第六十二話 ずっと、パパ達と一緒にいたい
玄関に移動して梓豪を待つ事数十分、屋敷のインターホンが鳴らされた。扉を開けると、そこにはラフな装いの梓豪が立っていた。彼の私服姿を見た事がない一華にとって、神美同様に新鮮に感じられる。
「神美が世話になったな、嬢ちゃん」
「いえ。むしろ……すみませんでした……」
「何かあったのか?」
「いえ、娘さんを病院送りにする所でした……食中毒で」
「さては、嬢ちゃんも料理が壊滅的に出来ない性質だな」
「うっ……」
即座に指摘されて、一華の胸に何か突き刺さったかのような感覚がした。
話に聞いた程度だが、一華の父も不器用だったらしい。父の事を知っている梓豪に言われると、余計に恥ずかしい気がする。
「ま、無理して覚えるもんでもねぇだろ。こっちの事情に巻き込んで悪かったな」
「いえ。私も、神美さんとお話し出来て楽しかった」
依然との事は、当事者同士話し合って解決してもらうしかない。これ以上一華が首を突っ込む事でもないだろう、と特に何も口にする事はなく、神美に視線を向けた。
「神美さん、また会おう」
「……」
神美はこくり、と頷いてから、一華にぎゅっと抱き着いた。
「また、ね」
「あぁ」
神美の背に腕を廻して、反対の手で頭をそっと撫でる。すると、一華の肩口にぐりぐりと頭をすり寄せてきたので、思わず「可愛い……」と口にしてしまいそうになる。
そんなハグを終えると、神美は梓豪と一緒に屋敷を去って行った。静けさが戻った所で、一華はおもむろに口を開く。
「さて、依然さん。藩家の皆さんにも伝えておいて下さい。そろそろ勝手に天井裏に侵入するのは辞めてもらえないか、と」
日頃、表に姿を見せる事はない藩家。葬儀や継承戦開幕宣言の際も、屋敷の天井裏から動向を見守っていた事は知っている。しかし、無許可で人の家の天井裏にいられると落ち着かないし怖い。一華が注意すると、すぐ傍から依然と思わしき声が聞こえてきた。その姿は、一華からは見えていない。
「失礼、次からは許可を取ります」
「うぅん……ならよし」
許可を取りに来てくれるならばいいか、と一華は妥協案として受け入れる。
「とはいえ、藩家は表に姿を出さないものと聞いている。継承戦で『霞』の襲撃があった時も姿を出さなかったとか」
ホテル本条に『霞』の幹部が現れた際、真っ先に反応したのは従者達だ。しかし依然だけは、最後の最後まで姿を見せなかったという。
「吾達の場合、主人からの命令がなければ、例え命の危機に扮していようと行動出来ない。そういう契約ですから」
「ふむ……家系によって、変わったりするものなんだな」
基本的に、国主の傍に控えている印象が強い従者だが、家系によって契約内容は違う。中でも、そもそも主の傍にいない藩家は珍しいと思う。その気持ちは依然も同じだったらしい。
「……でしょうね。でも吾は、それも一つの在り方だと思います。李家の皆様は、どちらかといえば武闘派ですからね。本来、護衛なんて必要ないのでしょう」
「そうかな。一人になりたい時こそあれど、ずっと一人でいたい人間はいないと思うよ。依然さん達は、神美さん達にとって大切な存在だろう……って、聞いていたか」
「……正直、嬉しかったです。これで明日からも、お嬢を叱る事が出来ます」
「程々にな」
あまりやり過ぎては、また喧嘩してしまうだろうに。しかしそう口にする依然の声色は、どこか清々しいように感じられた。
「では、失礼致します」
「あぁ」
以降、依然の気配は感じられなくなった。また隠密行動を徹しつつ、梓豪と神美の護衛を続けるのだろう。
(明日も予定があるし、そろそろ寝ないとな)
梓豪と神美の姿が完全に見えなくなってから、一華は屋敷の中へと戻って行ったのだった。
※※※※
本条家屋敷からホテルに戻るまでの道のりで、神美はいつも通り父の腕にくっつきながら歩いていた。しかし今回は、梓豪が苦言を呈した。
〈神美、流石にちょっと歩きにくい〉
〈む。確かに〉
言われてみれば、父に重心を傾けるようになっていて、神美自身も歩きにくいと感じた。ハッとして父から少しだけ離れて、再び静かな住宅街を歩き始める。
〈美朱さんも心配してるから、戻ったらちゃんと謝るんだぞ〉
〈はーい〉
素直に返事をした神美に驚いたのか、梓豪は思わず、
〈むん、とはならねぇのか?〉
と聞いてしまう。神美は少しだけ悩む素振りをとってから、
〈……ちょっと、すっきりした。だから、いいの〉
と口の端を持ち上げた。
それなら良かった、と梓豪も釣られて口角を上げる。
〈お前が出て行った後、依然に《お嬢に何かあったらどうするんです》って怒られたんだよ。アイツも、心配性だな……〉
勿論、梓豪も心配していなかった訳ではない。しかし神美の実力や、依然が傍につく事を考えると、「一人で散歩しても大丈夫だろう」という結論に至っただけの話。時間が経った頃に迎えに行く予定でもあったし、心配し過ぎても胃を痛めるだけだ。
まさか本条家にいたとは思いもしなかったが、一華と話をしてスッキリしたというのなら本望だ。依然と顔を合わせた時、再び喧嘩しない事を祈るが……。
〈……依然にも、謝る〉
〈そうしてやりな〉
梓豪の心配は杞憂だったようだ。
そうして暫く、沈黙が訪れる。住宅街を抜け繁華街に差し掛かった頃、神美はふと梓豪に問い掛けた。
〈ねぇ、パパは……紋身いれる時、どんな気持ちだった?〉
〈そうだな……プレッシャーで、押し潰されそうだったな〉
〈パパでも?〉
〈おう。当主になったばかりの頃は、早く一人前にならなきゃって焦りすぎていたからな。自分の子どもには、とことん甘やかしてやろうって決めてたんだ。辛い事の方が、多いと思ったからな〉
神美は思う。やはり自分は恵まれているのだ、と。
神美はいつか李家当主になる日がくるし、当主の役目は苦労と困難の連続だと分かっている。その当主になる象徴とも言える刺青を入れる心の準備が、いつまで経っても出来ないでいる。けれども両親は強制しようとはしないし、依然も強行突破しようとはしてこない。
〈……我は、ずっと、パパ達と一緒にいたい〉
これも、我儘になってしまうのだろうか。恐る恐る口にすると、梓豪はおかしそうに笑った。
〈なら、長生きしないといけねぇな〉
――どこか、胸騒ぎがしたような気がした。
しかし、気のせいだろうと神美は慌てて首を横に振った。ただの悪い想像だ、と自分に言い聞かせながら、父の手を強く握りしめる。
一瞬感じた不安からだろうか。神美の中の「いつか当主にならなくてはならない」という思いは、先程よりも強さを増していた。




