第六十三話 自己紹介がまだだったな
一華は、イベントがある際にも滅多に着ないスーツを身に纏っていた。普段ならば高い位置で結い上げられている髪も、使用人の女性に頼んで夜会巻きにしてもらっている。準備を終えた頃、部屋の襖が軽くノックされ、外で待機していた白羽の声が聞こえてくる。
「一華さん、準備は出来ましたか?」
「白羽さん。あぁ、万全だよ」
一華が返事をしてから、白羽は襖を開けた。そのまま荷物を手に、白羽と共に屋敷の前に停められている護送車に乗り込む。
本日は、日本の裏社会を構成する人達への挨拶回りをする事になっている。本条家以外の、裏の世界に名を連ねる家系の長や、組織のトップ。彼等との面識はあまりないが、彼等の動向を把握し、良い関係を築いていくのも本条家当主としての仕事の一つだ。
「国主の人達の前に立った時も緊張したが、会った回数が少ない分、今日の方が難関なように思えるよ」
「しかも、こちらから出向かないといけないのも憂鬱ですよね……」
白羽も、やや気疲れしているらしい。そう口にする彼の声色は、暗く沈んでいるように思えた。
「ま、そこは仕方ないさ。地方への挨拶は手紙で済ませる事になっているし、来週には大きなイベントも減るだろう」
少しはゆっくり休めそうだな、と、若干無理矢理ではあったが、白羽を元気づけるために話題を変える事にする。
「それもそうですね。お休み中は何かする予定でも?」
「そうだな……山積みの課題を終わらせる事、かな」
一華の自室のテーブルに山積みになっているプリントの山。思い出すだけで、今度は一華の気分が暗く沈んでしまいそうになる。
「……そういえば、一華さんって高校生でしたね」
思い出したかのように、白羽が言う。
一華は現在十七歳で、継承戦の間は休学していたが高校二年生だ。出された課題をこなし提出するのであれば、留年は免れられるので大きな心配はしていないが、全く手をつけられていないので状況としてはかなり危ない。
「実はそうなんだよ、華のJKだ。白羽さんは、大学とか行っていないのか?」
「あれ、言ってなかったっけ。僕、高校中退してるよ」
「聞いてないぞ」
初めて耳にした事実に、一華は目を見開く。
「それまで訓練を怠ったりとしてたから、そっちに集中しようと思って。外国語は二条さんに教わったりしてるよ」
「そうだったのか……」
そんな会話をしている内に、会場である建物に到着していた。裏の世界の者達御用達の建物なので、出入りする人間もその関係者が多い。会議室のような部屋から、パーティー会場としても使用出来るホールも完備されており、一華も何度か来た事がある場所だ。
車を降り、白羽と共に進み始める。
「最初は身内への挨拶か……。……んん?」
手渡されてリストの中に、よく知っている名前が見えた。滅多に合わない人達の中でも気心の知れている名前があって、一華はやや安心感を抱いていた。
※※※※
本条家とは、平安時代から続く名家の一つで、裏の世界のトップに君臨し続けている裏の世界の王とも呼ばれる存在である。本条家当主というたった一つの椅子に座った者には、絶対的な権力と使い切れないほどの資産が手に入るという。
しかし、本条家以外にも裏の世界に名を連ねる名家は多数存在する。親密な関係を築いている者は少ないものの、挨拶はしなくてはならないし、これからの方針や必要事項等も伝えなくてはならない。
今回集まったのは、都内とその周辺に居を構える名家の当主達およそ二十名。一時間も経たない内に顔合わせは終了し、そのまま退出する者達がほとんどだった。
以前梓豪が警告してくれたように、婚姻関係についてはしつこく迫られると思っていたのだが、その心配は杞憂だったようだ。というのも、新たな当主が小娘だった事に、落胆と諦めの態度がにじみ出ていた事には気付いている。
大方、「放っておいても本条家は崩落する」とでも思われているのだろう。関係を深めるより、機会を伺ってから行動する方が賢明と判断しての事だろうか、やはり身内との付き合いはより面倒に感じてしまう。
相手がその気ならば、一華も深追いする必要はないはずだ。そうこの場は区切りをつける事にして、一華は唯一気軽に話せる少年の元に歩み寄る。少年も一華に顔を向けて、ぱっと表情を明るくさせた。
「一華ちゃん、久し振りだね」
「久し振り、万希生君。まさか君が来るとは思わなかったよ」
「母さんが仕事休めなかったらしくて……話を聞くだけだから、って代わりに来たんだ。改めて、就任おめでとう」
「ありがとう」
少年の名は西大路万希生。一華とよく似た黒紅色の髪をした、眼鏡を掛けた穏やかな雰囲気を纏った少年だ。彼は一華の父――零の妹の息子で、一華のいとこにあたる。
継承戦開幕と同時に参加権を持つ兄達の首を斬り当主の座に就いた父だが、参加権を放棄していた妹には手を下さなかった。その後西大路家に嫁いだ零の妹は、本条家から離れた場所でひっそり暮らしていると聞いている。
零の妹――万希生の母とはあまり面識がないが、万希生とは年始やお盆にたびたび会っていたのだ。彼もいずれは西大路家の当主になる予定らしいが、こんなにも早く再会出来るとは思っていなかったので、無意識のうちに声が弾んでしまう。
「叔母さんは元気にしているか?」
「うん。一華ちゃんが当主になった、って聞いてすごく喜んでいたよ。改めてお祝いの手紙を送るね、だって」
「私も嬉しいよ。また時間が合う時に、叔母さんも一緒に会おうじゃないか」
「そうだね。一華ちゃんは、お兄さん達と仲良くしてる? 最近お話を聞いてなかったから、ちょっと心配だったんだ。ほら、継承戦もあったし……」
万希生も、継承戦がどのようなものかは聞いているはずだ。零の事も耳にしているだろうし、気が気でなかったのだろう。どこか不安な様子で問い掛けてくるが、その心配は無用だ。
「仲良くしているよ。皆、前よりもいい関係になったはずだ。心配をかけたな、万希生君」
万希生に気を遣った訳でもない、ありのままの結果を伝える。「そっか」とどこか安心したように息をつく万希生の視線が、一華から白羽に向けられた。
「ところで、後ろの方は?」
「あぁ、私の……」
紹介しかけて、一華は固まってしまう。
(恋人……と説明するのは、やや恥ずかしいな……)
それに、当主になったばかりなのに浮かれていると思われるのも忍びない。一華達はちゃんとそのあたりを弁えているのだから。恋人ではない白羽の立場の説明といえば、と一華は
「従者さんだ」
と、言ってしまった。「そっかぁ」と万希生は納得しているようだが、白羽の表情は微妙なものだった。従者である事には変わりないし、間違いではないと思うのだが、白羽にとっては納得のいかない紹介だったらしい。サングラスの向こうの色の違う双眸が、やや曇っているように見えた。
「……水を差すようで申し訳ないんですが、そろそろ次に向かわないと……」
そして、いたたまれなくなったかのように、白羽はそう言って促した。同じ建物内で顔合わせがあるとはいえ、待たせてしまうのも申し訳ない。万希生とは積もる話もあるが、一旦区切りをつけなくてはならないだろう。
「あぁ、分かったよ」
「長く引き止めてごめんね。また会おう」
「あぁ。叔母さんにもよろしく伝えておいてくれ」
そう短く別れを済ませて、一華と白羽は次の顔合わせの場に向かった。
※※※※
同建物内。エレベーターで上の階へと移動し、会場となっている会議室に向かう。
名家の当主達との対面のあとは、日本に拠点を構える組織のリーダー達との顔合わせだ。こちらに関しては全員初対面なので、緊張感がくすぶったままである。
初対面だからこそ、第一印象で甘く見られては困る。緊張感は心の中に留めて、あくまで堂々とした出で立ちで廊下を進む。
「――ですから何度も申し上げている通り、貴方方が学園に足を踏み入れる資格はないのですっ!」
ふと、空気を割くようにして聞こえてきた女性の声。内容はともかく、清涼感のある透き通った声色に、思わず足を止めてしまう。気になったのは白羽も同様らしく、きょろきょろと辺りを見渡した。
「どのようなメリットがあろうとも、いくら金を積まれようとも、決まりは決まりですもの。融通を効かせてしまっては、我が桜門ヶ丘学園の名に傷がついてしまいますわ」
「だから生徒数が少ないのだろう。真っ当なのはいい事だが、そのように捻くれた物言いをしていると破綻するぞ」
次いで聞こえてきた圧のある低い声には、隠しきれない苛立ちが籠っている。確かに、あのように煽られてしまっては、怒りも込み上げてくるだろう。しかし女性の方も負けじと言葉を紡ぐ。
「あらあら、人の道を外れた格もない組織如きに言われる筋合いはないのですけれど」
「礼儀知らずも甚だしいな。以前そちらで起こった問題を収めたのは、貴様の言うところの格のない組織の者だったが」
聞こえてくる声を聞く限り、どうやら男女二人が言い争っているようだ。吸い寄せられるように廊下を進み、角を曲がったところで、言い争っている二人と思わしき男女を見付けた。
清涼感のある声の持ち主と思わしき女性は、ピンクゴールドのロングヘアーとビビットピンクの瞳が特徴的だった。黒と白、そしてピンクを基調としたふりふりのゴシックドレスに、厚底のブーツ。遠くからでも目を惹く派手な装いに、右手には煌びやかな宝石がたくさんはめ込まれた杖が握られている。
そんな女性と向かっているのは、紫がかった黒髪に琥珀色の瞳をした男性。不機嫌そうに寄せられた眉根が、さらに威圧感を醸し出していた。漆黒のダブルスーツを着こなしており、スーツの上からでも体格の良さが伺える。男性は腕を組んだまま、嘲るように女性に言い放った。
「それとも、俺の隊の者に嫉妬しているのか? 余程、うちの隊の者達の才能が怖いようだな」
「嫉妬? この私が、『魔物殲滅隊』という低俗な組織如きに恐れをなしているですって……?」
反応を見る限り、男性の指摘があながち間違いでもなかったようだ。図星を突かれたかのように、女性がプルプルと肩を震わせている。そして、怒りを隠す事もなく手にしていた杖を振り翳した。
「そんな事、あるはずがないでしょうっ!!」
杖にはめ込まれた宝石の一つが輝きを帯びる。至近距離で攻撃を放たれてしまえば、直撃は免れられない。咄嗟に間に入ろうと踏み込んだ瞬間、白羽に腕を引かれて阻まれてしまった。
「白羽さん!」
「彼なら大丈夫です」
「しかし……」
見たところ、男性の方は武器を構えていない。素手で応戦するにも、魔法術による攻撃の距離が近すぎる。止めに入った方が得策な事は、白羽にも理解出来るだろうに。
しかし白羽は何かを確信しているようで、一華を諭すように首を横に振ってから視線を動かした。釣られるように一華も二人の方へ視線を向けると、思わず男性の行動に目を見張ってしまう。
男性の手に、武器らしきものは握られていない。しかし彼は、まるで刀を振るうかのように構え、腕を動かした。
「!」
瞬間、光を帯びていた宝石に亀裂が入り、無残にも砕け散ってしまったではないか。それと同時に、放たれるはずだった魔法術攻撃も、初めからなかったかのように光が飛散していく。
「なっ!? 貴重な魔法石をよくも!」
「あくまで自分の身と、周辺の者へ危害が及ばないように配慮しただけだ。俺は、人の命までは奪えん立場だからな。貴様こそ、そろそろ周りに目を向けた方がいいぞ」
そして、男性の視線が一華等へと向けられた。威圧感のある琥珀色の双眸に捉えられ、思わず背筋が伸びたような気がした。
「貴様が新たな当主か?」
「はい。初めまして、ですね」
二人に歩み寄り、一華は男性の手元をまじまじと見つめる。やはり武器の類を手にしている様子はなく、手の平に紫色の宝石があるだけだった。何かの魔法術だろうか、それにしては動作が不自然だった気もするが、双方怪我はないようで一安心だ。
一華に気が付いた女性も、そそくさと杖を背中に隠して口の端を持ち上げる。声を荒げているところを見られているとは思っていなかったのか、その笑みはかなりぎこちないものだった。
「お、お初にお目にかかります当主様……」
「あぁ。こちらこそ、初めまして。お二人は随分仲が良いようで……声が向こうの廊下まで聞こえていましたよ」
若干の嫌味を込めてそう言うと、女性の方はバツが悪そうに顔を逸らした。男性の方はというと、「知らん」とでも言いたそうに無表情を貫いている。
「この建物は裏の世界の住人御用達とはいえ、一般人の方も出入りしています。知られては不都合もおありのはずだ。それに、顔合わせの時間も迫っています。どうかその辺で」
「も、勿論ですわ! おほほほほ……」
逃げるようにその場を去っていく女性。会場である会議室に入って行ったのを見る限り、彼女もまた日本に拠点を置く組織のトップなのだろう。インパクトのある見た目だが、実力者である事には違いないようだ。
「世話をかけたな、すまなかった」
「いえ。それよりも、先程あの方の宝石を壊していたよな。一体、どんな魔法術を使ったのか聞いてもいいだろうか」
「……あぁ、見えていなかったのか」
男性はそう呟いて、手にしていた紫色の宝石を見せてくれた。エメラルドカットされており、その輝きはどこか禍々しく感じられる。
「それは?」
「魔石と呼ばれる代物だ。これに魔力を流し込むと刀に変形する。それを振るっただけだ」
「魔石……?」
聞き覚えのない単語、そして聞いた事のない武器の出現方法に困惑していると、男性は魔石をジャケットのポケットに仕舞った。そして――
「自己紹介がまだだったな。俺は夜鳥海。『魔物殲滅隊』総隊長だ」
そう、眉間にしわを寄せたまま名乗ったのだった。




