第四十一話 状況がまったく飲み込めないのだけど!?
《本条家裏庭》
十月十一日。午前四時。
首に巻かれていた編紐を解き、六月は五輝に手渡した。
「ごめんね、五輝」
「いや。やっぱりその身体じゃ無理だろ。変な心配してんじゃねぇよ」
優しく六月の頭を撫でた五輝は、銃を両手に構えて呼吸を整える。
「そんじゃ、始めるか」
身を引き締めるように呟いてから、五輝は裏庭へと移動する。以前の戦闘がなかったかのように、すっかり綺麗に手入れされた庭の中心には、弓を構えた八緒と、今の今まで出してこなかった自身の身長と同じ位の大きさの斧を手にしている七緒の姿があった。
ごくり、と生唾を飲んで、五輝は宣言する。
「どっかで見てる……各国国主達に言いたい」
打ち合わせにはない五輝の行動に、七緒と八緒は一瞬戸惑った。しかし傾聴すると決めたらしく、一旦武器を下ろしてくれる。
「確かに俺達は、正当な本条家の血筋じゃない。でも、本条の名を名乗るからには、それ相応の覚悟を決めているつもりだ。例え誰もが俺達の存在を否定しようと、俺達には一華がいる。そして一華には俺達がいる。孤高の存在になんてさせるものか。
たった一人で重責を負わせるなんざ胸糞悪ぃ! 泥沼の底まで着いてってやらぁ! その選択を後悔した事もなければ、恨んだ事もない! その目に焼き付けろ! 本条の力を! 一華や各条家以外の力を!!」
――それは、確かに各国国主に向けて告げられた言葉だったのだろう。しかし彼の言葉は、彼女にも届いていた。
屋敷を取り囲む外堀の屋根の上で、一華はそれを見て、聞いていた。
ずっと、彼等はこの場所が嫌いだと思っていた。自分が当主になって、彼等を本条の呪縛から解放してやらないと。そんな責任感に駆られていた。しかしそれは、勝手な思い込みだったらしい。
五輝は言った。
『本条の名を名乗るからには、それ相応の覚悟を決めているつもりだ。その選択を後悔した事もなければ、恨んだ事もない』
その言葉がどんなに、一華の心を軽くしてくれた事か。
事実上、最後の戦いがもう始まっている。注目されているのは五輝、七緒、八緒の三人だが、継承権を失った他の兄妹達もどこかで見ている筈だ。
そうであって欲しかった。
そうでなければ、情けなく涙を流す姿を見られてしまう事になるのだから。
顔を俯かせ、奥歯を噛み締めて声を押し殺す。冷たい瓦屋根に水滴を零しながら、一華は拳を握り締めた。
「……やっぱり、彼は一華さんにそっくりだ。決して誰かに弱い所は見せない。一人で抱え込もうとするところも」
隣にいる白羽が、困ったように眉を下げた。「確かに、そうかもな」と返しつつ乱雑に目を擦り、五輝に目を向ける。
すると、五輝の確言につられたように七緒と八緒が呼号した。
「よっしゃ! 兄貴達も姉貴達も守ってやんよ! 勿論テメェもな、五輝」
「えへへっ。そこまで言われちゃあ、頑張らないとね!」
「ハッ、可愛い弟と妹に守られる程じゃねぇぜ。まだまだな」
五輝が引き金に手を添える。
七緒が斧の柄に力を込める。
八緒が弓に矢を番える。
そして、一華もまた刀の柄に触れたのだった。
「忠告したからな――!!」
五輝が引き金を引く。銃声と共に放たれた弾丸は七緒と八緒の間を通り、茂みの中へと沈み込んだ。
「――ぐあぁっ!!」
知らない第三者の呻き声。それを境に、黒ずくめの人影が多数現れる。瓦屋根の上に立ち上がり、刀を静かに抜いた一華が宣言した。
「覚悟しろ、『霞』の者共!! 私達を敵に回した事を後悔させてやろう!!」
継承戦最後の戦い――の場を模した、兄妹達と『霞』との戦いの幕が開かれる。
――三女・本条六月・棄権――
――本条家VS『霞』――
※※※※
《ホテル本条・最上階》
「――――え、えぇぇぇぇぇ!?!?」
何がどうなっている、と自身の主以外の五大権がいる事も忘れて、エレナ・ガードナーは驚きのあまり叫び声をあげてしまった。すぐさま隣から咳払いが聞こえてきたので慌てて口を閉ざしてペコペコと頭を下げるが、混乱は頭に残ったままだ。
そもそも初めは、五輝、六月。そして七緒、八緒が編紐を賭けて闘うと情報が入った為、こうして審判・監視役の五大権が最上階の一室に集められ、モニター越しに従者であるエレナも傍観していた筈だ。それなのに五輝は国主に向かって偉そうに宣言するし、何故か継承権を失った筈の一華もその場に現れている。そして何より一華が言った『霞』という言葉。
『霞』が継承戦に関わっている事は聞いていたが、まさかこんなに堂々と介入してきたとは思わなかった。兎も角、エレナは現状を飲み込めずにあたふたするしかなかったのだが、主であるアーサーが口を開いた為落ち着いているフリに徹底する。
「忠告、かぁ。面白い事考えるね、彼。当主になるの、一華以外なら僕は彼を推薦したい位だよ」
「ど、どういう事よ。状況がまったく飲み込めないのだけど!?」
「五輝は試してるんだ。僕達の事をね」
ステファーノの問いにアーサーは飄々とした態度で答える。
「一華は一度、五輝に負けてる。でもまだ継承権は失ってはいないから、当主になれるチャンスはあるけど、それは一華自身の力ではない。当主になれたとしても、全員を納得させる事は不可能だよ」
「国主は我が強いからなぁ……」
溜息交じりに、梓豪は呟く。この場にいる五大権、そして従者にも心当たりがあるので全員頷きたい気持ちでいっぱいだった。
「でも、見た感じだとあの子達『霞』が奇襲をかけてくる事を知ってたみたいよぉ? それと何の関係があるのよ」
「ま、何らかのルーツで情報を手に入れたとしか言えないね。そして彼等は『霞』の奇襲を利用しているのさ」
「利用?」
「ここで次期当主一華の実力は本物だって事を証明する……つもりじゃないかなぁ」
多分ね、と付け加えてアーサーは紅茶を口に運んだ。その際カップが空になってしまったので、エレナが新たに紅茶を注ぎ入れる。
その間、沈黙を貫いていたエドヴァルドが引き継ぐように続けた。
「その可能性は高そうですね。そして彼の宣言にあった通り、一華さん以外の方々の実力も認めさせようという魂胆ですかね。問題は『忠告したからな』という言葉。私の予想が正しければ――――」
瞬間、エレナはただならぬ気配を感じた。手にしていたポットを手離し、アーサーの前に立ちそれに備える。同様の動きを、アクセルとジュリオもとっていた。唯一違った事といえば、梓豪が神美を庇っていた事だろうか。
最上階にある部屋の窓ガラスが割られ、その人物達は予め対象が決まっていたかのように真っ直ぐ向かって来る。繰り出された蹴りを腕で防ぎ、空いていた手で拳を握り締め、胴目掛けて沈ませる。数メートル吹き飛ばされた黒ずくめの敵を見据えつつ、エレナはアーサーの安否を確認する。
「アーサー様。お怪我は」
「ないよ。でも……よくも割ってくれたね。僕のお気に入りのポット」
「!! あぁぁぁぁっっっ!? しまったぁぁぁああ!!!!」
細やかな花のデザインの白いティーセットは、アーサーの誕生日に贈られた代物だ。わざわざ自国から持ってくる程に気に入っている事は、エレナも重々承知している。そしてそれは完全オーダーメイドの高級ブランド製なので、エレナの給料数か月、否、下手をすれば数年分かもしれない。
「うわぁぁぁぁやっちまったぁぁあああ!!」
「まぁ事態が事態だしいいけど」
「! ありがとうございますアーサー様マジ自慢のご主人様!!」
「うるさい」
「危機感を持てよお前等ぁ!!?」
「す、すんません!」
梓豪のツッコミを受けて、再び警戒心を高めるエレナ。断じて油断していた訳ではないが、場の空気を壊すのは不躾というものだ。
ホテル本条へ――それも最上階へ窓からの侵入。そして確実にアーサー達を仕留めようと繰り出された攻撃。間違いなく、自分達の敵である事を示していた。
「ッはぁ~イッテェ!! マジ強強やばたにえんって感じ!」
「何語デスカ、ソレ」
「人の言葉を喋って下さいな」
黒ずくめの敵は今の所三人。恐らくは『霞』の者達なのだろうが、軽々とした雰囲気に反して只者ではない、とエレナは即座に判断出来た。じっ、と敵を見据えながら鉤爪を右手に装着する。
「『霞』の方々ですね。絶対中立を掲げる貴方達がここへ来る理由は何ですか?」
「ワタシ達は絶対中立デス。故に、任務遂行の為に行動しているだけデスガ」
エドヴァルドの問いに、中央に立っていた者が答える。黒いローブの隙間からは一直線に切り揃えられた茶色い前髪が垣間見えていた。そして黄土色のくりっとした目を見開いて、更に饒舌に語る。
「ワタシ達の任務は五大権の抹殺デス。デスノデ、貴方達にはここで死んでもらいマス」
「じっとしていれば痛みは感じませんわ。尤も、大人しくしていればのお話ですがね」
「同じ事二回言う『ロージ』パイセンマジヤベェ。ビミョーに言い回し変えても意味は一緒的なー?」
「五月蠅い、殺しますわよ。お仕事終えたらその首へし折ってやります」
「だから意味同じっしょソレ」
『ロージ』と呼ばれたきつくウェーブがかけられた桃色の髪をした者が、後輩らしいその人に睨みをきかせる。
――完全に侮られている。
エレナはふつふつと苛立ちが湧き上がってくるのを感じながら、敵の動向を探る。同様に主を守る為にそれぞれ武器を構えているアクセルとジュリオも憤りを感じているらしく、静かに目を細めていた。
「……知らない、とは言わせませんよ」
口を開いたのは、先程途中で考察を遮られたエドヴァルドだった。ガスマスク越しのくぐもった声で、眼前の敵に向かって諭すように話し掛ける。
「見た所、貴方方は『霞』の中でも屈指の実力をお持ちでしょう。ですので、敢えて忠告して差し上げます」
そう、一度区切って
「今ここで退却なされば、今回の件については不問に致しましょう。如何ですか?」
と、問うた。
みすみす敵を逃すつもりか、と言いたげにステファーノが口を開きかけたが、梓豪にそっと制されて成り行きを見守る事にしたらしい。エレナも警戒は解かずに、『霞』の回答に耳を澄ませる。
「任務の途中放棄はワタシ達にインプットされていないデス。まだ何もしていないこの状況で、撤退等有り得ないのデス」
即ち、戦闘は避けられない。その返答を聞いた瞬間、エレナはニッと口の端を釣り上げた。
「左様ですか。では決まりですね、皆さん」
場の空気が、一段と引き締まる。心臓が昂ぶり、これでもかという位に強く脈打っている。しかしそれは恐怖からくるものでも、ましてや苦痛となるものでもない。
エレナだけではない、アクセルやジュリオも無表情の仮面の下で感じているだろう。
「「「殺せ」」」
自身の主の口から発せられた、命令。アーサーがエレナに。エドヴァルドがアクセルに。ステファーノがジュリオに。
侵入者を排除しろ、と。自身の前に立つ不届き者に制裁を下せ、と。邪魔立てする者に容赦はしなくていい、と。
普段どれ程仲睦まじくしていようと、今そこには明確な主従関係が露わになっている。命令を受けて、エレナの心臓がドクンッ、と一際強く跳ねた。しかしそれはすぐさま治まる。これからの事態に落ち着いて、迅速に対応しろと言わんばかりに。
「「「御意」」」
そう返答して、エレナ達は駆け出した。




