第五十話 私の仕事は――
ポタポタ、と。銃弾が横腹を掠め、生温い血が伝った。間一髪の所で身を捩り銃弾を躱した一華は、刀を勢いよく引き抜いた。
「ってぇ……渾身の一撃避けられちった……」
「急所を捉えた筈だったんだが……まだ動けたとはな」
出血している横腹を抑えつつ、一華はそっと白羽の方に視線を向ける。白羽の右目が光を帯びていた。それは彼の持つ『停止の魔眼』が発動している事を指している。銃を構えた『ナージ』の動きを停止させ、攻撃を防いだのだろう。ひとまず、彼の心配は必要なさそうだ。
「とはいえ、撤退命令が出た。作戦終了、ってね。ホテル本条にいる奴等も、既に退去してる。これ以上仕事はしたくないんでね。後輩にかけてる魔眼、解除してくんねーかな」
自身に回復魔法をかけつつ、『イージ』は白羽にそう話し掛けた。
「……どうしますか、一華さん」
「構わない。私は彼を信じる」
根拠のない言葉だったが、白羽は何も言わずに魔眼を解除してくれた。従者である白羽は、一華に従わなければいけない、というのもあるが、何より彼も、一華自身を信じてくれたのだろう。
魔眼が解除され、身体の自由が利くようになった『ナージ』は、即座に『イージ』に駆け寄り、その身体を支えた。
「そんじゃ、また何処かで」
「失礼します」
一方的に分かれを告げて、『イージ』と『ナージ』は姿を消してしまった。
他の霞の者達も撤退したらしく、開戦前の静けさが戻っていた。敵の気配がなくなった事を確認してから、一華は刀を鞘に納める。地面に落ちていた白羽のサングラスを拾い、銃を仕舞っていた彼に手渡す。
「ありがとう。一華さん、怪我の手当てを」
「この位は大丈夫だ。それよりも、兄さん達の元へ行きたい」
二宮達を信用していない訳ではないが、彼等の安否が気になる。白羽にそう言うと、困ったように頷いてくれた。
「分かった。行こうか」
支えにしてくれていい、という意味合いだろう。手を差し出され、優しく微笑んでくれる。
「……あぁ」
その手に自身の手を重ねて、一華と白羽は二宮達の元へと向かったのだった。
※※※※
本条家から離れた県外に、別宅がある。周辺に人の気配がない閑静な土地に聳え立つ、洋館。普段は施錠されているが、今回、継承戦に参加しない九実の一時避難場所として、この別宅が使用されている。
屋敷内の明かりは一つも点けられておらず、無人であるかのように静まり返っていた。
そんな中、一部屋だけ微かに明かりが零れている場所があった。
そこは本来、本条家当主しか立ち入れない書斎。本棚と大きな机だけが置かれたその部屋に、懐中電灯を片手に引き出しを漁る一人の男の影があった。
「目当ての物は見つかったか?」
挑発気味に聞こえた声に、男はさほど驚く様子も見せずに顔を上げた。足首まである漆黒のコートに、顔を隠すように付けられたマスカレードマスク。その姿は、五輝が以前対峙した『レージ』その人だった。
と、五輝の後ろに立っていた六月は疑問を抱いた。
「『レージ』!? 何で……『レージ』は今、ホテルにいる筈じゃ……」
「んなの替え玉に決まってんだろ。仮にも裏の世界の掃除屋のトップなんだし、コイツも本物かは知んねぇけどな」
「ははっ、君は本当に頭が良い。是非とも参謀としてうちの組織に入って欲しいものですね」
「丁重に断っておくぜ」
以前病院で会った時よりも物腰柔らかな雰囲気から、やはり彼はあの時の彼とは別人なのだと実感させられる。
『レージ』は机の引き出しを丁寧に戻して、語り始める。
「そうか。まぁ、冗談はさておき。君の言う通り、ホテル本条にいる私は『私』ではない。ロシア国主に致命傷を負わされたようだが、それが彼の仕事。そして私の仕事は――」
「メモリーカードの回収、だろ」
少し前に、『レージ』と思わしき男が六月に渡したというメモリーカード。あの後、五輝とマティスで確認したのだが、データらしきデータは何も見られなかった。では何故、空のメモリーカードを六月に渡し、別宅の机の引き出しに仕舞うように指示したのか。
考えられる可能性は二つ。
魔法術による介入がなければ中身が見られない仕組みである。
もしくは、メモリーカードはカモフラージュで、別の物を目的としていたか。
そして五輝は、後者だと考えたのだ。
「あれには何も入っていない。何故なら、本来の目的は『六月に本条零の懐中時計を見せる事』。懐中時計のハンターケースにメモリーカードを仕舞う人間なんて、普通じゃ見掛けないからな。記憶にも残りやすいだろ」
「ふむ。仮にそうだとして、何故そんな事をしなくてはいけないのかな」
「『本条零が生きていると情報を流して、親父と関りのあった国主を混乱させる為』」
そう即答した五輝は、『レージ』を真っ直ぐに見据えて続ける。
「この位は俺じゃなくても、少し考えれば分かる事だ。問題は、何故そんな事をする必要があるのか。本条零はとことん厄介者だったが、味方にいる限りはこれ以上ない位に有用だった。奴を敵に回したくなかったからこそ、裏の世界では奴に対する反抗がなかった」
「だが、反感を抱く者は多くいた」
「そうさ。だからこそ親父が本条零への暗殺を企て、本条家に入るとなった時、後ろ盾となる者が多くいた。前・現の五大権が裏から根回しする事が出来ない程に、親父を受け入れる声が多かった。だが、そいつ等に嘘でも『あの本条零が生きているかもしれない』という情報がいったらどうなる」
「……報復を恐れ、逆に瀬波銀治を裏切るように動く、だろうな」
「今回の一華や国主への襲撃も然り、暗殺ならまだ勝機があるのに、お前等はそれをしなかった。俺に情報を探らせたのもわざとだろ」
『霞』の仕事には、当たり前かもしれないが穴がない。完璧だからこそ、中立という立ち位置で裏の世界で生きていけるのだ。だからこそ五輝は疑問を抱き、ある結論に辿り着いた。
――全て、誰かの依頼による犯行だったのではないだろうか。
そしてそこから導き出せる答えは、一つだけだった。
「俺達は結局、最後まで『霞』の掌の上で遊ばれてただけ。違うか?」
「…………ふむ。九分九厘、正解です。依頼者まで答えられたならば満点でしたが……そこはまだ子どもですね」
『レージ』はゆっくりと、五輝達の元へと歩みを進めた。五輝が銃を構え、六月が捕縛用の札を手にする。しかし『レージ』はすんでの所で立ち止まり、スーツの内ポケットから一台の端末を取り出した。
「総員、撤退せよ。十月十一日午前五時半、これにて作戦の全てを終了とする。」
そう告げた後、『レージ』は手にしていたメモリーカードを五輝に投げ渡す。
「それにはパスワードが必要だ。本条家当主なら、見られる代物です」
「………………。そういう事か……」
構えていた銃を下ろし、受け取ったメモリーカードをズボンのポケットに仕舞う。五輝には、『霞』の目的が理解出来た。しかしこの場で『レージ』の口から聞かされることはなかった。瞬きをしている間に、『レージ』は姿を消してしまっていたから。
「消えちゃった……?」
「だな。呆気ない気もするが、これで終わりだ。帰ろうぜ、九実も連れて」
「うん!」
窓からは薄らと朝日が差し込んでいる。
五輝は六月と九実を連れて、本条家への屋敷へと戻ったのだった。
十月十一日午前五時半。
『霞』が撤退し、五輝、七緒、八緒が編紐を外し棄権した事により、半月に渡って繰り広げられた本条家当主継承戦は、静かに幕を下ろした。




