第二十九話 どっちが大切っすか?
《白羽宅》
『霞』が不穏な動きを見せているなどとはつゆ知らず、一華はアクセルと対面して椅子に腰かけていた。一華の隣の席には、一華の変装を解いた亜閖が座っている。
一応、アクセルはショックで部屋に閉じ籠っている一華に会いに来ているので、本物の一華がここにいても問題はない。
むしろ亜閖の姿がない方が不自然なのである。よって、一華達が帰宅してすぐ変装を解いた亜閖と共にリビングへと赴いていたのだ。
台所から白羽が紅茶を淹れている音が微かに聞こえるが、それ以外の物音が立つ事はなかった。アクセルは一向に口を開く素振りを見せずに、背筋を伸ばして落ち着いた様子で微動だにしない。
否、一華は知っている。
「アクセルさん。無理して此方を見なくてもいいんだぞ」
「…………すみません……」
瞬間、頬を赤らめてアクセルはそっぽを向いた。
彼は生粋の女性恐怖症の持ち主。一華と対面して座ったはいいが、視線を合わせられずに恥ずかしがっていたのだろう。
アクセルが深呼吸を繰り返している間に、紅茶を運んでやって来た白羽が怪訝な表情を浮かべていたが、特に触れる事なく一華の後ろに控えるようにして立つ。
白羽に礼を述べてから紅茶を口に運ぶアクセル。少し落ち着いたらしく、こほん、と咳払いしてから本題に突入する。
「本日は、主よりある命令を受けて参りました。連絡もなしに押し掛けた無礼をお許し下さい」
「いや、にしても驚いた。まさか……」
私達の変装に気付いていたなんて、と言いかけて一華は口を噤んだ。いくら白羽の家の中が安全とはいえ、盗聴されていない可能性は低い。『霞』の実力や能力値は計り知れないが、警戒は怠らない方がいいだろう。どのようにして伝えるべきか悩んでいると、察したらしいアクセルが頷いた。
「御安心を。午前の間にも此方に来させて頂きましたが、盗聴器の類は見受けられません。『機械視の魔眼』を持つジュリオさん。『魔力視の魔眼』を持つエレナさんにも確認済みです」
イタリア国主、ステファーノの従者ジュリオが持つ『機械視の魔眼』。“機械のカテゴリである物質”という定義の枠組みに入るものであればその構造は勿論、意図的に破壊する事も可能だ。銃器を好んで扱うステファーノとジュリオには好都合な魔眼だろう。
そしてイギリス国主、アーサーの従者エレナが持つ『魔力視の魔眼』は、魔力を色で判別するもの。
盗聴器やカメラが『機械』の枠に入ったとしても、その原動力が『魔力』であるならば機材を破壊しても意味がない。魔力で操られている物は必ず、それが破壊された事が術者に伝わるのだから。
しかしそれらしい機材もなく、不審な気配もないのであれば気を配る必要はないだろう。ほっと安堵して一華は改めて口を開く。
「そうか。それなら安心して話せそうだ」
「ですが、この家の中のお話ですので、油断はなさらないで下さい。外で監視されている可能性はゼロではありませんから」
「あぁ。肝に銘じておくよ」
そう話していると亜閖が解放されていたカーテンを閉めてくれる。彼女に礼を言ってから、
「何故、私達があの場にいると?」
と、疑問を口にした。その質問が来る事はおおむね予想していたらしいアクセルは、戸惑う様子もなく答える。
「私は、子どもの頃から一華様と接してきたのですよ。貴女様がこのような事でショックを受けるはずがない、と思いまして」
アクセルは一華の大叔母の孫──つまりは再従兄にあたる。会う機会こそ少なかったものの、彼が日本に来た時には、必ずと言っていいほど手合わせをお願いしていた。だからこそ、見抜かれたのかもしれない。
「くっ。全くショックを受けていないわけではないんだぞ?」
「それは勿論心得ております。懐かしいですね……敗北の二文字ほど嫌いなものはない、って仰っていましたね」
「掘り返さないでくれ……」
今度は一華が薄らと頬を赤らめた。敗北が嫌いなのは今も変わらないが、改めて人に言われるとかなり気恥ずかしかった。
「ですが、この事を察しているのは私くらいかと……」
「そうか。……あれ、じゃあ……」
一華の嘘を見破ったのはアクセルだけ。それならば彼は主であるエドヴァルドから何を命令されてやって来たのだろうか。そんな疑問が脳裏を過ったところで、一華の後ろに立っていた白羽が口を開いた。
「アクセルさん。今回の継承戦、『霞』が関わっている事をご存知ですか?」
直球的だが、包み隠さず話した方がいいかもしれない。説明は一華よりも白羽の方が向いていると重々承知しているし、口を挟む事はしなかった。
白羽の言葉に、アクセルは目を見開いて驚きを露わにした。
「かっ、『霞』が!?」
彼の反応を見る限り、『霞』が背後にいる真実については把握しきれていなかったらしい。アクセル、もとい五大権が把握しているのは『反感を抱いている国主達』だけなのだから。
……そのはずだが、アクセルは
「本当だったのか……」
と小さく呟いた。
「知っていたのか?」
「……瀬波家から買収した情報に、銀治様が『霞』と連絡を取り合っていたという記録があったのです。エドヴァルド様が現在確認を急がれていますが……」
「ふむ……」
瀬波家は一華の義父に当たる銀治の家系。その情報を買収したとなればそこそこの金銭を注ぎ込んだと思われるが……そこを突くのは失礼だ。あえて無視する事にして、一華は言う。
「という事は……義父が『霞』に依頼して、私と母さんを……」
「おそらく……。さらにいえば、瀬波銀治は反感を抱いている国主達とも手を組んでいた可能性があります」
ギリッ、と奥歯を食いしばった。両親を殺めた銀治に怒りと殺意が湧き上がってくる。しかし当の本人はすでに何者かに殺されてしまっている。堪え切れない怒りを、ゆっくりと息を吐き出す事で誤魔化した。
「……すまない」
「いえ、当然の事です。一華様が謝罪される事は──」
と、アクセルの言葉の途中で誰かの携帯の着信音が鳴り響いた。それはアクセルの仕事用の開閉式の携帯からだったらしく、一華達に一礼してから通話ボタンを押す。
「はい、アクセルです」
『確認が取れましたよ。今、白羽さんのところにいますよね? スピーカーにしてください』
電話の相手は主であるエドヴァルドらしい。アクセルは通話をスピーカーに切り替えて、テーブルの上に置いた。
「エドヴァルドさん、久し振りです」
『はい、此方五大権です。御心労お察ししますが、急ぎお伝えしたい事があります。纏めて報告させて頂きたいのですが宜しいですか?』
という事は、エドヴァルドの傍に梓豪達も控えているのだろう。あぁ、と短く返事をして彼の言葉を静聴する。
『『霞』への依頼内容は、達成されていないものだけお伝えするとこうです。“本条一華、本条九実、そして五大権の抹殺”』
「なんだと!?」
『期限は継承戦が終了し、勝者がその地位を手に入れるまで』
『ちょっ、ちょっと待って!』
電話越しに、ステファーノが静止の声をあげた。その声色は(当然だが)かなり焦っているようで、電話の向こうであたふたしている彼女の姿が目に浮かぶ。
『どうして私達の始末まで加わっているのよ!? 前の時、瀬波銀治が当主になったあかつきには五大権の総入れ替えを行う、っていうのは聞いていたけど』
「……『霞』への依頼内容が事実だった場合、総入れ替えは建前でしょう。五大権を“始末する”よりも、“序列を変更する”と言った方が現実味があります。さらに言うのであれば、瀬波銀治は手を組んでいる国主達に、『霞』が関わっている事を知られたくなかったのかもしれません」
ある程度を察したらしい白羽が、自身の推測を口にする。
現状に不満を抱いている国主達が多いとはいえ、非公式組織『霞』に関わる事を善しとしない者もまたたくさんいる。それを知っていた銀治は、味方につけていた国主までをも欺いていたという事になるが……。
「義父が私達を殺すように依頼していた以上、達成されるまで安心は出来ないな」
『霞』の厄介な部分とは、一度依頼された任務は、いかなる理由があろうと中止されないところだろう。どのような過酷な依頼もこなす便利な掃除屋だが、制約が多く厄介者扱いされる事の方が多い。
『じゃあ今からでも、僕達名義で『霞』に新しく依頼するっていうのは?』
『アーサーの提案はいいもんかもしれねぇが……『霞』が受け付けてる依頼内容は基本“暗殺”関連。どんな大金積もうと、優先されるのもまた“殺し”だろうよ』
アーサーの提案を梓豪が苦々し気な声色で呟く。
と、梓豪の言った“暗殺”という言葉に、一華はふいに反応した。
「どうしたっすか?」
心配そうに亜閖が顔を覗きこんで来るが、静かに首を横に振って
「なんでもない」
と視線を逸らした。
(暗殺……義父を殺したのももしかして……)
暗殺を得意としている『霞』であれば、銀治を葬る事も可能だったのではないか。そんな疑問が頭を過った。
しかし、それに思案を巡らせるよりも先に、エドヴァルドに呼び掛けられる。
『そこで一華さん、並びに他の兄妹方にもお願いしたい事があるんです』
「……聞こう」
『御兄妹にも協力して頂いて、早急に継承戦を終わらせてください。長引けば長引くほど、こちらが不利になる可能性があります』
「……それは、兄さん達に交渉して棄権してもらえ、という事か」
『まぁ、そういう事になりますね。厳しい事を言うようですが、それが最善といえるでしょう。交渉して不可能だった場合は──』
「通話を切ってくれ、アクセルさん」
エドヴァルドの言葉を遮って、一華はアクセルに視線を向けた。
「し、しかし……」
アクセルはエドヴァルドの従者だ。本来ならば、目の前にいる少女の言葉を優先すべきではないのだが、一華の目を見た彼は黙り込んでしまった。
幼い頃から一華の事を知っているアクセルには、エドヴァルドの提案が彼女にとって不服なものだと察してしまったのだろう。
『……構いません。ですが一華さん、よく考えてください』
最終的にエドヴァルドがそう言ってくれた。このままでは一華も大声をあげていたかもしれないし、冷静でいられた内に引いてくれた事が唯一の救いだったかもしれない。返事をしてアクセルは通話を切り、携帯をスーツの胸ポケットに仕舞った。
なお黙り込んだままの一華は、腕を組んで息を吐き出す。
「…………」
衝動的に通話を切るように言ってしまったが、これで良かったのかもしれない。確かに、兄妹達を集めて交渉すれば、承諾してくれるだろう。そう、一華が頼み事をすれば断れないのが兄妹達なのだ。
だからこそ、それを利用したくはない。
「はぁ……」
「あ、あの一華さん」
やるせない溜息をついていると、おずおずと亜閖が声を掛けてきた。
「どうした?」
「一華さんは、継承戦で勝つ事と御兄妹の命……どっちが大切っすか?」
「勿論、兄さん達の命に決まっているが」
そのために一華は闘わない方針を決めたし、現状兄妹達を守るために行動しているのだが。亜閖もその事は知っているし、確認として問い掛けたのだろう。一華の答えを改めて聞いた亜閖は、黒いマスクの下で朗らかな笑みを浮かべた。
「なら一度話し合いをするべきだと思うっす。強要じゃなくていいんすから、一華さんがどうしたいのか……想っている事を全部皆に曝け出してみるっす!」
「亜閖ちゃん……」
亜閖の言う事も尤もかもしれない。思い返せば二宮達には自分の心情を話した記憶がない気がする。その事も踏まえて、一度話すべきなのだろうか。
「…………アクセルさん」
「はい」
「『霞』の監視が及んでいない場所を探してほしい」
お願いします、と立ち上がって頭を下げる。先程困らせてしまった謝罪の意も込めて。
「承知致しました。結論が出ましたら、またお伝え下さい」
「あぁ。ありがとうございます」
亜閖は一華の変装をして部屋へと戻って。白羽はアクセルを見送りに行き、一華は白羽の部屋の屋根裏へと戻った。
暗がりの中、懐中電灯の明かりを頼りに、五輝に宛てた手紙を書くためペンをとる。
とはいえ場所についてはアクセルの連絡を待たなければならないので、途中で書く手を止めてしまったが。それと同時に、白羽も屋根裏にやって来た。
「早ければ明日の早朝にでも連絡してくれるって」
「そうか……分かった。…………」
そこで、一華は思い出してしまった。スイーツ店で白羽が一華に告げた告白にも近い言葉を。
『……僕がどうしようもなく貴女の事が好きだ、って言ったら……どんな返事をしてくれますか……』
その言葉が再び脳内に響く。一華の無言を察したらしい白羽は、ずいっ、と顔を近付けた。
「少しは意識してくれた?」
「どっ、どういう意味だ……?」
冗談で言っていたのか、本気で言っていたのか。確かめるために一華はそう問う。
「やっぱ伝わらないか……」
(そ、そんな言い回しをされたら……)
勘違いしそうになるじゃないか。
もし違っていたら恥ずかしいのは一華だ。あくまで気が付かないふりを続けるが、内心では白羽の口から告げられるのを待っていたのかもしれない。
「僕は一華さんの事が好きです。恋愛対象として」
その、言葉を。




