第七十三話 Stefano Abbate
十一月上旬。
一華は執務室の机と向き合い、ある人物とパソコンの画面越しに対談していた。そもそも国主が頻繁に国外に赴く事は、重要な会議や年に数回ある定例会議以外にあまりないとされている。
少人数での話し合いや、個人同士のやり取りは、主にテレビ電話で対応を行っているのだ。今回も同様で、かれこれ三十分近く話し合いを続けている。
『最近気になっているのは、いわゆるコレクターと呼ばれる人達の界隈かしら。どうにも動きが怪しいのよねぇ』
「コレクター……」
今しがた、彼女が口にした単語を反芻する。
現在対談、もとい情報共有をしているのはイタリア国主のステファーノ・アッバーテ。いくつかの話題の後に出てきたものは、一華に不吉な予感を抱かせた。
「その、コレクターというのは具体的にどのような方達なんですか?」
『それは色々よ。裏の世界では、芸術品を集めたりしている人はあまり見ないわねぇ。魔眼とか魔力結晶とか、そういった物を集めている人が多いかしら』
「魔眼……」
『ファリドさんが管理しているもの以外にも、闇市場でやり取りされているものもあるらしいから、珍しい話じゃないわ。ただ、やり口が少し汚いくらいかしらね』
身近な話、一華の義父である銀治も闇市場から仕入れた魔眼を有していたと聞いている。国主会議でもたびたび議題にあがっているそうだが、目立った動きがないため対応する事が出来ないようだ。
「無理矢理にでも取り締まる事は出来ないのでしょうか。一斉調査を行うとか……」
『集める事自体は違法じゃないもの。まぁ、裏の世界で法律なんてあってないようなものだけれどもね。流石に、人的被害が出れば対処せざるをえないでしょうけれど、現段階ではどうしようもないわねぇ』
「そうですか……一応、こちらでも調査してみます」
『えぇ。私の方でも、何か分かった事があったらすぐに伝えるわね』
「お願いします」
コレクター達の動きが怪しいというだけで、調査に踏み切る事は難しいと分かってはいた。ステファーノがどうにも出来ない、というのならば、一華達にも出来る事はない。注意して動向を見守る事しか出来ないというのは、もどかしい気もするが。
『……それじゃあ、仕事のお話はそろそろ切り上げましょうか』
と、ステファーノが話題を切り上げてしまったので、頭を切り替える。それまでの厳かな雰囲気はなくなり、いつもの気さくな様子で彼女は言った。
『もうすぐ私の誕生日パーティーね。昨日招待状を出したから、もうすぐ届くと思うわ。ただ、前に言っていた兄妹全員を招待、というのは流石に反対されてしまって……ごめんなさいね』
「気にしないでください。検討してくれただけでも嬉しいよ」
継承戦が終わった後の対面式で、一華はステファーノにあるお願いをしていた。毎年大々的に行われる彼女の誕生日パーティーに、一華だけではなく二宮達兄妹も招待してほしい、と無理を承知で頼んでいたのだ。あの時もステファーノの後ろに控えていたジュリオに苦い顔をされていたし、一華自身心のどこかで「無理だろうな」とも思ってしまっていた。
申し訳なさそうにしていたステファーノだが、『でも、私も頑張ったわ』と続ける。
『全員は無理だったけれど、一華ちゃんと白羽の坊や、あと三人なら呼んでも構わないわ』
「いいんですか!?」
『えぇ。一華ちゃんのお願いだもの。一応パーティーがメインだけれど……一華ちゃん、社交ダンスとか出来る?』
ステファーノの問いに、一華は一瞬言葉を詰まらせてしまう。幼い頃から習ってはいるので、比較的踊れるはずだ。一華は。
問題は……、と一華は横目で書類作業をしている白羽に目を向ける。実は先日、ステファーノの誕生日パーティーが近いからと試しに踊ってみたのだが、意外にも白羽は全く踊れなかったのだ。人には向き不向きがあるし、練習すればまだ間に合うとは思うが、やや心配である。
『私の趣味で、舞踏会みたいな事をするのだけれど……一華ちゃんが来るって知ったら、やっぱり皆期待しちゃうじゃない?』
ステファーノもどこか嬉々とした様子だ。
彼女の誕生日会とはいえ、参加する側の人間も注目される。ましてや裏の世界のトップとなった一華や、その従者の白羽が来るとなれば、注目されるのは必至ともいえるだろう。完璧を求められるのもプレッシャーだが、それを熟さなくてはならないのが本条家当主というもの。
白羽も片手間だが会話は聞いているし、一華からの視線も感じているのだろう。バツが悪そうに視線を逸らしていた。
「……善処する」
『ふふっ、楽しみにしちゃおうかしら』
曖昧な返事をしてしまったが、ステファーノの笑みは変わらない。彼女なら少しミスをしても笑って許してくれそうだが、周りもそうだとは限らない。一華自身不安なところもあるので、練習量についてもう少し検討した方がいいだろう。
とはいえ、これ以上ダンスの話題を続けられるのも白羽が居た堪れない。やや無理矢理ではあったが、一華は話題を少し変える事にした。
「そういえば、他には誰が来るんだ?」
『ほぼイツメンよ。私の都合で何人か呼んでいないけれど』
一華は一人、呼んでいないという人物に心当たりがあった。
以前少しだけ耳にした程度だが、ステファーノは同じ五大権であるエドヴァルドとあまり仲が良くないらしい。犬猿の仲、というわけでもないし、仕事の上ではお互い穏やかに接しているが、それ以外には一切の交流を絶っているとの事。
とはいえステファーノの従者であるジュリオと、エドヴァルドの従者であるアクセルの二人は大層仲がいい。だからこそ険悪な雰囲気にもならないのだろうが、一華は不思議でならなかった。
確かにエドヴァルドは、一代で五代権の地位に上り詰めた実力者で、危惧するべき存在であると一時期は話題になっていた。だが、その噂に踊らされるステファーノではない。一体、どんな理由があって彼を避けているのか。実はずっと気になっているのだが、その話題になるといつもはぐらかされてしまう。こうして「私の都合」と言い切って彼の名前を出さない徹底ぶりだ。ゆえに、今回も深く聞き入る事は出来ない。
『……そうだわ。これは数予さんにもお話した事なのだけれど、一華ちゃんにもお話してあげるわ』
「母さんに?」
『えぇ。私の王子様のお話』
唐突な話題に驚いたが、きっとエドヴァルドとの仲を詮索されたくない彼女の逃げでもあったのだろう。彼女の傍にもジュリオがいるだろうし、尚更のはずだ。
とはいえ、ステファーノが一華の母に話したという内容も気になる。一華は静かに語り始める彼女の言葉に、耳を澄ませた。
※※※※
それは今から二十年前の誕生日の出来事。
当時、アッバーテ家の邸宅はローマにあり、ステファーノの七歳の誕生日パーティーが開かれていた。広い庭園にはたくさんの人が集まっており、テーブルいっぱいに並べられた料理やワインを堪能しながら会話に花を咲かせていた。
本日の主役であるステファーノは、リボンとフリルがたくさんあしらわれたドレスを身に纏っていた。幼い頃から、ドレスが大好きだったのだ。そんな彼女のためにと、プレゼントにドレスやアクセサリーを貰う事も多かったし、目で見て楽しみたいからと要望を出せば参加者の女性達が美しいドレスを身に纏って来てくれた。
準備をしてくれた使用人の者達も、大好きな両親も笑ってステファーノの誕生日を祝福してくれた。パーティーに来てくれた人達に挨拶して回るのも、大変だが楽しかったのをよく覚えている。
その日はとても幸せな一日だった。だからこそ、絶望した。
パーティーもお開きになって、ふわふわした気持ちのまま眠りにつく。そして明日はパーティーの余韻に浸りながらも、一人前のレディーになるべくレッスンを受けるのだと、夢の世界に引きずり込まれるまでは信じてやまなかった。
ふと、ステファーノは違和感を覚えて目を開けた。まだ朝になっていないはずなのに、窓から明かりが差し込んできたように感じられたからだ。それに、焦げついたような不快な臭いが充満しているように思える。使用人の誰かが料理を焦がした臭いにしては、その臭いがきつく感じられる。
途端に不安を覚えたステファーノは、急いでベッドから下りて部屋から出ようとドアノブに触れた。しかしドアノブを握った瞬間、今まで感じた事のない熱さが手の平に襲いかかった。パッと手を離して後退ると、勢いに負けてその場に尻餅をついてしまう。
〈誰か、誰か来て! ママ! お母様!〉
大声を張り上げるも、誰も来てくれる様子はない。いつもなら、部屋の外に誰かがいるはずなのに。いよいよ「何かが起こっている」と確信したステファーノは、クローゼットから服を引っ張り出して、ドアノブに直接触れないよう服をかけてから、ドアを引き開けた。
その瞬間、感じた事のない熱気が部屋に舞い込んでくる。短く悲鳴を上げながらも、ステファーノは部屋の外の様子を確認するため一歩踏み出した。しかしすぐさま、部屋の中に戻ってしまう。
廊下が火の海になっていたのだ。急いでドアを閉めないと、と思ったところで、ステファーノは気が付いた。
〈ママとお母様は……?〉
ステファーノが気付いたのだから、両親が気付いていないはずがない。それに、屋敷の中には十人以上使用人がいるのだから、誰かしらステファーノを呼びに来ていても不思議ではないのに。
ごうごうと燃え盛る炎に包まれた屋敷の廊下は、寝る前に見た時とかなり変わっている。壁も天井もカーペットも、何もかもが燃えている。
両親の部屋は、ステファーノのすぐ隣の部屋だ。こぼれてきた涙を拭って、ステファーノは部屋を出る。なるべく火の回っていない場所を通って、煙を吸わないように両親の部屋の前まで辿り着いた。
〈ママ! お母様!〉
ドアを強く叩いて、大声で呼びかける。けれども返事はない。
先程と同じように、服をドアノブにかけて回すも、何かが突っかかっているのかいつものように開ける事は叶わなかった。
めいっぱいの力を込めても、びくともしない。早くしないと、両親も助けが来なくて困っているかもしれない。けれども、子ども一人の力ではどうしようも出来なくて、ついにすぐそこまで火の手が上がって来ていた。
〈誰か……〉
だんだんと息苦しくなって、明るく真っ赤な視界が薄暗くなっていく。ドアにもたれかかるようにしてその場にしゃがみ込むと、遠くから誰かの声が聞こえてきた。
〈誰か! 誰かいないのか!?〉
やっぱり、誰か助けに来てくれたのだ。聞いた事のない声だが、今はその事実がただ嬉しかった。〈ここにいるわ〉と口にするも、それはすっかり掠れてしまっていて、大声を張る事も出来なかった。
ちゃんと届いたかも分からないほど弱々しい声だったが、その人は気付いてくれたのだ。ステファーノを見付けた瞬間、勢いを増す炎をものとのせずに駆け寄ってくれる。
〈大丈夫か!?〉
こくり、と頷いて、部屋の向こうに両親がいる事を伝えると、その人はドアを蹴破って中の様子を確認してくれた。しかしその人は、小さく息を飲んで、そのまま顔を背けてしまう。
〈お前の親は逃げたみたいだ。早くここから出るぞ〉
その人は、誤魔化すようにそう言った。
けれども当時のステファーノは、その言葉に酷く安心した。瞬間、張り詰めていた緊張の糸が途切れたかのように、全身の力が抜けてしまう。
〈お、おい!〉
強く肩を揺さぶられるも、もう返事をする気力も残っていない。煙をたくさん吸い込んでしまったせいだろうか。意識も朦朧としてきて、薄く目を開けているのがやっとだった。
〈絶対に助けるから、死ぬんじゃねぇぞ!〉
薄れゆく意識の中で、ステファーノははっきりと見たのだ。真っ黒な煙と、痛いほどに赤い炎に照らされていたせいで顔は良く見えなかったが、その人の耳につけられていた、角度が変わるたびに鮮やかに色が変化していく三角の形をしたイヤリングを。
その後、ステファーノの意識が回復したのは、全てが終わった後だった。聞かされた話によれば、両親や屋敷内にいた使用人は皆死亡してしまったとの事。
ステファーノを助け出してくれた人は、名も名乗らずに去っていってしまったらしい。
全てが夢のようだった。その日は、これまで生きてきた中で最高の一日だったはずなのに。火事で大切なもの全てを失ってしまった。
両親にももう会えないし、思い出も何もかも燃えてしまった。
たくさん涙を流して、これからどうすればよいのかとたくさん悩んで、その後に思い出したのはステファーノを助け出してくれたあの人の事だった。
名前も、性別も、顔も分からないが、鮮明に思い出せる。
中性的なあの声を、炎の明かりで反射して輝くイヤリングを、ステファーノを力強く抱えてくれたあの腕を。
あの人が助けてくれた命を簡単に終わらせてはいけないと、絶望に明け暮れていたステファーノの心を照らしてくれたのだ。
※※※※
今の自分がいるのは両親と、火事の中危険を顧みず助け出してくれた名も知れぬあの人のおかげだわ。とステファーノは締め括った。
ステファーノは火事で両親を亡くしていると聞いていたが、まさかそんなエピソードもあったとは知らなかった。この話を一華の母も聞いたのか、と思うと少し感慨深い気もする。
「本当に物語のようだな……。それで、それからその人とは会ったのか?」
『残念ながら。覚えている事といえば変わったイヤリングをしていた事だけなの』
「角度によって色が変わったんだよな。確かに印象的だ。しかし、火事から助け出してくれた人……本当に王子様のようだ」
一華がそう感想を述べると、ステファーノは前のめりになって声を弾ませた。
『そうでしょう!? といっても、性別は判別出来なかったから、勝手に王子様って呼んでいるだけなのだけれどね。でも私、あの人の事が忘れられなくて、必死になって探したのよ。そしたらね……見つけちゃったの!』
「おぉ!」
一体どんな手を使ったのかは気になるところだが、あまりいいやり方ではなかったのだろうな、と察する。命の恩人には何としてでも会いたい、という執念すら感じてしまうが、嬉々として語るステファーノを前にそんな事は言えない。それに、純粋な好意のようだし、そこは一華が指摘するものでもないだろう。
『個人情報だから名前とか住所は教えてくれなかったのだけど、毎年人づてに誕生日パーティーの招待状を渡してもらっているの』
「だが、さっき会ってないと……」
『そう。確かに渡した、とは聞いているんだけど、来てくれた事はないのよねぇ』
助けた時も素性を明かさなかったと言っていたし、余程知られたくない事でもあるのだろうか、と違和感を抱く。ステファーノも直接会う事は叶わなかったようなので、きっと相当落ち込んでいるはずだ。声や態度には出していないが、画面越しに見える瞳はいつもと違って悲しげに見えた。
『やっぱり、当時の事なんて覚えていないのかしら……』
「命懸けで助けた人からの招待状だろう? 私なら行きたいと思うが……」
『ここだけの話、私三十になったら結婚する事になってるし、それまでにもう一度だけでも会いたいの。改めて、あの時はありがとう、って伝えたいから……』
きっと、一華が励ましてもステファーノには響かない。ただ一言、礼が言いたいという願いも、すんでのところで叶えられない彼女の気持ちは、想像しただけでももどかしいものだ。
「……今年は、来てくれるといいな」
結果、そんな言葉を送る事しか出来なかった。
『……そうね。それに、まだ三年残ってるわ』
ステファーノは困ったように笑うだけだった。あと三年、というのは精一杯の前向きな思考なのだろうが、彼女の中には焦りや、もう会う事も叶わないという不安が渦巻いているに違いない。
その後はパーティーについての事項を聞いて、通話は終了となった。パソコンの電源を落として、一華は深い溜息をつく。しかし準備する事は山程あるので、休んではいられない。ぐいっ、と腕を伸ばしてから立ち上がり、白羽と共に部屋を後にしたのだった。




