第六十八話 俺、そんなに弱くはないし
少年の手には、それまで影も形もなかった刀が握られていて。少年の数歩後ろで魔石を構える少女も、堂々とした出で立ちでヴァルトを見据えていた。
『長月』という名前は、白羽も以前聞いた事がある。体内に魔石を埋め込まれた、異人と呼ばれる者の一人。データ上の情報でしか知らないが、魔物殲滅隊内でも屈指の実力者だったはずだ。そんな彼等が人質として捉えられていたとは思いにもよらなかったが、今回は助かったといえる。せっかくなので、このまま彼等の戦いを見ておこう、と白羽は九実を後ろに庇いながら店内の動きに注目した。
「……お前もなのかよ……その魔力相手に勝てるわけねぇじゃん。運、なさすぎじゃね、俺……」
長月、という名前を聞いた途端、ヴァルトの動きが止まった。その瞬間を少年は逃さなかった。素早く地を蹴って、刀を振るう。一華のような力強さや華やかさはないようだが、スピードと躊躇いのなさは圧倒的だった。
敵を切るための動きに特化しているようで、狭い店内でも鋭さが損なわれていない。加えて、店内に残されたままのエッダ達に危害が及ばないように気を配っているのだから、なお目を奪われてしまった。
少年の猛攻に加えて、隙を埋めるかのように的確な援護を入れる少女もなかなかのものだ。魔石に込める魔力のコントロールが余程上手いのか、少年やエッダ達を巻き込む事なくヴァルトにのみ攻撃を当てている。
とはいえ、防戦一方を強いられているヴァルトに入っているダメージそのものは低いようだ。攻撃に転じる事こそないものの、回避能力は卓越している。少年の刀による攻撃も、急所に届く事はなかった。
しかし、狭い店内で避け続ける事は難しい。ヴァルトは一旦退却しようと方向転換するが、逃しはしないと少女がすかさず魔石を発動させ退路を塞ぐ。
そして、少年が刀を振るう。ヴァルトの腕を掠ったそれは、今までで一番深い攻撃だったと言えるだろう。痛みに顔を歪めながら、ヴァルトは心底苛立った様子で怒声を発した。
「うっざ! こうなったら国主も道連れにしてやるよ!!」
「! 逃げてください!」
矛先がエッダ達に向かい、少女は慌ててそう呼び掛ける。しかし、白羽も分かっていた。
問題はない、と。
「大丈夫だよ」
アンドレイがにこりと笑む。鈴やエッダ、そしてアリーナも眉一つ動かさずに見守っていた。
アンドレイが一度瞼を伏せ、次に目を開けた時には緑の瞳が一層の輝きを帯びながら赤く染まっていく。
ルーマニア国主アンドレイ・ティトゥレスクが所有している『血壊の魔眼』。瞳に映した血液を自在に操る事が出来るというそれは、代々ティトゥレスク家が受け継いできた。液体のまま操る事も、鋼のように固くする事も可能としてしまう魔眼が映しているのは、少年に斬られて血を流しているヴァルトの腕だ。
「俺、そんなに弱くはないし」
そんな言葉と同時に、ヴァルトの腕に朱線が描かれる。そこからじわりと血がにじみ出てきて、次の瞬間には朱線の先がぼとりと床に落ちていた。
「は? 何で、」
『血壊の魔眼』でヴァルトの血液を操り、腕を切り落としたのだろう。彼は魔眼の存在や効力を知らなかったようで、自身に起こった惨状に理解が及んでいない様子だった。
ヴァルトが腕を切断された痛みを感じる前。ヴァルトが切り落とされた腕を視認してすぐ。テーブルの上を移動してきた少年が、目にも止まらぬ速さで刀を振るった。
今度は、ヴァルトの首に朱線が描かれた。
首が落ちる。白羽が想像していた光景とは違い、ヴァルトの首が地面に落ちるよりも先に、彼は緑色の靄に包まれて姿を消してしまっていた。コツンッ、と固い音を鳴らして、それまでヴァルトが立っていた場所に緑色の石だけが残されている。それこそが魔物の魂の結晶、魔石であった。
「今のは一体……」
ヴァルトの魔石を回収しながら、少年はアンドレイに視線を向ける。先程の魔眼の事を言っているのだろう。白羽も『血壊の魔眼』が発動するところを見たのは初めてだ。
怪訝そうな視線を向けられているアンドレイ本人は、先程までの悠々とした雰囲気を消し去って、いつもの調子で笑みを浮かべている。
「二人共強いね~。魔物殲滅隊なんて組織初めて知ったし、驚いたよ」
笑みを張り付けたまま、アンドレイは右手の人差し指を口元に当てて、
「今見たのは内緒ね」
と念を押した。
少年としては納得がいっていないのだろう。元々あまり動いていなかった表情が、さらに険しいものに見える。とはいえ、あの少年達の敵は魔物だけ。魔物殲滅隊という組織に属している以上、どんな不可解な力を持っていたとしても人間には手出し出来ないと聞いている。
「長月君、もう一人のところへ行かないと」
そして少女の一言で、少年ははっと我に返ったようだ。少女に頷きを返して、少年はアンドレイ達に向き直る。
「そうだな。すみません、他の者が来ると思うので、外で待ってて頂けますか」
「はいはーい。他の子にも伝えておくよ」
ひらひらとアンドレイに手を振って見送られながら、少年と少女は店を後にした。
「……もう終わってると思うけど」
そう呟かれた言葉は、少年達の耳には届いていなかっただろう。
もう一人、フォルストと名乗っていた魔物の相手は、一華がしているに違いない。白羽もアンドレイに同意見だが、従者として、そして恋人としても心配だ。
ひとまずは、アンドレイ達と待つ事にしよう、と九実に呼びかけて移動したのだった。
※※※※
兄は、歴代最強と謳われた魔王の直属の部下だった。兄は幼かった私/俺達に、少しでもいい生活をさせてやりたい、と稼ぎに出ていっていたので、寂しい思いはたくさんしてきた。
しかしたまに帰ってきては、たくさんの土産話を語り聞かせ、私/俺達と遊んでくれた。私/俺達は、そんな兄の事が大好きだ。
目的のためなら手段を選ばない。たとえ自身がどれほど傷付こうとも、兄は目的を果たすために行動する魔物だ。
そんな兄も、二十年も前に死んで魔石だけの存在となった。魔界で起きた反乱に巻き込まれ、最後まで魔王のために戦ったらしい。
そこまでならば、私/俺達は人間界にやって来る事はなかっただろう。
反乱軍が勝利を収め、新たな魔王が即位した。その際に、前魔王の派閥を一掃する令が出されたのだ。
当然、前魔王に仕えていた兄の身内である私/俺達は、何度も殺されそうになった。知り合いも何人も殺され、ついに頼れるひともいなくなってしまった。
追いかけられるたびに「今度こそ殺される」と、恐怖に打ちひしがれた。弟の手を引いて、毎日逃げ続けて、逃げて、逃げて。気が付けば人間界に辿り着いていた。
やっと、追われる恐怖から解放されたのだ。ヴァルト/フォルストと、兄の分まで生きていこうと誓ったのに。
それなのに、今度は『魔物殲滅隊』からも命を狙われ、追いかけられる事になっている。ただ人間界にいるというだけで。私/俺達はただ、生きたいだけなのに。
魔界でも、人間界でも、私/俺達の生きる場所はない。そんな境遇の魔物は、意外にも多いのだ。
彼等も、きっと脅えているに違いない。ならば、今度は私/俺達が行動しなくてはならない。逃げてばかりでは、何も出来ない。
大好きな兄のように手段を選ばず、目的を達成するためになら何でもする。
『魔物殲滅隊』を排除し、兄を取り戻す。そして兄のいる、幸せだった時間を取り戻すのだ。
そのために私/俺は、生まれて初めて武器を手に取った。
※※※※
「ヴァルト!!」
画面越しに弟が攻撃された事を知ったフォルストは、それまでの飄々とした雰囲気から一転、今すぐにでも弟の元へ向かわんとする勢いだった。
「隙を見せたな」
だが、この場から逃げられてしまうのは厄介だ。一華はフォルストが揺らいだその隙に、刀を振り下ろす。
「ぐっ!」
深くは切れなかったようだが、ダメージは与えられたようだ。
フォルストはどこからともなく銃を取り出して、銃口を一華へと向けた。何もないところから武器を出せる事に驚きはしたものの、引き下がる事はしない。
勢いのままに前進し、発砲する前に銃をスパンッ、と斬り付ける。まさか銃を斬られるとは思っていなかったのだろう、フォルストはぎょっと目を剥いて後退した。そして、このままではまた攻撃を受けるのも時間の問題だと判断したらしい。
すぅっ、とそれまで目視出来ていたフォルストの姿が見えなくなった。とはいえ、彼はかなり焦っているようで、気配までは消す事が出来ていない。一華は目を閉じて集中を研ぎ澄ませ、まだ近くにいるフォルストの動きに注意する。
「一華ちゃん!」
「九条さん、少し静かにしててくれ。それから、その場から絶対に動かないでくれ」
敵も負傷したので、すぐに仕掛けてくる事はないだろう。それよりも、この場から逃げ出す可能性の方が高い。その間に、一華は刀を鞘に戻して仕切り直すように足を広げた。そして静かに、音と気配だけを頼りにフォルストの居場所を探る。
(落ち着け。姿が見えなくても、攻撃が通じないわけじゃないんだ……)
──剣を習い始めた頃、憧れの剣の達人であったファリドに教わった術。一分間で極限まで集中力を高め、音と気配だけで敵の居場所や動きを把握する事が可能となる。この抜刀術は修得も困難なため、扱える者はそうそういない。加えて、最低一分間は身動きが取れないという欠点もある。
だが、成功すれば必ず仕留められる。
姿の見えない敵を相手取るのであれば、集中力を普段よりも高めた状態で望まねばならない。まさに、うってつけの技だった。
しばらくして、ダッ、とフォルストが動き出した。やはり、この場から撤退する選択を取ったらしい、気配が少し遠ざかった。すかさず一華も方向転換し、
(問題ない、何とかやれそうだ)
目を閉じていた時間は、約三十秒。本来必要な時間の半分だが、負傷した敵を仕留めるには充分だった。
「────抜刀ッ!!」
フォルストがいると思わしき方向へ駆け出し、素早く刀を鞘から抜いて、横一線に凪ぐ。肉を切る重い感触を手に感じ、一華は勝利を確信した。
「どうだ……」
とはいえ、姿が見えない以上敵の生死も分からない。確認はどうしたものか、と思いながらフォルストの姿を探ると、突如彼の姿が露わになった。
腹部を斬られ、大量の血を流しているフォルスト。一華が感じた手応えそのままに、彼は血を吐いてその場に倒れていた。
「えぇ……貴女の勝ち、ですよ……」
まさか、それを言うために人間の姿に変化したというのだろうか。魔物という生態が分からない以上、とどめを刺すべきか迷っていると、不意にフォルストは悔しげに呟いた。
「くそ……どうして……私はただ……また、兄弟一緒に、時間を過ごしたかっただけなのに……」
「────」
「兄なら……兄ちゃんなら、絶対に……喜んでくれる……はず……なのに」
その言葉は、紛れもない本心だったのだろう。フォルストの目尻に小さな雫が溢れ、静かに伝っていった。
「……兄弟一緒に、か」
彼の気持ちは痛いほどよく分かる。一華もつい先日、兄妹達との暮らしを思い描いて戦っていた。
フォルストやヴァルトにも、思いがあって、目的があって、成し遂げようとした結果、このような凶行に及んだのだろう。到底、許されるべき行為ではないが、だからといって責め立てる気持ちにはなれなかった。
一華が呆然と刀を握りしめたまま立ち尽くしていると、そっと肩を叩かれる。氷利かと思って顔を上げると、そこには夜空のような青い髪をした少年が立っていた。右目を隠すように黒い眼帯を着けており、見えている月明かりのような左目には、どこか気遣いが見受けられる。
「耳を貸さない方がいい」
「貴方は……」
少年の姿には、見覚えがあった。先程ビデオでも映し出されていたし、それ以前にも見かけたような気がする。しかしはっきりと思い出す事は出来なかった。
「あとは任せて下さい。俺の仕事なので」
その言葉を聞いて、一華はハッと気が付いた。一華の記憶が正しければ、彼は『魔物殲滅隊』の一員で、問題視していた異人の一人ではないか。
魔物に関しての処遇は一華には分からなかったので、専門である少年が来てくれた事に安堵感を覚えつつも、一華は同時に微かな不安を抱いた。
思わず少年の前に出て、
「少しだけ、大目に見てくれないか」
と問いかける。
少年は一華とフォルストを交互に見てから、
「……分かりました」
と、承諾してくれた。
刀を鞘に納め、息絶え絶えになっているフォルストの隣に膝をつく。
「私にも、兄妹がいる。皆仲良く幸せに暮らせたら、理想だよな」
一華の言葉に、フォルストは微かに視線を動かした。まだ意識は残っているらしいので、一華は続けて言う。
「でも貴方達のお兄さんはきっと……二人だけでも大丈夫だ、って言ってくれたと思うぞ」
「…………うるせぇ、兄ちゃんの事を……分かったように、言うな……」
フォルストは毒づくが、その表情はとても穏やかなものだった。魔物である彼等も、一華達と同じく感情を持ち合わせている。
彼等が兄を想う気持ちは紛れもなく本物で、尊いものだ。
そしてフォルストは穏やかな表情のまま、姿を消してしまった。彼が倒れていた場所には、緑色の宝石のような石が残されている。
一華達の会話を見守っていた少年は石を拾い上げ、上着のポケットに仕舞ってしまった。
「石……それが魔石、とやらか」
「あぁ。……大丈夫ですか?」
気遣うように、少年は問い掛けてくる。
傷にならない、といえば嘘になるが、決して後悔はしていない。彼を殺めた事も、最後に言葉をかけた事も。
「問題ないよ。私の方も慣れっこだ」
そう言うと、少年は困ったように視線を逸らしてしまった。心配させないように言ったつもりだったのだが、どうやら彼にとっては逆に反応に困るものだったらしい。
「貴方は『魔物殲滅隊』の方だよな」
確認を兼ねて話題を逸らすと、少年ははっとして頷いた。
「はい。来るのが遅くなってすみませんでした」
「いや。九実君……弟達を助けてくれてありがとう」
彼が九実達を守ってくれた事は、音で拾った程度だが知っている。少年もある程度は察していたらしく、静かに頷いていた。
「あと一つ、聞いてもよろしいか」
「何でしょう」
少年に断りを入れてから、一華はもう一つ質問を投げ掛ける。
「『魔物殲滅隊』は、貴方にとってどのような場所なんだ?」
「………………」
回答次第では、『魔物殲滅隊』という組織の今後の在り方を見直す必要がある。
先程「解散はさせない」と断言したばかりだったが、やはり当事者達の意見を尊重する事が一番重要だ。
少年は少し考えてから、
「使命を全うする場所。そして、大切な人達がいる場所です」
と、答えた。
「殲滅隊がなかったら、今の俺はいなかった。命に変えても守りたいと思える人は出来なかったと思います」
「……そうか」
全員の意見を聞く必要があるだろうが、少なくとも彼は魔物殲滅隊に対して悪い思いを抱いていないようだ。そこは少し、安心した。あの夜鳥海という男性も、この少年等が過ごしやすくなるために居場所を作っている事は、あの後の調査で分かっている。
禁忌を犯した件については容認出来ない案件だが、内情はもっと知って損はないかもしれない。少なくとも一華は、そう判断した。
「いっ、たたた……一華ちゃん、ここは彼等に任せて退散しよう。長居しては面倒そうだ」
……そういえば、氷利に「もう動いても大丈夫だ」と伝える事を忘れていた。
「そうだな。九実君達の様子も見に行かなくては。それでは、ここはお任せします。それから……夜鳥さんに、“後日お手紙を送ります”とお伝え下さい」
「分かりました」
負傷した氷利を支えて、少年に浅く一礼して下へ降りようと階段に続くドアを開けた瞬間。一華と同時にドアを開けようとしていたのは、少年と共にいた銀髪の少女だった。
急にドアが開いた事に驚いた少女は、びくりと肩を震わせて後退る。
「わっ、すみません……!」
「いえ、こちらこそ。先程は、弟を庇ってくれてありがとうございました」
少女は一華の姿を見てはっとしたらしい。可憐な笑みを浮かべて、
「弟さんも貴女も、ご無事で何よりです。弟さんが機転を利かせてくれたおかげで、私達も上手く動く事が出来たと思います。たくさん、褒めてあげてください」
と、言ってくれた。
「あぁ、そうするよ」
それじゃあ、と会釈して、その場を後にする。今回の件は一華等国主も絡んでいたとはいえ、主犯格が魔物だったので、彼等『魔物殲滅隊』の方で処理されるのだろう。
ひとまずこの場は彼等に任せる事にして、一華は氷利を抱えて階段を下りる事にした。建物を出たところには白羽や九実、エッダ達もいて一瞬驚いたが、安堵のあまり思わず顔を綻ばせてしまう。
それは九実も同様だったらしく、一華の姿を見るなり駆け寄ってきた。
「お姉様!」
「九実君、怪我はないか?」
「はい。お姉様は大丈夫ですか?」
「かすり傷だから、すぐに治るよ」
フォルストとの交戦で負傷していた氷利は、九実の後を追ってきた鈴の魔法術により治療を受けている。見る限り、傷も浅く重症ではないようだ。
抱き着いてくる九実の頭を撫でながら、その光景を微笑ましそうに眺めていたエッダ達に視線を向ける。
「エッダさん達も苦労をかけてすまなかった」
「トラブルは慣れっこだから大丈夫だよ〜。面白いものも見させてもらったし」
「そうだな」
「そ、そうなのか……?」
アンドレイ、エッダの二人は満足そうに述べるが、巻き込んでしまった手前どのように言葉を返すべきか分からず、曖昧な返事をする事しか出来なかった。
「強盗犯の方々は警察に連行されました。周辺に被害もなかったようです」
「そうだな。裏の世界の関係者しかいなかったのが、不幸中の幸いだったかもしれない」
「事情聴取は、あちらから断られてしまいました。裏の世界の重鎮相手に聴取なんかしたくない、と」
てっきり、これから事情聴取が行われるものだと思っていたので、白羽からの報告は予想外だった。これはまたエッダから苦言が飛んでくだろうか、と身構えていると、軽快に笑いながらアンドレイが言う。
「ま、基本的に面倒事しか持ち込まないからねぇ。俺の方もそんな感じだよ」
アンドレイの方は「当たり前の事」とでもいいたげに納得している。エッダがそんな彼を横目で睨み付けていたので、一華は「そうですか……」と相槌を打つしかなかった。
「それに、魔物が関わっていた事もあり、この件は殲滅隊の方に回される可能性が高いようです」
「分かった。ともかく、皆大きな怪我もなく終わって良かったよ」
出てしまった被害に目を背ける事は出来ないが、一華は心の底から安堵していた。弟の九実はもちろん、白羽達も無事である事に。継承戦もまだ記憶に新しいので、気が気でなかったのだ。
再度、静かに息を吐き出していると、どこかそわそわとした様子のレギーナが視界の端に映った。彼女の様子に違和感を覚えたのはエッダも同様だったらしく、怪訝そうに眉を顰めている。
「レギーナ・フライリヒラート。そわそわしてどうした」
「あ……いえ……何でもないで──」
──ぐぅぅぅぅ……。
レギーナの声を遮って聞こえてきた謎の音。本人の意思に反して鳴ってしまった腹の音に、レギーナは慌てて隠すように自身のお腹を抑える。
「お前……食欲を失う場面じゃなかったか?」
「うぅぅ……自分でも不思議に思っていましゅ……」
正直のところ、エッダの言葉に一華は激しく同意したかった。レギーナは「恥ずかしいぃ……」と今度は顔を覆い隠して悶えている。
「今日の外食は我慢しろ。一旦ホテルに戻るぞ。そこで何か食えばいい」
「そ、そうしましゅ……」
「それじゃあ、私達はここで。またな」
「はい。また」
流石に外食を続行する気にはならなかったらしい。レギーナは空腹を知らせる第二波の音を鳴らしながら、エッダと共にその場を後にする。
二人の背を見送って、アンドレイ達はどうするのかと視線を送ると、視線に気付いたアンドレイが言った。
「俺等はこの辺を散歩してからホテルに戻るかな。元々、アリーナちゃんの買い物に来てたわけだし」
「あら、ホテルに戻らなくていいの?」
「明日には帰るんだし、継承戦の間は心配かけちゃったでしょ。そのお詫びも兼ねてね」
そのまま二人は仲睦まじく手を絡めて、ひらひらと手を振って歩き出す。いつ見ても仲睦まじい夫婦だ。
「そういう事だから、またね〜」
「はい。どうぞ楽しんで」
アンドレイとアリーナも見送って、一華は未だに抱きついたままの九実と視線を合わせるべくその場に膝をついた。
「九実君。よく頑張ったな。本当に……無事で良かった」
そう言って、今度は一華の方から九実を抱き寄せる。小さくて細い身体で、彼等を守るために行動していたのだ。
思えば、継承戦の時にも、兄妹で殺し合いを欲しくないと行動していた。まだまだ幼い子どもだと思っていたが、きっと誰よりも勇敢で、それでいて冷静なのだろう。
銀髪の少女に「たくさん褒めてあげて」と言われたものの、言葉では言い表す事は難しかった。代わりに(といってはおかしいだろうが)一華は九実を抱きしめる事にしたのだ。
「はい……怖かったけれど、頑張りました」
気持ちは、九実にも伝わったらしい。ぎゅっ、と腕を回して、一華の肩口に顔を埋める。
「いやぁ、ホント無事に終わって良かったね。……あたし、かっこ悪くないかしら」
「そんな事はありませんよ。どれだけ負傷しても、生きていれば勝ちです」
「言葉の重みが違うっすわぁ。確かに、後継もいないのに死ねないか。あたし、店の鍵開けっぱで出てきたから、もう戻るわね。あとは身内水入らずで」
「九条さんもありがとうございました。それと、毎度無理を言ってすみません」
「気にしなさんな。また刀の調子見せてね」
いてて、と横腹を抑えながらも、氷利は自身の店の方角に向かって歩き始める。彼女の店はここから近くにあるので、歩く分には支障はないだろう。そう判断して、一華はゆっくりと立ち上がった。
「私達も戻ろうか。九実君、兄さん達も待っているからな。また、皆で暮らせるよ」
「はい!」
家族皆で仲良く暮らす。九実の願いを完全な形で叶えてやれるかどうかは、分からない。継承戦を終えても、さらなる試練が待ち構えているのだと思い知らされた。
それでも一華の決意は変わらない。大切な人達を守ると、心に決めている。
一華は九実と手を繋ぐ手に、少しだけ力を込めたのだった。




