第三十話 一条白羽
本条の腹心である一条の家に生まれた白羽は、中学生の頃、その役割を放棄しようとしていた。理由は単純。顔も見た事のない、箱入り娘に忠誠を誓うなんて考えられなかったからだ。そして反抗期も相まって、白羽はたびたび訓練を抜け出しては父親に叱られる日々を繰り返していた。
挙句の果てには中国国主の娘・神美と勝手に婚約を結ばれていた始末。ついに、白羽の怒りは頂点に達した。
「もうやってらんねぇ! 親父もその本条一華とかいう女も知るか!!」
「テメェこのクソガキ戻って来いやコラァ!!」
父親の制止を振り切り衝動的に家を飛び出し、白羽は住宅街を練り歩く。
(あーイライラする……開けたピアスも痛ぇし、怪我したとこも痛ぇし)
世界の代表である国主の結婚相手には、血筋もそうだが礼儀礼節が求められる。仮にもナンバー2の娘の相手に、顔にピアスをしたあからさまに派手な見た目をした男を婿に迎えるなんて事はしないだろう。そんな考えから耳や顔、身体の至る所に少しずつピアスの穴を空けていた。
現在、婚約は保留となっているが、結果どうなるかは分からない。顔にもう一つ増やそうか、と悩みながらふと顔を上げると、豪勢な和式造の屋敷が目に映った。
「うっわぁデカい家……。……ん?」
表札を見れば、白羽のストレスの元である『本条』の文字があった。
(はぁ成程ねぇ……日本有数の名家な事は確からしいな)
となるとこの屋敷の中には将来仕える相手の一華もいるのだろうか。自身は苛立ちを覚えながらも、訓練に励んでいるのに、一華という少女はぬくぬくと贅沢な暮らしをしている。そう思うとふつふつと怒りが湧き上がってきた。
「……よし、一言文句言ってやる」
「誰にどんな文句を言うつもりなんだ?」
堂々と門を潜ろうとして、白羽は背後から誰かに声を掛けられた。嫌々訓練を受けているとはいえ、白羽も人の気配くらいは察知出来る。それなのに全く気配が感じられなかったのだ。
慌てて振り返り身構えると、少女の姿が目に映る。黒紅色の艶やかな髪をボーイッシュに切り揃え、黄金の瞳を持つ端正な顔立ちをしている。都内屈指の有名校、音城学院の中等部の制服を身に纏っており、スクールバッグの他に竹刀が入っているらしい黒の竹刀袋を抱えていた。
そして、中学生にしてはやや高身長だ。
(め、目線がほぼ同じ……!? この女何なんだよ!?)
現在白羽の身長は百六十後半なのだが、制服を見る限り年下のその少女と目線が同じという事実にプライドが傷付けられて気がした。軽くショックを受けている白羽に、少女は問い掛ける。
「誰かに用事でもあるのか?」
「……べ、別に……」
将来、自身の主になる本条一華に「俺の自由な生活を返せ」と言うのが途端に恥ずかしくなって、白羽は咄嗟に誤魔化してしまった。
「ならここで何をしている?」
「それは……」
「それにさっき、一言文句言ってやると言っていたじゃないか。言わなくていいのか?」
「ぐっ……」
真っ直ぐにそう言われてしまって、白羽はどう言い訳しようか迷った。この少女は恐らく本条一華の他の兄妹か、白羽と同じ立場を担っている者のはずだ。早くこの場を去ろうと踵を返そうとした、その時だった。
「「!!」」
白羽と少女は、ただならぬ気配を感じて視線を其方へと移していた。
(まさか、本条家を狙って!?)
咄嗟にジャケットの裏に隠していた銃に手を掛けるが、少し遅かった。白羽よりも先に、少女が動く。スクールバッグをその場に投げ捨てて、竹刀袋から竹刀──ではなく真剣を取り出し、すぐさま抜刀。ナイフを構えてその場に現れた黒ずくめの男に斬りかかった。
その一瞬の出来事に、白羽は見惚れる事しか出来なかった。
「すっ……ご……」
物騒な場面にも関わらず、その少女はどこまでも美しかった。刀を振るうさまも、獲物を捉える目も、何もかもが輝いている。呻き声をあげて地に伏した男の襟首を掴んで担ぎ上げると、少女はしまった、と言った様子で白羽に向き直った。
「あ……い、今のは……」
「大丈夫。血とか平気」
「そ、そうか。じゃあ……今見た事は、内緒にしてくれるか? 一応は銃刀法違反だからな」
人差し指を唇に当てて、少女はそう言って笑んだ。先程まで戦乙女のように勇ましい姿だったのに、急に年頃の少女のような可憐さを見せられて、白羽の胸が締め付けられたのが分かった。
「お、おう……」
「ありがとう。またどこかで会えたらいいな。だが、あまりこの家には近寄らない方がいいぞ。見た通り不審者には容赦のないところだからな」
容赦ないのレベルではないのだが。そう言い掛けて白羽はハッとした。この少女は本条家に仕える立場の者ではない、と。少女に斬られた男は、その風貌や雰囲気から殺人に長けた者と見受けられた。となれば、少女は命を狙われている事に慣れている可能性もある。
(じゃあコイツが四人いる内の本条の娘……)
「どうした? やはり気分が悪くなったか……?」
黙り込んだ白羽を心配そうに見つめて、少女は問い掛ける。
「い、いや……強いんだなって……。女なのに」
「…………」
白羽が口にした言葉に、少女は目を瞬いた。そして可笑しそうに笑って、
「お兄さんだって強いじゃないか。コイツの気配を察知出来ていただろう。謙遜する事はないよ」
励ますかのように紡がれた言葉が、白羽の中にすとん、と入って来た。口調こそ固く感じられるが、そこに込められた思いに高慢さはなかった。
「私には分かるぞ。お兄さんも努力しているって」
と、余計に恥ずかしくなった。
自分よりも年下の少女は、白羽が純粋に訓練を積んでいると思っているのだ。しかし実際は反抗的な態度に、顔も見た事のない娘に苛立ちを抱く子どもじみた行動をしていたのだから。
(そりゃ……強いわけだ……)
こんなに強い少女なら、本条一華も安心だろう。もしかすると自分は不要な存在なのかもしれない。守護の役目を担っていたとしても、本条一華の身近にこんなにも強い少女がいるのだから。家系に縛られた白羽よりも、長年共に暮らしてきた兄妹の方が気心も知れているだろう。
「そういえば名乗っていなかったな。私は本条一華。よろしく」
「ほっ……本条一華ッ……お前が!?」
今まで本条一華の兄妹と思い込んでいた黒紅色の髪をした少女が、白羽が恨みを持っていた一華その人だったのだ。
──白羽の想像の本条一華とは、屋敷の奥でひっそりと使用人に囲まれてぬくぬくと育っている、お姫様のような存在だった。今まで名前しか知らされていなかったし、加えて一華自身があんなにも強いなどとは思わなかったのだ。
驚きに打ちひしがれている白羽に少女、一華は微笑みかける。
「あぁ。そうだ。お兄さんは?」
「……どうして……お前は、守られる立場のはずだろ……」
一華の問いには答えず、白羽はそう口にしていた。一華は戸惑ったように一瞬目を見開いたが、すぐに微笑みを戻して答えてくれる。
「私は……兄妹達を救ってあげたいんだ。彼等を……この家の呪縛から解放するために。私は強くならなくちゃいけないんだ」
そう告げる彼女の瞳には、熱い意思が宿っていた。輝く黄金の瞳が、一層の強さを引き立てている。
「お兄さんには、何か信念はないのか?」
「お、俺……?」
「あぁ、自分を強くしてくれる糧となる。お兄さんの信念は?」
「……俺、は……」
「一華様!」
答えを言い淀んでいたその時、屋敷の中から一人の青年が走ってきた。毛先を青く染めた黒髪の男性――二条泉だ。
(まずい……!)
泉は白羽の顔を知っている。もし正体をバラされてしまったら、一華に苛立ちをぶつけようとしていた事も知られてしまう。白羽よりも強い一華だ。どんな仕打ちが待っているか分からない。
泉から顔を隠すかのように背を向け、フードを深く被る。
「その男は」
「襲い掛かって来たから斬り返して捕まえたんだ」
「すぐに連絡して下さいよ。不審な気配を察知したから良かったものの……」
「すまないな。今度からは気を付ける」
「えぇ、そうして下さい。……で、この方は?」
想像通り、泉の視線が白羽に留まってしまった。
「彼も、その男の仲間ですか?」
じろり、と泉の視線が強くなった気がした。心なしか殺気も混じっているように思える。観念してフードを取ろうか、と思った時、一華がスクールバッグを拾いながら、
「彼は私のクラスメイトだ。私のノートが彼のところに混じっていたらしくてな。届けに来てくれたんだよ」
と、身に覚えのない事を口にした。一華は白羽の正体を知らないはずなのに、そう言ったのだ。つまり。
(庇って、くれた……?)
彼女は白羽の名前も知らないはずなのに、白羽の様子を察してフォローしてくれたのだ。呆気に取られていると「そうでしたか。失礼致しました」と、泉は一礼する。
「いっ、いえっ……」
「では、私はこの男の処分を」
「あぁ」
それでは、と男を抱えて去って行く泉をそっと横目で見送ってから、確認するかのように一華に視線を向けた、
「あの……、」
「……詳しくは聞かない。悪い人ではない事くらい、私でも分かるよ」
「…………ありがと……」
小さく礼を言う事しか出来なかったが、一華は何も言わずに微笑んでくれる。
「それじゃあ、怪しまれないうちにここを離れるんだ。また何処かで会えたらいいな」
「お、おう……うん」
「最後に、名前だけでも教えてくれないか?」
首を傾げられて、白羽は少しの間黙り込んでしまった。名前はともかくとして、苗字を知られるのは正体がバレるのでまずい。悩む白羽を見て、一華は諦めたかのように短く息をついた。
「名乗りたくないならいいんだ。それじゃあ」
「あっ、」
すたすたと歩いて屋敷の門を潜る一華に、白羽は声を張り上げた。
「こ、今度会った時はちゃんと名乗る!」
一華は白羽の声に驚いたように目を薄く見開きながら、振り返る。特徴的な黄金の瞳に捉えられ、「また会おう」という言葉が喉元で詰まってしまう。
「だから……」
「あぁ、また会おう!」
一華はにこりと笑みを浮かべて、白羽が言おうとしていた言葉を簡単に口にしてしまった。でも、今の白羽にとっては有難くもあって。屋敷の中へと入って行った一華を見送っている間、白羽の心拍音は上がり続ける一方だった。
※※※※
「あ、あの時の……あれ、白羽さんだったのか!?」
一華の記憶の底に眠っていた、一条白羽と思わしき人物。彼と今のは白羽では見た目も態度もかなり変わっていた。既視感はあったものの思い出せないでいたのは、そのせいだったらしい。
「そ、粗暴な態度のままだと嫌われるかと思って……」
「では、その話し方は?」
「直した。今はもう完全にこの話し方が定着してるけど」
「ピアス……はあったな。目は?」
一華の記憶が正しければ、白羽は黄色い双眸でオッドアイではなかったはずだ。しかし現在の白羽の瞳は右目が青色になっている。後天性なものか? と聞くと、白羽は静かに首を横に振って、
「一華さんの知り合いに、包帯とかで目を隠している人いる?」
と問い掛けた。
突然の問いに戸惑いつつも、頭を巡らせる。すぐさま思い浮かんだ人物は二人。
一人目はイタリア国主・ステファーノの従者、ジュリオ・イウラート・バッチェッリ。『機械視の魔眼』を持ち合わせる彼は、過去に遭遇したとある事件のせいで顔の半分を火傷している。そのため、前髪を伸ばして右目を隠していると聞いた事がある。
そして二人目はロシア国主・ファリドの従者、エカテリーナ・マクシモヴナ・トルスタヤ。赤紫色の瞳をした彼女は左目に軍用の眼帯を着用し、その上から眼鏡を掛けていた。理由は不明だが、かなり印象に残っている。
一華の知る隻眼の者達は以上なのだが、それと何の関係があるのだろうか。
「ジュリオさんとエカテリーナさんの二人だが……」
「僕とその二人は、もともと魔眼を持ち合わせていなかったんだ」
「!」
魔眼とはそもそも、家系に引き継いで継承されていくものである。魔眼の多くは元々ロシアやイギリスで所有されていたのがほとんどだったが、裏社会の力の均衡を保つために、各国の従家に継承されたのが始まりだ。
現在、魔眼の多くはファリドが管理しているのだが、ロシア国主に申請を出し、許可を貰えた者のみが魔眼を手にする事が出来るという。つまり白羽、ジュリオ、エカテリーナ(彼女はそのファリドの従者だが)はファリドの許可の下、魔眼を手にしたという事だろう。
「知っての通りジュリオさんは『機械視の魔眼』。エカテリーナさんは『圧縮の魔眼』。そして僕は……『停止の魔眼』」
「し、しかし、何故目を隠す必要が?」
「暴走しないようにだよ。継承されたわけじゃなくて、無かったものを有るものにしたからね。とはいえ制御は出来てるから、あくまで保険みたいなものだよ」
「成程な」
ようやく、白羽が室内でもサングラスを掛けている理由が判明して、一華は内心スッキリしていた。しかしすぐさま、白羽に話の筋を戻されてしまう。
「まぁ、それはともかくとして。僕はずっと、貴女の味方です。貴女が僕を必要としなくなる、その日まで」
またもや真っ直ぐに告白のような言葉を紡がれ、一華は頬が熱くなるのを感じた。
「その、返事なんだが……」
「分かってる。今は継承戦だもんね。たとえ断られても、僕の意思は変わらないから……一華さんの意思を大切にして下さい」
「……分かった。全部終わったら、必ず返事をしよう」
一華がそう言うと、白羽は笑みを浮かべた。どんな返事をしようか、一華は持て余した時間で、考える事にしたのだった。




