第三話 人を殺す覚悟なんて必要ない
《本条家屋敷・居間》
――九月十五日。
いつもと変わらぬ朝を迎えた四音は、どこか落ち着かない様子で居間の中心に置かれている机の周りを歩いていた。いつもなら、四音が食卓につく頃には一華が座っているというのに、今日は誰もいなかったのだ。
昨日の夕飯時にも姿を現さなかった。つまりは、昨日三央の働く店、ドレミ・シャープで会って以降、姿を見ていない事になる。
連絡してみたものの既読もつかない。屋敷の人達に伝えた所、「心配はいらない」とだけ言われて、探しに行こうとすると止められてしまった。心配はいらない、という事は、すでに一華と連絡がついているのだろうか。
曖昧な返事をされたせいか、四音の中に渦巻く不安は消えない。むしろ増える一方だ。じっとしていられず、ぐるぐると机の周りをまわっていると、勢いよく襖が開けられた。
「……アンタ……何してんの?」
「わっ、む、六月ちゃん!?」
怪訝そうに眉を顰めている六月と目が合って、四音は思わず歩みを止める。彼女の左手にはスマホが握られていて、右手にはキーホルダーやチャームが沢山付けられたスクールバッグがあった。
「普通にキモいんですけど」
「ご、ごめん……」
「謝んないでよキモいから」
立て続けに暴言を吐かれ心にぐさりと何かが刺さった気がするが、誰もいない部屋で一人うろうろしていたのは事実だ。渦巻く不安を拭い、席につく。はぁ、と息をつくと、四音のスマホの通知音が鳴った。
「?」
こんな朝早くにメッセージを送って来る友人はいない筈だ。悲しい事に、四音には頻繁に連絡を取り合う友人はいないのだから。疑問に思いながらもスマホを開く。
「……え、六月ちゃん?」
メッセージを送ってきた人物は、四音と一つ座布団を開けて座っている六月だった。
何故直接話しかけてこないのだろうか。横目で彼女に視線を送っていると、それに気付いた六月は顎を使ってスマホを見るように促した。どうやら口にしたくない内容らしい。
六月は時々、見た目に反して繊細な悩みを抱えている事がある。それに、何か隠し事をしているように感じられる時もある。四音には話してくれないが、彼女が今メッセージを送ってきた事にも何か理由がある筈だ。そう思いながらメッセージを読み、四音は息を飲んだ。
『ちょっと離れたとこに一華のカバンが落ちてた。あと血っぽいなにか。なんか知らない?』
どうやら四音の予感は間違っていなかったらしい。ぱっと六月の方へ顔を向けるが、彼女は何も言わずに人差し指を唇に当てた。そしてまた四音のスマホの通知音が鳴る。
『外で誰か聞いてる。喋りかけないで』
六月のメッセージを読んで顔を襖の方へと向ける。確かに、誰かが気配を押し殺して立っている。そして、それが誰なのかも分かってしまった。四音と六月の実父、本条銀治だ。銀治が何を思って聞き耳を立てているのかは分からないが、ここは六月の行動に沿おうとスマホの通知音を切ってから返信をうつ。
『分かったよ。でも僕は何も知らないんだ』
『あっそ。この事を知ってるのはアタシとアンタと五輝。五輝が言ってたんだけど周りが動き始めてるかもって』
『どういう事?』
六月が返信をうとうとしたその時、襖が開かれた。長い黒混じりの青髪を一つに纏めた、赤い目をした中年の男、銀治がじっと四音と六月を見下ろす。四音は一瞬身を竦ませたが、六月は微動だにしなかった。
「四音、六月。今すぐ準備するんだ」
「は? なんの?」
ここでも六月はいつも通り、やや反抗的な態度で銀治を見上げる。今だけは彼女のその図太い根性が羨ましかった。四音は動揺を悟られないように、ゆっくり呼吸するだけで精一杯だったのだから。
「――数予が死んだ」
入院していた数予が、何者かに襲われ命を落としたらしい。実の母ではないにしろ、身近な人の死に四音は動揺を隠せなかった。六月は無表情のまま、銀治を見上げている。
詳しい説明はされなかったが、ひとまず数予の秘書役である泉がいるという音城大学病院に、三央と五輝も一緒に向かう事となった。
一華の安否も心配だが、それよりも四音達の表情が険しい事には理由があった。
第九十九代目当主である数予が死んだ。それが指す意味は一つだけ。
――第百代目当主を決める戦い、本条家当主継承戦が始まるのだから。
※※※※
《音城大学病院・廊下》
本条家当主になる為に必要な継承権を持ち合わせるのは計十名。数予の夫である銀治。実娘の一華と息子の九実。しかし、九実はまだ十にも満たないので棄権すると思われる。
三人に続いて二宮、三央、四音、五輝、六月。そして現在、とある事情で日本を離れている七緒と八緒だ。
銀治曰く、もう継承戦を始める手配はしているとの事。対応が早すぎる辺り、やはりこの時を狙っていたとしか思えない。
患者はおろか病院関係者すら通っていない廊下の物陰に四音、五輝、六月はこっそりと集まっていた。内緒話をするにはうってつけの場所、とは言えないが、泉と銀治が話し込んでいる今がチャンスだろうと踏んだのだ。
六月は先程、一華の鞄が道端に落ちていたと言っていた。そして、それを知っているのは四音、五輝、六月の三人だけである事も。辺りに人がいない事を再確認してから、五輝は口火を切った。
「単刀直入に言う。義母さんを殺したのは親父だ。一華の安否は分からねぇが……まぁ、それも親父の仕業だろうよ」
躊躇いもなく、五輝はそう言ってのけた。何の確証があってそう言えるのだろう、と疑問に思ったが、どこか腑に落ちたような気がした。銀治は本条家に何らかの恨みを持っているから。それは本条家に出入りする人間なら誰でも知っている事だ。
彼の目的は定かではない。当主になる為か。莫大な財産を手に入れる為か。圧倒的な権力を得る為か。いずれにしても、同機は十分にありそうだった。
そして何より、五輝はIQ200の超天才といわれている。四音を陥れる可能性を除いて、彼の言う事は殆ど信用していいだろう。どっちにしても、四音は頼まれたら断れない性分だし、人を疑ってかかる事も出来ない。
「そこでだ。俺達三人で、親父を殺さないか?」
が、実父を何の躊躇いもなく殺そうと企てる彼を、はたして信用出来るのだろうか。少なくとも頭ではそうは思わない。
「何を言っているんだい!?」
「怒鳴るなっての。バレるぞ」
五輝が呆れたように言い、六月が慌てて辺りを確認する。微塵も感情が動いていないような彼の態度が、余計に腹立たしく感じられた。
「君は人殺しを企てているんだよ!? 犯罪じゃないか!」
「アンタねぇ……こっちじゃ秘密裏に暗殺なんかもあるって知ってるでしょ。パパがお義母さんを殺したのと同じよ」
裏の世界には、武器を持ってはいけないというルールが存在しない。人を殺してはいけない、という当たり前のルールも人として備わっているが、必要とあらば手を汚す事だってある。生きるか死ぬか、利用するかされるかの裏の世界で、四音のような常識的な思考はむしろ危険だろう。
しかし六月のような意見は、一度落ちる所まで落ちれば引き返す事は出来ない。裏の世界に住む四音達でも、やって良い事と悪い事の区別はつけておかなければならない。だからこそ四音は、兄として五輝と六月を止めなければならない。
「それでも駄目だ。決して手を汚していい訳がない」
「……アンタ。なんでアタシ達がアンタに声掛けたか分かってんの?」
六月が腕を組みながら眉尻を下げる。まるで嘲るような態度だが、どこか焦りの色も見受けられた。四音ならば何も反論せずに承諾してくれる、どこかでそう思っていたのだろう。
加えて六月は短気だ。早急に話を纏めてしまいたい、という意思が読み取れる。
「普通なら、アタシと五輝とでもう作戦なりなんなり立ててるの。アンタにわざわざ声を掛けたのは、アンタの為なのよ」
「……どういう事?」
一体何が、四音の為になるというのだろうか。六月から引き継いで、五輝が面倒臭そうに説明を始めた。
「早ければ来週にでも継承戦は始まるだろうよ。だがそれは俺達の話だ。親父はもうとっくの昔から動いてんだよ。どんな手を使ったが知らねぇが、一華を殺そうとした。義母さんも殺した。今思い返せば、先代を殺したのも親父だろうよ。アイツを野放しにすれば間違いなく本条家……いや、裏の世界が崩壊する」
言葉が出なかった。仮にも実父に対して、どうしてそこまで敵意を向けられるのだろうか。否、理由は四音にも分かる。
銀治の目に、自分達が映っていないからだ。
彼の瞳には常に憎悪が宿っている。彼等に何かを言うでもないし、手をあげるでもない。が、それは裏を返せば彼から何も与えられた事が何もないという事。少なくとも四音の記憶の中に、褒められた記憶も叱られた記憶もない。
必要な連絡事項がある時にしか話しかけてこないし、此方から話しかけても基本無視だ。そんな銀治に、情けなどない。だからこそ五輝と六月は真っ直ぐに『父親を殺そう』などと言えるのだろう。
「親父は容赦ない野郎だぜ。お前も知ってるだろ。自分の息子と娘を戦地送りにするくらいなんだからな」
「…………」
「まぁそれは置いておいてだ。だからこそなんだよ。俺は同じ境遇の兄妹は救いたい。勿論お前もだ、四音。だがな……お前には覚悟がねぇ」
「人を殺す覚悟なんて必要ない」
「じゃあお前は、命に代えても守る何かがあるのか?」
「…………」
思わず、目を逸らしてしまった。即答出来るものが、無かったのだ。
四音には意思がない。自分を貫く芯がない。だからこそ、五輝の問いが重くのしかかった。
四音の沈黙に、六月が呆れたように呟く。
「ないんじゃん」
「チャンスを与えてやるよ、四音」
五輝は四音の胸倉を掴み上げ、そのまま壁に押さえ付けた。咄嗟の事で身構える事が出来ず、背中を打ち付けた拍子に口から空気が抜けてしまう。けれども五輝はお構いなしに、ぐっと胸倉を掴む手に力を込めた。
「手を下せと言ってる訳じゃねぇ。腹括れって言ってんだ。俺達で、親父から……家を守るんだ」
「…………。一つ聞かせて……」
絞り出すかのように言って、四音は五輝の目を見つめる。
「んだよ」
「最終目的は、何?」
「…………」
五輝は黙り込んだまま、チラッと六月を一瞥する。しかし当の六月はその視線には気付いていないらしく、彼女は真っ直ぐに四音を睨み付けていた。
「それは言えない。が、守りたいのは兄妹だ」
「…………分かった……」
結局、四音は五輝を信じる選択を取ったのだ。彼の目的が何であれ、兄妹を守りたいのは四音も同じだ。五輝の言う通り、四音は覚悟を決めなければならない。
何を守るのか。何を手に入れたいのか。自分の意思を、貫かねばならない。
彼もまた、第百代目当主の座を目指している一人なのだから。