第三十二話 アタシって、あそこにいてもいいの?
人の波を掻き分けて、六月は繁華街の歩道を走り抜けていた。あの後すぐに一華の口から今後の作戦について聞かされるという事は分かってはいたが、六月は逃げ出したい衝動に駆られてしまったのだ。
耐えられなかった自分に嫌気がさす。だが六月の胸を刺すような痛みはまだ残っていて、あの場にい続ければもっと酷い事になっていたかもしれない。そう自分を慰めた所で、六月は立ち止まった。
「…………分かってた事じゃん……何で逃げてんのよ、アタシ……」
六月には一華以外、誰にも話していない秘密がある。それはこれから話すつもりもないし、知られたくないと思っている。
知られてしまえば、居場所をなくしてしまうだろうから。嫌われたくないから、何も知らないふりをしてきた。
しかし胸の痛みは治まるどころか、強くなっていく。胸の痛みを誤魔化すかのように拳を握り締めていると、背後から自身を呼ぶ声が聞こえてきた。
「六月ちゃん!」
「一華……」
おもむろに振り返り、その声の主を見上げる。一応正体を隠す為か、黒髪ボブのウィッグを被っていて、顔も見えにくくする為に帽子を目深に被っていた。突然逃げ出した事を責めに来たのだろうか。しかし一華は六月に駆け寄って、微笑みを向けてくれる。
「大丈夫か? すぐに気付けなくてごめんな」
「……違うよ、全部……アタシがいけなくて……」
「私はそうは思わないよ。六月ちゃんは悪くない、どうか自分を責めるな」
優しくも、力強い、一華なりの励ましの言葉だった。普段ならば「言われなくても分かってる」なんてつっぱねていたかもしれない。しかし今の六月には、虚勢を張る余裕もなくて。
「一華……ねぇ、アタシって、あそこにいてもいいの? ずっと嘘ついちゃってるし……こんなのバレたら、五輝達に嫌われちゃうよ……」
心の中に秘めていた不安が、口から止まる事なく漏れてしまう。一華がどのような顔をしているのか、怖くて顔を上げる事も出来なかった。
握っている拳がいよいよ震え始めると、そっと一華の手に包み込まれる。同じ少女なのに、六月よりもがっしりとした手をしているし、薄らと傷跡のようなものも見える。
「五輝君達は、そんな理由で六月ちゃんを嫌ったりしないよ。私も、六月ちゃんを嫌いになんてならない。前にも、そう言ったじゃないか」
「一華……あ、アタシ――」
――キャァァアアア!!!!
――逃げろぉッ!!
――危ない!!!
六月と一華の耳に届いた人々の悲鳴。同時に聞こえてくる一際大きなエンジン音。車の通りも多い場所で、事故等も決して珍しくはない。反対車線に乗り込んで歩道に突っ込んできた一台の車が視界に映った瞬間、一華に腕を引かれてその場から離れる。
ブレーキが利かなかったのか、将又踏み間違えたのか、雑貨店のショウウィンドウを突き破ってようやく車は停車した。あと少しでもタイミングが遅れてしまっていたら、六月も一華も巻き込まれてしまっていただろう。その光景に息を飲みながら、六月は辺りを見渡した。
(でも、もしこれが事故じゃなかったら……)
先程、一華と九実が狙われているという話を聞いてしまったからか、そんな悪い考えが頭を過ってしまう。妙な気配がないか探っていると、一華の背後に黒ずくめの男が見えた。黒いキャップ帽を目深に被っている。そしてその男の手元にはナイフが握られていて――
「避けて!!」
「!!」
咄嗟にそう叫んでいた。危機を察知したらしい一華は身を捩りナイフを躱す。六月の声を聞き、ナイフを持った男の存在を視認すると周辺にいた人達が叫びながら逃げていく。
「コイツが!?」
「恐らく……」
暗殺のプロフェッショナルが白昼堂々凶器を振り回す事に疑問を覚えたが、それよりも目の前の男の敵意が薄れていない。一華は武器を持ち合わせていないし、六月も防御系の御札が数枚ある程度だ。一華の身を守る事を優先するならば……。
「逃げるしかないよね……」
「あぁ……だが今奴から背を向けるのは危険だぞ……」
周りにはもう人の姿はない。つまりは隠れる場所もないという事。平日休日問わず人の波が多い賑やかな繁華街は、一瞬にして静かな場所へと変化している。助けを呼んだ方が得策だろう、と考えるよりも先に、ナイフを構え直して男が駆け出す。攻撃に備えて身構えると、六月の耳に知らない青年の声が届いた。
「『停止』」
一言。青年が放ったその一言で、ナイフを構えた男はピタリ、と時間が止まったかのように動きを止めてしまった。六月は暫くの間呆けていたが、一華はその声を知っているらしい。
「白――」
「白露」
「白露さん!」
違う名前を述べようとしていた気がするが、慌てて訂正する一華。白露、と名乗った青年は六月に視線を向けて、
「彼女を任せてもいいかな?」
と言った。
「ぅ、えっ……!? アタシに言ってんの!?」
「うん」
白露という青年が、一華の言っていた各条家の人間なのかもしれない。助けを求めるように一華の方に視線を向けると、力強く頷いたので確信した。
「わ、分かった! 任せて!」
気が付けばそう口にしていた。それを聞いた白露という青年は「任せた」といったふうに頷く。
「ありがとう」
「行こう」
一華と共にその場を去る。去り際に白露という青年の背を一瞥して。
※※※※
『停止の魔眼』。白羽の左目にその力を宿しているその能力は、『動いているものであれば一時的に動きを停止出来る』というもの。制御を誤れば対象の思考や臓器にまで影響を及ぼすので、長時間の使用は出来ない。現在今は身体を動かせないように『神経や筋肉に伝えられる脳の指令を停止』させている状態だ。
男に近付き、白露――もとい白羽はその手からナイフを抜き取る。
「さて。次は……」
右目に埋め込まれたのは『解読の魔眼』。思考、文書を読み取る能力を宿したその瞳を男に真っ直ぐに向ける。瞬間、その男の思考……受けた任務の内容が白羽の脳内に流れ込んできた。
(やっぱり『霞』所属の者か……さっきの事故も作戦の内……。…………あれ、標的は)
瞬間。男の思考を読み取っていた白羽の右目に焼けるような痛みが走った。
「あぐっ……!!?」
咄嗟に右目を抑え、魔眼を解除してしまった。解放されたと同時に男の姿が音もなく消えてしまい、白羽はとてつもない焦りを覚えてしまう。
「しまった……予防線を張られてたか……」
情報を漏らさない為に、あの男には情報を喋る、もしくは読み取られる事を防ぐ為の魔術が施されていたのだろう。ジクジクと襲い掛かる目の痛みを堪えて、一華と六月の後を追って駆け出した。
(伝えないと……今回の襲撃の目的は、一華さんじゃないって……!)
※※※※
《本条家屋敷正門前》
事故が起こり、ナイフを持った男が現れた繁華街から全力で走り続け、その場を離れた一華と六月。静かな住宅街に聳え立つ本条の屋敷に戻って来た一華は、呼吸を荒くしてその場にしゃがみ込んでいる六月に話し掛ける。
「兄さん達には戻るように伝えてある。私は別のルートを通ってまた来るから。改めて作戦の話をするよ」
「う、うん……」
「それと。君は一人じゃないからな。“ゼロ同盟”、忘れるんじゃないぞ」
一華と六月だけの秘密の同盟。他の誰も入れない二人だけの秘密の約束。六月は立ち上がり、走って赤くなった頬を弛めて――
「うん!」――バシュッ。
六月の声と被って響いた破裂音。ビチャリ、と地面に赤い雫が垂れ、六月の胸元が赤く染まっていく。一華も六月も、一瞬何が起こったのか理解出来ずにいた。
六月が撃たれた。
そう一華が認識した頃、六月はすでに意識を失って倒れてしまっていた。
「六月ちゃん!!」
六月を中心に、コンクリートに真っ赤な水溜りが出来ていく。来ていたカーディガンを脱ぎ、出血を抑えながら一華は声を張り上げる。
「誰か来てくれ!!」
幸いにも屋敷の中には使用人が何人かいるし、適切な応急処置が出来る者もいる。一華の切羽詰まった声を聞いた使用人達が急ぎ治癒魔術を発動させ、病院へ連絡してくれる。
今回の襲撃はやはり一華を狙ったものだったのだろうか。しかし銃弾が放たれた方角を見ると、物陰になって一華の姿は映っていなかった筈だ。加えて今一華は変装(ウィッグと帽子を被り、眼鏡をかけただけだが)もしている。外出の時も細心の注意を払っていたので、正体がバレているとは考えられない。
(まさか、初めから狙いは六月ちゃんだった?)
『霞』の目的は一華と九実、そして五大権の命。しかし今回の目的が、一華ではなく六月だとしたら。
(兄さん達も危ない……)
屋敷の前の人だかりを掻き分けて、帰ってきた二宮も加わって応急処置をしてくれる。六月と二宮はそのまま救急車で病院へ。三央達は使用人の運転する車で病院へ向かう事にするようだ。
そして一華は一度変装を解き、白羽と合流する為にその場に留まったのだった。
(六月ちゃん……どうか、死なないでくれ……)
白羽を待つ間、一華はそう強く願っていた。




