第五十四話 重要な御相手がいらっしゃいます
ステファーノの次に入って来たのは、イギリス国主、アーサー・ウェールズとその従者、エレナ・ガードナーだった。
「やぁ。即位おめでとう」
「ありがとう。私の方こそ世話になったな」
アーサーは少女のようなスカートドレスを身に纏っているものの、一華よりも年下の少年である。国主を務めている年月は彼の方が先輩なのだが、年齢が近いとなると緊張感はあまり感じられなかった。
アーサーは普段から飄々とした態度を貫いているが、比較的リラックスしている様子だった。ソファーに腰掛けるなり、背もたれにもたれ掛かって息をついている。
「疲れたか? もし気分が優れないのなら、後の方に回す事も出来るが……」
「ううん、いい。ちょっと人酔いしちゃっただけだから」
「そうか。……アーサー君、この水、まだ開けていないから飲むといい」
一華はテーブルの上に置かれていたペットボトルを手に取り、エレナに手渡した。開けていない所か触れてもいないのだが、一応互いに立場がある。万が一の可能性も捨てずに、まずは従者である彼女に渡す選択を取ったのだ。
ペットボトルの蓋を回すと、新しいものだと証明する特有の固い音がする。
「すみません、グラスを頂けますか」
試飲までするらしいが、その程度は当たり前だ。一連の流れを見ていた泉が、磨かれたグラスを持ってくる。一口分を注ぎ入れ、躊躇う事なくエレナは水を流し込んだ。
「……問題ありません」
「知ってる。全く……用心過ぎるんじゃないの」
新しいグラスに注がれた水を受け取って、アーサーもごくりと口に運ぶ。何もしかけていないとは分かっているが、一華まで緊張してしまった。あくまで表情には出さずに、彼が落ち着くのを待っていると、ふとエレナと目が合った。
「お気遣いありがとうございます」
「いや、私も心配だったから……気にしないでくれ。休憩室も用意されているから、もし体調が優れないようだったら休んでくれ」
アーサーは元々虚弱だったと聞いている。経験が長いとはいえ、一華よりも年下の彼にかかっているプレッシャーは想像に出来ない。継承戦も終わり、一華との対面も終えれば実質彼等の仕事は終わったようなものだ。
とはいえ、一華と対面するまでの時間は、各国国主達の外交の時間ともいえるのだが、必須というものでもないし、そこは彼等次第だ。
「大丈夫だってば。エレナも一華も心配しすぎ」
どこかむくれたように頬を膨らませるアーサー。まるで少女のような可憐さに、思わず頬が緩みそうになってしまう。しかし女装はしていても女扱いは嫌いなアーサーだ。あくまで顔には出さないようにして、一華は言った。
「気を悪くさせてしまったなら申し訳ない。心配だっただけなんだ」
「知ってる。だから謝らないでよ」
「分かった」
そうだ、とアーサーは思い出したかのように口を開いた。
「ねぇ、五大権が選抜制に戻った訳だけど……目星はつけてるの?」
一華が国主になって一番初めに出した宣言。一華の父が選定したものを取り消す形に収まったそれは、一華の意思で五大権を選ぶ事が可能となった。
選ぶ基準は主に『自身等にとって有益かどうか』。よって、この場で自身をアピールする国主も少なからずいるだろう。アーサーがその話題を出してきたのは意外だったが、一華は淡々と答える。
「さぁ、どうだろうな」
言葉を濁したのは、他でもないこれからの為だった。一応はアーサーを信用しているが、もしも一華が『新しい五大権のメンバーを全く考えていない』という事が知られてしまえば、四方八方から根回しが来る事が見えていたからだ。
後々から付け入られるのも面倒なので、あえてどちらとも取れる言い方をした。
そんな事はアーサーも知っているので、深く聞く事はせずに、自分の要件を口にする。
「そう。実はその件でお願いがあるんだ」
「内容によるが……一応聞いておこう」
「新しい五大権に、僕を選ばないで欲しいんだよね」
(……成程、そっちか)
国主の殆どは、上を目指す者が多い。理由は様々だが、進んで下位にいる者は今の所聞いた事がない。しかし、稀にそういった者も現れると、昔梓豪に聞いた事がある。
アーサーは特に、刺客に狙われる回数が多いと聞く。過去に起こったある事件のせいで、未だにその命を狙われているらしい。
五大権、すなわち上に行けば行く程、そのリスクは更に上がる。アーサーはそれを避けたいのだろう。彼の為を考えるのであれば、一華は首を縦に振るのが正しいのだろう。しかし、一国の国主として。裏の世界を纏める者としては、首を縦に振る事は出来なかった。
「……考えておこう」
結局、曖昧な返事しか出来ない。
「ありがとね。よろしく頼むよ」
アーサーもいい返事は期待していなかったらしい。そう返事をしてソファーから立ち上がった。
「それじゃあ、頑張ってね」
「あぁ、ありがとう」
「一華様。お水、ありがとうございました! それと、形式的なものとはいえ失礼しました」
去る直前で、エレナは申し訳なさそうに眉尻を下げた。敬語が苦手で、どちらかと言えば七緒と似たような気質の彼女だが、主の格を下げないように努力している事は知っている。
何より、先程の毒見を失礼な行為だとは思っていない。
「此方の世界では当たり前の事だ、気にしないでくれ」
一華がそう言うと、エレナは安心したように顔を綻ばせていた。二人の背中を見送ってから、一華は水を飲みながら考える。
(五大権選抜か……過去の傾向から考えると、梓豪さんは確定か……? 選ぶ際にルールがないとはいえ、沢山いる国主の中から選ぶのは難しいな……)
そもそも五大権とは、トップを手助けする役割を持つと同時に、トップによる独裁政治を防ぐ為に存在している。故に、『五大権制度の廃止』だけはいかなる理由があれど許可されていない。
(選抜は半年以内が目安と言われているが……いや難しいとしかいえないぞ、これは)
「一華様、次の方をお呼びしても?」
一人悶々と考えていると、泉が促してきた。五大権選抜の件もそうだが、今は対面式の最中だった。
「あ、あぁ。すまない、入ってもらってくれ」
国主達との対面は始まったばかりだ。一華は自身の頬を叩いて、気合を入れたのだった。
※※※※
対面式が行われている間、七緒はある人物を探して会場内を歩き回っていた。後ろから八緒も付いてきているが、七緒が誰かを探しているとは思っていないらしい。
退屈しないように八緒に話をしながら、七緒は視線を巡らせる。と、ホールの一角で探していたその姿を見つけた。
「あ、いた!」
感極まって、七緒はぱっと顔を明るくさせた。そして――
「おっさーん! 名前……えっと……フランス国主のおっさーん!!」
「!?」
大きく手を振って、美しい金髪ブロンドの髪をした男性を呼び掛ける。そういえば名前を忘れてしまったので、「おっさん」と呼んでしまったが、気付いてはくれたらしい。ぎょっ、と糸目の目を見開いて、男性は振り返った。
七緒は駆け足で男性の元へと向かって、上目遣い気味になって問い掛ける。
「久し振りだな! つってもこないだ会ったけど……俺の事覚えてる?」
「……はい、覚えていますよ。本条七緒君と、八緒ちゃん……」
名前を覚えていてもらえていて、更に嬉しさが込み上げてくる。先日、六月の件で会ったばかりだが、あの時は他の兄妹がいた手前、個人的な話題が気恥ずかしくて話し掛ける事が出来なかったのだ。
後ろから駆け付けてきた八緒が、きょとん、と目を丸めて七緒と男性を交互に見つめている。
「お兄ちゃん、知り合いだったの?」
「おう! フランス国主の……誰だっけ」
「……マティス・サンジェルマンです。こちらは妻の結……メリザンドさんです……」
「ちわっす」
ワイングラスを片手に、メリザンドは微笑みかけてくれる。初めこそ驚いていたマティスは、元の穏やかな表情に戻って首を傾げた。
「……私に何か御用ですか?」
「え、っと……。……三年前のあの時、アンタは俺の事をちゃんと見てくれていた。皆が奇怪な目を向ける中で、真っ先に歩み寄ってくれた。そんで、介抱してくれた。すっげー嬉しくて……遅くなっちまったけど、ずっと礼が言いたかったんだ」
改めて言葉にするとむず痒いものだが、七緒はしっかりとマティスに目を向けて言葉を紡ぐ。
「ありがとう、ございます。本当に、凄く嬉しかった」
「……ふふっ……良いんですよ」
ふわふわとした気分だった。気を抜けば更に口角が上がってしまいそうで、七緒は逃げるようにマティスから背を向けた。
「そんじゃあな! おっさん!」
「そのおっさんというの辞めて頂けませんかね」
後ろからマティスの切実な声が聞こえてきたが、七緒は構わずにその場を離れていく。取り残された八緒は、こっそりとマティスに話し掛ける。
「……マティスさん」
ちょいちょい、と手招きして、八緒はマティスの耳元で言った。
「お兄ちゃんから『Un salop』ってどういう意味? って聞かれたんだけど……意外と口悪いんだね」
八緒から伝えられた言葉は、三年前にマティスが銀治に向けて放った独り言のようなものだった。『美しく、淑やかに』をモットーにしているマティスからは、絶対に聞く事のないような単語だが、それ程までに嫌悪感を覚えていたのだ。
しかし、マティスは「覚えていない」といった風にくすくすと笑う。
「……そんな言葉、口にしましたかね……」
「えぇ~、自分の言葉には責任を持たなくちゃ。……お兄ちゃんを助けてくれてありがとうございます。それじゃあ!」
八緒も先に去って行った七緒の背を追い掛けて、その場を去ってしまう。二人の姿が完全に見えなくなってから、メリザンドは口角を上げながらマティスの顔を覗き見た。
〈へぇ? クソ野郎、ってか〉
〈スラング単語の意味だけは、理解出来るんだね……君は……〉
〈いやいや、常用単語は覚えたって! それより、七緒君と八緒ちゃんの件、聞いてねぇぞ〉
〈話す内容でもなかったかな、と〉
〈あー! 思い出した!! 三年前、あたしがプレゼントした手編みのセーター、血塗れのゲロ塗れになったって言ってたの! あの時か!!〉
〈大声でそんな事を口にしない〉
〈すんません〉
母国語であるフランス語での会話とはいえ、内容を理解出来てしまう者達も当然いる。何より大声でそのような事を言われるのはマティス自身居た堪れなかった。二十年近く共にいて、何十回、何百回と注意しているが彼女は直す素振りを見せない。本人曰く努力はしているそうだが、身に付かないらしい。
話を切り替えるかのように、メリザンドはグラスの中に入っていたワインを飲み干した。
〈にしても、いい子じゃん。お礼が言えるのはいい子の証拠だぜ〉
〈だね〉
メリザンドが新しいワインに目移りしていた所、対面を知らせる役割を担当している市子がやって来た。
「フランス国主、マティス・サンジェルマン様。メリザンド・サンジェルマン様。対面の御時間でございます」
「分かりました……行きましょうか、結葉さん」
「おっす」
市子に案内されながら、マティスとメリザンドは対面式の行われる部屋へと向かった。
※※※※
着々と対面式が行われて、先程最後の国主との対面が終了した。一華は長い溜息を吐き出して、ソファーの背もたれにもたれ掛かった。天井を見上げると、こちらを覗き込んでいた白羽と目が合ってしまう。
「お疲れ様」
「ありがとう。白羽さんも、泉さんもお疲れ様」
粛々と片付けを進めている泉にも労いの言葉をかける。初めの時にもそうだったが、やはり何かを堪えているように、顔を歪める回数が多かった。それは現在も同様で、取り敢えず彼を休ませるべきだ、と一華が立ち上がった時だった。
「白羽様、先に会場にお戻り下さい。二宮様がお探しです」
部屋の扉が開かれ、市子が顔を覗かせてそう言った。
「分かりました。では、お先に失礼します」
「あぁ。私も後で向かうよ」
白羽が部屋を出て行ったのを見送ってから、一華は慌てて泉に駆け寄った。
「泉さん、どこか体調が悪いのか? 顔色も悪いし、そこに座って――」
「すみません、痛み止めが切れただけです……私の事はお気になさらず。あと一人、重要な御相手がいらっしゃいます」
「重要な相手?」
各国国主との対面はもう終えたし、あとは一華も会場に戻り雑談交じりに様子をみるだけだ。対面する相手はもういない筈、と視線を泉から部屋の唯一の出入り口である扉に移す。
そこには市子の他に、もう一人の人物が立っていた。紅色が混じった黒髪に、目元を隠すかのようにして着けられたマスカレードマスク。その見覚えのある姿に、一華は思わず息を飲んだ。
「本日の対面式。最後は『霞』代表・『レージ』様となります」




