第五十三話 期待しておいて
《宴会場》
一華との対面が行われる時間になるまで、それぞれ食事や他の国主と会話をしたりと様々だ。アメリカ国主、ジェームズ・ジョーンズもその内の一人だった。
こんなにも人が多い場面は初めての事で、ジェームズはとても食事をする気にはなれずにいた。従者であり幼馴染のヘンリーが水を持って来てくれたので、緊張した心を落ち着けるかのように水を胃の中へ流し込む。
〈はぁ……緊張でどうにかなりそうだよ……〉
〈対面まではまだ時間がある。無理にここにいる必要は――〉
「少々、お時間宜しいでしょうか」
と、ヘンリーの声を遮って、聞き慣れない男性の声がした。国主会議にも参加しているだろう、妙に見覚えのある恰幅の良い男性だった。
「は、はい……」
どうしよう名前と国籍が出て来ない、という焦りを抱きつつもジェームズは返事をする。ヘンリーの言う通り、見栄を張らずにさっさと別室に移動していればよかった、と後悔するももう遅い。
男性は流暢な日本語でペラペラと話しているのだが、日本語が堪能ではないジェームズには、何を言っているのか早すぎて理解が及ばなかった。
「――ですので、ぜひ一度御検討を……」
「あー……その……」
ヘンリーに助けを求めようと視線を向けた瞬間、バシャッ、と音がした。そしてジェームズの背中に、冷たい感覚が襲う。
「あぁ、ごめんなさいね……手が滑ってしまって。替えの物を用意させますわ」
赤茶色の髪を結い上げた、穏やかな目をした女性が、空のグラスを片手にそこに立っていた。菖蒲色の着物が良く似合っている。
「お話中にごめんなさいね。でもお風邪を召されてはいけませんわ。さ、こちらに」
「わ、ぁ、あの!?」
半ば強引に腕を引っ張られて、引き摺られるように宴会場を後にする。後ろからヘンリーがついて来てくれてはいるが、先程話し掛けてきた男性を置き去りにしてしまって申し訳ない気もした。しかし横目で男性の方を見ると、群青色の髪をしたインテークが特徴的な男性に話し掛けられていて、然程気にしている様子は見受けられなかったので安心だ。
用意されていた別室に通されてすぐ、女性はそれまで浮かべていた穏やかな表情をふっ、と消し去った。
「日本語、分かりますか?」
「あ、す、少し……」
「そう。なら仕方ないかもしれないけど、もう少し気を付けたらどうでしょうか」
「え……?」
女性の言っている意味が分からず、ジェームズは思わずヘンリーに視線を向けた。
「……あの方はな、お前と個人的に仕事の交流を持ちたいと仰っていたんだ」
「そ、そうなの?」
それだけなら気を付ける必要もないように思えるが、彼女は一体何を忠告しようとしているのだろうか。しかし以前、ファリドからも「周りの人全員が敵だと考えておいた方がいい」と言われている。それと何か関係があるのかもしれない、とジェームズは頭を悩ませた。
「まぁ、本音はそうじゃなかったみたいだがな……」
ウォーレス家に代々伝わっているという『掌握の魔眼』。ヘンリーが所有している魔眼を欲する者は多く、特に注意しろと言われている。
いつの間にかあの男性の心意を読んでいたのだろう。だが、ヘンリーは人の本音というものを決して教えてくれない。幼馴染とはいえ、ジェームズは彼の主なので言ってくれてもいい筈なのに。
「兎も角、自信がないならでしゃばらない事ね。それは自分にとっても、相手にとっても迷惑でしかないわ」
「うっ……」
「着替えはそこに用意させたのでどうぞ。次は気をつけなさい」
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。それでは、私は会場へ戻りますから」
綺麗にお辞儀して去って行く三央を視線で追い掛ける。新しく用意してくれたスーツジャケットを、ヘンリーは手に取って確認していた。
〈サイズは問題なさそうだな。ジェームズ、時間もないし早く着替えてしまおう〉
ヘンリーがそう呼び掛けている。しかしジェームズは微動だにせず、ただ彼女の後姿を見つめていた。パタリ、と扉が閉められてもなお、視線をドアの方に向けたままのジェームズに疑問を抱いたのか、ヘンリーが再度名を呼ぶ。
〈ジェームズ、どうしたんだ?〉
〈へっ!?〉
よっぽど驚いたのか、激しく肩を揺らして目を瞬かせるジェームズ。ヘンリーは怪訝そうに眉を顰めて、ジェームズの顔を覗き込んだ。
〈大丈夫か? 顔が少し赤いようだが〉
〈なっ、何でもないよ!?〉
顔に出てしまっていたのか、とジェームズは慌てて顔を背ける。そしていそいそと濡れてしまったスーツジャケットを脱いでヘンリーに渡した。
〈にしても、美人な人だったな。本条家の長女……三央さんだったか〉
〈あ、あぁ……彼女が?〉
本条家の家族構成については何度も耳にしているので、当然頭には入っている。勿論、本条三央という人物についても情報だけは理解しているつもりだ。
しかし実際に会話を交わしてみると、淑やかな可憐さと優麗さが際立っていた。着物も似合っており、ドラマで見たような『大和撫子』そのものだった。凛としたあの姿勢も、思い出すだけで心臓が張り裂けそうな位音を立てている。
〈……うん、とっても綺麗で……素敵だった〉
聞こえるか聞こえないか位の大きさで、ジェームズはそう口にした。一瞬にして彼の心を奪った彼女の姿を思い出しながら、新しいジャケットに袖を通したのだった。
※※※※
「…………ステファーノさん。そろそろ放してくれると有難いんだが……」
対面相手はイタリア国主、ステファーノ・アッバーテ。彼女は入室するなり、一華を強く抱き締めた。継承戦開幕宣言の後の時もそうだったが、ステファーノが身体を放してくれる気配はない。
「ステファーノ様。一華様が困っておいでです」
従者のジュリオがそう言うも、ステファーノは一華の肩に顔を埋めたままだ。しかしやがて、ぽつりと呟くように口にした。
「分かってるわよ。でも、私ずっと心配だったのよ? 元気そうな姿を見たら私……」
「……ありがとうございます。ステファーノさんのおかげです」
開幕宣言の直後も、一華の身を案じてくれた彼女のおかげで、一華は母を失った悲しみを緩和出来た。継承戦が終了してからも、互いに会う事はなかったので、直接会うのは実に一ヵ月ぶりという事になる。
「本当に、心配かけてごめんなさい。見守っていてくれてありがとう」
「エドヴァルドのように情報収集に長けていたら良かったのだけど……貴女の支えになっていたのなら良かったわ」
ステファーノやジュリオは情報収集が苦手、という意味を指している訳ではないという事を一華は知っている。
誰よりも早く、正確な情報を持っている。それを交渉材料として地位を築き、五大権という地位まで上り詰めた。それがエドヴァルドなのだ。
彼等の情報は一体どこから仕入れてくるのか分からない物ばかりだが、知らぬが仏というものだろう。一華も詳しく聞こうと思った事はない。
つまり言えば、誰も彼等より有益な情報を持って来る事が出来ないのだ。
勿論、ステファーノには彼女の得意分野があるし、一華も頼りにしている。今回の場合は、その能力を生かす場面がなかっただけだが、一華の心の支え、という点においては、これ以上ない存在だ。
「あぁ。ジュリオさんも、その節はお世話になりました。アクセルさんから聞きました。事前の下調べを行ってくれたそうで」
「いえいえ、お気になさらず。お仕事ですから」
当然の事をしたまで、といったようにジュリオはにこやかに言った。
国主の従者とは、誰も彼も謙虚な性格の持ち主だな、と一華は一人思う。
「そうだ、もうすぐステファーノさんの誕生日だったよな。今年もパーティーを開くのか?」
「もっちろんよぉ!」
話題を切り替えると、ステファーノはぱっと顔を輝かせて、ようやく一華の肩から顔を離した。その隙に若干身を引きつつ、
「今からどんなプレゼントを送ろうか迷ってるよ」
と、返す。
ステファーノに限らず、各国の国主の誕生日には、何かしらのプレゼントが贈られる。プレゼントをしてもらうのも嬉しいが、やはり誰かに物を送る方が楽しい気がする。毎年物凄い量になるので、どこか罪悪感を抱くときもあるのだが。
「去年は確かストールだったわよねぇ。うふふっ、今年は正式に一華ちゃん宛てに招待状を出すから、楽しみにしてて頂戴」
先月までは、日本国主の座には母が就いていたので、去年一華は母の代理として彼女のパーティーに参加していた。他の国主主催のパーティーでも、一華名義で招待状が届いた事はない。それが今回から届くのかと思うと、何処かわくわくしてしまいそうだった。
「あの、その件で厚かましいながらお願いがあるんです」
「まぁ、何かしらぁ?」
「パーティーには……兄さん達も招待して欲しいんです」
本来、招待する人間は国主と従者、そして配偶者や跡継ぎといった、多くても五人程度だけ。二宮達は一華の大切な兄妹とはいえ、公の場にはあまり出る機会のない立場にある。そんな中で、彼等もパーティーに招待して欲しい、だなんて烏滸がましいにも程があるだろう。
幼い頃から知っていて、礼節よりも賑やかさを重視するステファーノだから頼んだ、というのもあるが、こればっかりは了承してくれるか怪しかった。
「成程ねぇ……」
思った通り、ステファーノの表情が少しだけ曇った。
「私が主催だし、個人的には全然構わないのだけれど……」
ステファーノがチラッとジュリオに視線を向ける。彼はただにこやかに微笑んでそこに立っているのだが、その笑みには「なりませんよ、ステファーノ様」とでも言いたげな空気が含まれていた。
「やっぱり他が黙ってないわよねぇ……。でも、一華ちゃんの頼みだもの。検討しておくわ」
「勿論、無理にとは言いません。ただのお願いですから」
「いいえ、これは私がしてあげたい事だから。あんなに小さかった一華ちゃんが、こんなに立派になったんだもの。盛大にお祝いしたいわ」
「ステファーノさん……」
ドレスの裾を持ち上げて、ステファーノはソファーから立ち上がる。
「いい返事は約束出来ないけれど、期待しておいて。それじゃあ、引き続き頑張ってね」
語尾を弾ませながら、ステファーノはジュリオと共に部屋を後にしていった。嵐のようだった、と一華はよれてしまったしまった服の裾を直しながら、溜息交じりに呟く。
「期待しておいて、か。やはり無理な願いだよな……」
「確かに、そんな事をお願いする国主の方はいないと思われますね」
次に来る国主を確認しながら、泉は一華の独り言に皮肉のようなものを含めて返した。うぐっ、と眉を顰めて、一華は「だって……」と続ける。
「その位いいじゃないか。伝統やしきたりも大事だが、私は家族との時間も大事にしたい」
「まぁ、そういった新しい風を吹き込む事も、発展に繋がるかもしれませんがね」
泉はそれ以上言及する事を諦めたのか、やれやれと溜息を残してはいたが以降口を開く事はなかった。扉がノックされて、次の国主がやって来た事が分かったので、慌てて表情を引き締める。




