第二十三話 相手が謝ったら許してあげるのが常識だよ
《本条家屋敷・裏庭》
──九月三十日。
時刻通りに、八緒は裏庭に姿を現した。三央は車椅子に腰掛けたまま、静かに顔ごと視線を彼女に移す。一人でやって来たらしく、いつも一緒にいる七緒の姿は見受けられなかった。
「お兄様から聞いたわ。屋敷を出ていたそうね」
「まぁね。お兄ちゃんと作戦会議とかしていたから」
嘘は言っていないが、正確な事は口にしない。兄妹の中でも比較的ふわふわとしていて抜けていそうな八緒だが、彼女も七緒と一緒に三年間戦地で過ごしてきた。不利になるような発言はしないし、人一倍気を付けているだろう。
「……そう」
そして三央も、深く詮索はしない。聞いたところで八緒が正直に答えるとも思っていないからだ。
「ねぇ八緒ちゃん。貴女……私の事嫌いでしょう?」
「えぇ~! どうしたの、藪から棒に……そんな事ないよ~!」
唐突な三央の質問に、八緒は首を振って否定した。
「本当に?」
三央がもう一度聞くと、八緒は再度頷く。
「うん。本当だよ。三央お姉ちゃん、昔私にお洋服くれたでしょ? 私、三央お姉ちゃんが優しい事知ってるもん。だから、お姉ちゃんの事好きだよ!」
「嘘ね」
にこにこと好意を伝えてくる八緒の言葉を切り捨てて、三央は淡々とした様子で言い放つ。それは、先日四音に見せたものと同じで、どこまでも冷たいものだった。
「私、貴女の本音が聞きたいわ。貴女の事を知っている筈なのに、私は貴女が怖いと感じてしまうから」
「不思議だね……それは三央お姉ちゃんの勘?」
「さぁね。でも、たまにはそんなお話もいいんじゃないかしら」
「……そっかぁ……」
八緒は仕方ないかぁ、と小さく呟いて立ち上がった。空に浮かぶ月を、トパーズの瞳に映しながら、八緒は笑顔を張り付ける。
「────うん。三央お姉ちゃんの事なんて、大嫌いだよ」
「……そう。理由を教えてくれるわね?」
八緒の言葉に動揺する様子も見せずに、三央は質問を重ねた。
「だって三央お姉ちゃん、意地悪だもん」
自覚はしているつもりだが、面と向かって言われるとかなり胸が痛んだ気がする。自然と表情にも表れてしまっているのだが、八緒は本音を口にするのが恥ずかしいのか、三央から背を向けてしまった。
「この前四音お兄ちゃんに言ってたでしょ。『謝罪をするくらいなら初めからやるな』って。どうして許してあげないの? 四音お兄ちゃんは謝ったんだから、許してあげなきゃダメじゃん」
あの時、八緒はその場にいなかった筈だ。どこで盗み聞きしていたのだろうか。やはり侮れない、と三央は動揺を押し殺して言う。
「その事なら貴女には関係ないわ」
「確かに私には関係ないかもだけど……相手が謝ったら許してあげるのが常識だよ?」
むぅ、と頬を膨らませる八緒。段々と苛立ちが募るのを感じながら三央は眉根を寄せた。
「意味が分からないわ。子どもじゃあるまいし、世の中そんな単純じゃないわ」
「単純だよ。許しを請われたら許すしかない。寛大な目で見てあげるのが大人ってものだよ」
「貴女はまだ子どもよ。甘やかされて育ったのが目に見えて分かるわ。苦労なんて経験してないのでしょうね」
三央が勢い半ばにそう言い放つと、八緒は困ったように眉尻を下げた。まるで、「それを言っちゃうか」とでも言いたげな様子で。
少し考える素振りをとった後で、八緒は、
「…………苦労、かぁ……。本当は嫌だけど……三央お姉ちゃんなら見せてもいいか」
何を考えたのか、シャツのボタンに手を掛けた。一つ一つ丁寧に外していき、中に着ていたインナーも脱ぎ捨ててしまう。
「ちょっと、ここ外っ────」
屋敷の周りは高い塀に囲まれているので、通行人に見られる事はないだろう。三央の制止を聞かずにブラジャーを残して上半身裸になった八緒は両腕を広げて一周廻って見せた。
「私もね、苦労したんだよ」
その姿に、三央は絶句するしかなかった。
戦地で鍛え抜かれた身体に、ではない。左肩から背中にかけて真っ赤になっている火傷の痕。無数に出来た刺し傷や切り傷。そして至る所が青紫色に変色している。なにより驚いたのは左胸だ。八緒もそこそこ豊満なスタイルの持ち主だと思っていたが、その豊かな胸は右側だけにしか存在しなかった。左胸には手術跡のようなものが見受けられる。
「あっ……え、……?」
「これはね、お母さんと二宮お兄ちゃんに色々された痕なの」
「は、はぁぁあ?」
笑顔で八緒は言ってのけた。普通、虐待を受けた痕を笑顔で見せびらかせる人なんていない。だが八緒は無邪気な笑顔を三央に向けている。それが堪らなく、怖かった。
「あ、片方胸がないのは、手術したからなんだけどね。火傷で胸のところの細胞が壊死したか何かで切るしかなかったの。普段は特注の下着で誤魔化しているけれどね!」
「どうして……そんな事を軽々と……」
「だってお母さんも二宮お兄ちゃんも謝ってくれたもん。だから許してあげたよ。私もきっと悪い事してたと思うし、お互いにごめんなさいして終わり! ハッピーエンドだよ!」
「どこがっ!?」
そこで初めて三央は声を荒げた。糸目気味の穏やかなたれ目を見開いて、頭を抱える。
「貴女どうしてそうっ……可笑しいわ……貴女、圧倒的に頭が可笑しいわよ!?」
「えぇ~酷いなぁ。三央お姉ちゃんが苦労を知らないって言ったから見せたんだよ? 私も大変だったんだよ~って。五年以上経っているのに痕も残ったままだし、結構辛かったんだよ?」
「そんなの分かるわよ! 嫌でも分かるわよ! 分からない方が可笑しいわ!! えぇそうね、大概の不幸話が笑えるくらいにはぶっ飛んでいるわ!?」
「あははっ、三央お姉ちゃんってそんなにリアクション大きかったんだね~。お淑やかなイメージだからビックリしちゃった!」
地面に脱ぎ捨てたインナーとシャツについた土を払い、服に袖を通した。確かに、服で隠してしまえば普通の女の子だ。両胸もちゃんとあるように見えるし、身体中の傷なんて一つも見えない。三央はまた目を見開いて、拳をきつく握り締めていた。
「どうして……どうして笑えるの……」
「? 二人共謝ってくれたからだよ」
「違う! どうして許してしまったの!?」
「……子どもの時、六月お姉ちゃんと喧嘩したの。お人形遊びしてて。六月お姉ちゃんが私を叩いたところで、お母さんが止めに入ったの。その時、六月お姉ちゃんが謝ったから貴女も謝って、って言われたの。可笑しいと思った。私は悪くないのに何で私も謝らなくちゃいけないの、って。でもそれを言ったら、気絶するまで殴られちゃった」
「…………。」
「似たような事が何回かあって……私気付いたんだ。相手が謝ったら私も謝らなくちゃいけないんだって。そうしたら殴られなかった。皆笑ったから……私が我慢するだけで皆が笑顔になってくれる。じゃあ、私が我慢すればいいや、って」
「…………。」
「お母さんも可哀想だったんだよ。お父さんに振り向いてほしくて頑張ってた。ストレス発散もしたくなるよね。二宮お兄ちゃんも同じ感じだったし……仕方なかったんだよ」
「我慢しているんじゃないっ!!」
一際大きな声で、三央はそう口にした。ピタリ、と八緒が驚いたように固まる。
ずっと耐えてきた彼女に、それは違うのだと言ってやらなくてはならない気がした。それは姉としての責任感ではなく、人として口から出てしまった言葉だった。
「黙って聞いていれば我慢してばっかりなんじゃない……頭で可笑しいって理解してるんじゃない! ならちゃんと拒否しなさいよ!!」
「……三央お姉ちゃんは……私の生き方を否定するんだね。」
一瞬憐れむように目を細めた後、八緒は隠し持っていた投擲用ナイフを三央目掛けて投げ付けた。それを防御魔法で防ぎ、魔弾を放つ。
軽やかな足取りで躱した八緒は、何処からともなく弓を取り出し構えて、矢を放った。砂埃が舞い視界が悪くなっていく中でも、八緒の狙いは寸分たりともぶれていなかった。
三央が車椅子から下りてその場を離れていなければ、彼女の矢が刺さっていた事だろう。
「やっぱり私も、貴女が嫌いだわ」
その言葉と同時に、いくつもの魔弾を飛ばす。八緒はやはり落ち着いた様子でそれを避けきって、地面に着地した。ぱっとあげられた顔には、無邪気な笑顔が浮かべられていた。
「あははっ。やっぱり病気なんて嘘だったんだね! 超元気じゃん!」
──第二戦目 長女・本条三央 VS 四女・本条八緒──




