第三十四話 本条六月
《音城大学病院》
白羽と本条家の前で合流し、一華は別のルートを通って六月が運ばれたという音城大学病院に訪れた。白羽はやはり表立って姿を出す事は避けたいようで、他人を装って入るとの事。
階段を駆け上がり、早歩きで廊下を進み続けると、五輝達の姿が見えた。一華は意を決して、五輝に歩み寄った。
「五輝君、六月ちゃんは?」
「治癒魔術で止血も出来てた。とりあえず問題はねぇらしい」
「……そうか」
ほっと息を吐く。血がかなり出ていたように思えたから、不安で仕方がなかったのだ。緊張が解けて、その場に膝から崩れ落ちそうになるが、そっと四音が肩を支えてくれる。一旦椅子に座らせてもらい、落ち着きを取り戻すまで待ってもらう。
気持ちを切り替えるように息をつくと、重々しく三央が口火を切った。
「一華ちゃん。六月ちゃんを撃ったのは……」
「……恐らく、『霞』の者だろう。街で起こった車の事故。ナイフを持った男も襲ってきた。もしかしたら初めから狙いは六月ちゃんだったのかもしれない」
「どうして……」
四音が悔し気に眉根を寄せた。彼の呟きには答えずに、一華は一人思案を巡らせていた。『霞』が六月を狙っていたとすれば、目の間にいる五輝達にも危害が及ぶ可能性が高い。それは由々しき事態だ。
何か対策を講じないと、と拳を握り締めていると、廊下の奥から白衣に袖を通しながら走って来る二宮の姿が見えた。
「一華ちゃん。ちょっといいかい?」
「あ、あぁ……」
二宮はどこか焦った様子で人気の少ない廊下にまで一華を案内する。明かりが薄らとしか届かない場所で、二宮は口を開いた。
「聞きたい事があるんだ。ちゃんと答えてくれるって約束して欲しい」
「……どうしてもか?」
「じゃあ先に聞こうか。……六月ちゃん、本当は五輝君と血の繋がった兄妹じゃないでしょ」
二宮の声は失望でもなければ呆れでもない。ただ事実を確認するかのように、淡々と口にした。
「何故そう思う?」
「血液型。父さんはB型。五輝君達のお母さんはAB型でO型にはなり得ない。なのに六月ちゃんはO型って可笑しいでしょ?」
「……流石、医療に携わっている人だ」
「いやこれ中高の生物の授業で習ったよ?」
すっかり記憶にない一華はなんだと、と目を見張った。その様子を見た二宮はくすりと笑う。
「僕だって始めは驚いたさ。でも、さっき六月ちゃんが五輝君の『血の繋がった兄妹』という言葉に反応したとしたら全てに合点がいくんだ」
「…………。」
二宮の言う通りだった。六月は、五輝はおろか、兄妹の誰とも血が繋がっていない。『六月』になる筈だった子を流産した札子が、銀治に責め立てられるのを恐れ、同時期に生まれた赤子を引き取り自分の子だと偽ったのだ。六月本人はその事を知っているし、一華も偶然その事を知ってしまった。
六月は顔を五輝に寄せる為、小学校高学年の頃に何度か整形している。それでも変えられなかった部分は化粧で誤魔化し、髪もずっと染めているらしい。血液型が違う事だけは誤魔化せなかったが、別段誰も気にしなかったのが救いだった。
二宮、七緒、八緒。そして五輝はB型。
三央、四音、そして九実はAB型。
一華と六月はO型。
兄妹で二人だけO型だから、ゼロ同盟。子供の頃に六月の秘密を守る為に結んだ約束だったのだ。
「その事、五輝君達には……」
「言ってないよ。知ってそうな一華ちゃんに聞いただけだから」
「そうか……やはり兄さんは優しいな。それは私の一存では決められない内容だ。六月ちゃんと話し合ってからにするよ」
二宮達に自分から打ち明けるのか。それともこのまま隠し続けるのか。決めるのは六月自身だ。一華は六月の秘密を知っているだけであり、話す権限はないという意味合いだった。納得してくれたようで、二宮は笑みを浮かべた。
「分かったよ」
短くそう返事をして、二宮は踵を返した。一華もその背を見送ってから五輝達の元へと足を進めたのだった。
※※※※
幼稚園の頃から、その生活を送っていた。五輝が目を覚ますよりも先に起きて、母に化粧をしてもらう。それは可愛く飾る為のものでは無く、顔を兄に寄せる為に施されるもの。
髪は五輝と同じ青色に染めて。その頃はたれ目の目をキリッとしたつり目に見せる位だったが、小学校高学年に上がった頃に整形した。眉、目元、口元。高校受験が終わってすぐに鼻筋も高くしている。
五輝と兄妹に見えるように。銀治と札子の子どもであると思わせる為に。
それが当たり前で、少しの違和感すら抱く事はなかった。
その時はまだ、自身が養子である事も知らずに、世間の女の子は皆こうしているものだと思い込んでいた。
十年前。
本条の屋敷に引っ越して暫く経った頃。同い年で同性の八緒と特に仲が良かった六月はある質問を彼女に投げ掛けられた。
「六月ちゃんの血液型はなぁに?」
「O型だよ」
何気なく答えたそれに、八緒は不思議そうに首を傾げた。
「五輝くんはB型なのに?」
「え……?」
確かに何故だろう、とまだ養子という事を教えられていなかった六月は疑問を抱いた。
「なんでだろう……?」
「でもいいなぁ。一華お姉ちゃんもO型なんだって! 一緒なんて羨ましいなぁ~」
六月や八緒に留まらず、他の兄妹皆が一華を好いていたのは知っていた。そんな彼女と血液型が一緒だという事は純粋に喜ばしいものだった。
「えへへぇ」
「何かいい事でもあった?」
と、六月と八緒の後ろから一華が顔を覗かせた。嬉々とした表情で六月が同じ血液型である事を伝えると、一華もまた嬉しそうに、
「やったぁ! お揃いだな!」
と言ってくれた。
大好きな一華と同じ血液型。大した事でもないかもしれないが、単純に喜ばしいものだった。実兄である五輝とも同じなら、もっと嬉しかっただろう。
しかし六月が十歳になった頃。整形手術の為に屋敷を離れる事に不満を覚えた六月は、とうとう母に聞いてしまったのだ。
「どうして私は五輝と血液型が違うの? どうして朝早くからお化粧しないといけないの? どうしてお顔を変える手術をしなくちゃいけないの?」
母は困ったように、答えてくれた。
「それは、貴方が私の本当の娘じゃないからよ」
薄々、そんな気がしていた。大きなショックを受けなかったのは、自分で察していたからなのかもしれない。しかし、直接母の口からその事実を聞かされて、六月はどう反応すればいいのか分からなかった。
ただ言われるがままに、五輝に似るように顔を変える。誰にも知られないように。知られてしまえば、母が父に殺されてしまうかもしれない。自分の居場所がなくなってしまうかもしれない。
五輝や一華、他の兄妹達とも離れ離れにはなりたくなかった。その一心で、『本条六月』だと偽ってきた。本当の名前も、顔も、性格も、知らない事が唯一の救いだったのかもしれない。
もしも自分が本当の兄妹じゃないと知られてしまえば、きっと嫌われてしまう。そう考えると、自然と涙が溢れてきた。
「何故泣いているんだ? 辛い事でもあったのか?」
情けなくも、屋敷の縁側に腰掛けて泣きじゃくっていた所を、一華に見られてしまったのがきっかけだった。勿論「なんでもない」と嘘をついたのだが、一華に「何もなければ人は泣かない」と半ば強引に聞き出されてしまったのだ。
嫌われたくはなかった。邪魔者にされたくなかった。それでも一華に話してしまったのは――
「でも、六月ちゃんはずっと一緒に暮らしてきた家族じゃないか」
彼女が、血の繋がりだけで判断する人間ではない、と分かっていたからなのかもしれない。
「でも……」
「きっと兄さん達もそう言ってくれるよ。少なくとも私は絶対に六月ちゃんを嫌いになったりしない」
「……本当?」
「あぁ。約束するよ」
結局の所、一華以外に真実は告げられなかった。不安の方が勝っていて、とても話せる状態とは思えなかったからだ。一華の接し方も変わる事はなく、むしろ以前より仲良くなれていた気がする。
六月の秘密の事を守る約束。二人の血液型からとって名付けた『ゼロ同盟』は、今の今まで続いている。
可能なのであれば、自身が赤の他人である事は話したくはない。
ギリギリの状態を保っている兄妹の仲を、壊したくないから。まだ『本条六月』でいたい。異色かもしれないこの本条家で、六月は確かな幸せを感じているのだから。




