第五十六話 お前も面白い奴だと思っているぞ
とある国、とある地方、とある建物内。マスカレードマスクを着用した男は、八つ並べられた真新しいベッドの上で、それぞれ包帯を巻かれて横になっている部下達を概観し、確認するかのように述べた。
「全員、治癒魔法を駆使しても全治一、二ヶ月、といった所かな」
二ヶ月は絶対安静しなくてはならないのが、深く胸を貫かれた『イージ』、腹部をバッサリと斬られた『ヨージ』、肩から胸にかけて、そして腹部と背部を斬られた『ゴージ』。
一ヵ月は安静にしなくてはならないであろう、肩を撃ち抜かれ、その他全身に切り傷と打撲が残る『ロージ』、腹部を撃ち抜かれた『ナージ』。
魔法術を駆使すれば数週間で任務復帰出来るであろう、手首を撃ち抜かれた『ニージ』、手足を撃ち抜かれた『ハージ』、肩口を突き刺された『クージ』。
そして、大きな怪我はなかったが、国主達に喋りすぎた為ボスにこってり絞られた『サージ』。計九名が、此度の任務の功労者だ。むしろ、裏の世界の代表達を相手に命があっただけ奇跡に等しい。
結果としては満点以上だろう。とはいえ、幹部クラス総動員だった為、今後暫くは依頼の受け付けを制限しなくてはならないかもしれない。
魔法術を使用すれば完治まで時間は掛からないものの、身体への負担は相当なものになってしまう。今後の事も考えて、彼等にはゆっくり休ませながら治療していく事が最適の筈だ。
そう『レージ』が考えていると、ベッドの上でじたばたと暴れる幹部が一人。アルビノと思わしき真白い肌と髪が特徴的な、少年のような顔立ちの『ハージ』だ。
「あぁぁぁぁ痛い! ボス、報酬のプリン五ダースを要求する! 朝昼晩間食夜食の計五回食べるからな!」
「一日一個までです」
「ケチ!」
「傷に響くから静かにしてくれないかね」
騒いでいた『ハージ』だが、『クージ』に指摘されるなり「だって……」と唇を尖らせて比較的静かになってくれた。
そんな二人から離れたベッドの上では、そばかすが特徴的な『ヨージ』が力の籠っていない声色で呟く。
「うぅぅ……老体には堪える仕事じゃった……」
「急におじいちゃんになるんじゃありませんわよ。若作りしているくせに」
「そういう『ロージ』パイセンも若作りには金掛けて――」
「いいえ、私のこの若さは自然由来のものですわ。断じて、モチツヤ肌になる為に月に三十万注ぎ込んでいるだなんて、そんな事はありませんからねっ!」
「言っちゃってるッスよ、つかパネ〜」
『ロージ』と『サージ』の会話に耳を傾けながら、今度は『ニージ』等に視線を向ける。重傷者が多く心配していたが、思っていたより皆元気そうだ。
「とはいえ、幹部だけで動く任務は初めてじゃないデスカ?」
「相手が相手なだけに、他の奴等には荷が重たいわな。特にホンジョウ・イチカとイチジョウ・ハクバ。『ヨージ』が操っていた人形共を二人で五割再起不能にさせたって話じゃん」
「あれ作るの大変だし、材質だって高いのにぃ……」
『ヨージ』が使用する人形を魔力の糸で操る魔法術は、世界中でも扱える人間は希少とされており、操る人形を作る材質は、それこそ高額で特殊な加工技術が必要となる。此度の任務で、『ヨージ』は合計二百余りの人形を用意してきたが、その殆どが修復しなくてはならない程に壊されてしまったらしい。
「ボスから撤退命令が出た時、私も先輩も一瞬油断してしまって……この通りです」
「それは、タイミングが悪かったとしか言えまい。だが、任務は達成出来た。よくやったと思うぞ」
「……はい、ありがとうございます……先輩」
『ナージ』を励ますように言葉をかける『ゴージ』。幹部クラスとはいえ、まだ十代らしいメンバーもいる。メンタルケアの方は、そこそこキャリアもある『ゴージ』等に任せる事にして、改めて『レージ』は幹部全員に向き直った。
「本当にお疲れ様。さて、重要な任務をこなした幹部の貴方達に、新たな当主様と私からご褒美があります」
「マジッスかー!?」「なになになにー!?」
「ブランド米一年分です」
前のめりになって期待していた『サージ』と『ハージ』の表情が、明らかに曇った。どうやらお気に召さなかったらしい。そしてそれは、他のメンバーも同様だった。
「ビミョーに嬉しくないデスネ」
「オレ、パン派なんだけど」
「報酬としてはイマイチですわね。センスを疑いますわ」
『ロージ』に強く指摘されて、『レージ』は心に何かが突き刺さったような気がした。『レージ』にとっては、褒美として渡されるとかなり嬉しいと思うのだが、部下達はそうでなかった事に困惑を抱かずにはいられなかった。
しかし、この場で二人だけ喜んでくれた者達がいた。
『霞』のメンバーが寄宿しているこの建物で炊事を担当している『ゴージ』と、ここでは滅多に食べられない故郷の主食に喜ぶ『ナージ』だ。『ナージ』は心なしか目をキラキラと輝かせている。
「『ゴージ』先輩、お米ですよ。お茶漬けにお雑炊、リゾットも作れますね」
「だな。だが、質の良い米ならば、まずは素材そのものの味を堪能するのが一番だ。という事で、早速握り飯を……うっ」
「お前が一番重傷なんだから、休んどけよ」
立ち上がろうとして、痛みに顔を歪める『ゴージ』を窘める『イージ』。『レージ』も彼の作る食事が好きなのだが、流石に怪我人に食事の準備は任せられない。幹部以外の者達に頼むには急すぎるので、やはりここは自分が名乗り出るしかないだろう。
「では私が作りましょう」
「えっ、ボスが!? 直々に!?」
「大丈夫なんデスカ?」
「お米を洗って、スイッチをポン! 簡単だし、子どもでも出来る工程さ」
普段料理をする所を見た事がない部下達は、ぎょっと目を剥いて戸惑いを露わにする。しかし『レージ』も、子どもの頃から家事の類は得意だったのだ。部下達に心配されつつも、『レージ』は山積みになった米袋を一つ持ち上げる。
「でもそうだね、せっかくだから焚き火から始めようかな」
「物置に飯盒がありましたよ」
「では、出来たら持ってきますね」
ベッドの上で休む部下達にそう言い残して、『レージ』は部屋を後にした。
『レージ』が部屋を退出してから暫く。ふと、『サージ』が呟いた。
「やっぱボスってジャパニーズなんかな」
素顔こそ見た事ないものの、彼はやけに日本文化に詳しい気がする。それは『サージ』以外の幹部達も疑問に思った事があるが、組織内でメンバーの個人情報を探る事は禁止されている。そもそも、『レージ』程の実力者になると、探る事も出来ないだろうが。
「さぁ? 日本文化に詳しい欧米人かもしれないよぉ」
「あのマスカレードマスク剥いでみてぇわ」
とはいえ、勝手に考察する分には自由だ。『サージ』の独り言のような呟きに、『ヨージ』、『イージ』が返答する。
顔を隠す為に着用しているらしいマスカレードマスクは、『霞』内ではボスの証のようなものらしい。顔を隠す事が目的なら、他にもあっただろうに。何故煌びやかな装飾が沢山あしらわれたマスカレードマスクなのだろうか、そこも謎である。
そんな事を笑い話程度に交わしていると、部屋の扉がノックもなしに開かれた。もしかして今の話をボスに聞かれていたのだろうか、と少し身が締まったような感覚がする。恐る恐るドアの方を振り返って見ると、そこには『レージ』ではなく、組織内では見かけない男性が立っていた。
しかし男性の姿には見覚えがある。癖一つない黒紅色の髪に、黄金の光を宿した瞳。左右で少し色が違うようだが、よくよく見ない限りは見分けがつかないだろう。『サージ』の記憶にある限り、この男性は最終任務を言い渡された日にもボスの後ろにいた筈だ。『レージ』が楽しみにとっておいたというワインを勝手に開けて飲んでいたと、去り際に耳にしたのでよく覚えている。
「む。『レージ』はいないのか」
部屋の中を見渡して、男性はそう呟く。この男性は部外者ではなく、正式な許可があってここに滞在していると聞いた。『レージ』に何か用事があるのであれば、ここにはいない事を伝えなくては、と『ロージ』が説明する。
「いらしてたんですのね。ボスならたった今席を外したばかりですわ。何でも、米を炊くのに火をおこすとかで」
「そうか。にしても……無様な格好だな」
「………………。」
嘲るでも、憐れむでもなく、事実だけを確認するかのように口にした男性。確かに『サージ』を除く者達は、包帯で患部をぐるぐる巻きにされているし、一流にしては少々手負い過ぎたかもしれない。
しかし、全員が生還する事は無理とまで言われていた任務を成功させたのは事実だ。それなのに、半年以上もの期間行ってきた仕事を否定されたような気分だった。
「それじゃあな」
男性は幹部達の不快の意など感じてすらいないのだろう。言うだけ言って部屋を出て行ってしまった。直後、プルプルと肩を震わせていた『ロージ』が我慢の限界、といった風に金切り声を響かせた。
「キィーーーーッ!! 本当に何っなんですのあの男!! 今すぐ剣の錆にしてやりますわ!! 切り刻んで山に埋めてやる!!」
「お、落ち着いて下さいッスよ『ロージ』パイセン!!」
「死体遺棄は足がつくからやめといた方がいいよぉ」
ウルミを片手に男性を追いかけようとする『ロージ』を羽交い絞めにするも、元々『サージ』よりも力の強い彼女にずるずると引き摺られてしまう。その後ろでは、『ヨージ』が的外れな助言をしていたのだが、彼女の耳に入っている様子はない。
「ですが、あの人ボスと親しげですよね。という事はやっぱり、ボスのプライベートも知っているのでしょうか……」
自分には関係のない事だ、とでも言わんばかりに『ナージ』は涼しげな表情で口にする。そろそろ腕の力が限界だ、と感じ始めた頃、『イージ』がウルミを持っていた『ロージ』の手を叩いてこの場を収めてくれた。『ロージ』は利き手首を負傷しているし、刺激されれば痛みがぶり返してきたようで、その場に蹲って悶えていた。
「詮索屋は嫌われるぜ。そりゃ、ボスの過去は謎だし気になるもんだけどさ。オレ達にも、謎のままにしたい過去があるじゃん」
「……それもそうですね」
『ナージ』を諭すように告げる『イージ』の言葉が、こちらにも刺さる。『サージ』はつい最近ここに来たばかりで、幼い頃の記憶もまだ鮮明に残っている。元々表の世界で生きる筈だった『サージ』にとっても、詮索されたくないものがあるような気がして、思わず黙り込んでしまった。
しかし感傷に浸る間もなく、『イージ』の発言によって顔を上げさせられる事となる。
「という事で、『サージ』。暇なら下の自販機でカフェオレ買ってきて」
「という事!? どこがという事なんス!?」
「ワタシは烏龍茶」「ボクはおしるこ〜」「水」「ココアを所望致しますわ」「私は緑茶を」「オレは紅茶とジャム。あとプリン」「珈琲を頼みたいのだがね」
まるで『イージ』に便乗するかのように、他の幹部達も次々注文を寄越してくる。『ハージ』に至っては先程「一日一個まで」と言われていたプリンを所望しているので、つっこまずにはいられなかった。
「ちょちょちょっ一気に言わないで!? あと『ハージ』パイセンは注文が多い的な!」
「バーカ。セットだよ」
「プリンはボスと相談して下さいス! とりまおけまるです!」
財布を片手に、『サージ』は先輩達が所望した飲み物を買いに走り出す。建物のすぐ下に自動販売機があって助かった、と常々思う。
「覚えてるには覚えてる辺り、中々ですわよね……」
「普段何言ってるか分かんねぇし、テンションも人より高いけど、アイツも一応幹部だしな」
「ですね」
去り際に聞こえてきた会話に、思わず笑みが零れる。褒められる事よりも怒られる事が多い『サージ』にとっては、そんな呆れ交じりの賛辞が何より嬉しかった。とはいえ、同時に人使いが荒くて不満もある。「はぁ、可哀想なオイラ。前世はシンデレラなんスね、きっと」と独り言ちながら、頼まれた飲み物を購入していく。
全員分を抱えて歩き始めようとした時、『サージ』の鼻に何かが焼けるような匂いが届いた。釣られるようにして匂いを辿っていくと、視線の先には『レージ』がいた。折り畳み式のアウトドアチェアに腰掛けて、火をおこしている。
「あ、ボスだ。本当に焚き火から始めてるんだ……」
と、『レージ』に歩み寄る人影が見えた。それは先程、『ロージ』の逆鱗に触れた黒紅色の髪の男性だった。男性が歩み寄るなり、『レージ』は新たに取り出したアウトドアチェアに座るように促す。『サージ』は物陰に隠れて、二人の会話に聞き耳を立てる事にした。
「飯盒で飯を炊くのは、最近でもあまり見ないな」
そう、最初に口火を切ったのは、黒紅色の髪の男性だった。
「底に出来るおこげが一番美味しいのですよ。最近の炊飯器は性能が良すぎる」
「そういうものなのか」
「そうですよ。料理が壊滅的に苦手な貴方には分からないでしょうが」
「僕だって米は洗える。中性洗剤で洗うのだろう」
「お米を洗う際に洗剤は使用しません」
「…………しかし握り飯か。丁度いい土産かもしれないな」
「これは?」
「本条家秘伝レシピで作られた味噌。らしい」
「らしいって貴方……」
「味噌汁でも作れ」
「私は使用人でも料理人でもないのです。まぁ、食べたいので作りますが。……継承戦は、如何でしたか」
「どうも思わない。僕の時より長引いて退屈だったな」
「貴方は異常なんですよ。自覚を持った方がいいですよ、本当に」
「他の継承権を持つ兄達を、その場で片付けてしまう事の何が異常なんだ。合理的だし、てっきり兄達もその場で刀を抜くと思っていたのだが」
「貴方は、そういう方でしたよね……」
「継承戦も終わった事だ。我が子の晴れ舞台も見届けた。また旅をする事にするよ」
「左様ですか。裏の世界に平穏が訪れそうで良かったです」
「裏の世界が平穏になった時、表の世界は荒れ狂っているのだろうな」
「どちらかが異常な状況だと、もう片方が落ち着くというのが、不幸中の幸いという所でしょうか」
「その摂理だけは、今後も変わる事はなさそうだ」
「誰かさんが荒らしに荒らしたおかげで、こちらも毎日大忙しです。くれぐれも、表の世界を荒らす事はないように」
「僕がそんな事をする男に見えるか」
「むしろ見えない方が可笑しいです。数予さんも銀治さんも、梓豪様達もそうだ。こんな男に目をつけられたせいで人生が滅茶苦茶に……よよよ」
「気持ちの悪い演技はやめろ。だが、結局あの男はつまらない奴だったな。所詮は半端者だ」
「なんて薄情な。貴方が『面白い男だ』なんて思わなければ、嫉妬心にも駆られずに済んだのに」
「お前も面白い奴だと思っているぞ」
「思わないで、どうか私の事はいないものとして扱って下さい。私は私の決めた人生を歩んでいますから。貴方には邪魔されたくありません」
「そうか。お前は扱いにくいから、結局は僕の思い通りにはならない。そこが面白いと思っているのだがな。わざわざ裏の世界の掃除屋を望んだというのも、興味深くはあるな。まさか、お前のような気弱な優等生が、その道を歩むとは誰も思うまい」
「あの名での人生は捨てましたから、あの私はもう死んでいます。それは、貴方も同様ではありませんか、本条零」
「……もう死んだと言った後に呼んでくるあたり、お前も言うようになったな。お前は自分の名前が嫌いだと言っていたから、呼ばないでおくよ」
「そんな気遣いが出来る貴方は、何だか気味が悪いですね」
「そうか。それじゃあ、また会う事があればな」
「えぇ。願わくば、二度と会いたくありませんがね」
男性は、初めからいなかったかのように姿を消してしまった。物陰で聞き耳を立てていた『サージ』は、男性の正体に驚きのあまりその場から動き出す事が出来なかった。
――まさか、本条零が生きていたなんて。
この事を、先輩達は知っているのだろうか。ばくばくと心臓が音を立て始めた頃、
「……『サージ』」
と、ボスからコードネームを呼ばれて、「ヒェッ!」と上擦った声を漏らしてしまった。怒られる、と身構えたものの、『レージ』はくすくすと笑いながら手招きする。
「貴方は気配を押し殺すのが下手ですね。今度、改めて『ナージ』に教わりなさい」
「ハーイ」
盗み聞きをしていた事に関するお咎めはなかったが、何も言ってこないからこそ感じられる圧というものがある。きっと、先程交わされた会話は『サージ』の中に仕舞い込んでおけ、という事なのだろう。そこまで空気の読めない『サージ』でもないので、触れる事もしなかった。
「……ボス、あとどれ位で出来るんで?」
「あと三十分程経てば、食べられる筈ですよ。待っている間に味噌汁を作ります。今から言う材料を厨房から持ってきてくれますか」
「うわわわわ、ちょっ、これパイセン達に渡してからでもいッスか!?」
「勿論。行っておいで」
「あざまる水産ッス!」
駆け足で部屋に戻り、買って来た物を手渡していく。盗み聞きしていた時間が長かったのか、「ぬるくなってる」と文句を言われてしまったが、「自販機壊れたんスかね~?」と誤魔化して、逃げるように『レージ』の元へと向かったのだった。




