さい」と口を動かす女性の姿を。




※※※※




 本条家屋敷、正門前。

 三条鈴は、二条蝶花と九条香月が屋敷に接近していると他の使用人から報告を受けて、単身で正門前に出て二人を迎えていた。


 同じ各条家の当主である蝶花や、先代九条家当主の夫である香月は屋敷に入れてはならない、と零が生きていた時代から言われている。実際、彼等は先代当主である数予や、幼い一華にも嫌がらせを行ってきた要注意人物だ。


 当初こそ数予を良く思っていなかった鈴だが、だからといって手をあげていいはずがない。命に代えても屋敷を守らなくては、と決意を固めて、自身よりも背格好のある二人をまっすぐに見据えた。


「こんばんは。お邪魔しますよ」


「なりません。お引き取り下さい」


 流れるように鈴の横を通り過ぎようとした蝶花の前に立ちはだかると、蝶花は首を傾げて述べる。


「三条さぁ~ん、貴方、私にそんな事を言える立場ですかぁ~?」


「何と仰られようと、貴方方は屋敷に入れてはならないと仰せつかっております」


「そんな冷たい事言わないでさ。所詮口約束だろ? 破ったところで、誰も咎めやしないって」


 蝶花の隣で様子を見守っていた香月が、へらへらと笑う。書面での約束ですら屁理屈で押し切ろうとする二人だ。口約束ともなれば、もはや守るものでもないという認識なのだろう。


「約束ではなく、私に下された命令です。私に命令を下せるのは、本条家当主だけ。貴方方の指示を聞くつもりはありません」


 この二人は、特に本条家当主への忠誠というものが感じられない。数予への仕打ちを見てきた身としては、ここで引く事は出来ない。屋敷の中には住み込みで働いている使用人もたくさんいるし、何より一華の家族である二宮達もいる。


 正統な後継者である一華にですら不遜な態度をとる二人だ。血の繋がりのない兄妹達を良く思っていない事は明白だし、何をしでかすか分からない。彼等に手を出されたとなっては、一華が悲しむに決まっている。生まれた時から彼女の傍にいた者として、そして従者として、鈴はこの場を退く事はしたくなかった。


 そんな鈴の忠誠心も、蝶花にとっては目障りでしかない。それまでの(比較的)和やかな雰囲気を消し去って、香月に目配せする。


「……九条さん。彼女、痛い目みたいそうですよぉ~?」


「すまんな、基本的に人妻には興味がない」


「では……鈴さんの娘さんとかどうですかぁ~?」


「!」


 鈴の娘も、本条家の屋敷で働いている。蝶花ならば知っていても可笑しくはないが、ここで娘を出されると動揺せざるを得なかった。びくりと肩を震わせた鈴を、蝶花は見逃さない。口の端を持ち上げて、畳み掛ける。


「たしか、可愛らしいお嬢さんだったじゃないですかぁ~」


「蝶花殿、鏡殿は俺の息子と結婚しているぞ? 哲二は三条家にも気に入られているようだし、何より鏡殿の事を心から好いているようだしな。そこに割って入るほど野暮ではない」


「分かっていますよ。でも、それが鈴さんへの一番の嫌がらせじゃないですかぁ~。貴方の娘さんは、貴方のように強情ではなかったはずですし……というか、別に大した事じゃないと思いますよぉ~? あははっ」


「貴様ッ!!」


 蝶花につかみ掛かろうとした瞬間、鈴の肩に手が置かれ抑え込まれた。二人以外にも誰かいたのか、と慌てて振り返ると、そこにいたのは一華だった。“これから帰る”という連絡を受けてはいたが、正門ではなく屋敷の敷地内から出てきたのはどういう事だろうか。


 そんな鈴の疑問をよそに、一華は静かに「気持ちは分かるが挑発に乗らないでください」と諭す。彼女の黄金の瞳を見た途端、鈴はハッと我に返った。一華の目は、まっすぐと輝きのある綺麗な瞳をしているが、どこか不安げでもあったのだ。


 一華は蝶花と香月が苦手で、名前が出るだけで機嫌が悪くなる。本人は我慢しているようだが、蝶花が自身の通う学校の教師だと知った時は「学校に行きたくない」とこぼしていたくらいだ。


 それでも一華は鈴の前に出て、苦手な二人と対峙した。護身用か、愛用している刀を右手に握っていたが、その手が微かに震えている。それでも、堂々とした出で立ちでそこに立っていた。


「おや、おや……お嬢様のお出ましですよ」


「よっ、しばらく見ねぇ間にいい女になったじゃないの。……耳のところ大丈夫かぁ? あの時の顔最高だったぜ」


 にやにや、と笑いながら香月は言う。「耳……?」と、何の話をしているのか分からない鈴は困惑するしかなかったが、その話題が出た途端、びくりと一華の肩が揺れた。左手で自身の耳に触れてから、一華は刀を握る手に力を込める。まるで恐怖か、緊張を誤魔化すかのように。


「……家の敷居を跨がないでください。不愉快だ」


 そう言う声は、どこか震えているが凛とした強さがある。けれども、蝶花も香月も動じていない様子だった。蝶花に至っては、一華の話を聞いていないふうに一歩、歩みを進めている。


「入るなと言っている。聞こえなかったか」


「殺意を隠そうともしませんねぇ~。怖い怖い……私はただ、新しく当主になられたお嬢様のためにプレゼントをお持ちしただけなのにぃ~、ねぇ?」


 そう言って香月に視線を向けたが、当の彼は何の事だか理解していない様子。


「そうだったのか? 俺は何も知らないぞ。蝶花殿に“来い”と言われたから来ただけで」


「くどい。私が当主になってひと月は経っている。祝いの言葉が遅いんじゃないのか」


 結局は蝶花にも香月にも、一華が当主になった事を祝う気持ちがこれっぽっちもないのだ。それは、一華本人が一番理解している。最初から期待していない、といったふうに、そして一向に要件を口にしない彼等に対して、強い怒気が含まれているように感じる。


 そんな一華の苛立ちを知っていて、さらに煽り立てるのが蝶花だ。今回も、着物の袖で口元を隠しながら言葉を並べる。


「それはぁ~、零様の時代から、どうしてか各条家と距離を置かれたからでぇ~。酷いなぁ~、私達はいつも当主様の事を想っているのに……酷いですねぇ~?」


「零様も数予様も、貴方達を一華様に会わせたくなかっただけですわ。勝手な事を仰らないで」


 即座に鈴が反論すると、ぴたりと蝶花が動きを止めた。そして、


「……ふぅん、お前、条家としてのプライドがないんですかぁ~?」


 と冷たく言い放つ。言葉遣いこそ、人を嘲る際の調子のままだが、軽々とした感情が含まれていない。


「表の世界の人間の血と交わったお嬢様は、本条家当主に相応しくないのではないですかぁ~? 穢れた血ですよぉ~?」


「おやめなさい。一華様は零様と数予様の御息女……我々の主です」


「私はお嬢様を主とは認めたくありませんねぇ~。だって、あの女の子どもじゃないですか」


 そして、蝶花は言った。


「調子に乗んな。阿婆擦れの娘が」


 その瞬間、一華は刀を手離してしまう。音を立てて刀が地面に落ちた直後に重く、鈍い音が響いた。


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