第七十八話 意地悪な物言いをなさいますね
ステファーノの邸宅の散策が終わった後、今度は一華が五輝達を誘ってテレビ電話を繋いで二宮達と少しの間話をして過ごしていた。二宮達の方は変わらず過ごしているとの事で、主に一華達の方が話す事が多かったのだが、ひとまずは安心だ。
明日は屋敷に残っている兄妹達で寿司を食べに行くらしく、六月と七緒が文句をこぼしていたりと、いつも通りに賑やかに感じられた。
夕食もご馳走になり、軽くシャワーを浴びて髪を乾かしてから、一華は用意されていた部屋を後にした。というのも、屋敷を散策していた時に見つけたバルコニーから見える景色がとても美しく、ぜひ夜の景色も見たいと思ったのだ。
……断じて、気まずくて出てきたとかではないのだ。
テーブルの上に置き手紙もしてきたので、少しは一人の時間を過ごすつもりである。屋敷内ではまだ数名の使用人と思わしき者達が忙しなく働いており、一華とすれ違うたびにそれぞれ挨拶をしてくれる。
とはいえ、目的地は変わらない。広い屋敷なので迷うかもしれないと少し不安だったが、そんな心配は杞憂だったようだ。無事に屋敷の最上階にあるバルコニーに辿り着く事が出来た。
しかし、先客がいたらしい。バルコニーに設置された柵にもたれかかって景色を眺めているその人は、煙草の煙を吐き出しながら呟く。
「はぁ……疲れた……」
と。その声にはよく聞き覚えがあり、一華は目を凝らしてその人物の背を見つめた。
「……ジュリオさん?」
「へっ!? えっ、あ、一華様!?」
一華の姿に気が付いたジュリオは、びくりと肩を震わせてこちらを振り返る。まさか見られているとは思っていなかったのだろう、彼の表情は今までに見た事がないものだった。いつも落ち着いた雰囲気を纏っている彼の焦っている表情は、どこか新鮮な気がする。
「休憩中だったか?」
「まぁ……そんなところなのですが……」
慌てて手に持っていた灰皿に、それまで吸っていた煙草を押しつけてしまう。目にも止まらぬスピードで火を消してしまったので、止める事も出来なかった。
「煙草、大丈夫ですよ。邪魔してすまないな」
「いえいえ、あまり吸っているところを人に見られたくないだけなので……一華様のせいではありませんよ」
そうは言われても、一華は屋敷にお邪魔している身なので申し訳ないばかりだ。とはいえ、ジュリオが煙草を吸っているところを見られたくないというのならば、無理矢理勧めるのも良くないのかもしれない。
「どうかなさいましたか?」
「昼間来た時に、とても素敵な景色だったから……夜の景色も見てみたいと思ってな」
「そうでしたか。たしかに、ここから見える景色は私も好きです。白羽君は一緒ではないのですか?」
「シャワーを浴びているよ。置き手紙をしてきたから大丈夫だと思う」
「あぁ……もしや、気まずくて出てきた感じですか?」
「うっ……し、仕方ないだろう……」
そういえば、ステファーノやジュリオに白羽と交際している事は伝えていないはずだが、何故一華達の関係を知っているのだろうか。察している、というよりもすでに周知の事実であるかのような言動に、疑問が募るばかりだ。大々的に公言したわけではないので、情報が漏れているのだとすれば一大事でもある。
「あの、私と白羽さんが付き合っていると言った覚えはないのですが……」
「たしかに、一華様の口からは聞いていませんでしたね」
ジュリオの口振りからすると、一華以外の誰かから聞いたらしい。白羽も公言するのはまだ先でいい、と賛同してくれたし、隠してはいないが自ら口にする事はないはずだ。
「誰から聞いたんだ?」
「……秘密です」
「私の身内か?」
「さぁ、どうでしょう」
ジュリオはにこやかな笑みを浮かべたまま、答えてはくれない。これ以上聞いても時間の無駄か、と一華はわざとらしい溜息をついて話題を終わらせる事にする。
「あまりからかわないでくれよ……」
「そう気にする事ではありませんよ。貴女方の関係は、認められるものでしょうから。私は、お似合いだと思いますよ」
「まるで、自分は認められないみたいに言うんだな」
「私は養子ですから、本来ならばこうしてあの方に仕える事すら烏滸がましい身分なんです」
「そうか? 私が見る限り、ジュリオさんはステファーノさんに忠誠を持っていると思うし、烏滸がましいなんて思う必要はないはずだよ。従者として、貴方は完璧に近いと思う……あ、プレッシャーを与えてしまったなら申し訳ない」
血筋を重んじる裏の世界において、確かにジュリオの生い立ちを好ましく思わない者は一定数いるだろう。しかし、一華は血筋による貴さを重視していない。重要なのは個人の心持ち、ジュリオのステファーノへの忠誠心、そして仕事への熱量のはずだ。そしてジュリオは、そのどちらをも満たしていると思っている。
立ち振る舞いこそ堂々としたものを感じるが、本人はやはり気にしているのだろう。一華の励ましの言葉にも、やや反応は薄い。
「いえ、そう言って頂けて光栄です。ですが我々の中では、主の言葉は一言一句正確に覚え、主の命令には迅速に対処し、命に変えても主の御身を守る、というのが当たり前なのです。当主の執事として、護衛として……そして時には、親や教師のような大人を演じなければいけない。当主様というのは、いつだって孤独なのだと教えられました」
当主はいつだって孤独。それは、当主の座に就いてまだ半月も経っていない一華でも理解出来る言葉だった。
当主とは、誰にも負けない輝きを持つ絶対の存在。古くから受け継がれる血に、魔力に、魔法術に誇りを持っているからこそ、どの時代にも胸を張って舞台に立てる。
周りから見れば煌びやかな存在だろうが、その実本人が抱くのは強い孤独感。人とは違う、本来誇るべきそれが他者との違いを突き付ける。
――――そう、一華の父は言っていた。
生まれ持って素質を持った人間は、最初から最後まで孤独だという。人と違いすぎるから、人の気持ちを考える事が出来ない。だからこそ人は言う、「王としてふさわしい」と。絶対的な生まれ持った素質は人に理解されないが、それこそが当主という王の座に何よりも必要なものなのだと。
そんな孤独な王に寄り添い、付き従うのが従者である。主のために力を振るう彼等の気持ちになる事は、生まれる前から当主になる事を望まれていた一華には出来ない。そしてそれは、従者になるべくして育てられたジュリオも同じだ。ただ、気持ちを察する事しか出来ない。もどかしいが、どうしようもない事である。
「……従者の人達は、孤独じゃないのか?」
「当主様がいらっしゃいますから。それに、従者になるべく育てられる者の方が多いのですから、そういった意味では仲間はたくさんいます」
当主と従者の決定的な違いでもあるが、彼が孤独でないのなら良かったとも思う。
「では従者の方は、主に対して何を求めているんですか?」
「難しい質問ですね……」
「ジュリオさんの場合でいいよ。ぜひ教えてくれ」
ジュリオはしばらく考え込んでから、ゆっくりと答えを出した。
「……ステファーノ様が幸せでいてくれていれば、私はそれで満足です。あの方の幸せこそが、私の幸せ。勿論皆さんがそうだとは断言出来ませんが……少なくとも、私はそうですよ」
やはりジュリオは、主であるステファーノの幸福を一番に願っているらしい。ステファーノの幸福を願うのは、従者でない一華も同じだ。
一華の母と仲が良く、何かと一華を気に掛けてくれた優しいひと。彼女には幸せになってほしいし、一華に出来る事ならば力を貸したいと思う。
ステファーノが一度でいいから会いたいと思っている王子様に会わせてあげたい、とも。
「……ジュリオさんは知っているよな。ステファーノさんには、命の恩人がいると」
ジュリオの方が知っている事は多いだろう。それに、招待状を届けてくれる人がいるのだから、辿っていけば会える可能性もある。ステファーノがそうしないのは、あくまで相手の気持ちを尊重したいからのはずだ。
ステファーノに踏み込めないのなら、まったく無関係の一華だからこそ踏み込めるかもしれない。余計なお世話かもしれないが、無茶な行動を起こそうと思えるくらいには彼女の力になってあげたいと思っているのだ。
一華の質問に、ジュリオは少しだけ顔を引き攣らせたような気がした。けれども、あくまで穏やかな雰囲気のまま答えてくれる。
「はい。何度も聞かされましたよ。まるで少女のように、夢を見ているように語ってくれます」
「会わせてあげないのか?」
「毎年、誕生日パーティーには招待状を送っているようですが、相手が来る事を拒んでいるようですね。ステファーノ様からの命令もありませんし、私の一存でどうこう出来るものではございません」
「相手の居場所は知っているんだよな?」
「直接は存じません。彼の友人とは知り合いですが……」
ふと、ジュリオのその言葉に一華は疑問を抱いた。
(彼……?)
ステファーノの話によれば、その人の性別も分からないとの事だった。ステファーノが王子様、と呼んでいるだけであって、実際は女性かもしれないというのは、ステファーノの傍に長らくいるジュリオも知っているだろうに。
(何故ジュリオさんは“男”と断言したんだ……?)
ジュリオの思い違いだろうか。
しかしもし、ステファーノの言う王子様の事を知っているのであれば?
忠誠心の強い彼だ、ステファーノに知らせないわけがない。少し探りを入れてみるか、と一華は口を開いた。
「あの、つかぬ事を伺いますが……ステファーノさんの命の恩人は、男性なんですか?」
「そう聞いておりますが」
「どうして男だと?」
「どうして、と言われましても――──」
そこで、自分の中の思い違いに気が付いたらしい。同時に、一華の質問の意図を察したのだろう。ハッとして口元を抑えるジュリオは、かなり焦っているようだった。そこに一華は畳みかけるように、もう一度同じ質問を重ねる。
「何故ジュリオさんは、男だと認識していたんですか?」
「……すみません。王子、と覚えていたので……勝手に男だと思い込んでいたみたいです」
「確かに、一般的にはそうだな。こちらもカマをかけるような事をしてすみません」
静かに、ジュリオが息をつくのが聞こえた。安心しているところに申し訳ない気もするが、一華は真相が気になる。ジュリオが真相を話してくれるかはともかく、最後に核心を突く一言を放った。
「でも驚いたよ。主の言葉を一言一句正確に覚えなくてはならないジュリオさんでも、そんなうっかりをする事があるんだな」
「…………」
してやられた、といったふうに、ジュリオは視線を逸らした。少しの沈黙の後に、観念したように溜息交じりに言う。
「……意地悪な物言いをなさいますね」
「すみません。こうでも言わないと喋ってくれないかと思って」
「やれやれ……私の負けですね。たしかに、彼の事はよく知っています」
「……王子様というのはどういう人なんだ?」
最早好奇心を隠す事もなく、一華はジュリオに問いかける。
ジュリオの失言から察するに男性らしいが、どのような容姿をしているのか、どのような性格の人物なのか、一華自身気になっていた。
「絶対に公言しないと約束してくれますか?」
「勿論。私が他人の秘密を言いふらすように見えるか?」
「見えませんね」
苦笑交じりに即答したジュリオは、それからも言うのを躊躇っている様子だった。ステファーノに強い忠誠心を抱いているジュリオが、その正体を知っているにもかかわらず黙秘しているのだから、余程の不都合があるのかもしれない。
けれども最終的に、ジュリオは教えてくれた。二十年前、ステファーノを火事から救い出した王子様の正体を――――
「……今、一華様の目の前にいますよ」
……そうきたか、と一華は言葉をなくしてしまった。
せいぜい、ステファーノの語る王子様の正体を知っていると踏んでいただけに、まさか件の王子様がジュリオ本人だとは思わなかった。
どこか掴みどころのない発言をする時もあるジュリオだが、基本的に冗談を好んで言う人ではない。ましてや、上の立場の人に対しては弁えているのが、一華の知るジュリオという人だ。
これはいよいよ、好奇心だけで首を突っ込んでいい話ではないな、と少し後ろめたい気持ちが湧き上がってきた。しかし一度追求した挙句、追い込むようにジュリオに問いただしてしまった手前、引き下がる事も出来ない。
「どうして正体を告げないんだ?」
結果、そんな事しか聞く事が出来なかった。上の立場の人に対して弁えているジュリオが正体を告げない理由など、もう一華自身が言ってしまったようなものなのに。けれどもジュリオは、そんな言葉が返ってくると分かっていたかのように口を開く。
「素性も知れない私などに想いを寄せられては、困ってしまうからです」
そこで一旦言葉を区切って、ジュリオは小さく呟く。まるで、隣にいる一華にも聞かせたくないといったふうに小さな声で。
「……そう、困るんです。我慢出来なくなってしまうから……」
「……本当にいいのか? ジュリオさんが決めた事に口出ししたりしないよ。でも、貴方はどこか納得していないように見える」
ジュリオの事だ、意地になって会わないと言っているわけではないのは分かっている。先程も言っていた、身分の事を気にしているのだろう。
それでも、一華は本人達に悔いのないようにいてほしいのだが、簡単に説得出来る相手ではない。現に、一華の言葉に、ジュリオは軽く一笑するだけだった。
「私の友人と似たような事を言いますね。でも、仕方のない事ではありませんか。ステファーノ様には、私よりももっとふさわしい人がいるはずです。私は、ステファーノ様が思っていらっしゃるほど格好のいいものではない……夢は夢のままが一番、ですよ」
たしかに、ステファーノは三十歳になったら結婚すると言っていた。ジュリオが正体を明かさない限り、ステファーノは王子様の正体を知る事はない。
国主である彼女は、名のある名家出身の者か、利害の一致する相手と結婚した方が安定した道を辿れるだろう。それは本人の感情を抜きにした場合の話だが、周りから波風が立つ可能性を低く出来るので、政略結婚を善しとする者は多い。
だが二十年前に一度会った王子様に想いを馳せている彼女は、はたして政略結婚を受け入れきれるかどうかは怪しいところだ。それは、ジュリオにも言える事なのだが。
「……なら、夢のまま終わらせてあげる事は出来ないのだろうか」
それでも、彼女の願いを叶えてあげたいと思うのは悪い事だろうか。ここまで来ると、ただの一華の我儘で、ただのおせっかいだ。
「私は、ステファーノさんに幸せになってほしい。もちろん、ジュリオさんにもだ。本人達が望んだ幸せの形なら、心から祝福するよ」
お互い、会わなくて満足出来るのならそれでいいかもしれない。けれども、きっとステファーノも心にしこりが残るし、ジュリオも後悔する時がくるかもしれない。それは、事情を知った一華も嫌だった。
「それに、身分の違いを憂うのは、いまどきナンセンスじゃないか?」
「……そう、なのでしょうか。若者の感覚は分からないです」
「ジュリオさんも若者だろうに……。ようするに、裏の世界にもそういった新しい風を吹き込むのも悪くない、という事だよ。もちろん、ジュリオさんがたくさん考えて、悩んで決めた事だと分かっていますし、強制するつもりはない。けど、反対されるばかりではないという事を、留めておいてほしい」
少なくとも一華は、心から祝福するつもりだ。ふさわしくない、受け入れてもらえないと悲観するジュリオに、それだけは覚えておいてほしかった。
「それに、主従恋愛仲間は私もほしいと思っているからな」
「少なそうですね、その仲間は」
くすくすと笑って、ジュリオは肩を竦める。一華の気持ちが伝わったのだろうか、ジュリオはバルコニーから見える景色へと目を逸らして、
「……少しだけ、考えてみる事にします」
と口にした。
「……そうか。考え事をするのに私がいては邪魔だろうし、そろそろ戻る事にします。白羽さんも待っているだろうし」
「部屋までお送りしましょうか?」
「道は覚えているし大丈夫だよ。それでは、また明日」
「はい、おやすみなさいませ」
ジュリオから背を向けて、一華は部屋に戻るために歩き出す。これから、ジュリオは一人思考を巡らせるのだろう。その結果、ステファーノに会わない選択を取ったとしても、一華は何も言わないつもりだ。王子様の正体を口外する事もないし、ジュリオの気持ちを誰かに話す事もしない。
けれども、二人が満足して、幸せになってくれたらいいのにな、と一華は思う。
バルコニーから見える風景を満喫し、ジュリオとの会話に区切りをつけた一華は、まっすぐに用意されていた部屋に戻る。ジュリオに言われたように、気まずさ半分で部屋から出てきたのもあったが、そろそろ横になっておきたい。
……白羽と同じベッドで寝るのだと思うと、少し緊張してしまうのだが。
一度大きく深呼吸してから、部屋の扉を押し開ける。
「あ、一華さん。ちょうど探しに行こうかと思っていたんだ。おかえりなさい」
「遅くなってすまないな。景色があまりにも綺麗で、思わず時間を忘れてしまったよ」
「それはそれで良かったよ。ですが、あまり夜更かしし過ぎると明日に響くからね」
「あぁ、もう寝るつもりだよ。おやすみなさい」
昼間のように何かを悟られる前に眠ってしまおう、と一華はベッドに潜り込んで目を閉じてしまう。流れがスムーズ過ぎて逆に不自然だったかもしれない、と明かりが消されてから少しの後悔をしてしまったが、白羽が一華の抱いている緊張感に気付かないように祈るしかない。
「…………」
用意されていた部屋には、サイズの大きいダブルベッドが一つだけ。来た時から一緒に寝るという事は決めていたので、すぐ隣に白羽がくる事は分かっていた。
「おやすみなさい」
しかし、白羽はそっと一華の身体に腕を廻して、後ろから抱き締めてしまう。わざと白羽から背を向けて眠れるような体制を取ったというのに、密着されてしまっては早鐘を打っている心拍音が伝わってしまうではないか。
「…………寝られないんだが」
上がりそうになる口角を必死に堪えながら苦言を呈するも、解放してくれそうにはなかった。それどころかぎゅっ、とさらに抱き寄せられてしまう始末だ。
「僕、抱き枕がないと寝られないんです」
「抱き枕だと? そんなもの白羽さんの部屋になかったぞ」
「バレてしまいましたか」
白羽の表情こそ見えないが、軽く一笑したのが分かる。
後ろから抱き締められる事自体は嫌ではないが、このままでは一華の方も眠れないじゃないか。それに万が一、万が一だがそういう空気になったら、今度こそ跳ねのけられなくなってしまうのではないだろうか。いや、人様の家なので力づくでも押しのける気概ではあるが。
悶々とあらゆる可能性を考えながら、それを悟られないように声色を引き締めて白羽を諭す。
「ベッドは広いんだ。もう少し離れないか」
「…………」
「…………白羽さん?」
白羽からの返事がない。無視されているのだろうか、と身を捩って白羽の方を見やると、すでに規則正しい寝息を立てて眠っているようだった。最後に白羽の口から言葉が出てきて十秒程しか経っていないというのに、何と言う入眠の速さだ。
狸寝入りという線も考えられたが、本当に眠っているというのなら起こすのも申し訳ない。
「…………まぁ、いいか……」
抱き締められたままというのも恥ずかしい気がするが、部屋の中には二人しかいないのだから。これくらいは許されるだろうか、と一華ももう一度目を閉じる。
眠りにつけるまでにはまだ時間が掛かりそうだが、明日はステファーノの誕生日パーティーだ。緊張と楽しみを飲み込んで、一華は息をついたのだった。
※※※※
深夜十二時を回った頃。
ネグリジェに着替え、残っていた仕事を最速で終わらせたステファーノは、ぐいっと腕を伸ばして息をついた。
〈やっと終わったわ……これで、心置きなくパーティーを楽しめるわね〉
〈お疲れ様です。あとの準備は我々にお任せください〉
〈ジュリオもなるべく早く休むのよ〉
終えたばかりのデータをジュリオに渡して、ステファーノは結い上げていた髪を解く。あとは寝る前の肌ケアをして眠るだけだ。
〈はい、そうします。それと……お誕生日おめでとうございます、ステファーノ様〉
もう日付は変わっているので、ステファーノは二十七歳の誕生日を迎えている事になる。ジュリオはステファーノの従者になった年から、毎年一番に誕生日を祝ってくれるし、〈おめでとう〉と言われる事はいつになっても嬉しい。
〈ありがとう、今年も一番ね。……今年はあの王子様、来てくれるかしら〉
〈どうでしょうね……ですが、今年は仮面舞踏会。素性を知られたくない、といった理由があの方にあれば、もしかすると有り得るかもしれませんね〉
〈まぁ、いつもなら答えを濁すのに、珍しいわねぇ。何にしても、今年は賑やかなパーティーになると思っているの。楽しみでちゃんと眠れるか怪しいくらいだわ〉
〈どうか、ゆっくりお休み下さいませ〉
〈分かっているわ。それじゃあ、よろしくね〉
〈はい〉
ステファーノの部屋を後にして、ジュリオは屋敷内にある自室へと戻る。書類の確認を済ませてから、スマホを取り出してある人物へと電話をかける。
〈夜分遅くに失礼します。明日のパーティーで、少し頼みたい事があるのですが……〉
電話の相手は、《当日になって言うな》と苦言を呈す。
〈どうかそう仰らず……どうしても、貴方にお願いしたいのですよ、兄貴〉
兄貴、と呼ばれる事に弱いらしい。兄貴――――もといチェルソが溜息をつくのが分かった。《分かった、手短に頼むぞ》と了承してくれたので、ジュリオは頼み事を伝える。
チェルソの表情は分からないが、間違いなく嫌そうに顔を歪めているに違いない。そんな気がした。




