第六話 我々も警戒すべきだと思います
《本条家屋敷》
――九月二十日。
日本・東京。
都会にしては静かで人並みも少ない住宅街に、数え切れない程の黒いリムジンが走り抜けていく。その車は必ず、とある家の前で止まる。
その内の一台。金髪の男性が、リムジンのドアを開けた。色もややくすんでおり、手入れも満足に行き届いていない、癖のかかったショートヘアーをしている。獰猛な獣のようなぎらついた空色のつり目の瞳は、思わず目を合わせる事を躊躇ってしまいそうだ。
反して、高級感あふれるリムジンから出て来た少女は、毛先まで一切の乱れがない美しい金髪を三つ編みに編んでいた。ドアを開けた男性と並び立てば、その艶やかな髪は目を惹くものだろう。長い睫毛で縁取られた、人形のような大きな目。宝石のように煌びやかで透き通った真っ赤な瞳で辺りを見渡してから、優雅に屋敷の中へと足を進めた。
――が、この少女は少女ではないし、男性も男性ではない。少女の姿をしているが正真正銘の男であるし、男性の姿をしているが一人のレディである。
五大権ナンバー5・イギリス国主、アーサー・ウェールズ。
アーサーの三歩後ろを歩く女性は従者のエレナ・ガードナーだ。
参加者名簿に名を記し、アーサーは案内役の使用人の後ろをついて歩く。彼の後ろを歩くエレナは、どこか落ち着かない様子で屋敷内を見渡していた。勿論、物珍しさからではない。何か、違和感があったのだ。ほんのりと、鉄の匂いがする。気に留めつつも、大広間に着いたので再びアーサーの身の安全に気を配る事に集中する。
用意されていた席にアーサーが腰掛け、その後ろにエレナが立つ。すると、隣の女性が扇子をパタパタと仰ぎながらアーサーに話しかけた。
「あらアーサーちゃん! 何ヵ月振りかしらぁ」
赤茶色の髪を編込みながら結い上げ、格式高い漆黒のドレスに身を包んだ女性。柔らかな桃色の瞳が甘い色気を醸し出していて、纏う雰囲気からは、いかにもな高級感が漂っている。エレナは思わず、身を引いてしまいそうになる。真っ赤な口紅が良く似合っている女性は、ポーチから個包装された飴をアーサーに差し出した。
五大権ナンバー4・イタリア国主、ステファーノ・アッバーテだ。
「飴、あげるわね」
「変な物入ってないよね? ま、アンタみたいな高貴な御方が、こんな公の場で毒やらヤクやら盛るなんて考えてないけど」
「いやねぇ。アーサーちゃんったら意地悪なんだから。私は由緒正しきアッバーテ家当主。そんなしょぼい方法は使わないわ。ねぇ、ジュリオ?」
ジュリオ、と呼ばれた男性は、にっこりと笑って返事をした。左目を長い深緑の髪で隠しているのでどこか怪しさがあるものの、穏やかな目付きが彼の人柄を物語っていた。エレナ同様に、主人の後ろに控えるように立っている事から、彼も従家の人間であると誰もが見て分かる。
ジュリオ・イウラート・バッチェッリ。ステファーノの従者だ。
彼は深緑の髪をさらりと揺らして頭を下げる。
「そちらは道中、土産屋で購入したものになります。ご不安のようでしたら、私が毒見いたしますよ」
「まさか。ありがたくもらうよ」
袋を破り、アーサーは小さな飴玉を口に放り込んだ。エレナはそれを咎めなかったし、むしろ微笑ましく思いながら空袋をアーサーから受け取る。
ここでエレナが口を挟んでしまえば、アーサーとステファーノの交友関係にも溝が出来る。そして何より、アーサーとステファーノのみに関わらず、五大権の肩書きを有する国主達は仲がいい。先程の会話も、アーサーの(タチの悪い)冗談なのだ。ステファーノとジュリオはそれに乗っかってくれただけだという事は、重々承知である。
……が、それを知らない他の国主達の顔には焦りやら緊迫感が浮かんでいた。
「ふふっ、相変わらず楽しそうですね。ただ、貴女方の冗談は少し心臓に悪いです」
と、少しくぐもった青年の声がした。アーサーよりも色素の薄いブロンドの髪。質の良いスーツを着こなしているが、顔一面を覆いつくすガスマスクが着けられていて、どのような容姿をしているかは見えなかった。しかし、その洗練された立ち振る舞いから、只者ではないと実感させられる。
五大権ナンバー3・スウェーデン国主、エドヴァルド・ロヴネル・イェンス・ヴィッレ・アルバート。
かなり長い名前だが、これでも省略した方らしい。エレナには、それだけでも覚えるのに数日は掛かってしまったし、今でもどれか抜けそうになってしまうのだが。
風変わりな青年の出で立ちもエレナ達には見慣れたものだ。しかしその姿を見た瞬間、ステファーノの穏やかな笑みがどこかぎこちなくなった。
「エドヴァルド、貴方も久し振りねぇ」
「はい。先月は会議を欠席してしまい、申し訳ありませんでした」
「大丈夫よ、結局何も進まなかったし」
ステファーノとエドヴァルドの後ろではジュリオと、青黒い髪をした男性が何かを話していた。エレナ以上の強面の部類には入るだろうが、慣れてしまえば整った顔立ちともとれる。黄金に近い黄色の目と視線が合うと、エレナにも軽く会釈してくれた。
エドヴァルドの従者、名をアクセル・ヴェランデルという。
「気付きましたか?」
ジュリオの問いに、エレナもアクセルも首を縦に振った。何か、とは言わなかったが、おそらくは屋敷からほんのりと漂っている鉄の匂いの事だ。エレナの直感が告げている。あの匂いは“血”だと。
「何かあったようですね。元々、穏やかなアレではありませんでしたが」
ジュリオが意味深に目を細めた。口にこそ出していないが、彼もまた胸騒ぎがしているのだろう。
「今日継承戦の開幕宣言だろ。大丈夫なのか?」
「最近、周りの動きも妙ですからね」
アクセルが鋭い目付きで大広間全体を見渡す。一応、他の国主達に気付かれないように小声で話しているが、ただならぬ雰囲気におされて大広間内は自然と静けさを帯びた。
「妙?」
エレナが聞き返すと、補足するようにジュリオが耳元で囁く。
「どうやら、良からぬ事を企んでいるようです。あの、瀬波銀治が」
「なんだと!? ……あ。」
息を飲み、エレナは目を見開いた。声を張り上げてしまったので、慌てて口を両手で塞ぐ。一瞬視線を集めてしまったが、エレナはぎこちない笑みを浮かべるしか出来なかった。じろりとアーサーから向けられる視線が痛くて、思わず背を向けてしまう。
口に両手を当てたまま、エレナは極限まで声のトーンを下げてジュリオに問い掛ける。
「で、その良からぬ事って何です?」
「今はまだ分かりません。ですが、国主達の間に亀裂が走っているのは確かですから、無関係とは言えないでしょう。彼に関してもあまりいい噂は聞きませんし……ね?」
正直言うと、エレナは本条家には忠誠を誓っていない。彼女が忠義を立てているのは、アーサーただ一人であり、本条家当主は目上の人に当たるというだけ。それはジュリオやアクセルも同様の筈だ。
エレナ達が銀治を旧姓で呼ぶのは、本条家に相応しくない人物だと思っているから。裏の世界に関りこそあるものの、そこまで有力な人物ではないし、そもそも警戒対象にも入っていなかった。しかし銀治は零の死を利用し、本条家に取り入ったと言っても過言ではない。あからさま過ぎる、権力と財産目当ての行動だ。
それだけならば、野心家なんだな、とさほど気にする必要はなかっただろう。
しかし本条家の一員となった彼の行動は目に余るものが多かった。噂に聞いた程度だが、他国の国主や一族、組織を買収しているとも耳にした事がある。一部――例えば『自分こそが裏の世界の王に相応しい』『自身の方が優れている』と考えている者達からすれば、銀治の存在はイレギュラーではあっても好都合だったかもしれない。
とはいえエレナ達の主人、もとい五大権は本条家こそがトップに相応しいと思っているようだし、エレナも主の意向に沿うだけだ。主が気に食わないといった人物は、たとえそれが親でも首を縦に振らなければならない世界。それが普通だし、エレナにとっては救いでもあるので気にした事はない。
くすくすと小さく笑うジュリオに頷きを送るだけに留めて、エレナはアクセルへと視線を移した。
「アクセルさんはどう思う?」
「ジュリオさんに同意です。此度の継承戦、我々も警戒するべきだと思います」
詳しい事が語られない限り、エレナ達も対策のしようがない。とどのつまり、主の身に危険が及ばないように気を配れ、としか言えないし、出来ないようだ。エレナは思わず溜息をつきそうになったが、五大権最後の国主が入って来たので慌てて姿勢を正した。
しん、とした大広間に、盛大に襖を開けて入ってきた男性。年相応な無精髭を生やし、白髪の混じった黒髪をした高身長の男性。ダークレッドの三白眼で室内を概観してから、足を踏み入れた。漆黒のチャイナ服から、彼がどこの国の国主かはすぐに理解出来る。
五大権ナンバー2・中国国主、李 梓豪だ。
「よう、お疲れさん」
「お疲れ様です」
どっこいせ、と梓豪はエドヴァルドの隣の席に座った。彼の後ろには橙色の髪をした少女が立っている。丈の短い漆黒のチャイナドレスに身を包み、子猫のように愛らしいつぶらな瞳をしている。少女は梓豪の肩にもたれ掛かった。従者ならばありえない行動だが、動じる者はいない。
少女は李 神美。梓豪の愛娘であるからだ。
「何でいつも我の乗る飛行機は点検ミスが多いのか……あぁ、眠い……」
「寝不足ですか?」
「まぁ……色々あってな」
心配そうに顔を覗き込んだエドヴァルドに対し、曖昧な返事をした梓豪は自身の肩にもたれ掛かっている神美の頭を撫でた。彼は別に寝不足という訳ではないようだ。眠そうな態度の裏では、広間全体を見渡して雰囲気を探っていたのだから。それは横目で見ていたエレナにも分かった。
「……四分の一、か……」
ぽつりと呟いた言葉は誰の耳に届く事もなく消えた。梓豪が呟いたと同時に、襖が開かれ二宮達が入ってきたからだ。継承権を持つ者達が入って来たという事は、国主達も全員集まったという事だろう。
しかし、大広間にいる全員が目に疑問の色を映した。継承権を持つ者は十名。しかし、部屋にやって来たのはたったの六人だった。
長男・二宮
長女・三央
次男・四音
三男・五輝
三女・六月
五男・九実
順に数えるが、この六人だけだった。
「一華様と銀治様がいらっしゃらない……エドヴァルド様」
アクセルが自身の主に視線を向ける。エドヴァルドは机の下に手を隠し、アクセルにしか伝わらない合図を出した。アクセルは静かに頷き、一度目を閉じる。次に彼の目が開かれた時には、黄色の瞳が一層の輝きを帯びていた。
アクセルの家系、ヴェランデル家に代々伝えられる『透視の魔眼』。三百六十度、壁や床を透かし見る彼の目にかかれば、屋敷全体を見渡す事も造作もない。しばらくして、アクセルは息をつきながら目を閉じた。
「……成程」
エレナには、彼の目に何が映ったのかは分からない。式が始まりそうなこの雰囲気で口を開く事も憚られる。気にはなったものの、その真相はすぐに明らかになりそうだ。
最後に、一人の男性が入ってきた。黒い髪に毛先には水色のメッシュが入れられている、左目にモノクルをかけた男性。彼の事はよく知っている。
零、数代、と二代続いて当主の秘書役を務めている二条泉だ。
泉はマイクの電源を入れて、ゆっくりと声を通した。
「本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます。葬儀の前に、皆様にお知らせする事がございます」
少しの間を置いてから、泉は口を開いた。
「今朝方、本条銀治様がお亡くなりになりました」