第八十五話 正直な気持ちを教えてほしいっす
気になった店を覗くでもなく、ただのんびりと並んで歩くだけの時間。ときどき、「寒いっすねー」とか「あ、猫がいるっす」と思い当たった事を口にするだけ。
それに対して、エドヴァルドも「寒いですね」、「可愛いですね」と返してくれる。互いの事を知るための質問や話題も大切だが、何気ない会話をするのも楽しいものだ。
人の流れも少なくなり、ついには通行人とすれ違う事もなくなった。住宅街の近くで平日の昼間ともなれば、極端に人がいなくなる。
亜閖も普段なら学校へ行っている時間帯なので、閑散とした雰囲気が新鮮に感じられた。
「結構歩いてきちゃいましたね」
「そうですね。ここは……住宅街ですか?」
「の、近くです。この辺りは隠れ家カフェとか、そういうのがたくさんあるんです。それから、公園とか」
「公園……」
「行ってみるっすか?」
「えぇ、ぜひ」
特に行くところもなかったからか、珍しくエドヴァルドが反応した公園に足を運ぶ事にする。今ならば、遊んでいる子どもも少ないだろうし、休憩するにももってこいの場所だ。
少し歩いたところにある公園は、かなり小さい規模のものだった。どちらかといえば、小学生に上がる前くらいの子どもが遊べるような。
「全体的にこじんまりとしていて可愛いですね」
エドヴァルドがそんな感想を抱くのも当たり前だ。きっと彼が想像していたものよりも、陳腐なものかもしれない。
小さい子向けのブランコにすべり台、そして鉄棒に砂場しかないのだから。狭い敷地内に設置されたベンチも、色褪せしていて古びた印象だ。
「どちらかといえば昔からある、小さい子向けの公園っすからね。もっと広いところへ行きますか?」
「いえ。人もいませんし、休憩がてらここで」
彼がここでいいと言うのなら、それでいいのかもしれない。休憩、とはいいつつも、エドヴァルドはベンチに座ろうともしない。
緩やかな足取りで錆の目立つ遊具を眺めて歩く。亜閖はそれについて歩きながら、エドヴァルドの背中を見つめる。
彼が今、何を考えているのか分からない。
纏っている雰囲気からは、どこか悲しいような、寂しいような気配を感じるが、それが何に対してのものか分からない。
古びた印象の公園にがっかりしているのか。人がいない事に本当は寂しさを抱いているのか。はたまた、全く別の事を考えているのか。
彼が教え、見せてくれる姿以外に、亜閖はエドヴァルドの事を知らない。直接会う機会が少ないのも原因の一つかもしれないが、エドヴァルドが自分の過去を頑なに語ろうとしないのが一番の原因かもしれない。
人間性が見えてこないのだ。若くして五大権の地位にまで上り詰め、情報収集能力に長けていて、人に指示を出す事にも慣れている。
当主として、これ以上ない人なのかもしれないが、それでは白羽と同じだ。
まるで、舞台の上で役を演じているかのようだ。エドヴァルド個人を消してしまっては、何の意味もないのに。
砂場の前で立ち止まったエドヴァルドに合わせて、亜閖も足を止める。彼の隣に並び立ちながら砂場の方へと目を向けると、作りかけと思わしき砂の城があった。
きっと、バケツに砂を詰めて重ねたのだろう。少し崩れかかっていたが、エドヴァルドはどうしてか、二段重ねのそれをじっと見つめていた。
まただ。何を考えているのか分からない。
そうだ、と亜閖は、たった今思いついた質問をエドヴァルドに投げかける。
「……エドは……子どもとか欲しいっすか?」
「おや、随分と積極的な質問ですね」
ぱっ、とエドヴァルドの纏っていた暗い雰囲気が消えたような気がした。その事に安堵しつつも、顔には出さないように務めながら亜閖は続ける。
「あぁ、深い意味はなく……単純に、気になっただけっす。正直な気持ちを教えてほしいっす」
「正直な気持ちですか……難しい事を仰いますね……」
エドヴァルドは少し考えるように、黙り込んでしまった。その際に、積み上げられた砂の城をじっと見つめていた。
そして、言い放つ。
「子どもは、嫌いです。」
亜閖の知る限り、エドヴァルドは嘘でもそういう事は口にしない人だと思っていた。
きっと、亜閖が「正直な気持ちを教えてほしい」と言ったから、そのままの気持ちを口にしてくれたのだろう。
今後、エドヴァルドが本音を語ってくれる事はないかもしれない。今の内に、少しでも知れたらいいな、なんてどこか軽い気持ちで、亜閖は首を傾げる。
「どうして嫌いなんです?」
「思い通りに動いてくれないから……ですかね。小さい子は特に」
「悪い話、力づくで言う事を聞かせるとか」
「……意地悪ですね。私がそんな事をする男に見えますか?」
「見えないっすよ」
亜閖がそう言うと、エドヴァルドがガスマスクの向こうで笑うのが分かった。一瞬肩が揺れたので、笑ったに違いない。
「でも、ほら……政略結婚って、基本的に子どもを産んで育てるまでがセットじゃないですか。もしも子どもが出来たら、エドはどう思うのかなぁ、って」
これは亜閖の正直な気持ちだ。まだ先の話で、そこまでいくか分からない話だが、考えるだけならば自由なのだから。
「そういう想像もいいですね。ですが、亜閖様が想像しているのとは少し違いますよ」
そう前置きして、エドヴァルドは言う。
「子どもは苦手ですが、私自身が親になれる自信がないのです」
と。
昔の事を話したがらないエドヴァルドの親を、亜閖は知らない。
父親は先代当主イェンス・アルバート。エドヴァルドとは正反対で、人の頼み事は断れないお人好しを体現したような人物だったと聞いている。
エドヴァルドの母親は、情報ですら知らない。いわく、エドヴァルドはイェンスの一夜の過ちにより生まれた子らしいが、それは亜閖の父から聞かされただけの事。亜閖の方からエドヴァルドに聞く事はしない。
きっと、エドヴァルドが過去の事を語りたがらないのは、出自のコンプレックスもあるからかもしれない。だからこそ、余計に踏み出しにくいのだ。
亜閖には、曖昧な憶測で彼の気持ちを考える事しか出来ない。けれども、もしエドヴァルドが父親になったところを想像したら――――
「……甘やかしちゃうからっすか?」
――――とても、厳しく接するんだろうな。
あえて、正反対の事を口にした。
「いえ、逆に厳しくしてしまいそうで」
当たった、と心の中で亜閖は笑んだ。少しずつだが、エドヴァルドという男性の事を知れている実感が湧いてくる。
「けど、亜閖様が母親となるイメージが湧かないので、そこは気になります」
「私はもちろん、厳しく優しく、愛情持って接したいです」
本当になれるかはさておき、理想を語っておくのも大事かもしれない。亜閖がエドヴァルドの事を知りたいと思っているように、エドヴァルドも亜閖の事を知りたいと思ってくれているかもしれないからだ。
だからこそ、亜閖の気持ちを語る時は、必ず本音で口にするようにしている。
「この前本で読んだんですが、親が仲良くしているのを見ると、子どもはいい方へ育つらしいんです。だから、そういう、暖かくてリラックス出来るような家庭にしたいっす」
「……素敵ですね」
亜閖の語る理想に、エドヴァルドはそう相槌をうつ。
「なので、その時はエドの協力が必要となります。私が高校を卒業するのはもう少し先だけど、今から楽しみっす」
「…………」
微かに、息を飲む音が聞こえた。
どういう驚きなのだろうか。それも亜閖の中で答えは出なかったが。
「はい、私に出来る事なら」
ガスマスクの向こうで、エドヴァルドは微笑んだような気がした。
この辺りで、一旦話題を切り替えてしまおう、と亜閖はバッグにしまっていた袋を取り出す。今日、エドヴァルドとのデートで渡そうと先月から用意していたプレゼントだ。
「では、突然だけど私からプレゼントっす」
「本当に突然ですね。でも嬉しいです」
「ブランドものとかじゃないんすけど……」
喜んでくれるかはさておき、懇切丁寧に作ったのだ。亜閖自身不安も残っていたが、彼の事を考えながら作ったそれは渾身の出来だった。
「私と、おそろいで編みました。受け取ってくださいっす」
「ありがとうございます。今開けていいですか?」
「もちろんっす」
シールを丁寧に剥がし、中身を自身の手の平に取り出す。
「……ミサンガですか?」
亜閖が作ったのは、おそろいのミサンガだった。黄色と水色の刺繍糸で作った、ある種お守りのようなものである。
「はい。お守り代わりと言っては何ですが……『私が傍にいるっすよ』って念を込めておきました」
「……私の好きな色、覚えていてくださったんですね」
そう呟きながら、エドヴァルドはじっとミサンガに視線を落としていた。
「水色っすよね。ちょっと恥ずかしい気もしたんすが……お互いの好きな色で作ってみましたっす」
「素敵です。大切にしますね」
きっと、喜んでもらえた。
たとえ嘘の言葉だとしても、亜閖は嬉しかった。
「今つけましょうか?」
「はい、お願いします」
エドヴァルドの左手首に、ミサンガを巻き付ける。ちなみに亜閖も左手首につけているので、こちらもおそろいである。
きゅっ、と結ぶと、満足げにエドヴァルドは自身の手首につけられたミサンガを見つめていた。今度は、全身から喜びのオーラが見えているような気がする。実は単純な人なのかもしれない。
じっとミサンガを見つめていたエドヴァルドだったが、ふと思い出したかのように亜閖に向き直る。
「次回は、私が亜閖様にプレゼントを用意しますね。おそろいがいいですか?」
「エドにおまかせするっす。でも、おそろいだと嬉しいっす」
「了解です。期待しててください」
エドヴァルドがそうまで言うとは。楽しみだが少し不安である。ブランドものとか渡された日には、色々な感情がせめぎ合って何も言えなくなりそうだから。
でも、エドヴァルドからのプレゼントなら、何でも嬉しいに決まっている。今からわくわくが止まらないが、ぐっと堪えて、腕時計で時間を確認する。
時計の針は三時前で、そろそろエドヴァルドと別れの時間が迫っていた。
「ぼちぼち駅の方へ向かいましょうか」
「そうですね。久々にゆったりとした時間を過ごせて楽しかったです」
「よかったっす。私も楽しかったっすよ」
公園から駅へ向かうまでの道のりで、帰宅途中と思わしき小学生の姿が見えた。エドヴァルドを見て「かっこいい!」と言う子もいれば「不審者……?」と戸惑う子もいた。やっぱり恥ずかしい。
しかし「かっこいい」と言われた時のエドヴァルドはどこか嬉しそうだったので、亜閖はもう何も考えない事にした。
駅にもなると人の流れは段違いに多くなる。すれ違いざまに見られるどころか、最早注目されながら、エドヴァルドと別れの言葉を交わす。
「それでは、また次に会う時に。予定が合う時に、電話もさせてください」
「はいっす。また会えるの、楽しみにしてますっす」
「……それでは」
そうして、エドヴァルドは改札口の方へ向かって歩いていった。その背を見送っている時、亜閖はある事に気がついた。
(あれ……今、何か受け取った……?)
エドヴァルドとすれ違った男性が、手にしていた何かをエドヴァルドに渡したように見えたのだ。
エドヴァルドも、その後すぐに手をコートのポケットに突っ込んだので、亜閖の中で疑問が渦巻くばかりだ。
(手がぶつかっただけかな……気のせいだよね)
反射的に、ポケットに手を入れただけかもしれない。男性の姿も見えなくなっていたし、エドヴァルドも一度振り返って亜閖に手を振ってくれた。
きっと、亜閖の見間違いだ。気のせいだと誤魔化して、手を振り返す。
この後、エドヴァルドはアクセルと合流して帰国するのだろう。彼の姿が人の波に飲まれて見えなくなってから、亜閖も帰宅するべく駅から背を向けて歩き始めた。
(楽しかったなぁ……来年、卒業すればエドと結婚……)
結婚すれば、家族と離れて暮らす事になる。スウェーデン語もまだまだ勉強途中で、とても楽に生活出来るとは思えない。
心配事もあるし、不安がないと言えば嘘になる。けれど――――
(楽しみだなぁ)
大好きな人と一緒にいられる。確定している事実は、何よりも嬉しかった。
これにて三章完結となります。
四章の書き溜めをするため、七月頃まで更新をお休みさせて頂きます。




